01 造花の棘 (逆転裁判・冥&真宵+御剣+成歩堂)


「綾里真宵」
 明瞭な、背筋の通った声に真宵が振り返る。
 視線の先に一人の女性の姿を認め、彼女はにっこりと笑顔を返した。
「冥さん、こんにちはー」
「……こんにちは。良い所で会えたわ。これを成歩堂龍一に届けてもらえるかしら」
 一拍置いた挨拶を返し、冥は鞄から大きな封筒を取り出した。サイズはA4。おそらくは何かの書類なのだろう。
「あ、ちょうど良かった〜! なるほどくん、さっき事務所に戻ってきたんだ。じゃ一緒に行こう!」
 言いつつ真宵は冥の空いている腕をつかんだ。
 完全に不意を突かれた冥は、真宵に腕を引かれたまま数歩の歩みを余儀なくされる。
「え? ちょ、ちょっと待ちなさい! 私はこれから用事が……」
「冥さんと会うの、久しぶりだよね。なるほどくんも気にしてたんだよ」
「別に私は気にしてないわ!」
 真宵の言葉には、冥が彼を気にしていたと取られかねない表現が含まれていた。冗談ではない。
 しかし、抗議の声など何処吹く風。
 真宵は彼女の腕をつかんだまま、颯爽と事務所へ向かったのである。

 冥が成歩堂法律事務所の扉をくぐると、意外な人物が訪れていた。
 ……否、意外というほどの話でもないだろう。
「メイ?」
 事務所の主と机を挟んで言葉を交わしていたのは、御剣怜侍だった。
 向こうも予想外だったのだろう。その表情に些かとはいえ驚きが隠せない様子だった。
「こんな所で息抜き? 随分と暇らしいわね」
 つい皮肉が口をついて出た冥へ、御剣は軽い笑みを返す。
「これも仕事の一環なのだがな。そういう君はどうしたんだ?」
「わ、私はこんな所に来るつもりなんてなかったのよ!」
「こんな所とはご挨拶だなあ」
 のんびりと、間延びした声が耳に届き、冥はそちらを睨め付ける。
 鋭い視線に成歩堂龍一は苦笑を返した。
「あたしが誘ったの。なるほどくんに用事があるって聞いたから。今お茶淹れてくるね」
「な、いらないわ! 待ちなさい!」
 制止する間もあらばこそ。
 あっという間に隣室へと姿を消した真宵に向けた声は、空しく響くのみだった。
「真宵ちゃんのお茶はおいしいよ。ちょっとくらい時間ないかな? 狩魔検事」
 事務所の主に脳天気な笑顔を向けられ、冥は溜息をついた。
 どうにもこの事務所の人間にはペースを乱されるのだ。だから本人には会わずに用事を済ませるつもりだったというのに。
 ここでようやく、冥は手に持ったままの封筒に気づき、それを成歩堂へと差し出した。
「……先日の公判記録よ。一応渡しておくわ」
「ありがとう。助かったよ」
 嬉しそうな笑顔は、思いの外書類が早く届いたせいなのだろう。
 そう解釈した上で冥は隣に立つ御剣を見た。
「何か?」
「ここにいるならレイジに預けた方が早かったと思っただけよ」
 急いでいた様子だからと付け加えれば、成歩堂は何故か苦笑を浮かべている。
「僕としては狩魔検事に直接会いたかったから、来てもらえて嬉しいんだけどね」
「……え?」
 冥は成歩堂を振り向いた。
 とどのつまりは何か言いたいことがあるという事なのだろう。
 しかし、冥が向き直ったにも関わらず、成歩堂は何事かを話すわけでもない。
 ただにこにこと冥に笑顔を向けてくるだけだ。
「成歩堂龍一。言いたいことがあるならはっきりと言いなさい」
「や。だから会えて嬉しいなって」
「…………」
 意思の疎通が果たせない状況に些かの困惑を覚えた冥へ、助け船が出された。
 しかし、その意図が読めないままではあったが。
「……まあ、お茶の一杯くらい良いのではないか? 確かに真宵君の淹れるお茶は美味なのだから」
「貴方の発言には多少なりの個人的感情が加わっているようだけれど。……まあ、いいわ」

 成歩堂や御剣の言葉に誇張はなく、確かに真宵の淹れた玉露は美味だった。
 騒々しい面ばかりが目立つ彼女だが、これでなかなか器用なのかもしれない。
 冥が真宵への認識を新たにした所で、正面に座っていた当の本人が口を開いた。
「あのね、実は冥さんにお願いがあるの」
「何?」
 頭ごなしに断るつもりもない。一応聞いておこうと先を促すと、真宵は意外な事を提案してきた。
「良かったら、あたしのこと名前で呼んで欲しいんだ」
 冥は改めて真宵を見返す。
「名前……?」
「そう。フルネームだとちょっと寂しいな、なんて思っちゃって。名前で呼び合えたら、それだけでとても近くなった気がするんだよ」
「そんなものかしら」
 大抵の相手を常にフルネームで呼ぶ冥にはピンとこないのだが、真宵は力一杯頷いた。
 ……確かに、名前を呼ぶということには、それなりの意味があるのかもしれない。
 真宵の背に立つ兄弟子を見やり、冥の脳裏にもそんな考えが過ぎる。
「わかったわ。真宵……でいいの?」
「うん! ありがとう、冥ちゃん!」
 今度こそ目を丸くした冥に、真宵は慌てて言葉を継ぐ。
「あ、ごめん! 嬉しくてつい、なんか口をついて出ちゃったっていうか……」
 言い訳をする少女を見るうちに、自然と笑みが浮かんできた。苦笑に近いものではあったが。
「……構わないわ。特に困るものでもないし」
「ホント? ありがと、冥ちゃん!」
 今度こそ、真宵が全開の笑顔を見せる。
 その笑みにつられそうになった冥は、彼女の背後の検事が小さくではあったが楽しげな微笑を口の端に浮かべている事に気づき、咄嗟に表情を引き締めた。
 だが。
「冥ちゃん、かあ……」
 にこにこにこと笑顔を浮かべつつ、成歩堂がそれは楽しそうに呟いた声を耳にした、刹那。
「うわたっ!!」
「貴方にそう呼ばれる謂われはないわ、成歩堂龍一」
 先程から彼の笑顔が癪に障っていたのである。堪忍袋の緒が切れた、という所だろうか。
 血の気が引いた青年に、冥はいっそ優しいとすら表現できる笑顔を向ける。
 そして。
「……止めないのか、真宵君」
「御剣検事こそ止めないんですか?」
「私は無駄と分かり切った事には手を出さない主義なのでな」
 平然と言ってのける御剣へ、真宵はにっこりと笑顔を返す。
「だって二人とも楽しそうだし。それに、やっぱり冥ちゃんはこうでないと」
 聞きようによってはとんでもない発言だが、真宵の口から出るとまったく違和感がない。
 この少女は他人の性格を見抜く天賦の才があるのだろう。
 鞭を手に相手を追いかける冥はともかく、必死になって逃げている成歩堂の本音を看破する辺り、やはり彼女は只者ではないと言ったところだろうか。
「確かにな」
 周囲で繰り広げられる騒ぎなど何処吹く風で、御剣は真宵の淹れた玉露を味わっていた。


──fin
(2007.08.29up)






02 透きとおった嘘 (TOS・リフィル&コレット&クラトス)

(シルヴァラント編の後半ネタバレを含みます)


 最初に授けられたのは、透き通る美しい羽根。
 同時に与えられた、食を不要とする身体。
 続いて授けられたのは、遠い先まで見通す瞳と、微かな音も聞き漏らす事のない耳。
 同時に与えられた、眠りを不要とする身体。
 そうして……。
 ――否、失ったのだ。
 味覚を、睡眠を、感覚を、声を。
 遙か彼方まで見通す瞳と、微かな音さえ拾う耳と。
 この世界で生きる為に必要なものを失い、不要なものを取り込んでゆく。
 それが『天使』になるということなのだと、コレットは薄々察していたのだろう。
 身近な者に相談することもなく、恐らくただ一人でその変化に耐えていたのだ。
 ロイドが気づかなければ、皆の前で明らかにしなければ。
 最後の最後まで、自分にはその変化を見抜けなかっただろう。
 己の不注意を痛感する。
 神子となる少女たちの行く末を知っていながら、気づく事ができなかった。
 ――世界再生の礎になるとはいえ、あまりに残酷に過ぎるのではないか。
 コレットと掌を使った会話をしているロイドを見やり、リフィルは我知らず溜息をついた。
「姉さん?」
 弟のどこか不思議そうな声音に、リフィルは慌てて彼に向き直る。
「何かしら、ジーニアス」
「どうしたのさ、ぼんやりして」
「大したことではなくてよ。で、ここだったわね」
 弟の勉強を見ていたリフィルは、頭を切り換えて彼の指し示す数式を目で追った。
 計算自体は間違っていない。ただ、引用すべき定数を誤っていたために、全く異なる結果を導き出したのである。
 その点を指摘すると、ジーニアスはすぐに得心がいったようだった。
「ああ、そうか。成程ね。ありがとう、姉さん」
 その場でチェックを入れて、自習を再開した弟に優しい瞳を投げかけ、リフィルは再びコレットとロイドへと視線の先を転じる。
 笑顔で言葉を交わす二人から届くのは、ロイドの声のみだ。
 リフィルは微かに溜息をつくと、手にしていた書物へと視線を落とした。

 野営をする事となったその日、見張りのクラトスを除いた全員が寝静まるのを待った上で、横になっていたリフィルはそっと身を起こした。
 焚き火から少し離れた場所に座る少女へ歩み寄る。
 眠ることが出来なくなったと皆に知れてから、コレットは眠りを装わずに朝を迎えるようになっていた。
 これまでは皆に心配をかけぬよう、眠ったふりをしていたのだ。それを思うとやるせなくなる。
「ちょっと、いいかしら?」
 リフィルが起き出した事に気づいていたのだろう、コレットは特に驚く様子もなく、笑みを浮かべて頷いた。
 天真爛漫な少女の笑みが、却って痛ましく感じられる。
「コレット。この世界再生の旅の意味するところは……貴女にも、もうわかっているわね」
 言葉を濁しながらも問いかけるリフィルへ、コレットは黙って頷く。
「だったら、せめてロイドにはきちんと伝えるべきではなくて?」
 時間は残されていないのだ。
 しかしコレットは首を横に振る。
「コレット……」
 少女はリフィルの手を取った。そうして、掌に文字を綴る。
 ――ロイドが知ったら、きっと止めようとするから。
 胸を衝かれたようにリフィルは口を閉ざす。
 それは、決して望んではならない事だ。
 だから最期まで黙っていたい。
 残された時間は長くはないけれど、せめてその間はロイドに普通に接して欲しいから、と。
 無力な自分を思い知らされるのは、こんな時だ。
 どれほど過去の遺跡についての知識を深めようとも、世界の摂理を曲げることは叶わない。
 ――コレットの死をただ見つめるしかないのだ。
「そうね。私が言うべき事ではないのに、無理を言ったわ。ごめんなさい」
 コレットは首を横に振り、そっと微笑みを返す。
 ――ありがとうございます、先生。
 その透き通るような無垢な笑顔に、リフィルは鈍い胸の痛みを覚えた。

 明けて翌日。
 先を急ぐ旅の短い休息時間に、珍しくクラトスがリフィルへと話しかけてきたのである。
「選択肢の無い者へ有り得ぬ道を提示するのは、残酷ではないのか?」
 リフィルは言葉を失った。
 昨日の会話を聞かれているであろう事は承知していたが、このように咎められるとは思わなかったのだ。
 不用意な発言は悔恨を生む。居たたまれない心持ちを覚えたリフィルは、逃げるように傍らに立つクラトスから視線を逸らしていた。
 不意に、歓声が上がった。
 笑っているのはコレットとジーニアス。ロイドが何故かコリンを追いかけており、しいなは呆れた様子でそれを見守っていた。
 微笑ましいはずのその光景に、もの悲しさを感じるのは、致し方のないことなのだろう。
 目を伏せた彼女から子どもたちへと視線の先を転じ、クラトスは続けた。
「昨夜のあれは神子に問うべき事ではなかろう。むしろロイドが気づいて然るべきだ」
「……神子であるコレットとロイドでは、知り得る話が違いすぎるわ」
「少し考えればわかる話ではないか」
 声音に含まれる厳しさに、リフィルは伏せていた瞳を彼に向けた。
 ロイドを見るクラトスの視線が険しさを帯びていると感じたのは、気のせいだろうか。
 しかしそれよりも、彼女が不可解に感じた事は。
「――貴方はいつ気づいたの?」
 クラトスがリフィルへと視線を落とした。
「一介の傭兵が、世界再生における神子の存在意義を知るなんて」
 彼女の怜悧な眼差しを見返すのは、内面を窺わせることのない鳶色の瞳。
「神子の変化を知れば察することはできる。これまでの旅の逸話を知れば尚のことだ」
「そうかしら。巷に膾炙している逸話を知った所で、具体的な事実は出ていないはずよ」
「では何故、お前はその結論を導き出した?」
 世界再生の旅へ同行するにあたり、クラトスはリフィルと共に、その手順についての説明は受けている。
 だが、それ以上の話は無かったのだ。
「……貴方は一体何者なのかしら」
 傭兵は金銭と引き替えに対象の護衛を生業とする人間である。神子の存在意義など知る必要はない。
 クラトスは唇の端に微かな笑みを浮かべた。
「傭兵風情が知ることではない、か?」
「そうね。少なくとも私は神託の村にいたからこそ、世界再生に関する知識を得ることが出来たわ。でも貴方にはそんな機会がないはずですもの」
「一所に落ち着かずとも、世界を旅していれば自ずと知り得る機会がある。それだけだ」
 事も無げな口調だが、それほど簡単な話ではないのだ。
 世界再生だけではない。
 そもそも精霊との契約についての知識など、一介の傭兵が持ち得るものではないのだから。
「それだけ、ね。だけど……」
「姉さん、ちょっとこっちに来てよ!」
 不意に響いたジーニアスの声に、リフィルの注意が削がれた。
「回りを見てくる」
 短く言い残して身を翻したクラトスへ、些か遅れて声を掛けようとしたその時、リフィルの腕を引く手があった。
「……コレット」
 彼女の腕をつかんだ少女は、クラトスへ穏やかな眼差しを向けていた。
 その表情を見れば、コレットが正体不明の傭兵に信頼を寄せている事が伝わってくる。
 やがて少女はリフィルを見上げ、そっと笑いかけた。
 普段とは異なる、静謐な微笑みで。
 ――何か知っているの?
 疑問はしかし、声に出すことができなかった。
 全てを受け止めたコレットの微笑みは、リフィルの疑問を封じるだけの何かを秘めていたのである。
 リフィルは改めて離れてゆくクラトスの背を目で追った。
 正体不明のあの傭兵には、気に懸かる点が多い。
 これまでに疑問を抱いたことが一度や二度ではないのだ。
 ……けれども。
 少なくとも、クラトスがコレットを不憫に思う気持ちに偽りはないのだろう。
 抗えぬ運命と知るからこそ、コレットに負担をかけるなと。
 ――気づかぬロイドに苛立ちを募らせているのだろう、と感じられた。
 彼がロイドに向ける感情が何に根差すものなのか、そこまではわからないけれども。
 少なくとも、コレットはクラトスを信頼している。信頼に値する何事かがあったのだろう。
 リフィルは肩の力を抜いた。
 今ここでクラトスを追求したところで、益はない。
 その様子で彼女が警戒を解いたと気づいたらしく、コレットは嬉しそうな笑顔でリフィルの腕を引いた。
 ロイドたちの声が聞こえてくる方向へと。
 残された時間、コレットはこうして朗らかに笑うのだろう。
 そんな少女の姿にもの寂しさを感じながらも微笑みを返し、リフィルはコレットに誘われるまま、弟たちの元へと歩み寄った。


──fin
(2006.12.15up)






03 猫の目(ロマサガMS・グレミリ+ガラハド)


 術を放つ瞬間の鋭い眼差し。
 思った通りの効果を上げたと知った時の勝ち気な表情。
 ……久し振りに、戦闘中のミリアムの顔を見た。

 ミリアムが加わって最初に遭遇したモンスターとの戦いを、ふと思い出す。
 不意を突かれて咄嗟に動けなかった彼女を、即座に庇ったのはガラハドだった。
 重装備なガラハドは動きが緩やかな分、一旦守りに入れば鉄壁の盾になりうる。反面、攻撃に転じるのは難しいのだ。
 故にグレイとガラハドは戦闘において、自然と攻守を分担していた。
 双方が得意とする戦術で、あまたの戦いをくぐり抜けてきたのである。
 ――しかし、今回は。
 新たに仲間に加わった少女がどれ程の力を秘めているのか、まだグレイはその目で確かめたわけではない。
 ただ、自信に満ちた眼差しを信じてみる気になったのだ。
 この程度のモンスターならば二人だけでも事足りる。彼女に実力がなかったとしても、問題にはならない。
 だが。
 グレイは攻撃に入る直前、ミリアムに短く指示を出した。
「火術を頼む」
 動揺も露わな瞳を捉えてそれだけを言うと、彼は刀を鞘走らせ、モンスターへと斬りかかった。
 敵は三体。中型である。囲まれれば厄介だが、一体はガラハドに集中していた。
 グレイは残る二体の動きを読みながら、動作が緩慢な方に重点を置いて攻撃を加えてゆく。
 モンスターの動きに神経を集中させるグレイの耳に、術を詠唱する声が届いた。
 狙った獲物に致命傷となる一撃を浴びせかけた、その時。
「ヘルファイア!」
 鋭い声音に続いて、左からグレイの様子を伺っていたモンスターを業火が包み込んだ。
 モンスターの生気を糧に激しく吹き上げる炎に、一瞬目を奪われた。
 火術を間近に見る機会がほとんど無かった所為もあるだろう。
 炎は何もかもを焼き尽くす。普段の生活に於いてもそれは変わらない。
 攻撃属性を秘めた元素は、実際に戦闘で繰り出されたその時、想像以上の効果を発揮した。まさに業火――地獄の炎である。
 敵と距離を置き、ちらと見やった視線の先で、杖を構えた少女は炎を上げる敵に対して鋭い眼差しを向けていた。
 グレイは致命傷を負ったモンスターに止めを刺し、最後の一体の様子を確認する。
 こちらも、ほぼ片が付いていた。
「終わったか?」
 問うてきたのはガラハドである。グレイは頷きを返し、刃の血糊を拭って武器を鞘に納めた。
 そうして杖を手にしたまま硬直している少女へ歩み寄る。
「大したものだな」
 弾かれたようにミリアムが顔を上げた。
 幾分青ざめているものの、こちらへ向けた視線はしっかりとしている。
 勝ち気な人間は概して他人に弱みを見せようとしないものだ。
 不意打ちに近い状態で戦闘に入ってしまったが、その中で己の腕前を披露したこの少女に、グレイは冒険者の資質を見出していた。
 簡単な術ならば、誰でも覚えることは可能である。冒険者ならば水属性の癒しの術を身につけるのは基本と言っても良い。
 だが、これはあくまで保険なのだ。前戦で戦う者が回復を気にする余裕はない。
 第一術法を操るには素養が必要である。グレイやガラハドが癒しの術を使ったところで、傷の回復など微々たるものだ。ならばむしろ術に要する時間も敵へ攻撃を加える方が効率が良い。
 術を攻撃手段として用いるならば尚のこと、素養を持つ者が扱わねば意味がない。
 また、戦闘に加わるには度胸も必要だ。敵と対峙したその時に実力を発揮できなくては、どれほどの使い手であろうとも道行きを共にすることなど不可能である。
 ──そしてこの少女は、その希有な存在なのだった。
「啖呵を切っただけの事はある」
 グレイの表情が和らいだ。微かな笑みが口元に浮かぶ。
 一瞬目を丸くしたミリアムは、ややぎこちない動きで構えていた杖の先を地につけた。
 深い吐息と共に肩の力を抜いて、杖に全身を預ける。
「……驚いた。いきなりなんだもん……」
 脱力する彼女へガラハドが穏やかに笑いかけた。
「冒険者の旅は危険と隣り合わせだからな。しかし初陣があれならば素質は十二分にあるだろう」
 ミリアムが勢いよくガラハドを振り向いた。
「じゃあ……!」
 瞳を輝かせる少女へやや苦笑の入り交じった笑みを返し、ガラハドはグレイに視線で問いかける。
 女性と旅を共にする事を渋っていたこの男が折れたのである。
 グレイに否やはない。
 むしろ彼は術師の加入を歓迎していたのだから。
 短時間の間にくるくると表情を変えた少女は、最終的に満面の笑顔で喜びを表した。
 北エスタミルの町から半ば強引に二人についてきたミリアムは、ここで初めて彼らに迎え入れられたのである。

「やっぱりミリアムの術ってすごいよね」
 遭遇した敵モンスターを合成術で一掃したミリアムへ、アイシャは感嘆の眼差しと共に賞賛の言葉を送った。
「ふふ、ありがと」
 ミリアムは自信に満ちた微笑みでそれに応えている。
 豊かな感情のままに喜怒哀楽を表に出すミリアムは、時にアイシャよりも幼さを感じさせる所がある。
 だが、今しがたの笑みは勝ち気な気性の彼女があざやかに輝く表情であり、同時にグレイがもっとも魅せられる笑顔だった。


──fin
(2006.10.17up)






04 哀の酷薄 (TOS・ゼロス+セレス)


 それは一種、不意打ちという形で彼の知る所となった。
 偶然の重なりによって露わになった、ひとつの事実。
 目を背けてきた、真実。

 ゼロスの修道院への訪問は常に前触れがなかった。
 だからこそ、突然の来訪に驚く相手の顔を見られる楽しみがあったのだ。
 しかし、生憎と、その日彼女は風邪で寝込んでいた。
 眠っていたのである。
 部屋へ通されたものの手持ち無沙汰だったゼロスは、何の気無しに本棚を物色し、
 ──それを見つけた。
 最初に挟まっていた花は、メルトキオでよく見掛ける小さなもので、この辺りにも咲いていたのかと単純に思ったのだ。
 次は、メルトキオでは花屋でしか扱われない北方原産の愛らしい花。
 みっつ、よっつ、いつつ。
 新たな押し花を見るにつれて、ゼロスの顔から血の気が引いた。
 最初の花は、初めてここを訪れた時。
 話に聞いていた腹違いの妹に会う手土産として、その場で見繕ったものだった。
 二つめの花は、メルトキオの花屋で少女に似合いそうだと買い求めたもの。
 ……訪れる度に笑顔で自分を迎える少女へ用意した、ささやかな贈り物。
 そう、これらが残されていること自体は、不自然でも何でもない。
 セレスもまたあの頃の思い出を、何も知らなかった頃を懐かしんでいるのだろうと。
 だが、この厚い本には、つい先頃ゼロスが持参した花も残されていたのである。
 数多の押し花の挟まった厚い本には、彼がこれまでに贈った花のすべてが綴じられていた。
 ……宝珠をこの場に残した折に置いていった花さえも。
 動揺した。
 自分を嫌っている少女への嫌がらせという名目で足を運んだ。
 顔を合わせれば嫌味の応酬だが、それも小気味良いやりとりだった。
 嫌われているからこその意趣返しなのだと自らに言い聞かせ、そのやりとりを楽しんでいた。
 言葉の奥底に潜む親愛の情に気づかない振りをした。
 幼い少女が真実を知った後も花束を欠かさなかったが、その意味合いは変わっていた。
 喜ぶはずのない土産だが、せめて無聊の慰めになればいいと。
 今思えば、互いに憎しみを向けたのは、おそらくはセレスが訣別を告げたあの時だけでしかなかったのだろう。
 現にその時の花もまた、ここに納められていたのだから。
 咄嗟に逃げ出すこと以外、何が出来ただろうか。
 ──花を置いてきてしまった。
 それに気づいたのは、修道院を遙か離れ、彼の住まう煌びやかな虚飾の都、メルトキオの姿をその目に捉えた時だった。
 花は形として残らない。
 だから選んだ。
 いずれ枯れてうち捨てられる切り花ならば、後には、手元には何も残りはしないのだと。
 後顧の憂いなど、残されていないと思っていた。
 自分がいなくなった後、セレスが悲しむであろうことは容易に想像がついたものの、いずれは忘れられる事だと楽観視できた。
 ……しようとしていた。
 何故、修道院へ行ってしまったのだろうか。
 体調を崩していたとしても、せめてセレスが眠っていなければ。
 ──もう一度だけ、声を聞きたいと思った。
 会えば口喧嘩になる。その声をもう一度耳に留めれば、全てを捨てられると思ったのだ。
 なのに、今更、こんな事を知ってどうなるというのか。
 ……否。
 目を瞑っていただけだ。
 知っていた。自分に向けられる感情を読み間違うことなど有り得ない。
 ましてや相手は……唯一人の、妹なのだから。
「……遅すぎるよなあ、何もかも……」 
 呟きながら、ゼロスは皮肉にすらならない苦い笑みを口にはく。
 因果は巡る。
 現在は過去の帰結。すべては己が行動の結果なのだから。
 ゼロスは軽く天を仰いだ。
 抜けるような蒼い空の色に、目を細める。

 ……見なかった振りをすれば良いだけだ。

 零れた吐息に含まれるのは、微かな笑み。
 先程の苦さなどは微塵も感じさせない、遊び人と称される人間の軽いそれを口の端に浮かべ、ゼロスは眼下に広がる都市を見やる。
「あんまり長居もしてられねえか」
 一応ロイドたちに断りを入れてはいるが、遅くなれば余計な気を回されないとも限らない。
 脛に傷を持つ身としては、付け入る隙を与えるべきではないだろう。
 尤も、そんな用心もほどなく不要になるわけだが。
 既に賽は振られている。
 今更、信頼などという言葉を頼る資格など、持ち合わせてはいないのだ。
 そう、何もかも、予定通りに進めればいいのだから。

 ──この忌まわしい楔を断ち切るために。


──fin
(2007.11.20up)






05 移り気 (ロマサガMS・詩人&グレイ一行)


 酒場で楽器を奏でていた吟遊詩人は、扉の開かれた音に顔を上げた。
 演奏の手を止めることなく、新たに酒場へと足を踏み入れた一行を観察する。
 幾度か言葉を交わした記憶のある者たちだった。
 吟遊詩人という肩書きを持つ彼は、あらゆる町で数えきれない程の人々とささやかな関わりを持つ。
 言葉を交わし、望まれれば楽を奏で、語らうことで詩の題材を得ることもあるのだ。
 当然ながら、一度しか会うことのない者もいれば、幾度か顔を合わせる者もいる。
 そういった中で、この顔触れに含まれる少女の存在が、吟遊詩人に一行の存在を強く印象づけていた。
 ガレサステップに住まうタラール族の少女。
 屈託のない笑顔が印象的なこの娘は、行方不明となった一族を捜していた。
 タラール族がガレサステップから姿を消してしばらく経つが、その行方は杳として不明であるらしい。
 職業柄世情に詳しい彼の耳にも、タラール族のその後については未だ何の噂も届いていなかった。
 顔を合わせるたび、少女は詩人に何か噂を知らないかと尋ねてきたが、そのたびに色好い返事が出来ない事を気の毒に思っていたのである。
 テーブルのひとつに腰を落ち着けた一行の人数が減っている事に彼が気づくとほぼ同時に、話し声が聞こえてきた。
「ガラハドを捜そうよ。多分この辺りの町にいるんだろうし」
「だがヤツは何とかいう武器を探すと言っていたぞ。クリスタルシティでは姿を見かけなかったしな。果たしてすぐに見つかるか」
「そういえば、ガラハドって武器蒐集が自慢だったっけ……。あーもう、どこまで探しに行ってるんだい!」
 出来るだけ声を潜めようとしているらしい女性の声は、しかし意に反して周囲に筒抜けである。
 パーティのリーダーである青年は、何事かを考え込んでいる様子だった。
 そして、詩人が気に懸けている少女は、沈んだ表情で俯いている。
 隣に座を占める品の良い少年が気遣う視線を向けているのだが、意識に届いていないらしい。
 演奏を終わらせた吟遊詩人は、周囲から向けられた賛辞に笑顔を返してその場を離れ、曲の余韻が消えた頃に目当てのテーブルへと近づいた。
 先程から話は全く進んでいないらしく、テーブルの上には手つかずの料理が残されている。
 グラスの酒は減っていたが、ノンアルコールの飲み物はカウンターで用意された状態のままだった。
「少しよろしいですか?」
 話しかけた彼に四人の視線が集中する。
 それぞれが大なり小なり訝しげな感情を向けてくる中、詩人は穏やかな笑みでそれに応えて言葉を継いだ。
「実は先程、皆さんのお話が聞こえまして……よろしければ私を一時、旅の仲間に加えていただけませんか?」
 一瞬の沈黙。
「詩人さん……を?」
 呟くように尋ねたのはタラール族の少女──アイシャだった。
「はい。そろそろ新しい詩の題材を探したいと思っておりまして。こういう時は冒険者の皆さんに同行させていただくのが一番の近道ですから」
 詩人が彼女へ微笑みかけると、アイシャは少し困惑した面持ちでリーダーの青年へ視線を向けた。
 同様に上品な顔立ちの少年と華やかな雰囲気を持つ女性の視線が彼へと集中する。
 詩人もまた彼へ向き直った。
「これでも身を守る術は心得ております。一人旅を繰り返しておりますし、詩の題材は安全な場所にばかり残されているものではありませんからね。足手まといにはなりませんよ」
 言いつつ、彼らから感じる躊躇いを帯びた空気に、詩人は少しばかり考える。
 行きずりの吟遊詩人の提案は、すんなりと受け入れるには難しいものだろう。
 この青年が求めているのは戦力になる人間だ。実戦のひとつもこなして見せるべきかもしれない。
「何か得意とするものはあるか?」
「剣術と弓です。光の術法には自信がありますよ」
 詩人の言葉に女性が反応を示した。興味と闘争心がない交ぜになった表情である。
 グレイは検分するように相手を見つめ、やがて軽く頷いた。
「いいだろう」
「グレイ!」
「確かに腕は立つようだ。今の俺たちが戦力不足なのは事実でもある。条件に適っているだろう」
 一同を見回すグレイの視線が女性の上で止まった。
 彼の瞳を見返していた彼女は、やがて勝ち気な笑みを浮かべる。
「グレイがいいならあたいは構わないよ。詩人さんが仲間なんてオツだしね」
 そうして彼女は詩人へ笑顔を向けた。
「よろしくね、詩人さん。ご自慢の術法の腕を拝むのが楽しみだよ」
 術法使いらしい女性の言葉から、彼女自身の腕に対する自負が伝わって来る。こういった率直な態度は、むしろ彼に好感を抱かせた。
「詩人さんが一緒なんて嬉しいな。色々なお話聞かせてね」
 彼が同行を申し出た一番の理由である所の少女が、嬉しそうな声を上げる。
「ええ、喜んで」
 先程の沈んだ表情が影を潜めている事に、詩人は内心で安堵を覚えていた。
 とんとん拍子で話が進んだ事に対して、危惧の声が上がったのはこの時である。
「でも、いいんですか?」
「アルベルトは反対か?」
「いえ……その、あまりに突然の話でしたから」
 名指しで問われ、品の良い様子の少年──アルベルトが言葉を濁す。
「確かにアルベルトさんのご心配は尤もですね。素性の知れぬ吟遊詩人の提案を受け入れる事に躊躇いを覚えて当然だと思います」
「あ、いえ、そういうわけではないんです。私も幾度か貴方とお会いしていますし、とても感じの良い方だと思っておりましたから。ただ、その……」
「私の剣術や術法の腕については、貴方の目で見て判断して下さい。期待を裏切るつもりはありませんよ」
 少年を安心させるように言葉を重ねて微笑みかけると、彼は消極的な否定を飲み込んだ。
 頷きはしたものの、釈然としない様子のアルベルトへ、詩人は密やかに耳打ちをする。
「ご心配なく。貴方が危惧している事はありませんから」
 驚いて振り向いてきた少年を見やり、詩人はおやと彼の顔を見た。
 そうして口の端に苦笑を浮かべる。
「いえ、何でもありませんよ。ともあれこれからよろしくお願いしますね」
「……はい」
 思いの外、進行状況が緩やかであることを知った吟遊詩人は、しばし間近で彼らの様子を見守ることとしたのである。


──fin
(2006.10.01up)






お題「偽り」06-10

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