共和政ローマ史年表

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1200頃古代イタリア人、北方よりイタリア半島中部に移住。

800頃 エトルリア人、恐らく小アジアよりイタリア半島北部に移住。

753   4.21 ローマ建国。初代王ロムルス。サビニ王ティトゥス・タティウスと
   の共同統治。

715   第二代王ヌマ・ポンピリウス即位。

673   第三代王トゥルス・ホスティリウス即位。

641   第四代王アンクス・マルティウス即位。

616   第五代王タルクィニウス・プリスクス即位。

579  第六代王セルヴィウス・トゥリウス即位。

578  民会の一つ兵員会を設立。

534   第七代王タルクィニウス・スペルブス即位。

510頃 第一次ローマ・カルタゴ条約。ローマは西地中海に於けるカルタゴの貿易
   独占承認。ローマ及びその同盟者カルタゴの攻撃を受けない。

509  ルクレティア凌辱事件。ローマは共和政を宣言。プブリコラの統治始まる。

508   エトルリア人ポルセンナ、ローマを占領。

507   カピトリウムにユッピテル神殿建立(貴族の祭祀)。

506   ポルセンナと和約。

504   サビーニ人アッティウス・クラウスス、ローマ市に移住(最後の氏族)。

503  プブリコラ死亡。

501  初めて独裁官が任命される。

499  7.15 レギルス湖畔の戦い(ローマ  VS. ラティウム族)↓?

498   第一次ラテン人戦争(〜493)。ローマはラテン諸市の自治を承認するが、
   戦時には軍事指揮権を行使。相互に貿易、通婚を認める。

496   平民層、アウェンティヌス丘にて祭祀挙行。

495  平民は共同宣誓し、ローマ市を去ってアウェンティヌス丘の聖山に立て籠
   もる。貴族の譲歩で、ローマに戻る。その結果、トリブス制平民会成立。
   護民官が指揮。その任務は護民官(2名)の選出、及び平民に関する決議。
   護民官の任務は(身体は神聖不可侵とされ)執政官の横暴から平民を守り
   市民に対する刑罰或いは逮捕への異議申し立て権、戦時を除き政務官の職
   務行為や元老院の決議に対する拒否権を持つ。

493   ケレス、リベル、リベラの三柱の神々を祀るアウェンティヌス丘の神殿を
   奉献。平民造営官が神殿監督を担当。護民官を補佐。執政官スプリウス・
   カッシウス、ラティウム人と条約締結。

492頃 コリオリ陥落。

488頃 コリオラーヌスがローマを攻める。

486   ヘルニキ人をラテン人と同様に扱うという条約を結ぶ。アエクィ、ウォル
   スキが山地から平野部に侵入し、これを破ったローマは以後対外強硬策に
   移る。

485頃 貴族は身分を閉鎖化。

485   スプリウス・カッシウスの土地法案。

478頃 7.18 クレメラの敗戦(ファビウス氏族、ウェイイと戦って全滅)。

475   エトルリア人、クマエに敗れローマを去る。

473   タレントゥムとレギウムがイヤピュゲス人によって討たれる。アペニン山
   脈の人々が海の方へ移動。マグナ・グラエキアの諸市は、最初にこの変動
   に抵抗。タレントゥムとレギオンは、イヤピュゲス人によって災害を受け、
   その存在すら危うくなり、苦しい守勢に立たされた。ラティウムにエクエ
   ス人とサビニ人が進出して来た。

460   サビーニ貴族ヘルドニウス、カピトリウムを一時占領。

459   アキリウス法の制定(アウェンティヌス丘を平民居住区に開放)。

458   独裁官キンキナートゥス、アウェークィー族を破る。

453  3人の元老院議員が法律制定の為ギリシアを視察。

451  十人委員会がソロンの業績をもとに慣習法を十二表法として制定。内容は
   私法、刑法、手続法、国家法、宗教法規等。貴族、平民間の通婚を禁止。
   これらの法規は12の銅版に記されフォルムに掲示。450頃 サビーニ人の第
   二次侵入。

449   十人委員会の解散。

447   財務官が置かれ、国庫の管理を担当(執政官によって任命されていた財務
   官が民会によって選出される様になった?)。

445   カヌレイウス法により貴族・平民間の通婚が可能となる。執政官職の代わ
   りに執政官権限軍事護民官を設置(定員は6名)。執政官と同等の権力を
   有し、平民も就任し得た。

443  監察官が置かれ、風俗の監視、財産査定を担当

438頃 サムニテス人がカプアを占領し、カンパニア地方にオスク人の国を建設す
   る。
   フィデナエとの戦争(〜425?)。

435頃 市民の名簿を作る為にケンソル団が創設される。

430頃 ローマ人とラテン人の同盟。ラティウムへのサムニテスの脅威から。アウェ
   ークィー人とウォルスキー人を決定的に打破。この時若きカミルスが活躍。

425  フィデナエを陥落させる。

423   サムニウム人のカンパニア占領(〜421)。サムニウム人はカプアやクーマ
   エを陥落させる。侵入したサムニウム人は徐々にカプア人と同化し、後か
   ら来るサムニウム人やケルト人撃退の役を担った。

406   ウェーイイーとの十年戦争(〜396)。

396   独裁官カミルス、ウェーイイーを占領。

390  クルシウムの戦い(ガリア人 VS. ファビウス・アンブストゥス)
     7.18  アリアの戦い(ガリア人 VS. ローマ)
    ローマはカピトリウムの丘を除いてガリア人に占領される。7カ月の包囲
   の後ガリア人は退去。

389  カミルスがローマの同盟国スートリウムを解放。

384  マルクス・マンリウス・カピトリーヌスを処刑。

380   ローマ市再建。七つの丘を囲む強固な城壁(セルウィウスの城壁)の建設。

378   ウェーイイーの旧領に4トリブスを設置。

375  リキニウス・ストローが護民官となる。

367  再度ガリア人の来襲。独裁官にカミルスが任命され、これを破る。リキニ
   ウス・セクスティウス法承認。内容は借財の緩和(利息として既に支払わ
   れた額を元金から控除)。公有地私有の制限(一人500ユゲラ〈125ha〉ま
   で)。執政武官職の廃止、及び平民に執政官職を解放。法務官及び高等造
   営官の創設。

366  初めて平民出身の執政官が選ばれる。以後法務官はローマ市民同士の訴訟
   を扱う

365   カミルスが疫病で死亡。

358   ガリアの脅威に対抗すべく、ローマ、ラテン諸市ヘルニキ族間の条約更新。

357   リキニウス・ストローが自分の定めた法律により罰せられる。エトルリア
   諸都市と戦い、その大半を屈服させる(〜350頃)。

356   独裁官職を平民に開放。

354   ローマとサムニテス族が対ガリア人防衛同盟を結成。両者に共通の隣接都
   市(ウォルスキ、アウルンキ、カンパニア)を抑える。

351   監察官職を平民に開放。

348   第二次ローマ・カルタゴ条約。ローマとラテン諸市は西地中海貿易から締
   め出されるが、シチリア、カルタゴとは交易可能。ローマに服属するラテ
   ン諸市をカルタゴの干渉から保護する為のもの。

345  アウルンキ族服属。

343   シディニキ市がローマ・カプア条約によりサムニテス族と結ぶ。(←→)
   サムニウム人がシディニキ人とカンパニア人を攻めた為、ローマがカンパ
   ニア人の要請を受けて介入し、サムニウム人を破る。第一次サムニテス戦
   争(〜341)。

341   第一次サムニテス戦争終結。サムニテス族はカプアのローマ編入を、ロー
   マをシディニキ市のサムニテスとの合併を相互に認める条約で。

340   第二次ラテン人戦争(〜338)。ラテン諸市は同盟を再組織して反乱。
   シヌエッサの戦い(ローマとサムニテスの同盟軍 VS. ラテン諸市)。

338   ラテン人戦争の海戦に勝利。戦利品の船の舳先はローマのフォルムの演壇
   に飾られた。ラテン同盟は解体。ラテン諸市はそれぞれ異なる法的地位を
   与えられてローマと条約を結ぶ。カプアはローマと同等の法的地位を与え
   られ、独自の軍隊の編成、貨幣鋳造、自治組織等が認められる。プブリウ
   ス・ピロの立法。民会決議の有効性の承認を強制(平民の政治的権利の伸
   長)。

337   法務官職を平民に開放。

329  ローマはプリウェルヌム占領。終にウォルスキ降伏。

328   ローマはフレゲラエ市を占拠、要塞化してサムニテスに備えた。

326   ローマがネアポリス(現ナポリ)と対サムニウム同盟を結び、第二次サム
   ニテス戦争(〜304)が始まる。サムニテス人がフレゲラエを占領。
   ポエテリウス・パピリウス法の制定(拘束行為の禁止)↓?。

322   借金返済不可能時での借人の自由剥奪を禁止。

321   カウディナエの敗戦。ローマ軍がカウディナエの隘路で包囲され、不名誉
   な条件(人質の提供、捕虜の辱めである軛門をくぐる)を呑み撤退。この
   後、316年までの間に、執政官が指揮する軍団数は各1個から2個に増加。

312   アッピウス・クラウディウス・カエクスが監察官となる。アッピア街道敷
   設に着手。彼は、選挙資格の決定に際し初めて動産と不動産の収入を同等
   に認めたことにより、平民を決定的に進出させた。非土地所有者を全トリ
   ブスに分散登録させる。

311   エトルリア人がサムニテス族と同盟を結ぶ。

310   ウァディモ湖の戦い(ローマ VS. エトルリア)。

不明 ローマは諸植民市を築いてサムニテスを包囲。アプリア、サムニウムに進
   撃。サムニテスの首都ボウィアヌムを占領。

306  第三次ローマ・カルタゴ条約。ローマはイタリアを、カルタゴはシチリア
   を。

304  第二次サムニテス戦争がローマの勝利に終わる。ローマ・サムニテス間の
   平和条約でカンパニアをローマ領とし、サムニテス同盟の存続を認める。
   サムニテス領の以後の拡大は妨げられた。非土地所有者のトリブス指定を、
   都市の4トリブスに限る。高等造営官フラウィウス、方式書を公開。

300   クィントゥス・オグルニウスがオグルニア法を制定し、神官職を平民に開
   放。

298   第三次サムニテス戦争(〜290)。サムニテスの同盟者はエトルスキ、ケル
   ト、サビニ、ルカニ、ウンブリ。ローマは各個撃破。ボウィアヌムを占領。
   サムニテスは北方に逃れ、ウンブリでケルト、エトルスキと共に再起を図
   る。

297   ローマ元老院は非常事態宣言を発する。予備役までも招集される。ファビ
   ウス・マクシムス・ルリアーヌスが執政官に任命される。

295   執政官ルリアーヌスがセンティヌムで勝利(サムニウム人、ガリア人、ウ
   ンブリア人を破る)。エトルスキと和約。

291  アプリアのウェヌシアに植民市(市民二万)建設。

290   サムニテス人と和約。出兵義務を課す。第三次サムニテス戦争終結。イタ
   リア中南部の制覇を完了。平民層はマニウス・クリウス・デンタトゥスら
   に指導されてサビニの土地分配を要求(〜287)。

287  新征服地の分配や借財問題を巡って平民がヤニクルムの丘上に分離。独裁
   官クィントゥス・ホルテンシウスにより秩序回復が行われ、ホルテンシウ
   ス法が制定される。平民会決議は貴族を含めた全市民を拘束する事に。

285   ガリアとの戦い(〜282)。カプアまで敷設されていたアッピア街道が植民
   市ウェヌシアまで延長される。

284頃 ローマはガリアの一部族セノネスの領土を獲得。ローマの中部イタリア制
   圧完成。

283   ヴァディモーネ湖畔の戦いでガリア・エトルリア連合軍を破る。植民市セ
   ナ・ガリカ建設。

282   タレントゥム(タラス)との戦い(〜272)。ルカニと対立したローマが
   トゥリ、ロクリ、レギウム諸市に援助を与えた為タレントゥムの利害と衝
   突。トゥリオイ市保護の名目で出兵。303年の条約で使用が禁じられていた
   タレントゥム港でローマ艦隊が攻撃されてから戦争開始。タレントゥムの
   要請でエペイロス王ピュロスは二万の傭兵、三千のテッサリア騎兵、26頭
   の戦闘象部隊を指揮、来援。

280   ヘラクレアの戦い(ピュロス VS. ローマ)。ブルッティ、ルカニ及びサム
   ニテスがピュロス軍に参加。ピュロスは勝利するも多大の損失を受ける。
   彼は南イタリアからのローマの退去を提案して和約を図ったがローマ元老
   院はこれを拒否。

279  アウスクルムの戦い(ピュロス VS. ローマ)。ローマはカルタゴと軍事同
   盟を結び、カルタゴは援軍の艦隊をオスティアに派遣。

278   ピュロスはカルタゴ領シチリアのギリシア人諸都市の救援に応じて同地に
   遠征、その殆どを占領(〜275)。シチリア、南イタリアに王国を建設しよ
   うとするピュロスの野望は、ギリシア諸市が離反して密かにカルタゴと結
   んだ為挫折。

275   ベネウェントゥムの戦い(ローマ VS. ピュロス)。ピュロスはエペイロス
   に帰る。

273頃 エジプトからローマとの友好関係を樹立する任務を帯びた特使が到着。

272   タレントゥム(タラス)がローマに降伏。タレントゥムの返還で講和締結。
   タレントゥム領をローマに割譲。南イタリアのギリシア諸都市はローマの
   同盟者となる。南イタリアに於けるローマの覇権確立(マグナ・グラエキ
   アの征服完了)。

270   ローマがレギウムを占領。

268   ローマによるベネウェントゥム建設。サビーニ人に完全なローマ市民権を付
   与。

267   ローマは初めて自前の通貨を作り始める。

264   ウォルシニイの陥落(エトルリアの最終的屈服)。


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