snow ─雪降る夜に─




 トウヴィルに雪が降る。
 初めて降る雪は、毎年この村に本格的な冬の到来を告げるのだ。
 去年はこの雪を見なかった。その頃には、既にククルはアーク達と共にスメリアを旅立っていたから。
 一昨年は、自分の部屋でこの雪を見た。
 小さな部屋が自分の最後の砦のような気がして、やるせない思いで静かに降り積もる雪を眺めていたのだ。
 そして、今年は……。
「…寒い…」
 ぽつりと呟いて、ククルは両手をこすりあわせた。かじかむ手のひらにそっと吐息をかけて温める。
 こんな日は、一人であることが思い知らされて、ひどく心許ない気持ちになるのだ。
 雪は回りの景色を白と黒の世界に変えてしまう。
 そして、音すらも消してしまうのだ。
 だからだろうか、ククルは声を発するたびに孤独を感じずにはいられない。
 ……ワイト家の娘としての、自分の役目を認識していなかった頃。
 彼女自身が自分を普通の娘だと思っていた時。
 静かに静かに積もってゆく雪が、人間を家の外へ出すまいと無言で迫ってくるようで、怖かった。
 少しずつ少しずつ降り積もってゆく雪は、気がつくと自分の背の数倍もの高さとなっているから。

 ──昔見たあの雪は、静かに人を閉じ込めるような気がしたから……

 頬に触れた冷たい感触に、少しぼんやりとしていたアークは我に返った。
 そろそろ宵闇が深くなり始める時間だが、空に浮かぶ満月の月明かりのせいだろう、周囲はほのかに明るい。
 雲の切れ間から薄い月がぼんやりとうかがえる。
 アークは右手を持ち上げ、掌を上にした。
 程なくして、ひんやりとした小さな感触が伝わってくる。
「雪か……」
 見上げると、かすかに白い粉雪が舞っていた。もう、そんな時期だったのだ。
 昔はトゥヴィルで雪が降ると、近所の子供達と一緒になって遊んでいた。雪で作ったつぶてを投げ合ったり、そりで小高い山から滑り降りたり、雪の人形を作ってみたり。
 冷たくて、柔らかくて、不思議なこの「雪」は、子供たちに無限の遊びを提供してくれるのだ。
 けれど、それも10年前までの話だった。
 父が行方不明になってからは……。
 その夜はひどい吹雪だったという。
 以来、父・ヨシュアが戻ることはなく、アーク自身もまた吹雪の夜に旅立った。
 …あれから、1年。
 雪が嫌いなわけではない。ただ、雪降る夜は色々な事を思い出さずにはいられないだけだ。
 激しい吹雪の日には、旅立った時のことを。
 静かに降り積もる雪を見る時は……。

 ──雪が降るとね、すべてが覆われてしまうから、不安になるの……

 こう口にした時、アークは少しだけ意外そうにククルを見た。
 確か、まだ旅を始めたばかりの頃。ポコと三人でゴーゲンを救い出した直後くらいだったろうか。
 野宿することになった四人は、火の番のアークを除いて休むことになった。
 だが、寝付けずにいたククルは、少しだけアークと話をしようと起き出していたのだ。
 いつの間にか色々な事を話していた時、ふと口を突いて出た言葉だった。
「何よ」
「…いや、珍しいなと思って」
「どういう意味?」
 二つも年下の少年が少しだけ大人びて見えたので、ついククルの口調はきつくなる。
「ククルが本当に苦手なことを話すなんて、初めてじゃないか?」
「……」
 ククルは無言でアークを見つめた。
 言葉が出なかったのは、アークの指摘が正しかったせいだ。
 最近、周囲にいた人々と真剣に話をした記憶が無い。
 ククルがそうあろうとしても、相手は彼女の言葉をはぐらかし、明確な言動を避けていた。
 ワイト家のしきたりを正式に教えられたのは、十二の年。
 その話を聞かせてくれたのは、父だった。
 そして、ようやく思い至った。母が死の間際に我が娘を見つめていたその瞳が、気がかりそうな、ひどく憂いを帯びていたものであったことに……。
 現在、ワイトの名を継ぐ直系の娘はククルのみである。
 年の離れた従姉は既にスメリアの有力者に嫁いでおり、ククルに姉妹はいなかった。
 幼い頃に母を失い、つい二年前に父に先立たれた彼女には、残された時間はわずかしか無かったのだ。
 ところが、ククルの後見人であったトゥヴィル村長は、ワイト家のしきたりを知った上で、何故か彼女に囁いた。
 ワイト家が長年管理している「精霊の火」を消せば、お前は束縛から解放される、と。
 それから……。
「ワイト家のしきたりを聞いてから、それに従いたくなかったの」
 たき火に視線をやりながら、ククルは呟くようにこう言った。
 突然の話題転換に少し驚いた様子を見せたものの、アークは口を挟まなかった。
 ただ、彼は静かにククルが続けるであろう言葉を待っている。
「しきたり自体おかしいって思ったし、納得できなかったから。でも……」
 一旦言葉を切ってから、ククルはたき火を見つめた。ゆらめく炎が、夜闇の中で小さな明かりを灯している。
「今思うと、あの言い伝えは歪められていたような気がする。ワイトの娘は有力者に嫁ぐためにあるわけじゃない。運命を切り開く力を持つ者を補佐するためにあったんじゃないかって」
 家の蔵の古文書を改めて紐解いたのは、アークと出会った後のことだ。
 書物に記されていた力を身につけたククルは、そう確信した。
 ククルはアークへと視線を転じた。
 まだ幼さの残るその顔を見ていると、今、彼の背負う役目を忘れそうになる。人によっては小娘と言われる十七歳のククルより、更に二歳も年下の少年なのだ。
 だが、その瞳に宿る強い意志は、彼がただの少年でないことを物語っている。
 アークはククルの言葉に耳を傾けながら、その瞳をまっすぐ彼女に向けていた。
 それが、今のククルには嬉しいのだ。
 出会ってからの時間はまだ長いとは言い難い。けれど、彼は、今まで一緒にいた誰よりも真剣に向き合うことのできる相手なのである。
 だから、あんなことを口にしてしまったのかもしれない。
「いつの間にか、周りの人たちと言葉が伝わらなくなっていた気がするの。なんだか不思議。アークとなら、ちゃんと意志が伝えられるのに。気持ちが言葉になるのにね」
 ククルはにっこりと笑って見せた。屈託の無いその笑みは、彼女がいつの間にか人に見せなくなっていたものであったのだが、それをアークが知るはずもない。
「なんだかすっきりしちゃった。そろそろ寝るわね。おやすみなさい」
「ん。おやすみ」
 ククルは毛布をかぶって横になった。
 背後で火のはぜる音がする。おそらく、火の番をしているアークが薪をくべたのだろう。
 ……アークは最初から、自分を偽らずに接することができた人だから。
 嬉しさと安堵を感じながら、ククルはそっと目を閉じた。

 ──雪はすべての音を包み込んでしまう。綺麗だけど冷たくて、ぬくもりが奪われる……そんな気がするの。

 それからも、アークは何度かククルの言葉を思い出していた。
 そして、思うのだ。
 彼女の言う「雪」は、自然に降る雪のことであると同時に、孤独そのものなのではないだろうか、と。
 負けん気の強いククルが、ふと洩らした本音と弱さ。
 元気一杯の彼女がひどく脆い少女のように感じられて、思わず抱きしめたい衝動に駆られた。
 守りたいと思わずにはいられなかった。
 負けん気の強さも、脆さも、優しさも、暖かさも。すべてが彼女自身なのだから。
 うっすらと辺りを覆う真っ白な雪を眺めながら、アークは想いを馳せる。
 ──ククル。今、君は泣いていないだろうか?
 目に見えない涙を、心の内で流していないだろうか?
 話している時。一緒にいる時間。いつも、穏やかな笑みと強い意志を見せてくれるけれど。
 ……もう、ずいぶん長い間、君が朗らかに笑う声を聞いていない。
 不意に起こった一陣の風に、雪が舞う。
 白い花びらのような雪を見つめたまま、アークは脳裡にククルの笑顔を思い浮かべた。
 ──強さをそなえた穏やかな微笑みも好きだけれど。
 君が屈託なく笑う声を、聞きたいな……。


 雪。陽光の中では、静かに降りゆくその姿は目に留まることはない。
 日が翳ると目に映る雪。
 同時に、一層強く感じられる寒さ。
 陽光は暖かなぬくもりを携えてくるが故に、翳りは寒さを際立たせる。
 自分が一人だと感じるのは、こんな時だ。
 シルバーノアが戻ってきた時は、アークがトゥヴィルにいる時には、寂しさを感じることはない。
 けれど、心のどこかで気づいている。
 寂しさは、日の光の中に降る雪のように、普段目に見えないものなのではないだろうか。
 目には見えないけれど、少しずつ、降り積もる雪。
 一人になった時、降り積もっていた孤独は、陽の翳りによって姿を現すのだ。
 積もらなくとも、確実に暖を奪ってゆく寒さ──孤独。
 陽の光があれば、それでもぬくもりは感じられるのだけれど。
 こんな時、無性にアークに会いたくなる。
 甘えてしまいたくなる。側にいて欲しいと口にしてしまいそうになる。
 ククルは憂いを帯びた瞳を空へ向けた。
 しんしんと降る雪は、これから一晩かけて積もってゆくのだろう。
 ククルは目を閉じた。
 音の無い世界に迷い込んだ錯覚を感じながら、右手を袖の中へ入れてみる。
 ほどなくして、布に触れた。彼女が肌身離さず持ち歩いている、あまり幅のない、細長い布だ。
 それに触れているだけで、心が暖まるような気がする。
 今この場にあるはずのなない、約束のしるし。
 ──もっと、強くならなくちゃ。
 だって、アークも頑張っているんだもの。私もくじけていられない。
 次に会った時、胸を張っていられるように。
 ククルは肩の力を抜いた。大きく深呼吸してゆっくりと目を開く。
 眼前に広がるのは、普段と少しだけ異なって見える一面の雪景色。
 そして──
 深い紫の服の上に鎧を身にまとい、赤い鉢巻をしめた少年の姿が、彼女の視界におぼろげに映った。
 ここにあるはずのない人影に、彼女はやわらかな笑みを見せる。
「私は大丈夫。だから、頑張ってね、アーク」
 ククルの言葉が発せられるとほぼ同時に、彼の姿がかき消えた。
 ……残されたのは、静かにトゥヴィルに降る雪と、神殿を守る彼女自身。
 だが、孤独感は薄れていた。
 ──大丈夫。
 もう一度心の中で呟くと、ククルはゆっくりと神殿の中へ戻って行った。


──fin


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<あとがき>
 15000キリ番ヒット小説です。アークとククルが一緒にいる話を書こうかと思っていたんですが、普段の二人の気持ちが書きたくなりまして、こういうお話になりました。
 最後のシーンでちらっと出てきますが、このお話は「約束」に続くものです。「約束」自体が過去イベントの話なので、アークとククルにとっての時間軸がずれている部分があるんですけれど…。
 アークもククルもそれぞれの使命を帯びているが故に、感情をストレートに表現できないところがありますよね。ゲームをプレイしていると、それが切なくて仕方が無かったんですけれど、でも、二人はそれらをすべて受け止めた上で、それぞれの役目を果たしていたわけで…。だからこそ、何より強い絆で結ばれていたのではないか、と思います。
 アークとククルの話を考えると、どうしても切ない雰囲気になってしまうんですが、二人が仲睦まじくしているお話も書いてみたいですね〜。