01 くすぐる香り (TOS・クラトス&ロイド一行)


 旅を始めて一ヶ月もすると、それぞれの役割分担が決まるようになり、野宿の支度も手慣れてくる。
 そうするうちに、仲間の意外な面を見る機会もできるもので。
「今日の夕飯も旨そうだな〜。いただきます!」
 その日の夕食は、賑やかなロイドの言葉で始まった。
 メニューはオムライス。ふんわりした卵と中に包まれたチキンライスが得も言われぬ味のハーモニーを生み出す料理である。
 オムライスを一口食べたロイドは、満面の笑みを浮かべた。
「うん、旨い!……けど、今日は味付けが違うんだな、ジーニアス」
 旅を始めた頃は料理を当番制にしていたのだが、人には得手不得手がある。
 リフィルが料理当番に当たった折、一行はそれをしみじみと痛感したものだ。
 以降、彼女が当番の時は弟のジーニアスが代わって料理を作るようになったのだが、これが美味しくて皆に好評だったのである。
 元来料理好きなジーニアスが食事当番を買って出るまで、さほど時間はかからなかった。
 最初は必要に迫られて覚えたけど、いざ始めてみると奥が深いんだよね、とは彼の弁である。
 当然ながら、今日の料理も彼のお手製と思ったのだが。
 しかし、ロイドの言葉にジーニアスは肩を竦めた。
「今日は僕じゃないよ」
 ロイドが目を丸くする。
「え……けど俺もコレットもいなかったし、先生のわけないし……」
 どういう意味です、と横合いから尖った声がかけられ、ロイドは笑ってごまかした。
「クラトスが作ってくれたのよ」
 憮然とした表情で、リフィルが種明かしをする。
「え……」
 消去法で行けば彼しか残らないのだが、傭兵のクラトスとこのオムライスが全く結びつかず、ロイドはまじまじと彼を見つめた。
 当然ながら、クラトスの皿にもくだんのオムライスが盛られている。
 ただでさえ無口な傭兵に似合わない料理だというのに、その彼がこのオムライスを作ったという事実に、ロイドは違和感を覚えずにはいられなかった。
 第一、この献立はどう考えてもクラトスの好みではないように思われる。
「……何だ」
 ロイドの視線に応える声も無愛想極まりない。
「いや、ちょっと……かなり意外だったからさ。あんたがこんな料理作るとは思わなくて」
「クラトスさんはお料理が好きなんですか?」
 にっこり笑ってコレットが尋ねる。
 ぎくしゃくとした空気が流れる中、コレットの無邪気な声がその雰囲気を和らげた事に、ロイドは心底感謝した。
 さすがにああもあからさまに驚いたのは悪かったと思ったものの、それをすぐさま取り繕えるような器用さは持ち合わせていないのだ。
「傭兵にはある程度必要な技能なのでな」
 応じるクラトスの声からも刺々しい響きが感じられなかったため、ロイドは内心ほっとする。彼もコレットに対しては険のある物言いにならないらしい。
 確かに仕事がら野営が多いであろう傭兵にとって、料理は必須技能になるだろう。
 クラトスが食事当番に当たった回数はさほど多くないが、毎回手慣れた様子だった事は覚えている。
 こういった料理が得意だとは、正直予想だにしなかったけれども。
 改めて、ロイドの頭に疑問が浮かぶ。
「でもなんでオムライスなんだ?」
「とってもおいしいね、ロイド」
「ああ、確かに旨いけど……」
 再びオムライスを口に運んだロイドは、何かひっかかるものを感じた。
 柔らかい卵の風味。中のチキンライスの旨味、立ち上る湯気の香ばしさ。美味しさは勿論だが、何かこう……。
「確かに、オムライスより炒飯の方が手軽だわね。卵で具材を包む手間がかかるもの」
 リフィルの言葉にロイドは我に返った。
 ロイドはクラトスとオムライスの意外な組み合わせに驚いたのだが、彼女は論理的に疑問を感じたらしい。
「そうだね、料理が好きでないとこんなオムライスは作れないんじゃないかな」
 メンバー内で最も料理に詳しいジーニアスの発言が決定打となった。
 自ずと視線が一点に集中する。
 クラトスは溜息をついた。
「……前に子守りを頼まれた事があってな。料理はその時に覚えた。今日はたまたま食材に余裕があったので作ってみただけだ」
 こんなことなら作るべきではなかったという彼の心が透けて見えるようである。
 しかし全員が驚愕したのはそこではなかった。
「クラトスが子守り!?」
「嘘!」
「そうなんですか!?」
「意外だわ……」
 どれが誰の発言かは敢えて説明するまでもないだろう。
 四人四様の驚きぶりに、クラトスは更なる深い溜息をついた。
 しかし、好奇の目に晒され憮然としてはいるものの、怒っているわけではないらしい。
 恐らく傭兵の仕事を請け負った時に、子供連れの親の護衛があったのだろう。子連れの旅業もないわけではないが、危険が増すのは少し考えればわかることだ。
「傭兵ってのも大変なんだな……」
 クラトスと子守りという全く釣り合わない組み合わせを頭の中で思い描き、思わずロイドが呟いた。
 すると、意外にもクラトスは彼に苦笑を返したのである。
「まあ、な」
 あまり表情を動かすことのないクラトスの笑顔は、苦笑であれども珍しい。しかも、不思議と親近感さえ感じてしまうものだった。
 常に近寄りがたい雰囲気を醸し出していた彼の意外な過去が、そういった彩りを与えたのかもしれないけれども。
 食欲をそそる匂いでロイドは我に返った。手に持った皿に目を落とす。
 オムライスは世間でも広く人気のあるメニューだ。実際、ロイド達の大好物でもある。
 ……だからクラトスは夕食にオムライスを選んだのではないだろうか。
 旅に慣れてきたとはいえ、まだ先は長い。特にコレットは重要な使命を帯びた旅なのだから、その疲労も察するに余りあった。ロイド自身、ようやくペースをつかみかけてきたくらいなのである。
 今日の献立は、彼なりに共に旅する仲間を思い遣った結果なのかもしれない。
 辿り着いた結論は意外だったが、多分、真実に近い気がする。
「でもこのオムライス、本当に旨いぜ。良かったらまた作ってくれよ」
 ロイドは顔を上げるとクラトスに笑いかけた。
 お世辞ではない、本心だ。
 クラトスは少し驚いた様子でロイドを見やったが、やがて小さく頷いた。
「……ああ」
 短く応じた彼の表情がいつになく柔らかく感じられたのは、先程の苦笑が残っていたせいかもしれない。
 だが、この時のクラトスの表情は、ロイドの心に深く刻み込まれていたのである。

──fin
(2006.04.26up)






02 プラスチックの指輪 (TOS・ゼロス&ロイド)


 女の子が一人、急ぎ足で道を駆けていた。
 脇目もふらずに走っていた少女は、ゼロスの脇を通り抜けようとした時、不意に足をもつれさせた。
 小さな身体がゆらりと傾ぐ。
「おっと!」
 あわや転倒しそうになった少女を、咄嗟にロイドが抱き留めた。
 と、彼女の手から何かが転がり落ちる。
「ん?」
 目聡くそれに気づいたゼロスは、地面で太陽の光を反射していたものを拾い上げた。
 ロイドはその場にしゃがみこんで少女に怪我がないかを尋ねている。
 彼の質問に頷いた少女は、右手を見やると真っ青になった。
「落とし物だぜ、愛らしいお嬢ちゃん」
 すかさずゼロスが右手を差し出し、彼女の前で開いて見せた。
 手のひらにのっていたのは、おもちゃの指輪。
 少女の顔が輝いた。
 彼女は受け取った指輪を右手の薬指に嵌めると、大切そうに何度も撫でた。
 やがて少女は顔を上げ、満面の笑顔を浮かべて元気に礼を言う。
「神子様、お兄ちゃん、ありがとう!」
 少女が再び駆けてゆく。
「気をつけろよー!」
 ロイドの声に彼女は笑顔で大きく手を振った。
 やがて、その姿が遠くなってゆく。
 少女の姿が完全に見えなくなってから、ロイドはゼロスを振り仰いだ。
「あの子が指輪を落としたって、よく気がついたな」
 感心した様子の少年へゼロスはにやりと笑ってみせる。
「甘いぜロイド君。女の子への細やかな気配りは基本基本。それがわからないってんなら、まだまだ俺さまの足下にも及ばねぇなぁ」
「別にお前みたいになりたかねーよ」
 だっはっは、と笑うゼロスをロイドは呆れた体で見つめる。
 既に日常茶飯事のやりとりだ。
 ロイドもゼロスはこういう性格だと割り切っているのだろう、あっさりと話題を変えた。
「しっかし、いきなり真っ青になるんだもんな。具合悪くしたのかと思ったけど」
 よっぽど大切な指輪だったんだろうな、と微笑むロイドに、ゼロスが珍しく真面目な声を返す。
「そうだな。女の子にとって、指輪ってのは特別な意味を持つもんだ」
 女性に贈られる指輪は、願いの象徴だろう。
 幸せを願い、約束する証だ。
 ……昔、一度だけ。花で作ったことがあった。
 花束から小さな花を一輪抜いて、その場で茎を丸めて編み込んで。
 赤い髪の少女はゼロスが作った指輪を嵌めると、本当に嬉しそうな笑顔を見せたのである。
 ――遠い昔の思い出だ。
 ロイドがゼロスの顔をまじまじと見た。
「ゼロスも指輪をあげるような子がいるのか?」
 意外そうに、けれども真面目な声音で尋ねられ、ゼロスは思わず苦笑を返す。
「おいおいおい。話が飛びすぎでないの、ロイド君」
「いや、だってなんか実感こもってた感じがしてさ」
 刹那の間、ゼロスの表情が凪いだ。
 ロイドは騙されやすい根っからのお人好しだが、時折鋭い目で真実を見抜く事がある。
 それはおそらく、彼の天賦の才であり、意図的なものではない。
 しかし、だからこそ意表を突かれるのも事実だった。

 花で編んだ指輪は儚くて、すぐに枯れてしまったという。
 ……指輪を見繕ってやるという約束も、果たす機会を失った。

 いっそ憎しみだけを向けられれば、心も楽になったものを。

 凪ぎは一瞬の出来事である。
 ロイドが何事かを察する暇を与えず、ゼロスは軽い笑みで本心を覆い隠した。
「いやいや、俺さまはテセアラ中のハニーたちに愛されてるからな。特別に誰か一人ってわけにはいかねーのよ」
「あのなー……」
「だっはっはっ」
 脱力するロイドに笑い返すと、相手は深い溜息をついた。
「ま、いいけどな。おまえの女好きは今に始まったことじゃないし」
「冷たいなぁ、ハニー。心配ご無用、俺さまの一番はハニーだけさ」
「だーもー、その呼び方やめろよな!王様にまで覚えられちまっただろ!」
 ロイドがムキになって怒り出す。この流れになればいつもの通りである。
 反応のわかりやすい少年を楽しく宥めつつ、ゼロスは軽口を叩きながら先に立って歩き出した。

──fin
(2006.04.19up)






03 汚れたぬいぐるみ (ロマサガMS・アルアイ)



(『タラール族消失』ネタバレを含みます)


「あった!」
 言うなり、アイシャは小さなぬいぐるみを手にとった。
 彼女がその頭を軽く叩く。周囲に埃が舞い、幾分汚れが落ちたはずだが、見目はさほど変わらなかった。
 薄い土色地のぬいぐるみだが、どうやらこれは色が抜けたせいらしい。愛らしい熊の元色は濃い茶だったのではないだろうか。察するに、かなり年季の入ったものと思われた。
 ――お願い。ぬいぐるみ、持ってきて欲しいの。
 そう言ってアイシャの服を握りしめた、小さな少女の姿を思い起こす。
 タイニィフェザーよりタラール族が砂漠の流砂に飲まれたという情報を得たのは、つい先日のことだった。
 それを頼りに探索を始めたアルベルトたちは、カクラム砂漠の地下深くにひっそりと残されていたニーサ神殿と、ここへ逃げ延びていたタラール族を発見したのである。
 村人との再会を喜んだアイシャだったが、彼女の祖父である族長ニザムは、タラール族が地底に姿を消した理由と合わせて、これまで秘していた一族の伝承を孫娘に告げたのだ。
 孫を送り届けたアルベルト達にも話を隠さなかったのは、おそらくここでアイシャと道を分かつであろう彼らへ、真実を伝える必要性を感じた為と思われた。
 まだ幼いとすら言える少女が、長い旅を経てようやく身内と再会できたのである。
 アルベルト自身、アイシャはこの地底に残るものだと思っていた。
 しかし、アイシャは彼らと旅を続けることを選んだのである。
 地上へ戻ろうとした彼女へ、年端もいかぬ少女が必死の様子で頼み事をしたのは、その時だった。
 くだんのぬいぐるみが、彼女の祖母から譲られた大切なものなのだと説明を加えたアイシャへ、グレイは軽く頷いて見せ、一行はタラール族の住居を再び訪れる事となったのである。
 一人でテントの奥へ向かおうとしたアイシャを、アルベルトは引き止めた。
 すぐに済むから、という彼女を何故か一人にしたくなかったのだ。
 結局アルベルトも仲間に断りを入れて、アイシャと共にテントへ向かう事にしたである。
「見つかって良かったね」
 安堵の混じったアルベルトの声に、ぬいぐるみの埃を落としていたアイシャが振り返った。
「うん。一緒に探してくれて、ありがとう。アル」
 荷袋にぬいぐるみを仕舞い込む彼女へ、アルベルトは気になっていた事を尋ねてみる。
「お祖父様の所に残らなくて良かったのかい?」
 一瞬、荷袋に隙間を作っていた手の動きが止まったが、アイシャはすぐに片付けを終えた。
 そうして閉じた荷袋の口を見つめながら、答えを返す。
「地底は安全かもしれないけど、でも隠れて知らない振りをするのはずるいと思う」
 曲がったことを嫌うアイシャらしい意見だった。
 しかしサルーインの復活は時間の問題だ。逃げる先があるのならば、そこへ避難するのも一つの方策である。ましてやアイシャはまだ保護者を必要とする少女なのだから。
「旅を続けるのは危険な事だよ。未熟な私が言うのは口はばったい事だけれども、アイシャには身を案じておられるお祖父様もいらっしゃるのだし」
「……私、足手まといかな」
 ぽつりと呟いた少女の言葉は、ひどく力なく感じられた。
 アルベルトは首を振る。
「そんなことはないよ。君は充分に力を付けている。弓の扱いも慣れたものだし、水や土の術法で幾度となく私たちを助けてくれているじゃないか」
 だったら、とアイシャが言葉を募らせる。
「一緒に行ってもいいでしょう?私にも何か出来る事がしたいから……今まで一緒にいてくれたみんなに恩返しがしたいの。少しでも力になりたい」
 不意にアイシャは瞳を翳らせた。
「……私、人間じゃない、けど……」
 ここでようやくアルベルトは、彼女の様子が普段と違っている原因に思い至った。
 族長より孫へと伝えられた、タラール族の歴史。
 連綿と続いた彼らの時の流れは、遙か古代、マルディアス全土が信仰する光の神エロールが誕生する以前までも遡ることができたのである。
 現在マルディアスに生きる人々は、エロール神より生まれ落ちたと伝えられている。
 しかしタラール族はそれよりも昔、世界が混沌としていた頃に地母神ニーサによって産み出されたとされているのだ。
 故にタラール族は、エロール神が産み出した人間ではない。
 ――けれども。
 アルベルトは両手で彼女の肩に触れた。
 不安そうに瞳を揺らせる少女へ、優しく笑いかける。
「私はただ、アイシャが危険な目に遭わないかが心配なんだ。でも、君が覚悟をしているのなら止める気はないよ」
 少しだけほっとした様子の少女へ、アルベルトは更に言葉を重ねる。
「それから。アイシャは人間じゃないと言うけれど、それはただ一族の祖先を異にするだけだと思うんだ」
「…………」
 言葉には出なかったが、憂いを帯びた緑の瞳は心の奥に何かを潜ませているようで。
 けれども、アルベルトはそれに頓着しなかった。
「タラール族はニーサ様を祖先としていて、ローザリアの他の民族はエロール様を祖としている。それだけだよ」
「でもね、お祖父ちゃんが言ってたの。人間は自分と違う者たちとは共存できないって。今はみんなと一緒だけど、旅が終わったらわたしも地底に行くと思う」
「そんな必要はない」
 穏和な物言いのアルベルトには珍しい断言する口調に、アイシャは少し目を見開いた。
 旅の終わりとは悪神サルーインを倒した後を意味する。それまでの道のりには更なる苦難が待ち受けている事は想像に難くない。
 しかし、今重要なのは世界に平和が訪れた後の話である。
 タラール族がいずれマルディアスの人々から迫害され、住居を追われる事を予期したアイシャの選択肢を、アルベルトは受け入れたくなかった。
「殿下は誰もが胸を張って住む国を造りたいとお望みなんだ。タラール族はタラール族としてガレサステップで暮らしていけば良いんだよ」
 まだイスマス城が健在だった頃から、ローザリア皇太子ナイトハルトはアルベルトを我が弟のように可愛がっていた。
 その彼が、幾度となく語った理想を、アルベルトは今も明瞭に思い出すことが出来る。
 ……殿下は常にローザリアの民の事をお考えなのだ。無論タラール族も例外ではない。
 彼が尊敬して止まないナイトハルトの崇高な志を、アイシャにも知っておいて欲しかった。
 彼女は殿下に面識があるという。噂と異なる皇太子の姿が意外だったとも話していた。
 確かにナイトハルトは他国では『黒い悪魔』との異名で称されることがある。だがそれも国を守る戦いに身を投じればこそだ。
 国への、そして民に対する温かな心遣いを、自分は知っているのだから。
 アルベルトの真剣な眼差しを見返していた少女の瞳が、ふと和らいだ。
「そう、なったらいいな」
「大丈夫。殿下は素晴らしい御方だよ。アイシャ達の事を無下になさったりするはずがない」
「……うん。私も殿下の事は信じられると思う」
 アイシャの表情は穏やかだった。皇太子が信を置くに値する人間だと認めている事を察し、アルベルトは嬉しくなる。
「私はアイシャの事が大切だよ。だから幸せになって欲しい」
 刹那、少女の瞳に宿った光は切なさを映し、一片の翳りを帯びていた。
「……ありがとう、アル」
 笑みに覆われた瞳からは、心のうちを推し量ることはできなくなっていたけれども。
 ただアルベルトは、アイシャを泣かせたくはないと、それだけを思っていたのである。

──fin
(2006.08.09up)






04 小さな靴 (ロマサガMS・クローディア&ミリアム)


 隣を歩いていたミリアムが、不意に足を止めた。
 そのまま数歩先へ進んだクローディアもまた、足を止めて振り返る。
 ミリアムは通りに面した店のショーウィンドウに見入っていた。
 一見して高級品を扱っている、恐らくは富裕層御用達の店舗だろう。
 クローディアの視線に応えるように、彼女はにっこりと笑いかけてきた。
「あのハイヒール、可愛いねぇ」
 見栄えを考慮して飾られた靴のひとつを指差し、弾んだ声を上げる。
 しかしクローディアは商品を一瞥するや、冷めた声音で言葉を返した。
「確かに見た目は可愛いけれど、街の外では危険だわ。すぐに履き潰してしまうだろうし」
 旅暮らしの冒険者などが身につけるものではない。
 あくまでこれは裕福な家庭の娘がお洒落で身に纏う衣装の一環に過ぎないのだから。
 ここまで考えた所で、クローディアは相手が目を丸くしている事に気づいた。
 驚きが苦笑へとすり替わる。
「まぁ、確かにそうなんだけど」
 スカートの裾を翻し、ミリアムはショーウィンドウから離れた。
 そうして数歩先に進んでいたクローディアへと歩み寄る。
 ここでようやく、クローディアは自身の失言に気づいた。これでは完全な八つ当たりだ。
「あの、ミリアム」
「ん、何?」
 訊き返す彼女の態度は普段と全く変わらない。
 それが却って申し訳なさを募らせ、クローディアは目を伏せた。
「ごめんなさい。私……」
「いいからいいから。ホントに旅には必要ないものだし、外で履くなんてもったいないもんね。そもそも値が張りすぎるしさ」
 謝罪の言葉を遮ってミリアムは笑った。
 クローディアは左手で右手を覆うように握りしめた。
 右手の薬指にはめた珊瑚の指輪の感触に、表情が幾分硬くなる。
「クローディア?」
「いいえ、それだけじゃないの。少し、苛々してしまって」
 頭を振って否定する彼女へ、ミリアムは優しい顔を見せる。
「そっか。ほら、誰だって腹の立つ事もあるんだし。あたいはむしろ嬉しいかな」
「え?」
「クローディアがちゃんと説明しようとしてくれてるから。一緒に旅を始めた頃はさ、お互いにうまく喋れなくてちょっと大変だったもんね」
 ミリアムらしいフォローだった。
 気持ちを上手く伝えられなかったのはクローディアの方である。見知らぬ人間との会話は難しく、コミュニケーションの取り方もよくわからなかった。
 ジャンは些か空回りもあるが相手に隙を与えない積極さがあり、ジャミルは適度に距離を取ってくれる。グレイは必要最低限のやり取りで済ませるが、不要な会話が生まれない分、却って気が楽だったのだ。
 問題は、ミリアムだった。
 彼女と交わす会話では、自身の失言に気づいても上手く言葉が続かず、居心地の悪さを感じた事が一度や二度ではない。そのたびに自己嫌悪に陥っていたのだが、ミリアムは早くからそれを察していたらしく、屈託なく応じてくれたのだ。
 彼女のさりげない気遣いは、会話の苦手なクローディアにとって有難いものだった。ストレートすぎる感情表現に困惑することもあったが、それ以上に裏表のないミリアムの言動と物怖じしない態度に、どれほど気が楽になっただろう。
 彼女と接するうちに、クローディアもまた少しずつ、言葉を補えるようになったのである。
 まだまだ足りない部分は多いけれども、自分の言うべき事や言いたい事を伝える努力が実を結びつつあった。
「あと、やっぱりちょっと似てる気がするんだよね」
 ミリアムがおとがいに人差し指を当て、クローディアを見やる。
「……似てるって?」
「クローディアとグレイ。前からさ、何か考え方が似てるなって思ってたんだ」
「グレイと?」
 意外な言葉に、クローディアは少しばかり表情を動かした。
 僅かに目を丸くした彼女へ、ミリアムは言葉を継ぐ。
「二人とも、あんまり物事に執着しないじゃない?まぁグレイは冒険者だから、財宝の話なんかは別だけど。現実主義な所なんか、特に似てる気がするんだよね」
「だったら、ミリアムとジャンも似ているわ」
「え?」
 こちらも意外そうなミリアムへ、クローディアは小さく笑う。
「二人ともロマンチストだわ。積極的で、いつも相手を振り回すもの」
「ふーん、振り回されてる自覚、あるんだ?」
 意味ありげな笑みを返され、一瞬クローディアは詰まった。
 表情が出にくいので、不機嫌ととられたかもしれないが、ミリアムは気にしなかったらしい。
「……そうね、ジャンに関しては出会いからして振り回された感があるもの」
「あたいはグレイが振り回されてたらちょっと嬉しいかな。ぜーんぜん顔に出さないから、そういう反応くらい欲しいじゃない?」
 少しばかりグレイに同情したクローディアだったが、当人はあれで楽しんでいるようにも思える。
 自分が、ジャンの行動に戸惑いながらも好意を抱いていたように。
「だけどさ、ロマンチストっていうならクローディアもそうだと思うな」
「え?」
「冒険者なんてロマンチストでなきゃ続けられないし。クローディアの場合、普段から夢ばかり見ちゃいけないんだって、敢えて現実を見ようとしてる気がするよ」
「……そう、かしら」
 呟くように応じながら、クローディアはミリアムの鋭さを改めて実感していた。
 現実は全ての基盤である。夢ばかり見た所で、実現できなければ意味がない。
 ──夢ばかり見ていても、我に返ったときに空しくなるばかりなのだから。
 クローディアは右手をそっと握りしめた。
 昔から馴染んだ指輪の感触で、溜息を押し殺す。
「けどね、クローディア」
 名前を呼ばれ、いつしか伏せていた瞼を押し上げる。
 沈んでしまった彼女を迎えたのは、静かな笑顔だった。
「心ってさ、案外正直なものなんだよ」
 一瞬、胸を衝かれた錯覚に陥った。
「だから、たまには夢を見ないとね。我慢ばっかりは身体に毒だし」
 明るい調子で言う彼女の言葉に宿るのは、温かな心遣いだ。
 クローディアの諦観を知って尚、優しく励ましてくれる。
 少し前ならば、おそらく彼女の言葉を素直に受け取れなかっただろう。
 しかし、今はミリアムの優しさが純粋に嬉しかった。
「……そうね。たまには、夢を見るのも悪くないわ」
 叶わないからこそ、夢は美しいのだろう。
 共に旅が出来る今という時間を、大切にするべきなのだ。
 握りしめていた右手を開く。指輪の感触が心を捉えたが、その意味合いは少し異なっていた。
 重みは変わらない。
 けれども、これは彼と自分を繋ぐ道標でもあったのだから。
「そろそろ行こっか。みんな待ってるよ」
「ええ」
 クローディアの言葉を受け、嬉しそうに笑ったミリアムが朗らかに話しかける。
 少し遅れて微笑みを返し、クローディアは彼女と共に歩き始めた。

──fin
(2006.07.04up)






05 一枚の写真 (TOA・アッシュ&ガイ)



(アクゼリュス後〜ユリアシティのネタバレを含みます)


 アッシュの振るった剣に打ち倒され、衝撃に吹き飛ばされたルークが仰向けに倒れた。
「う、嘘だ……俺は……」
 中空を見上げて呟く言葉に力はない。
 剣を交えて受けた傷よりも、それ以前に知らされた事実によって相手が混乱の極致にある事は、容易に想像できた。
 しかし、それが免罪符になるはずがない。
 呆然と同じ言葉を繰り返すルークを忌々しそうに睨め付け、アッシュは吐き捨てた。
「俺だって認めたくねえよ!こんな屑が……、俺のレプリカなんてな!」
 目の当たりにした事実への抑えきれない嫌悪感が込み上げる。
 剣を握る手が震えた。
「こんな屑に俺の家族も居場所も全部奪われたなんて……情けなくて反吐が出る!」
 勢いのままに剣を振り上げ、アッシュは言い放つ。
「死ね!」
 怨嗟を凝縮した言葉と共に振り下ろされた一撃は、しかし相手の命を奪うものではなかった。
 今更不抜けたレプリカを殺したところで意味はない。脅しのようなものだ。
 だが。
 鈍い金属音と共に、アッシュの剣が跳ね返された。
 反射的に身構えた彼は、倒れたルークのすぐ傍らで抜き身の剣を手にした青年の姿を捉え、わずかに目を見開いた。
「ガイ……」
「俺はこいつの護衛剣士なんでね」
 仲間たちは先へ進んで行ったはずだが、ガイだけが引き返して来たらしい。
 ガイはアッシュに視線を固定したまま、僅かに立ち位置を移動した。
 その足下に幾筋も流れる赤い髪。
 しかし、ガイが背に庇った相手は既に意識を失っているようだった。
 アッシュは自身と同じ顔を持つ存在を侮蔑の眼差しで一瞥すると、握ったままの剣を鞘に納める。
「……殺しはせん」
 相手の行動を確認した上で、ガイもまた手にしていた剣を流れる動作で鞘に納めた。
「ああ。本気なら俺も容赦しないさ」
 蒼い瞳が鋭い光を帯びたのは、一刹那。

 ──ガイはホドの出身だ。ホド戦争ではファブレ公爵に一族郎党皆殺しにされたそうだぞ?

 その昔、ヴァンに知らされた事実がアッシュの頭を過ぎる。
 鋭い眼光に、一瞬、アッシュは躊躇した。
 ガイはそんな彼に背を向けると、ルークの傍らに膝をつく。
「ティア、ルークを休ませられる場所はあるかい?」
 これまでのやりとりとは打って変わった柔らかい口調だった。むしろこちらが生来のものなのだろう。
 それまで固唾を呑んで状況を見守っていた少女は、弾かれたように顔を上げた。
「え、ええ。私の家に連れて行きましょう。案内するわ」
「すまないな」
 ガイはルークの脇を支えるようにして抱えると、ちらとアッシュへ視線を向けた。
「レプリカなんかに構ってる暇はないんだろう?」
 温度の感じられないその声に、アッシュの瞳が細められる。
「……そうだな」
 呑気に気を失ったレプリカを睨め付け、アッシュは先を行った者たちの後を追った。


 幾分距離を感じていたものの、尊敬してやまなかった父親。
 常に自分を慈しんでいた優しい母親。
 使用人であり世話係として身近な存在だった少年。
 この上なく大切で愛おしかった、幼馴染みの少女。
 その昔、自分を取り囲んでいた世界は、一枚絵のようにアッシュの記憶に焼き付いている。
 だが。
 人好きのする笑顔で、控えめながらも常に自分の傍らにいた少年は、既に過去の人間だった。
 ――いや、それすらも幻だ。
 ヴァンからガイの出自を知らされた時、幼心にそう悟ったのだ。
 記憶の連なりがアッシュの脳裏に一人の少女の姿を思い起こさせる。
 幼いながらも国の行く末を憂い、共に力を合わせて国を変えようと誓い合った少女。
 だが、あの約束も『ルーク』のものだ。
 今の彼にそれを叶える術はない。
「……全てを捨てたというのに、未練がましい限りだな」
 誰にも聞かれる事のない独白には、隠しきれない自嘲が込められていた。

──fin
(2006.07.10up)






お題「記憶」06-10

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