〜たまにはこんな時もある〜


 昼下がりの眩しい太陽がきらめく中、町は穏やかな日常を迎えようとしていた。
 昼食を終えた人々が午後の仕事へと赴くために、気合いを入れ直す時間である。
 だが、そんな周囲の雰囲気にそぐわない様子の人物が、食堂の片隅で一人肩を落としていた。
「はぁ〜〜〜」
 栗色の髪の大柄な女性──ミリィが深い溜息をつく。
 そこへ、黒い服に身を包んだ大柄な青年がやってきた。
 だが、ミリィは店に慣れ親しんだ人物が入ってきたことにすら気づいていない様子である。
 食堂へ足を踏み入れたウルフウッドが見ているうちに、ミリィの頭の位置がゆっくりと下がってゆき、やがて彼女はテーブルに突っ伏してしまった。
 なんとなく素通りするのもはばかられ、彼はミリィに近づいて声をかける。
「元気ないな、どないした?」
「あ……牧師さん」
 ミリィは顔を上げてウルフウッドを見上げたものの、やはりいつもの元気がない。
 ウルフウッドは彼女の正面に腰掛け、注文を取りに来たウエイトレスにコーヒーとプリンアラモードを注文した。
「あの…」
「話す気になったんか?」
「いえ、そうじゃなくって……」
「ここで何も食わんわけにはいかんやろ?」
 ミリィは目を丸くしていたが、少しだけ笑った。
「ありがとうございます」
 だが、すぐに視線が下を向いてしまう。
 あえて質問を投げかけず、ウルフウッドは頬杖をついて目を閉じた。
 ミリィがちらりと彼の様子を窺う。
 まるで眠っているような彼を見つめるミリィの口から、溜息がまたひとつ洩れた。
「今日…仕事で失敗しちゃったんです」
 ウルフウッドが目を開き、彼女を見やる。そして、彼は続けられるであろう言葉を待った。
 最初の一言を口に出来れば、喋りやすくなるものだ。ミリィはぽつりぽつりと言葉を継いだ。
「書類の最初の項目で計算ミスしちゃって、それが最後まで尾を引いちゃったんです。自分でやり直したかったんですけど、提出期限まで時間がなくて、先輩に全部お願いしなくちゃいけなくて……」
 たまにはこういうこともありますわよ、と、メリルは書類を手に苦笑を浮かべて、幾度も謝罪するミリィの肩を叩いてくれた。
 でも、何度もあっては困りますけれどね、と言いつつ、彼女は宿の部屋に入るとカンヅメ状態で一人仕事に取り掛かったのだ。
「先輩は手慣れてますから、多分、書類はあと二、三時間で書きあがると思います。…私じゃあと五時間はかかっちゃうんですけど……」
 ミリィは口を閉ざした。そして、また溜息をつく。
「本当に単純なミスだったんですよね。ちゃんと確認していれば気がついたはずだったのに。もっと早くわかってたら、先輩に迷惑かけずにすんだのに…」
「歯」
 それまで黙っていたウルフウッドの突然の言葉に、ミリィは思わず顔を上げる。
「え?」
「歯に何かついとる。ちょっと口開けてみ」
 ウルフウッドの言う通り、ミリィが口を開いた。と。
 ころん、と固いものが歯に当たる音がした。
 口の中に甘い味が広がっていく。
 ミリィがウルフウッドを見やると、視線が合うのを待っていたかのように、彼は笑って見せた。
「甘いやろ?」
 ミリィは黙って頷いた。口に入ったのはキャンディーらしい。しかも、それが意外に大きかったので、喋る事ができないのだ。
「疲れとる時は甘いモンが一番や」
 ウルフウッドは頬杖にしていた腕を下ろして、両腕を組んだ。
「ワイはあんたの仕事はようわからんけど、失敗して落ち込むんはしゃーないわな。反省するんも必要やろ、せやけどいつまでもそうしとったところで、何にもならんのちゃうか?」
「………」
「そのまんまでおったせいで別の失敗してもうたら、それこそ意味ない思うけどな」
 少し斜に構えるウルフウッドの顔から、ミリィはテーブルへと視線を落とした。
 所々に傷のついた木製のテーブルに、水の入ったグラスが二つ、置かれている。
 グラスに落ちる影は、正面に座る彼のものだ。
 ころころとキャンディーが口の中を転がった。口の中に広がるほのかな甘みが、心に溶け込んでくるようだ。
 そして、ウルフウッドの言葉が失われた元気を取り戻してくれるように感じられ、ミリィはようやく自分がひどく落ち込んでいた事に気づいた。
「ありがとうございます。…そうですよね、いつまでもクヨクヨしてられないです!」
 こう言ってから、ミリィはキャンディーがかなり小さくなっている事にも気がついた。ウルフウッドの言葉を反芻しているうちに、少し時間が経っていたらしい。
 その分、口の中には甘みが残っている。
 ふと、ミリィの頭に疑問が浮かんだ。
「ところで牧師さん、このキャンディーはどうしたんですか?」
 まだ口を動かしながらの質問に、ウルフウッドは楽しそうな表情を浮かべた。
「ん、さっきそこの角に買いもんの駄賃なくしたっちゅーガキがおったんや。よう見たらすぐ近くの路地裏に金が落ちててな、見つけてくれた礼に言うて、くれたんや」
 ミリィは何故かふとこんな光景を想像した。
 子供の話を聞いたウルフウッドが、無くしたお金を探しつつ、懐から小銭を出して路地裏に手を伸ばし、子供を呼んでお金を渡す。
 その子は大喜びで彼にお礼を言って、ポケットのキャンディーを渡すのだ。
「…その子、牧師さんに一緒にお金を探してもらえて、よかったですね」
「まぁ、一人で探すより二人の方が見つけやすいやろ」
「牧師さんだから、良かったんだと思います」
 ミリィがにっこり笑う。対するウルフウッドは、少しだけ面映ゆそうな顔をすると、つと視線をあらぬ方向へ向けた。
 その時。
 突然、店の外から轟音が響いてきた。
「なんや!?」
 二人が立ち上がった。
 店内では、ウエイトレスがコーヒーとプリンアラモードを載せたトレイを手にしたまま固まっている。他に客はいない。
 それを一瞬で視野に捉えたウルフウッドが、外の様子を確認するべくドアに近づいた時。
「ちょーっと待って、今のナシ!!」
「ざっけんじゃねぇ!」
「調子こいてんじゃねぇよ、てめぇ!」
「いやだから話せばわかるって、うひゃあ!」
 能天気な声と、柄の悪い恫喝が聞こえてきた。…一方の声は、二人にとって非常に聞き慣れたそれである。
「…ヴァッシュさん…?」
 突然の出来事に、ミリィが唖然と呟いた。
 ウルフウッドは肩を竦めると、きびすを返して元の席に腰を下ろす。
 彼が椅子を引いた音で、ミリィは我に返った。そして、ウルフウッドを振り向く。
「すみません、牧師さん。ちょっと行ってきますね」
 ミリィは少しだけ困った顔をしていたが、既に普段の彼女に戻っていた。今浮かべている表情は、ヴァッシュの騒動への呆れ半分苦笑半分のそれである。
 もう、悩みは晴れたらしい。
 ウルフウッドは軽く手を上げた。
「プリンは取っとくから、片づいたら戻ってき。しっかり気張ってな」
「はい!」
 言うが早いか、ミリィは店を飛び出した。
 外に出ると、騒動の場所はすぐにわかった。その付近にちょっとした人垣が出来ていたのだ。
 銃声が響いた。
 慌ててミリィが人垣に飛び込む。服の下からスタンガンを取り出し、野次馬の中から飛び出すと…。
「いでででで!」
「はな、離せって、おい!」
「だーから、言ったでしょ?こういうモノは往来で使っちゃいけないって」
 器用に二人の男の動きを封じ、彼らから取り上げたらしい二丁の銃を地面に置きながら、澄ました顔で注意しているヴァッシュの姿があった。
 彼はすぐにミリィを見つけると、にっこり笑って手を振ってくる。
「あ、保険屋さん」
 この様子から、ヴァッシュが狼藉者を退治したことがすぐにわかった。
 ミリィは一瞬ほっとしたものの、すぐ近くにあったあるものに目を留めるや、彼の腕をしっかと握り締める。
「え?」
 きょとんとする彼に、ミリィは元気な声でこう言った。
「保安官の人が来たら、説明して下さいね。その後一緒に宿に戻って報告しなくちゃ。今日は付き合ってもらいますからね〜」
 ヴァッシュの笑顔が引きつった。
 彼の背後には、狼藉者と乱闘した時に『何故か』出来てしまった瓦礫の山が、うず高く積もっていたのである。

                                               ──fin


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<あとがき>
 11111キリ番リクエスト小説です。…でもウルフは積極的というより、さりげなく優しいという感じですね(苦笑)。まだ「ハニー」「ダーリン☆」の仲ではないようですし。
 いつも元気なミリィちゃんですが、こういう時もあるのではないかな、と思いました。仕事に失敗はつきものですけれど(私だけかな…(汗))、彼女はそれをバネに頑張っていける娘だと思います。
 ただ、落ち込んでいる時、そっと背中を押してくれる人がいたら。沈んでいた表情に笑顔が戻るまでの時間も、短くなるのではないでしょうか。その内容は時に厳しい言葉かもしれません。けれど、自分を思い遣って励ましてくれる人…友人、家族、あるいは大切な誰か…そんな人が身近にいてくれるなら、それは何より嬉しいことだと思います。