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タルペイア
タルペイア [?〜前753]

 ローマの建国は伝説によると紀元前753年4月21日なのですが、その4ヶ月後に
建国者ロムルスは、婦女掠奪事件を起こします。これはローマが殆ど無頼の男達
によって建てられた為、女性が殆どおらず、そのままではローマの発展に重大な
支障が出るとロムルスが考えた為だとか、むにゃむにゃ、とにかく色んな説があ
りますが、最も控えめな数字によると30人の女性を、最も大きい数字によると683
人の女性を、ロムルスは近隣のサビーニ族から掠奪したのでした。

 当然、サビーニ族の男達は烈火の如く怒ります。ローマの町はサビーニ族の男
達によって激しく攻め立てられる事になりました。その時、ローマでも最も要害
に当たるカピトリウムの丘の城砦を守備していた人々の中の隊長がタルペイウス
であり、その娘がタルペイアでした。娘を連れてローマに入植した人はかなり珍
しかったでしょうね(また、恐らく若い男達が主だったと思われるので、タルペ
イウスはその中でも年長だったのでしょう)。

 この城砦はかなりうまく守られていて、さしものサビーニ兵も近づき難かった
のですが、ここでお待ちかねの裏切りが発生します。サビーニ族の男達は、ずっ
しり重い黄金の腕輪を左腕にはめ、宝石入りの大きな指輪をし、大きな盾と剣で
武装していたのですが、タルペイアはそれを見て、その腕輪と指輪が欲しくなり、
報酬として銘々が左腕にはめている腕輪が貰えるなら、ローマを裏切って、ロー
マ兵に気付かれない様に一つの門を開こう、と申し出たのです。サビーニ族の王
タティウスは腕輪を渡す事を約束し、サビーニ族の兵士達はカピトリウムの丘に
入ります。しかしそこで起こったのは、次の様な事でした。


   裏切るものは愛するが裏切ったものは憎むと言ったのはアンティゴノス(ア
   レクサンドロスの将軍)ばかりでなく、又トラーケーの王ロイメータルケー
   スについて裏切りは好きだが裏切り者は嫌いだと言ったカエサル(アウグ
   ストゥス)ばかりではない様である。或る動物の毒や胆汁を必要とする様
   に、こういう悪人を必要とする人々が、その悪人に対して懐く心持ちはど
   こか共通のものである。用に立てる間は愛するが、用が済んでしまえばそ
   の邪悪を憎む。その時タルペーイアに対してタティウスの懐いた気持ちは
   正にそれであった。即ち味方の兵隊に、あの約束を思い出して銘々が左手
   に着けている腕輪を一つも惜しまずタルペーイアにやれと命じた。そうし
   て自分が先ず腕輪を手から外して盾と共に投げつけた。皆が同じ様にした
   ので、金の腕輪を投げつけられ盾に埋められたタルペーイアは、その数と
   重みの為に死んだ。
                  −−『プルターク英雄伝』ロムルス伝 17



 この伝説には色々と異聞があるのですが、その中でも最も美麗なバージョンは
こうなります。

 ロムルスにカピトリウムの丘の守備を任されていたタルペイアは、サビーニ族
の王タティウスの勇敢な戦い様に一目惚れし、その愛を得られるならばとローマ
人を裏切り、門を開く。しかしタティウスは、タルペイアを愛する事は出来ても
裏切り者を許すことは出来ないとして、彼女を死に至らしめる、と。

 思わず爆笑モノではありますが(プルタルコスが「・・・・その隊長はタルペー
イウスであった。人の言う様に、処女のタルペーイアではない。それではローム
ルスが愚昧になる。」とまで書いてあるという(笑))、結構これ、少女マンガ
なんかで美麗に描けば面白いと思うのは、私だけでしょうか?

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 ホントはですねえ、サビーニ族が烈火の如く怒った、というのはウソなんです
よねえ(やばいぞやばいぞ)。この時、戦争は先ずローマと、サビーニ族以外の
周辺の民族との間で起こっているんです。で、それらを悉くローマが負かした後
に、サビーニ族との戦いになる。リウィウスはこう書いています。

   サビーニー族による戦いは最後に起こり、また、これが断然、最大の戦い
   になった。というのは、彼等は憤激とか戦意に任せて行動を起こす事が全
   くなく、また、戦を仕掛けるまでは、それを気付かせもしなかったからで
   ある。
        −−リウィウス『ローマ市建設以来の歴史』第1巻 11章 5


 この一件に関していえば、ヘルシニアという女性の話題とか、色々と他に見所
はあるのですが、それは後にとっておいて、付け加えるとすれば、この後カピト
リウムの丘のその一角、タルペイアの埋められた場所は、タルペイアと呼ばれ、
罪人を突き落とす場所になっていた、という事でしょうか。

 あと、タルペイアという女性に就いて判断する際には、この記述も書いておく
に如くはないでしょう。

   当時、スプリウス・タルペイユスがローマのアルクス(砦)で指揮をとっ
   ていた。この人の娘で[タルペイアという]処女(おとめ)をタティウスは
   黄金で誘惑し、武装兵を砦へ引き入れさせた。たまたま彼女は、その時、
   祭儀の為の水を汲みに防壁の外へ出ていたのであった。
    中へ入った兵士らは彼女にいくつもの武具をおしかぶせて殺害した。砦
   が[謀略より]むしろ武力で占領された様に見せかける為か、それとも、裏
   切り者は決して信用しないという実例を見せしめる為であろうか。
      −−リウィウス『ローマ市建設以来の歴史』第1巻 11章 6、7


 勿論、他に色々な伝説の形態があるわけで、これらは全て伝説に過ぎない、と
言われてしまえばその通りなのですけどね。まあ、伝説の発生にだって意味はあ
りますので。

構成・文:DSSSM:dsssm@cwa.bai.ne.jp
イラスト:CHAMI