メーカー:Olivetti
CPU:i486SL/25MHz
RAM:購入当時8MB、一時32MB、現在20MB
HDD:3.2GB (購入当時は120MB)
8.4インチTFT液晶搭載のノートパソコン。英語キーボード。バッテリとHDDがモジュール化されていて、交換が容易。それだけにいろいろ遊びすぎて、忘れてることも多々ある模様。
1993年11月某日
日本橋にT-ZONEができてたことを思いだし、見に行ってみるとQUADERNO33があった。当時の私の選定基準はカラーTFTでトラックボール内蔵のノートパソコン。カラーではないが、魅力はある。ちょっと心がぐらつきかけるが、パンフだけ手にして帰宅。
後日QUADERNO33のスペックについてダイレクト窓口で聞く。メモリ増設が、ひとつしかないPCカードスロットを使うのは非常に痛い。総合カタログをややしつこいくらいに薦めるので、送り先を告げる。
さらに後日、その総合カタログを見て心がぐらぐら揺れる。PHILOS44C。そこそこの値段はするが、希望するスペックは全て備え、さらに486CPUの高速性もある。PCM再生もできるらしい。モデム内蔵?これは楽しそうだ。ということで、このカタログを持って出社し、職場から延々1時間質問し、ローンにて購入を決めてしまう。
1993年12月10日
やっとPHILOS44Cが到着する。事前情報では数日で届くはずだったのだが、国内の在庫がないとのことで待たされていたのだ。翌日はDOS/Vエキスポ、オリベッティも出展するとのことで、いきなり普通でない使い方をしているところを見せつけるべく、OS/2 J2.1の体験版をインストールすることにする。
まずPHILOS44Cの梱包を解き、一応動くようだとわかったらまずはバッテリの設定。バッテリにマイコンが入っているので、その最大容量と最小容量を記憶させるために、満充電と完全放電を飯や風呂の間に済ませる。そしてその後いきなりバックアップ。バックアップしつつ、かつてAX286Nに入れようとした120MBのHDD(以下HD0)を取り出す。
元あったHDD(以下HD1)を新たなHDDに入れ替え、インストール。CD-ROMは直前に当たったテクセル(現プレクスター)のDM-5028、SCSIアダプタはパラレルポート接続のトランター製miniSCSIplus(T348)。なにせ初めてのインストールだから、わからないことだらけでなかなか進まない。詳しくはもう忘れたけど、何度かやり直したような気がする(毎回1時間ばかしかかるし)。やっとインストールできたと思ったら、なんと起動しない。もういいかげんあきらめようかと思ったその時、HD1とHD0との間でパーティションの構成に違いがあることに気づく。どうも特別な管理領域が必要らしい。バックアップディスクは自動で内容を修復することから、その管理領域を設定するに違いないと踏み、バックアップディスクの一枚目でその領域を作り、しかる後OS/2を入れると起動するシステムが完成。ここで午前6時頃。
寝れてないけどとにかく行ける態勢にはなったな、と思って用意しつつ、最後に再度起動してみると、なんとブートの直前で停止。故障したかと思いHD1に戻してみると動く。仕方ないので、うまく動かないことは承知の上でHD0を装着し、一路晴海へ。会場であいさつし、展示していたPHILOSのACアダプタを借りて起動してみせる。
後日わかったことだが、実はHDDの消費電力の違いによるもので、HD0は古いせいかHD1より消費電力が大きい。バッテリではそれだけの電力を供給できないため、回転させられなかったり回転しても他に電力がまわらないのが原因だろう。
でも一応OS/2を満足に動かせることはわかったので、その帰りに秋葉原のT-ZONE本店でOS/2 J2.1とWriting Headsを購入。120MBの容量では足らないので、一月後340MBの98ノート用HDD(以後HD2)を購入、それにインストールする。
1994年3月某日
18日に行われるオフ会に向け、Linuxをインストールすることに決める。一応動いているのを見せるためだけで実用性は伴わないので、HD1に入れることにする。選んだのはUNIX USER誌に付属していたSLS版。この当時はこれかYggdrasil版くらいしかない。HD1にあったオリジナル環境が消えてしまうので、HD0にバックアップディスクから復元しておく。
ある程度自由に入れたいモジュールを選択できるようなので、選んだものをフロッピーに展開していく。開発環境などはどうでもいいが、X Windowは外せない。
揃えたところでインストール。途中、選んでないモジュールのフロッピーを要求されたりしてインストールを止めて追加のフロッピーを作ること数度。一応インストールできた。当時はもう日本語環境を追加できたように思ったが、容量のこともあるしパス。
ユーザーなどの設定を行い、いよいよマシンの設定へ。当時はrootのパスワードはあとから入れることになっていたので、パスワード無しでroot権限になれた。スタンドアロンだし、CUIレベルではほとんどすることがなくて、さっさとXの設定に移る。
XF86SetupはGUIでなくていくつかの質問に答えるとXF86Configができあがるようになっていたが、細かい内容はXF86Configを直接いじることになった。最初はなかなか立ち上がらず、いろいろメッセージを出して終わってしまっていたが、そのうちなんとかウィンドウが出るようになる。ディレクトリにopenwinなどというのがあるので試しに「openwin」と入れてみると、まさにそのOpenWindowsが立ち上がる(正確にはOPENLOOK I/Fを持つウィンドウマネージャを立ち上げてるだけのはず)。Sunを使ってる気分みたいで、面白い。
しかし、マウスが動かない。XF86Configにマウスの設定があるが、そもそもPHILOSのトラックボールがどういう接続になっているのかわからない。いろいろ試すが埒があかない。オフ会当日になって、職場に持ち込み暇を見ては設定を試みるがうまくいかない。ついにオリベッティダイレクトに「どんなI/Fでつながってるか教えて」とメールするがすぐに答えが返ってくるわけでもない。
ふと、/devの中にpsauxだったかのデバイスを見つける。これを指定してみるとマウスが使えるようになった。実際には/dev/mouseに本当のデバイスをリンクするのが正しいやり方らしいので、そのように変更したりもする。
当日のオフ会は、オリベッティとC.F.Computingとの合同オフ会となり、発表直前の新製品のお披露目やら人気のダイレクト担当者やらC.F.C.の美人秘書やら盛りだくさんの内容で行われる。椅子にOS/2で起動したPHILOSを置いておいたり二次会でLinuxを披露したりする。でも何やってるのかあまり理解してもらえなかった模様。
せっかくXの環境ができても、スワップの設定がいいかげんだったのか2つくらいのアプリしかいっぺんに動かない。スワップにはスワップパーティションとスワップファイルのどちらかを選べるらしいが、今どっちになっているのかよくわからない。そこでスワップファイルを作るべくコマンドを探し、これだろうと思って実行してみたら、なんと指定したパーティションをスワップに設定するものだった。パーティションはLinuxのシステムを入れてるものしかないので、それをスワップに作りかえられ、Linuxそのものが起動しなくなってしまった。
1994年某月某日
待ちに待ってたモデムキットがようやく手に入る。PHILOSの場合はバッテリの横にモデム基板を入れて、ドライバを追加することで使えるようになる。とりあえずHD0にドライバを入れるが、動かない。いろいろつついてもだめなのでダイレクト窓口に相談すると故障かもしれないので交換するとのこと。交換してもらってようやく動く。
HD2のDOSパーティションにも入れる。DOSでも使える。ということで、最後にOS/2のWIN-OS/2で使えるかやってみる。が、動かない。HD0のSYSTEM.INIなどと見比べて手で設定してみるがうまくいかない。OS/2に詳しいそうな人に聞いてみてもだめ。結局モデムキットはDOSで使うことにする。
1994年7月某日
大学に遊びに行った帰りに立ち寄った旭屋書店で、TRONWARE vol.28を見かける。BTRON仕様OSである「1B/V1」の体験版ディスクがついていたので、買ってしまう。以前から気にはなっていたのだが、7万円前後の価格では手が出なかったのだ。
帰宅し動かしてみると、あっさり起動する。フロッピーは2枚組みだが、実質的なシステムは1枚で立ち上がる。もう一枚は小物やらデータなどが入っている。DOSやらWinやらOS/2に慣れた身には新鮮である。操作方法はかなり特殊だが、使えないわけではない。体験版では漢字変換ができないようで製品をぜひ使ってみたいが、やはり手が出ない…。
1994年某月某日
ある日、1B/V1が半額キャンペーンをやっているという情報を聞きつけた。3万円台なら手が出なくもない。どういうつもりかはわからないが、一ヶ月だけらしいので急いで買いに行く。Laoxザ・コンピュータ館で3万円強。後で聞いた話だが、よっぽど価格と価値との折り合いが悪かったのか、半額キャンペーンでは飛ぶように売れ、さらに一ヶ月延長したという事である。
Linuxが死んでしまったHD1にインストール。一応満足に動いてはいるが、キーボードが日本語のものしか考えられてなかったので入力しにくい。この件については春にマイコンショウでパーソナルメディアの人にさんざん文句をつけたのだが、果たして対応してくれるのだろうか。
と思ってたら、どうやらキーの配列を変える手段があるらしい。@USER_ID_CARDというファイルをシステムの中に放り込むのだそうだが、サンプルで落してきたものはローマ字用ということもあり、イマイチ使えない。といってもまだマシなのでしばらくはそれで使う。
さらに後日、発足した「オリベッティ・ユーザーズ・グループ」のメンバーがQUADERNO33に対応した@USER_ID_CARDを発表したので、ちょっと注文をつけつつ、カナ入力にも対応できるよう頼む。当人は英語キーボードでカナ入力をすることにびっくりしていたようだが、快く引き受けてくれ、後日それを入手することができた。
1994年某月某日
IBMから、OS/2 J2.11のお知らせが届く。バージョンアップ料金は高くないので、せっかくだから買うことにする。買って早速HD2にインストール。ほんのちょっとのバージョンアップだからと高をくくっていたら、なんとビデオ周りで動かない。というか内部でエラーを起こして起動時に停止してしまう。
PHILOSに使われているWestern DigitalのビデオチップはWD90C30のはずなのだが、J2.1ではいくつかのチップがひとくくりで扱われていた。J2.11では最適化のせいかチップ毎にドライバが分かれているようで、しかも該当機種を選ぶと動かないという妙な現象になっている。どうせたいした更新ではないだろうと思いJ2.1のドライバを使ってインストールすると、見事成功。ハングアップしないばかりか256色での表示も問題なくできた。
1994年12月某日
オリベッティから、Windows95のβテストをやってみないかと誘われる。パソコンメーカーの判断で、何人か適当に担当者を選べるらしい。面白そうなので応じることにする。
1994年12月25日
晩飯を食べに出かけようと1階に降りると、自分あての荷物が届いていた。見るとマイクロソフトからである。Win95βが音もなく届いていたというわけだ。えらいクリスマスプレゼント。
翌日導入用のHDDを買う。200MBでいいと思っていたがなかったので250MBになる(以後HD3)。まずこれに最初にバックアップしたディスクを使ってリストア。次にモデムキットを使ってモデムも使えるWin3.1にしておく。このシステムに対してアップグレードをかけるようにWin95を導入。しようとしたが、国情報が違うと言って撥ねられる。そこでDOSの状態からsetupを実行。今度はうまくいく。
雑誌では何度か見たことあったが、Win3.1などとは全く違うLook&Feelである。アップグレードの方法をとるとサウンドも使えるようであるがモデムはだめらしい。
しばらくこれで遊ぶことにする。でもメモリ8MBはつらい。
1995年某月某日
先日借りたノートパソコンに、どういうわけかMS-DOS5.0a/Vの日本語/EMMドライバ「JVGA386.SYS」があったので、PHILOS44Cに入れてみる。試行錯誤の上、起動に成功。
MS-DOS5.0a/V騒ぎはある程度NIFTYで見ていたが、まさか手にできるとは思っていなかった。AX-VGA/Sも同じだが、386のページフォルト機能を利用してVRAMをエミュレートするためにEMM386と合体する必要があって、当時パワーユーザーなら必ず入れていたというQEMM386を使うことができずただでさえ評判が悪かった上に、JVGA386.SYSにはAXモードとDOS/Vモードの二つがあって「終わっていく」AXのために「興っている」DOS/Vのドライバとしてそんな質の悪いものは受け入れがたいという表明をする著名ユーザーが次々現れる事態になった。メーカーとしては「AXが失敗した」という形で決着しなくていいよう、DOS/Vへの橋渡しとなるドライバの供給を求めたのかもしれない。結局は署名運動にまで発展したこの騒ぎによって、DOSさえも主導権がIBMに移ったように思える。
実際に動かしてみると、重い。スクロールすると、描画が変。けどなんだか面白いので、DOSのマルチCONFIGをいじってAXモードでもDOS/Vモードでも立ち上がるようにする。
1995年某月某日
最初のWin95βの評価期間が終わり、次のディスクが送られてきた。が、ドキュメントがなくていくつかあるディレクトリのどれを入れればいいのかよくわからない。まぁハングル圏用とかいくつか言語の違うのがあったので絞ることはできたがそれでも少なくとも2つの日本語版があってよくわからない。マイクロソフトに電話してみると、長々と待たされた末にやっと教えてくれた。もうひとつは何用だったか忘れたが、少なくとも前日適当に入れた方とは違うらしい(-_-;)。
新たなβはいくつかの場面で見られる絵とかメッセージとかが変わっていた。メモリが少ないのとつつける業務でもないので他の部分がどうなっているかよくわからない。でも一応MSNにアクセスしてみたりする。…2400bpsのモデムなんて使うんじゃなかった。
後日、さらに2回ばかりβを送ってきたが、向こうでの管理が面倒になったのか、AT互換機用とPC-98用の両方を送ってくるようになった。最終βなどはさらにフロッピー版まで送ってきた。一応まじめにテストにつきあってあげたが、お礼としての製品版提供は抽選になるとのこと。当たらなかったら少なくとも発売後1年は使わないと心に誓う。
1995年某月某日
Win95より一足速く、OS/2 J3.0ことWarpが発売になるらしい。発売を待って、速攻で買う。雑誌やNiftyなどでは、かつてビル・ゲイツがOS/2に心血を注いでいた事実やマルチタスク性能がWin95より優れていることを挙げて、OS/2の優位性などを説く人があとを絶たない。
バージョンアップの後なのに、J2.11より動作が軽くなっていることに驚く。但し、ビデオ周りの問題は相変わらず残ったまま。今度もJ2.1のドライバでしのごうとしたが、さらに状態を悪くする結果となる。知人に聞いたりして解決策を見出そうとしたがだめ。まず、OS/2が自動で取得するビデオチップの名前が存在しない製品になっている。VESA2.0対応になってないといけないという話で、一時的にVESA対応にできるドライバをかませたが効果なし。一応継続して調べてくれることになっていたが、その件に関して音沙汰がなくなり、あきらめることにする。
1995年某月某日
OS/2 Warp Connectが発売されたので、ほとんど酔狂だが買う。アップデート料金が魅力的。が、この酔狂が後で生きる。
ECHOS44C購入を機に、LANを構築する。PHILOSにWarp Connectを入れ、ネットワークインストールでECHOSにも入れる。入れた後はネットワークの設定。
ネットワークはNetBEUIプロトコルを採用。設定パネルは意味のわからないものが多かったが、いざ設定できてみるとあっさりつながる。LANってこんなに簡単でいいの?もうちょっと勉強しないといけないと思ってた、と感心するやら、拍子抜けするやら。
1995年某月某日
パーソナルメディアから1B/V2の案内が届く。今度はウィンドウデザインを大幅に変更しているようだが、使い勝手は変わらない。以前のマイナーバージョンアップで101キーにも対応しているので、そのあたりももう気にするほどではない。
で、バージョンアップ料金を送金してしばらくするとブツが届いた。1Bのバージョンアップは昔はSUSといって年間2万円の料金を払っておくとアップデートの度に勝手にディスクを送ってくれるシステムだったのだが、やり方が定期保守くさくってコンシューマには合わないと、これも以前のマイコンショウでパーソナルメディアの人に食ってかかったことであった。年間とはいえ、結果的に2万円に見合わないアップデートだとしても文句が言えないシステムは問題ある。経緯は知らないが廃止されている(1B/V1の時にはその料金に1回目のSUSも含まれていた。それを削ることで単価を下げたらしい。妥当な判断である)。
届いたディスクでアップデートしたが、特に問題はなかった。
1996年某月某日
メモリを安く買うことに成功。これで32MBフル実装になる。OS/2 Warpの起動が見違えて速くなり、感動。
1996年某月某日
IBMからOS/2 Warp4の案内が届く。今度はこちらがユーザーインタフェースの見直しをやってきた。またしてもアップデート料金が安い。発売を待って速攻で買う。
早速インストール。もうビデオはあきらめているのであまりあがかない。ネットワーク関係の設定が楽になっている。でも知らないとうっかり中途半端な設定で先に進んでしまいそうな気分。どうせあとでなんとかできるんだろうけど。
後日、あまりのHDDの狭さに514MBのHDD(以後HD4)を購入。こちらに環境をごっそり移動する。
1996年某月某日
HD2がまるまる使えるようになったので、以前は容量の点で非実用的だったLinuxを入れてみることにする。ディストリビューションはSlackware。すっかりSLSは落ち目、Yggdrasilも聞かない。UNIX USERは買っていたが、書籍付属のものを使う。
今度は50枚入りのフロッピーを買ってきて、一度全部のパッケージをフロッピー化しておく。で、せっせとインストール。例によってCUI環境では特に問題はない。せっかくネットワークがあるので使えるようにしたいところではあるが、それはまだ先。
次にXの設定…と思いきや、なんとこちらでも状況が変わっている。256色になることはなるのだが、マウスやウィンドウの移動などでゴミが出る。これまたどう設定してもうまくいかない。かなり粘ったが解決できず。
1996年某月某日
いちいちフロッピーからインストールするのはたいへんなので、ケーブルだけでSCSI機器につないでしまう「EasyHard」を製作する。というのも、LinuxではTrantorのT348が使えず、CD-ROMがつながらないため。
EasyHardをLinuxで使うにはカーネルの再構築が必要。パッチなどを落してきて挑戦する。パッチは問題なく当たり、コンパイルしてみるが、なんか変。今のカーネルをバックアップしたうえで新しいカーネルで起動してみるが、全く立ち上がらない。結局あきらめる。
1996年某月某日
X環境に再挑戦するべく、しかし状況を変えるためこんどはFreeBSDをインストールすることにする。リビジョンなどは忘れてしまった。UNIX USERの付録からフロッピーを作る。
しかし、状況はLinuxの時と同じ。まぁXFree86のリビジョンも同じなんだからそうかもしれないとは思ったけど。
1996年某月某日
また今度はパーソナルメディアから1B/V3の案内が届く。例によって通販でのバージョンアップ申し込み。今度はなんとJIS第一・第二・補助水準漢字に中国と韓国の標準文字コードまで含み、すべて差別なく表示できる。だんだん楽しくなる。それに、いい機会なので開発環境まで含めた最上位のパッケージを申し込むことにする。
発売日から程なくして届き、早速インストール。文字が増えた分だんだんフロッピーの量も増えてきている。インストール後、サンプルの文字一覧を見てみると、中国(GB)のにも韓国(KS)にもカタカナ・ひらがなが収録されているのにびっくり。
だがこれだけのシステムを含んでも、まだHD1が満杯になる様子はない。本当に小気味良いOSである。これでアプリ(特にオフィススイート)が充実していたなら…。
1997年某月某日
東芝情報システムから「JexeOS」なるJavaOSが発売されるらしい。で、低価格でそのβ版を分けてくれるとのことなので、申し込んでみる。すんなり送ってきた。
インストールにはフロッピーが使えるようなので、ECHOSでフロッピーを作りつつ、HD3にインストールしてみる。一応成功。しかし遅い。それに、何がどうなるものなのかさっぱり分からず。CD-ROMにアプレットがあるのか、いろいろいじっても何もできなかった。JavaOSというのは軽いのもウリじゃなかったのか?こんなにベースが重たくてどうするのやら。
1997年某月某日
PHILOS46CPの購入により、第一線から退く。HDDとメモリをそちらに譲り、HD5(後述)をとりあえず入れておく。以後、しばらく押入れで眠る。
1998年某月某日
ダイヤルアップルータ購入を機に、一大ネットワーク拡充計画を立てる。PHILOS44Cはリモコンマシンとして増えてしまった番組予約の管理と外出先からの予約をできるようにするため、復活。
OSはとりあえずあったWin95OSR2。入れてあるHD5をそのまま使用。TrantorのT358をつなぎ、CD-ROMからインストール。NICにちょっとトラブルが、OSR2用のドライバを見つけて事無きを得る。
予約ソフトは「赤丸」というもので、200番組くらい予約しても平気なソフト。シリアルポートに富士通のIRコマンダというALPSの製品のOEM品をつなぐ。しばらくテスト運用したあと、リモコン兼ファイルサーバとして活躍してもらう。
普段は蓋を閉じて使うのでキーボードがふさがる。その操作性を確保するため、IBMのDeskTop-on-Callというソフトを用い、リモートアクセスできるようにする。しかし、やたら遅い。LANでつながっている以上大丈夫だと思っていたのだが、そうでもないようだ。後で別のマシンに入れてよく理解したが、やっぱりサーバ側のマシンが遅いと操作性も悪くなるらしい。
結果的にはDeskTop-on-Callのクライアントになれるマシンの入手に手間取り、外から予約するシステムの構築はできなかった。
1998年5月某日
ゴールデンウィークの連休の帰省から戻ってみてみると、予約ソフトの操作で消えるはずのテレビがついている。おかしいと思ってビデオの録画状況を見てみると、最初の数日だけしか録画できてない。よく調べるとWin95がハングしている。そういえば連休前に動かしてみた時、動きが鈍いような気がしたのだが、あれは気のせいではなかったのか。
1998年9月19日
引越し、というか実家へ戻る。録画する番組の数も減るはずなので、当面使用予定なし。
1999年10月某日
引越し以来また眠っていたが、NFS+SAMBAのファイルサーバその他もろもろとして活躍してもらうために復活。使用するディストリビューションはOpenLinux。今は亡きPC WAVEの置き土産。といいつつ、すでに2.2を確保してある。
当然CD-ROMはつながらないし、TrantorのT358も使えないので、NFSインストールを選ぶ。しかし、M4-464SのNFSがうまく設定できず、X68030のNetBSDにNFSを設定してこちらからデータを送り出すことにする。
NICはSolaris用に買った3Comの3C589でないとインストール時に認識してもらえないので、とりあえずそれを使う。ただ、取られるとmobioとかが不便になるので、後日中古で3C589を買う。
以前Solarisを入れるために買ったHDD(HD6)を装着。BIOSはEIDEをサポートできないが、フロッピーで起動してしまえばあとは関係ない。とりあえず今回はX環境はどうでもいいので、キャラクタ環境を入れるだけ。3GBを1+2GBに分け、それぞれ/と/usrに充てる。一応システム的にはフルインストール。
インストール後の自動再起動は別として、特殊パーティションのないこのHDDでは起動は無理と思いつつやってみると、案の定起動せず。DOSからLoadlin.exeで起動すればいいことはわかっていたが、実は正確な情報を知らず、調べてみるとどうもLoadlinで指定するカーネルイメージがあらかじめ必要らしいことが判明。ということは起動している間にカーネルイメージをコピーしておかないといけなかったわけか。
ということで、そのサルベージ方法を模索。以前なら再インストールしてでもとか考えたが、今は探せば緊急用のフロッピーブートできるLinuxシステムが存在する。以前のUNIXmagazineの特集から、tomsrtbtというのを選ぶ。DOS用のインストールバッチも、カーネルなどまるごと書きこむシステムが自動的に走るカーネルを作ってあるので、バッチファイルを走らせるだけ。いきなりLoadlinが走り、システム作成用カーネルが起動し、フロッピーをフォーマットし、ディスクイメージを書きこむ。
そのtomsrtbtを使ってPHILOSを起動すると、狙いどおりにHDDがマウントされたので、DOSフロッピーをmsdos形式でマウントしてカーネルイメージをコピー。AUTOEXEC.BATに、
loadlin vmlinuz root=/dev/hda1
とすれば無事立ちあがるようになった。滅多に再起動しないサーバなのでこれでよし。
1999年11月某日
Webサーバの調整をしてみる。サーバはapacheだがすでに設定がカスタマイズされている。設定ファイルを古いものに置き換えたうえで、ちょっと変更。といっても置き換え前のファイルを参考に、現状の構成に合わせただけ。apacheを普通にインストールしたディレクトリ構成とは違うのでちょっと戸惑う。
M4-82からアクセスできなくて焦るが、プロキシにアドレスを問い合わせていたためと判り、プロキシを通さないリストに書き込んで無事アクセスできるようになる。ただ、PHPを入れるにはapacheの再コンパイルが必要で、その時には設定のやりなおしが発生するかも。
1999年11月某日
SAMBAの調整。まずはLISAでデーモンを起動しておく。
/etc/samba.d/smb.confファイルを調整しにかかる。いじったのは
[global]
workgroup=IBMPEERS
[homes]
path=/home/public
だけ。[public]に同じpathがあるのでなんとなく[homes]をいじらなくてもいいような気がする。
SAMBAを再起動しても特にデーモンに文句言われることはないので、その状態でWin98からアクセスしてみるが、サーバは見えても認証されない。要求されているのはパスワードだけなので、ユーザ名はあらかじめ知らされているようである。が、表示は変。
SAMBAについて解説しているサイトを飛びまわったところによれば、WinNTでない限りは認証時にはWinでのユーザー名が渡されるらしいので、見えてる動きで正しいらしい。ただ、別な名前でWinにログオンしているとユーザー名の入力のしなおしができないということにもなる。
が、パスワード入力ダイアログにあるユーザ名が自分のものでないのが気になる。さらにいろいろサイトを調べると、Win98では暗号化パスワードを使用しているということがわかった。つまり、ユーザー名が暗号で化けているということらしい。暗号化パスワードを有効にするために、
[global]
encrypt passwords=yes
とすればいいらしい。あと、ファイルネームなどの表示の設定をいじる。どういう効果だったかは忘れた…。
[global]
mangle case=no
preserve case=yes
short preserve case=yes
default case=upper
case sensitive=no
SAMBAドライブをアクセスしてみると、パスワードの入力を要求しないで中身が見えてしまった。/home/publicを作っておけばファイル交換には不自由しないから良しとしよう。
が、今度はWin95からアクセスできない。Win95ではパスワードが暗号化されてないので、逆に化けてしまうということのようである。これはマイクロソフトのホームページから修正ファイルを落してくれば暗号化できる。修正して、きちんとアクセスできることを確認。
1999年11月某日
今度はNFSの設定。M4-464SのCD-ROMをNFSで公開できなかった前科もあって、ちょっと緊張する。
まずは例のごとくLISAで登録。次に制御ファイルの修正。つまりどのディレクトリをどういうアクセス制限で公開するかという設定である。/etc/exportsに次のように書き込む。
/home/public * (rw)
/etc/exportsそのものはあらかじめ存在するが、中身は空になっているので、構わず先頭から書く。順に、公開するディレクトリ、公開対象ユーザ、読み書きの許可となる。
以前試したのはここまでだった。これだけでいいと思っていたが、マニュアルをよく読むと続きがあった。/etc/hosts.allowというファイルに許可するドメインが必要らしい。そこで次のように修正する。
portmap: 192.168.1.0/255.255.255.0
IPアドレスは、一番下を0にしたものを書けばいいようだ。これだけ作成してNFSを再起動し、X68030から接続してみる。今度はあっさり成功。公開ディレクトリをSAMBAのpublicと同じにしたので、今のところどのマシンからでも自由なデータの転送が可能になった。
1999年11月13日
ECHOS44Cに入れた超漢字ではAcctonのNE2000互換PCカードが使えないので、やむなく3C589と交換。まぁもう一枚あるからネットワークインストールには困らないけど。
3C589しか使えないもんだっけ?最近のLinuxならもうちょっとマシだろうに…と思い設定ファイルを探す。探しまわった結果、/etc/pcmica/configだと判明。見るとCIS情報から使用すべきドライバを指定するものらしい。ざっと見てEN2216はあるもののEN2212が見当たらず、でもOEMらしきカードはたくさんあるので、動くだろうとEN2216を編集してEN2212のエントリを作成。
デーモンのように再起動できるのか、あるいは編集直後にカードを挿して認識するかはよくわからなかったので、マシンごと再起動。が、認識しない。/etc/pcmcia/configの設定と、cardctlコマンドの出力とを見比べたりするうち、ファイルの方にEN2212の記述を発見(^_^;)。あるなら使おうとさっきの修正を消して、再度挑戦。が、どうしてもうまくいかない。
でもなんかカードの端ってこんなに出っ張ってるものだっけ?とか思い、グッと力を入れてみると押し込まれる(^_^;)。これで再起動してみると、やっと認識に成功。NE2000互換として使うと遅いかもしれないけど、まぁいいか。
1999年12月15日
どうもUNIXマシンからNFSで接続できないみたい。X68030からできるから大丈夫だと思っていたが、mobioNXからでもつながらない。ディレクトリ丸ごとコピーの都合ができたのでちょっと調整。
Webによるmanページから/etc/exportsのことを検索してみると、そのページがある。見ると、OpenLinuxのマニュアルの記述とはちょっと違うような気がする。「どのホストからでも」という指定に'*'が必要だと思ったのだが、特に指定しないとそういう解釈になるらしい。ということで
/home/public (rw)
と書換えてみる。今度はうまく接続できている。ということで、コピーしたいファイルも無事転送できた。
2000年10月3日
PC110のネットワークブートが可能なら勢いのようなものだがNetWareでディスクを共有できると便利。というかLAN Managerなどだと結構メモリを圧迫するのだが、NetWareはその点少ないメモリでさくさく動くというところが良い。せっかくCalderaの作ったLinuxなのだから、OpenLinuxにNetWareがないかな…と思ったがないらしい。というより昔はNetWare for Linuxを出していたらしいのだが、今はNovellが出すことになったのでやめちゃったそうな。Calderaのサイトには今でもNetWare for Linuxのドキュメントが残っているが、だからといってそこからバイナリを落せるわけでなし、しかも読んでみれば別のCD-ROMで供給していたらしい。
じゃあなんか代替手段はないものか…と探してみると、なんとmars_nweという「NetWareエミュレータ」があるという。さすが、フリーウェアの世界は懐が深い。というわけで、オフィシャルサイトからmars_nwe-0.99.pl20.tgzという最新のパッチレベル20のものを落してきてコンパイル。
が、ndbm.hがないといってコンパイルがエラーしてしまう。確かに/usr/includeにはそんなものはない。まさかと思ってパッチレベル19を落してトライするが結果は同じ。で、JMのサイトでndbmをサーチすると「GDBM」がヒットした。見るとGDBMはNDBMの互換データベースマネージャ(?)なのだそうで、gdbmがあれば問題はないようだ。CD-ROMを見るとgdbmのrpmファイルがあったのでインストール。mars_nweのconfig.hによればlibgdbm.oというのがあればライブラリの使用をgdbmに切り替えるらしいのだが、それでも/usr/libにはそんなものはない。もしやとgdbm-develをインストールするとlibgdbm.oが現れた。これでコンパイルをやりなおし。
すると今度は、関数であるcryptがないといってリンクの段階でエラーになった。crypt自身は標準で存在する関数のはずなので「ない」というのはおかしい。ソースではcryptのためのヘッダファイルは読み込んでないように見える(他のincludeファイルまでチェックはしてないが…)のでそのせいかもしれないが、よくわからない。
2000年10月4日
mars_nweのコンパイルについての情報を求めてWebをさまよってみると、RedHatやKondaraあたりにはrpmが存在するらしい。そのrpm情報によればどうもlibcrypt.oとかいうのが必要らしい。libcrypt.o自体はglibcに含まれるはずのものだが、なぜか入っていないことになる。よくわからないのでglibcやglibc-develなんかをインストールしてみるが、やはりすでに入っているものなので拒否される。--forceオプションを付加して強制的に入れてみるがスクリプトエラーとかいう。そのスクリプトも無効化して入れてみて、/usr/libを見てみるがlibcryptなんたらとかいうのは見当たらない。どうなっているのやら…。無駄を承知でincudeしてないように見えたヘッダファイルを書いてみたが、やはり結果は変わらなかった。
2000年10月5日
同じRedHat系でありながら、どうもOpenLinuxではmars_nweのインストールに関する記述が少ない。というより見当たらない。どうせなら導入実績があるディストリビューションの方が安心だろうということで乗り換えを検討する。Plamoにも導入実績があってこの前買ったトラ技に付録していたのでこれにしようかと思いかかったが、よく考えると少し前のTRONWAREにも超漢字開発環境導入用としてCD-ROMが添付されいたことを思い出し、そちらに決定。
RedHatのインストールの前に共有ディスクのバックアップ。とその前にいくつかの設定ファイルを共有ディスクにコピーしておく。設定に苦労したSAMBAとNFS、それとhostsと"ohishi"の直下のドットファイル。バックアップ先はM4-82につないだDVD-RAMとすれば容量的に心配はない。バックアップの後、思い残すことなくインストールへ。
例によってCD-ROMを直接つなぐわけにはいかないので、NFS経由のインストールを選択。いつものようにX68030にNFSサーバとして働いてもらうことにする。RedHatのブートフロッピーのイメージには三種類あるが、ネットワークインストール用ではなくてPCMCIAサポートのものを選ぶ。こちらでもちゃんとNFSからインストールできる。
ブートフロッピーをmobioで作って、X68030にてCD-ROMをmountし、PHILOSを起動。説明文に日本語が選べるのでもちろんそちらを選ぶ。途中パーティションの設定を聞いてきたがインストーラの勝手に任せる。ふとパーティションってFreeBSDでいうところのスライスかな?…とか思ったがまずければまたインストールしなおせばよかろう。インストールはサーバ用ということでXは導入しない。どうせ遅いので使えないし。緊急用フロッピーを作るかと聞いてきたが、まぁtomsrtbtもあるし必要ないだろう(と思ったことがあとで命取りに)。
もろもろの設定が終わればインストール。眺めていると、インストールされるRPMの中にmars_nweがあった。パッチレベルは17だが、動いてしまえば文句はない。ラッキー、コンパイルしないですむな。
インストールが終わったら再起動するのだが、以前と同じくフロッピーから起動する必要がある。カーネルも新しくなってるだろうしそのままでは都合が悪かろうと、またカーネルを取り出す作業をしなくてはならない。で、これまた以前のようにtomsrtbtで起動して取り出せばよかろう…と思ったが、どうもうまくHDDがマウントできない。フロッピーはできる。なんかext2フォーマットが変なのかパラメータが必要なのか、とにかくエラーが出てマウントできない。MINIXなのかといろいろ変えてみたがうまくいかない。そのオプションを確認するためにJMのサイトでmountのページを見ていたら、なんとカーネル2.0.*では新しいmke2fsで作ったファイルシステムをマウントできないということらしい。それに当たったのだろうか。
RedHatのCD-ROMにレスキューモードがあったのを思い出して再びインストール用ブートフロッピーで起動。Rescueを選択してまたCD-ROMをマウントしなおしてレスキューモードが立ち上がった。が、なんとハードディスク(/dev/hda)のデバイスがない。これではマウントできない。何がレスキューなんだか…。
tomsrtbtがバージョンアップしてないかとオフィシャルサイトを見に行ったら、ベータではあるが新しいのがあった。とりあえず落してきて、mobioで展開するためにLANで転送して、Win95をMS-DOSモードで終わらせてインストールのバッチファイルを起動…暴走したらしい。普通のフロッピーがつながっていて素のDOSが起動できるのはM4-464Sとかいろいろあるが、どれもLANで転送できるようにはなってない。どうしたものか…。
2000年10月6日
tomsrtbtの展開に会社のパソコンを使うことにして、そちらでダウンロード、解凍。展開する前にドキュメントを読んでみると、カーネルのバージョンは2.0.*という感じでやはりうまくマウントできなさそう。ということでどうせβだし、と理由をつけてtomsrtbtはバージョンアップしないことにした。
が、ますますカーネルイメージ取り出しが難しくなった。いろいろ悩むうち、カーネルを取り出すんじゃなくてインストールしたと思しきRPMからカーネルを抜き出そうという考えに変わった。といってもRPMをサポートできるOSは起動できてない。なにかDOSやWindowsでRPMを展開できるツールはないものか…と探し回ってみると、シェアウェアではあるがRPMViewというのを発見した。名前だけではちょっと参照するだけのようにも思えるがちゃんと展開もしてくれる。が、会社のWindowsNTでは動かないので自宅で挑戦。
RPMViewは未登録状態では期間限定となるが全機能が使用できるようである。CD-ROMからi386用カーネルのRPMをそのツールに食わせると、見事に中身が見えた。INSTALLのボタンをクリックすると展開を始めたが、なんか書き込みでエラーが生じたのか先へ進めなくなった。というかダイアログが消えない状態になってしまった。未登録ではこんなもんか?と思いつつRPMViewを強制終了し、再び起動して今度は設定のところの「SRPMの中身のtgz等を展開する」(ちょっと文章はいいかげん)のチェックをはずして再挑戦すると、今度はうまくいった。vmlinuzなんたらというファイルをOpenLinuxの起動に使用していたフロッピーにvmlinuzという名前でコピーしてRPMViewの役目は終わった。
これで起動するとめでたくRedHat Linuxのインストール完了…というはずなのだが、initが見つからないといって止まってしまう。HDDはいくつものパーティションに分かれていてとりあえず先頭のものをrootとして指定していたのだが、はずれだったらしい。といってもどれが当たりか覗く術もないので根気良く順番に指定を変えてトライし、4回目くらいでやっと本物のrootの指定に成功して起動画面を拝むことができた。
起動画面は各デーモンなどの素のメッセージではなくて起動プログラムが結果を中継して表示しているようである。その中にNICの初期化に失敗したようなメッセージがあって焦る。あとの失敗メッセージはhttpdのみ。これはあとからゆっくり設定しよう。一応念のためHDDにあるカーネルイメージをフロッピーにコピーしておく。
ログイン画面になったのでrootでログイン。心配だったのでifconfigでNICの状態を見てみると、MACアドレスも認識されているし、動いていそうな雰囲気である。試しにM4-82に対してpingしてみると…パケットをロストしている(-_-;)。正確には最初のパケットはいいのだが、その次からだめのようである。うむむ、なぜだ?不思議なのでM4-82側からpingすると、なんとロストがない。するとなにかな、Winでは撥ねられるパケットでも流してるのかな?では試しにプリントサーバへは…こちらもだめみたい。でもネットワークがつながってないわけではないらしい。
まずは設定を戻さないといけないので、バックアップしてあるファイルの転送にとりかかる。といってもSambaの設定もできてないので、とりあえず使えるはずのftpで転送することにする。
WindowsからWS_FTPを起動して接続を試みる…が、なんとサーバからの反応がない。ftpが動いていないのか?Windows付属のftpでも同じ。最初のメッセージさえも現れない。試しにmobioのFreeBSDからftp接続してみると、かなり時間がかかるが一応つながる。つまり動いていないわけではないのだが何かに時間がかかっているということである。このあたりでギブアップ気味になったので、treeさんにヘルプのメール。
ただ、linuxconfからSambaの設定は楽にできたので、ちょっと今までとディレクトリが違うがWindowsからアクセスできるようにはなった。ざっとめぼしいファイルをバックアップから転送しておく。転送できたのでNFSもいじり、ONにしてみるがこいつはうまくいかない。RPCがタイムアウトとかなんとか言われる。
2000年10月7日
treeさんからの返事によれば、クライアントの逆引きができずにタイムアウト待ちになっているか、ドライバが悪いかハードが悪いかということらしい。チェックを薦められた/etc/resolv.confや/etc/host.confが見つからないので、とりあえずハードを疑いNICを3C589に交換する。動いてないわけではないしこれまでも動いていたので考えたくはないのだが…。交換して再起動すると、ftpは相変わらずだがpingの反応は普通になった。やはりドライバか?
クライアントの逆引きに関してはhostコマンドをクライアント向けに実行してみると、数十秒かかってエラー表示になる。数分というわけではないがこれは異常に長く待たされているのか?
2000年10月8日
てな状況を返信としてメールしたら、晩にさらに返事があって、やはりそれは長い、tcpdumpで何か出てないか?ということだった。指示通りのフィルタ、
tcpdump -ni eth0
で実行してみると、どうもゲートウェイかなんか宛てにarpを飛ばしている。このアドレスはインストール時に見覚えがあるが、その時はどうせ必要ないし穴埋めのようなものと思って設定した。もちろん穴埋めなのでありもしないIPアドレスである。だからarpの返事はない。
linuxconfで設定を確かめると、DNSを使うことになっていて、そのアドレスがさっきのarpの問い合わせ先だった。とするといちいちDNSにアクセスしようとしていることになる。そこでDNSをオフにし、さらにアドレス解決をhostsのみとして再起動してみた。…がhostコマンドの実行時間は変わらないしtcpdumpの出力も同じ。どうやったらDNSへの問い合わせをやめられる?
ふと/etcの中を眺めてたら、resolv.confの姿があった。あれ?この前は見なかったのに…と思いつつ中を見るとただ1行、nameserverのエントリが書かれてあった。manページによればまずこのエントリを見るということらしいので、試しにこの行を消してみた。すると、hostコマンドはただちにエラーを返し、ftpも速攻でログインメッセージを送るようになった。やれやれ、これでディストリビューション乗り換え前と同等の環境になったことになるか。
あとはmars_nwe実行のためのIPX導入。IPXはローダブルモジュールになっていて基本的にはどこかの設定をオンにすればいいだけのようなもののはず。ということでlinuxconfをいじってみたのだが、IPXの設定コマンドであるipx_configureが起動中にエラーを発するだけでどうしようもない。このエラーはなんなのか?と調べてみると、すでに消えているMLのログも含まれるが、どうもカーネルがIPXをサポートしてないかもしくはカーネルのバグということらしい。疑って解決しやすそうなのがIPXをロードできてないということ。が、その設定ファイルのようなものが見つからない。
JFなどで調べてみると、ローダブルモジュールを読み込むにはmodprobeというコマンドを使うらしい。modprobeはSlackware系では/erc/rc.d/rc.Sなどで、RedHat系では/etc/rc.d/rc?.d/〜というファイルにその旨を書くということらしい。/etc/conf.modulesに何か設定を書くこともわかったがここに読み込みたいモジュールの名前を書くわけではなさそう。
さらに調べると/lib/modulesのさらに下のほうに*.oという名前でモジュール群があって、それを読むことになっているようである。正確なpathは事前にdepmodというコマンドで調査しておくのでmodprobe実行には指定しなくていいようだ。一応ipx.oというファイルの存在は確認したので、試しにダイレクトに
/sbin/modprobe ipx
と入力してみたら何も文句を言われずに終わった(実際には直前にipx.oと指定して怒られたりしたが)。やはりIPXはロードされてないらしい。どこでそれを実行すべきか、自分の手でやらないといけないのか(だったらlinuxconfの立場は?)、悩む。
2000年10月9日
どんなに調べてもipxをmodprobeで読み込もうとしている(もちろん読み込まれないのは何かの設定を見てif文で判別していると仮定して)箇所は見つからない。見たところでは/etc/rc.d/rc.sysinitの中で、depmod実行後サウンド関係のモジュールをロードした後「その他まとめて」みたいな感じで/etc/rc.d/rc.modulesを実行しようとしていることくらいしかわからない。そのrc.modulesの姿はないのでお手本がない。でも仕方ないので、ただ1行昨日実験したとおりにだけ書いたファイルをrc.modulesとして実行属性を与え、再起動してみた。
するとそれまで出ていたipx_configureのエラーも消え、IPXがロードされたようである。それでは、と/etc/nwserv.confを適当にいじってmars_nweを起動し、M4-464SのPersonal NetWareからアクセスしてみた…がそうは簡単にことは運ばないようである。
2000年10月12日
ようやくmars_nweの設定とその使い方がわかった。辿りつくまでにいろいろあったが、ざっと整理してみる。
まず、mars_nweの設定にあたって/etc/nwserv.confを自分の環境に合わせて修正する。変更箇所だけ抜き出すとこんな感じ。あとで関係する箇所も併記しておく。
1 SYS /var/mars_nwe/sys rk
1 DATA /home/ohishi/Samba k
2 PHILOS # name of the server would be "MARS"
4 0x39a01010 eth0 802.2 1
10 99
11 99
13 OHISHI ohishi
15 99 top-secret
行頭の数字はセクションの番号で、それぞれに意味がある。この意味はどこかからの流用なのか、抜けというか予約されているものもある。まずセクション1はNetWareクライアントに公開するディレクトリとそのボリューム名で、"SYS"は最初から設定されている。/var/mars_nwe/sysはRPMを展開すると作成されるディレクトリで、配下にはloginとかのNetWare特有らしいディレクトリが並んでいる。まずサーバーに接続するとここのloginディレクトリにつながるので、この設定は外すことはできない。末尾の"rk"は、rはリードオンリーかつ使用可能容量を0バイトと返す指定、kはDOSでの運用のために小文字ディレクトリも大文字に変換するという意味である。セクション1はもうひとつ設定しておいて、ここにはDATAというボリューム名でSamba/NFSで共有しているディレクトリを書いておく。
セクション2はサーバ名で、ここはPHILOSとするのが問題なかろう。セクション4はNICの設定で、ネット番号?とそれを定義するネットワークデバイス、フレームタイプ等を指定する。ネット番号は試行錯誤の結果妙な数値が入っているが適当な値で問題ないようである。フレームタイプは802.3がデフォルトなのだがRPLの都合もあるので802.2にしておく。
セクション10,11はアクセス時のユーザーID、グループIDで、/etc/passwdや/etc/groupに定義してある値である。これもいくつか試したのだが結局最初から書いてある99に戻してしまった。99はユーザー"nobody"のIDである。セクション13はユーザーの定義で、NetWareでのユーザーとLinuxでのユーザーを併記する。さらにパスワードも併記できるらしい。が、パスワードに関してはセクション15がオーバーライドするのか、まずはこちらが優先するようである。おそらくパスワード変更コマンドでなんとでもなるのだろうが…。なおWebなどをいろいろ探すと"nw.ini"というファイルを変更するような記述に出会うことがあるが、RPMで導入したユーザーには関係ないらしい("make installini"でnw.iniの内容を元にnwserv.confを生成するようになっているらしい)。
/etc/nwserv.confを変更したら"nwserv -k"でサーバを停止し、次いで"nwserv"でサーバが起動する。起動した状態でPC110のネットワークブートを実験したM4-464SのDR-DOSを起動する。ややこしいので自分のPersonal NetWareのサーバは切っておき(AUTOEXEC.BATのSERVER.EXEを起動する行をコメントアウトする)、さらにログインしている行も無効化しておく。この状態で起動すると、つまりVLM.EXEが起動した時点でサーバPHILOSにアタッチしたとのメッセージがある。が、ログインまではしていない。"net login"を実行するとNET.CFGに記述してあるワークグループを探しに行くが、/etc/nwserv.confにはワークグループの名前の設定はないし、当然見つからないとのメッセージが出る。次いでネットワークがあるかを調べ、あるならそこに指定のワークグループがあるかも調べる。が、当然見つからない。次に"net attach PHILOS"と(アタッチしたとのメッセージはあったんだが)実行してみると、ユーザー名とパスワードを訊いてくる。セクション13に記述してもしなくても、パスワードを設定してもしなくても撥ねられてしまう。
ふとFドライブを見てみると、特にエラーもなくボリュームSYSのディレクトリを表示している。が、中身はない。この時は見えているはずのディレクトリは/var/mars_nwe/sysだと思っていたので、なんとなく成功しそうな気がしつつ、でも見えない原因を探り続けた。
いろいろ考えるうちに、もしかすると、Personal NetWareのツールでNetWareのサーバにアクセスしようとしているからつながらないのかも、と思いだした。Fドライブに見えているディレクトリも実は/var/mars_nwe/sys/loginなのかも(初期状態は空なので)、ツールはmars_nweの作者が提供しているのをそのloginに配置すればいいのでは?ということで実行に移した。まず落したmars_dosutils-0.17.tgzをLinuxで展開してみると、若干の実行ファイルとソースが出てきた。NET.EXEやLOGIN.EXEがあるはずだ、と思っていたのでちょっと面食らう。コンパイルしないといけないのか?ということでコンパイラをいくつか試したがBolandC4に依存しているらしくコンパイルできない。が、ドキュメントをよく見るとそれらのコマンドはすべてNWNET.EXE(これはコンパイル済み)に置きかえられたということであった。そこで、NWNET.EXEを/var/mars_nwe/sys/loginに転送してM4-464SからFドライブを見てみると、見事にNWNET.EXEの姿があった。しかしあろうことかNWNET.EXEを実行することができない。そもそも読めてないのか?ならばフロッピー経由で直接ローカルで実行してしまえばいいんでは…と思ったが、よく見るとNWNET.EXEにはどのユーザーレベルにも実行属性がついてない。消す必要はないので属性を555に変更してM4-464Sから実行すると、ようやく動いた。
今度はログインだが、"nwnet login ohishi"で実行するとパスワードだけ訊いてくる。これにLinuxのパスワードで答えたが撥ねられる。セクション13で違うパスワードにしていたように思ったのでそちらで答えても撥ねられる。nwserv.confのドキュメントをよく読んでみると、セクション15でデフォルトのパスワードが設定されているらしく、デフォルトのデフォルトである"top-secret"を入力してみるとついにログインに成功した。GドライブにボリュームDATAをマッピングしてみると、どこかで見たディレクトリが表示された。でもなんか変だなーと思ってよく見ると、長いファイル名のものはすべてキャンセルされているようである。つまりDOSとデータをやりとりする時はファイル名を8+3文字にしないといけないわけである。
2000年10月某日
RPLDというIBMフォーマットのネットワークブートデーモンをLinux用として拾ってきたが、結果としてはうまくいかなかった。コンパイルやデーモンとしての動作には問題なかったが、Personal NetWareで設定したような「ファイルを所定の位置に置くだけ(やや語弊はあるが)」とは違う。ロードアドレス・実行アドレスを指定しないといけないのだが、Personal NetWareで指定して送りこむと思しきRBOOT.RPLはどこにロードすべきかなんてわからない。適当に指定してみたが、転送はしているようでも実行まではされない。linuxカーネルにはlinuxオプションがあるのだが古いカーネルのためのものらしく今のRedHatには使えないらしい。
いろいろ探してbootixなるあらゆるネットワークカードのブートROMを作っているメーカーを見つけた。ここのデモディスクを使って起動しNICの種類を指定すると、それ用のブートROMを読み込んでBOOTPによるネットワークブートを試みるようになっている。そこでディスクイメージを解析してみると比較的単純なルールで各ROMデータが並んでいることがわかったので、NE2000互換用のデータを取り出し、このディスクのブートプログラムにあるロードアドレスを指定してRPLDを試してみたが、それでもうまくいかない。
PC110のRPLの画面によればそれなりにRPLDのデータを受け取っているように見えるのだが、実際には中身を無視しているのか、細かいところでパケットの中身が違うのか、どうもよくわからない。Personal NetWare相手のときと、RPLD相手のときとでtcpdumpを比べてみるが、違いがあるのはわかるがその意味まではわからない。RPLDのソースを見ればわかるかもしれないがちょっと時間が必要のようである。
2000年11月11日
無線LAN導入。メルコのWLI-PCM-L11をこちらに導入して、3C589を返してもらうことにする。
RedHatLinux6.2JはLucentの無線LANに対応しているとのことなので同じLucentチップのメルコのカードなら大丈夫だろうと踏んでいたのだが、もちろん/etc/pcmcia/configのエントリを書き換えてWLI-PCM-L11に対応させてもうまくいかない。どうも初期化の段階で動いていない様子。そこでサーチエンジンにて調べてみると、メルコのカードやその互換品は比較的新しいpcmcia-csでないと対応できないらしい。そこで見つけたページにしたがってpcmcia-cs-3.1.15を導入しようとするが、カーネルのソースが不完全だという。ソースのディレクトリとかはあるのに…と思ったが、どうもヘッダファイルばかりで中身がない。仕方がないのでRedHatのダウンロードサイトに行ってソースのRPMを探してきて展開したが、全然変化がない。どうも変だ…と思ってソースのディレクトリにあるドキュメントを見てみると、CD-ROMにも完全なソースがあるという。そこでインストールしたCD-ROMをよく探してみると、kernel-source-2.2.14-5.0-i386.rpmなるRPMファイルがあった。これを展開してようやくpcmcia-csもコンパイルできるようになった。コンパイルも困るところはなく、インストールまですんなり通った。で、再起動してみる…メッセージは違うが、初期化に失敗している。スクリプトとかいろいろ探してみるが、どうもわからない…。
2000年11月12日
いろいろ調べるうちに/etc/pcmcia/wireless.optsにアクセスポイントの情報とかを書いておくとかいうことも発見したが、それでもうまく認識できない。設定以前にモジュール化されているドライバのwvlan.oがカード挿入時に初期化エラーしているとしか思えない。もしや、新しいpcmcia-csなら解決するかも…と考えてsourceforge.netへ行ってみると確かに最新のものは3.1.22となっている。そこでこれを落してPHILOS44Cに転送しようと3C589に戻してみると、なんとこちらまでが認識されない。どうしたことかといろいろ調べてみると、/etc/pcmcia/networkの中身がpcmcia-cs-3.1.15導入前と後で全然違うことがわかった。まさか、これが原因かも…と/etc/pcmcia/networkだけ古いものに戻してみると元通り3C589を認識するようになった。同じようにWLI-PCM-L11も、と期待したがそれは無理だった。
pcmcia-cs-3.1.22の導入も.15同様すんなり通った。試しにそのまま再起動してみたが、やはり3C589は認識されない。/etc/pcmcia/networkは古いままにするのが正解らしい。しかしWLI-PCM-L11は修正後も認識されない。但し初期化に失敗したというメッセージはないので前よりは望みがある。iwconfigで設定を確認するとwireless.optsの設定が反映されているのでさらに望みはある(.15の時はそれもなかった)。まさかと思ってifconfigでwvlan0というデバイス名でupしてみると、なんだか動くような気配。3C589などと同じeth0で認識されると思っていた(wvlan0という名前はconfigやドライバレベルでのローカルなものだと思ってた)ので、それならとlinuxconfにてeth0と同様にwvlan0という名前のネットワークデバイスでIPアドレスを設定して再起動。ifconfigにも現れるし、M4-82からSambaでアクセスできるし、ようやく使えるようになった。
2001年6月23日
Linuxで安定的に運用していて特に不満はなかったのだが、PS2 Linuxの購入によりネタがだぶることになってしまった。PS2の方は(NetBSDの移植が進められているとはいえ)Linux以外にOSの選択肢がないということで、まだ選べるPHILOSの方のOSを乗り換えることにする。
そこで白羽の矢が立ったのがSolaris。以前買ったSolaris8(EA)ではなく、さらに昔に買ったSolaris2.5.1の方である。最近miniSCSIplusが手元に戻ってきて、インストールする条件が整ったことも選択の理由となった。
というわけでインストールの準備。インストール時に必要な修正済みのドライバがたくさんあるので、それを落とす。DriverUpdate11というやつで、計8枚のフロッピーが必要。落としたディスクイメージをそれぞれのフロッピーに書き出しておく。
次に機材。PS2 LinuxからNFSマウントして共有ディスクの内容をごっそり転送しておき、これをバックアップとしておく。まぁ他の設定ファイルはOSが変わるからあまりアテにならんでしょうということで。あとminiSCSIplusとCD-ROMドライブを用意してPHILOSに接続すれば準備完了。
この後は基本的には順調にインストールが進行した。但し、本体も遅いわメモリも多くないわパラレルポート経由のSCSIだわCD-ROMも倍速だわと最悪の条件が重なっているために、それぞれのステップが異様なほど時間がかかる。この後のステップも含めて、一晩がかりの作業がいくつも発生した。
さらには細かい話だがOpenWindows環境に移行してインストールのためのパネルが現れるはずが現れず、ポップアップメニューからインストールプログラムの再スタートをかけてようやく現れたり、インストールの最終場面でドライバのアップデートが行われる(DUフロッピーを読み込む)らしいのだがそういうのがなかったような気がするとか、最初のブートの場面で作成したフロッピーの出来が悪くてハングアップしたりとかトラブルがないわけではなかった。
でもなんとか見た目はすんなりインストールが終了し、ログインプロンプトが現れた。ネットワークにつながっているかrootで入って調べてみたが、つながってないらしい。ちょっと前途多難かも。
2001年6月某日
意外なことを発見した。なんとハードディスクだけで起動する。これまでLinuxではフロッピーからDOS起動→loadlinでカーネル読み込みという手順を踏まないと起動できなかったので、Solarisでも同様の方法を探さないといけないと思っていたのだ。インストール時に起動に使用したDU11フロッピーは起動だけでも3枚必要だし、古くなったので使わなくなったMDBフロッピーは1枚だけどこれで起動して問題ないかわからないし…と考え込んでいたところだったので、ひじょうにありがたい。これだけでもSolarisを導入して良かったような気がしてしまう。