中から響く音色に導かれるように、ミリィは開かれていた扉からそっと建物の中に入った。
 正面には壇。その奥に大きな十字架。左右には何人かが腰掛けられる椅子がきちんと整列して並べられている。
 すべてが埃を被っていながらも、この空間には神聖な空気が感じられた。見る者の印象だけではない何かがあるのだろうか。
 そして正面左奥に、こぢんまりしたこの教会には不釣り合いに思えるほどのパイプオルガンがあった。
 オルガンと教会は因縁深いものだが、この星においてそれが確実に結びつくとは限らない。ミリィの故郷の教会には必要最小限のサイズの小さなオルガンがあったが、それ自体がない村は多い。…教会自体が存在しない土地もあるのだから。
 そのオルガンを彩るように、周囲に細工が彫り込まれている。ディセムバのものには劣るだろうが、それにしてもこのような街にあるオルガンにしては、豪華なものだった。
 そんな楽器の前に、黒い影が座っている。傍らには白い布にくるまれた十字架があった。
 中に入ると、荘厳な音色がはっきりと耳に届く。
 ミリィの記憶にも、オルガンの音色は残っている。不思議な暖かさを感じる優しいものだった。
 だが今奏でられているこの曲は、高い音色と響きと静けさの中に、どこか鋭みを思わせる。…それは、弾き手の心情によるものだろうか。
 不意に、音楽が止んだ。否、弾き終わったのかもしれない。
「小っちゃい姉ちゃんと一緒やったんとちゃうんか?ハニー」
 オルガンの前に据えつけられた椅子から立ち上がりながら、弾き手──ウルフウッドが問い掛けた。
 ミリィが目を丸くする。彼はまだ背後を見ていないのだ。
 ウルフウッドは振り向いて、彼女の姿を確認すると、やっぱりな、と言わんばかりに笑ってみせた。
「…ど、どうして私だってわかったんですか?」
「気配と足音やな」
「でも、さっきまでこの中ってそのオルガンの音で一杯だったんですよ?」
「足音くらいわかるて。それに気配は伝わってくるもんや」
「…そうなんですかぁ…」
 自分にはよくわからないが、ウルフウッドが言うのだからそうなのだろうと納得して、ミリィは感心した。対する黒服の牧師は苦笑を返す。
「ハニーと話しとると、調子変わるなぁ」
「え?」
「いや、なんでもあらへん。…コレ、気になるか?」
 ウルフウッドは背後のオルガンを小さく叩いた。
「はい。おっきいオルガンですねぇ」
「こんな街には珍しいわな。せや、ディセムバのオルガンは見たことあるか?」
「はい、2回くらいあります」
「…2回?」
 ウルフウッドが怪訝そうな顔をする。ミリィは慌てて続けた。
「えっとぉ…家にいた時はみんなでよく教会に行ってたんですけど、本社にいる時ってなかなか時間がとれなくて、あんまり行けないんです」
「そらあかんで。ハニーが教会行ってへんてわかったら、神さんも泣くやろなぁ」
「えええ、そ、そうですか?ちゃんと行けばよかったですぅ…」
 ウルフウッドが吹き出した。
「じょーだんや。まぁ教会は行ける時行くだけで十分やて。神様もそれくらい大目に見てくれるて、な」
「本当ですか?」
「ホンマやて。牧師のワイが言うんやから間違いないで」
 心細くなっていたミリィだったが、彼の説得にほっとした表情を浮かべる。
 彼の言葉を聞いていると、ひどく安心できるのだ。彼女の心の中をわかっているようなウルフウッドの言動は、まるで魔法のようだとミリィは思う。
 ミリィは改めてオルガンを見た。
「こんなに綺麗なオルガンを見たのは初めてです」
「こないな小さい街にはもったいないくらい立派なモンやわ」
「大好きな人がいたんですね、きっと」
 隣に立つ牧師の顔を見て、ミリィが笑いかけた。
 ふと、彼がその視線を返した。ウルフウッドの青みがかった灰色の瞳が、傍らのミリィを静かに見下ろす。
「…せやな、ほんまに大切やったんやろうな」
「?」
「ちごうたら、こないにきちんと調律されてへんで。音もほとんど狂うてへんしな」
 ウルフウッドはオルガンに目をやった。そっと手を伸ばし、細工を指でなぞりながら、彼はオルガンを見つめている。
 ひとつの質問がミリィの口をついて出た。
「さっき、弾いていた曲は何ですか?」
「レクイエムや」
「…レクイエム?」
 おうむ返しにミリィが問う。ウルフウッドがオルガンに向き直ったので、彼女からはその表情が見えなくなった。
「鎮魂歌とも言うな。魂を鎮める歌、つまり死んだ者の心を落ち着かせる曲や」
「魂…って、死んだ人の心のことですか?」
 ミリィはただ耳慣れない言葉の意味を尋ねただけだったが、質問を受けた方はそうは捉えなかったらしい。牧師の肩書きを持つ青年は、教会の上部の窓にはめ込まれたステンドグラスを見上げた。ひどく静かな声で、彼女の問いに答える。
「いや、多分ホンマは生きとるもんへの曲なんやろな。この言葉でいう魂っちゅうたら死人の心やけど、死んだもんより生きとるもんの方がよっぽど色々抱え込まなあかん。心を落ち着けるんも、死んだもんのことを考えるんも、生きとる人間だけしかできんことやしな」
 どうしてこの人はステンドグラスを見上げているんだろう。その前の十字架をじっと見つめているんだろう…?
 ミリィには、オルガンよりも教会よりも、傍らの黒服の牧師のことが気になっていた。

「綺麗な音色でしたね。私、ここにいるのは先輩かなって思ってたんですよ」
 ウルフウッドがミリィに視線を戻した。ミリィはにっこり笑っている。
「先輩は小さい頃、教会でオルガンを教わったことがあるそうなんです。礼拝で一度弾いたこともあるって前に教えてくれました」
「ほぉ、そりゃ余程の腕やな。普通は弾かせてくれへんやろ」
「そうなんですか?」
「これでも一応お仕事なんやで」
 ウルフウッドが茶化した口調になった。少しばかり人の悪い笑みを浮かべている気がして、ついミリィは訊き返してしまう。
「ほんとですかぁ?」
「そらワイも一応弾けるしなぁ」
「…ふ〜ん、牧師さんのお仕事って大変なんですね〜」
 ここであっさり信じてしまう所がミリィのミリィたる由縁だろう。青年牧師は一言もそうだとは言ってない。
 ウルフウッドは閉じられていたオルガンの蓋を開いた。
「なんか弾こか。好きな曲言うてみ?ワイの知らん曲でも、簡単なんやったら弾けるで」
 ミリィの目が輝いた。
「ありがとうございます!じゃぁ、子守歌、弾いて下さい!」
「子守歌?」
 ウルフウッドは少しばかり目を見開く。
「こういう曲なんですけど…」
 ミリィが目を閉じた。程なくして、彼女は静かなメロディに乗せて、短い歌を口づさむ。
 簡単な曲だ。一曲の中に同じメロディラインが2回、それが3回続いて、最後だけ曲調が変わる。
 頭の中で弾き方を再現しつつ、ウルフウッドは歌い続けるミリィを見つめていた。
 目を閉じていると、思ったより睫毛が長いことがわかる。歌いながら昔を思い出しているのだろう、浮かべる表情はとても優しげだ。
 歌い終えると同時に、ミリィが目を開いた。
 いつの間にか彼女の顔を凝視していたウルフウッドは、内心狼狽してしまう。
 だが、ミリィはそれに気づかなかったらしい。少し小首を傾げたものの、彼女はこう尋ねただけだった。
「こういう歌、知りませんか?」
「…いや、初耳やな。せやけど簡単な曲やし、今から弾けるで」
「ホントですか!」
 内面の動揺を表に出さずに彼が答えると、ミリィはとても嬉しそうな顔をした。
 早速ウルフウッドが椅子に腰掛け、先程のメロディを簡単になぞってみせる。
「こんな感じか?」
「はい!すっごいです、ホントに弾けちゃうなんてびっくりしました」
「信用ないなぁ」
「あ、いえそんなことないです〜。牧師さんってすごいんですね!」
 ウルフウッドは苦笑した。素直な賞賛の言葉が少し面映ゆく感じられる。
 そして、静かにミリィの子守歌を奏で始めた。
 パイプオルガンの澄んだ音色が、教会の中にこだまする。
 やがて、そこに歌声が重ねられた。
 ウルフウッドが傍らの女性を見やると、彼女は目を閉じて優しい子守歌を歌っていた。
 思わず笑みがこぼれたが、それはミリィの目には映らない。
 ──こないな街には、鎮魂歌が相応しいと思とったけどな…。
 罪深き者が神の許しを乞う歌よりも、この歌の方が暖かい。眠りをいざなう優しい想いに満ち溢れている。
 おそらく、このオルガンもこのまま朽ち果ててしまうのだろう。この曲が手向けになるのかもしれない。
 だが。これほど優しい曲を奏でるなら、優しい歌にいざなわれるならば。訪れる眠りもまた穏やかなものではないだろうか。
 癒しはささやかなものの中にあるのかもしれない。
 ミリィの子守歌を聴きながら、ウルフウッドはひとときの穏やかな時間に身を委ねていた。
                                               ──了

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<あとがき>
 カウンタ2222HIT記念のリクエスト小説です。でもリクエスト半分しかクリアできませんでした(爆)。すみません〜。(前回のアークもそうだったような…(汗))
 シチュエーションを聞いた直後はお笑いネタになるかと思いきや、話を考えている最中にLD10巻、11巻が発売されたこともありまして、21話と22話の間のかなり沈んだお話になりました。しかもアニメと展開がかなり違いますね…(爆)。
 いくつか勝手に設定を作ってしまっている部分がありますので、事実と矛盾している所があると思いますが、さらっと読み流していただけると嬉しいです〜。
 ウルミリはもちろんですが、ヴァメリも好きです。…でも、この二人はウルミリより難しいですねぇ。私がヴァッシュのことをまだまだ理解していないせいだと思うんですけど…。
 話は変わりますが、パイプオルガンの音って素敵ですよね。実は初めて聞いたのがメガテンのサントラだったりするんですが(爆)、しばらく耳から離れませんでした。
 あ、でもちゃんとオルガンのレクイエムも聴きました(笑)。歌詞は引用できませんでしたけど(苦笑)。
この小説のイメージイラストをさがみさんからいただきました!
こちらのウルミリを是非是非ご覧ください〜!