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津田式ポンプ製作所のモットー

「賣る氣で造るな、 買う氣で造れ」
1888年 明治21年7月11日 喜次郎は広島県佐伯郡能美島鹿川村で誕生
津田家の養子となり、津田の姓をなのる
32歳 1920年 大正9年9月24日 広瀬町の工場で、ポンプを新案特許申請
当時の所在地:広島市錦町233番地
又は:広島市広瀬町233番地

 

 

 

大正9年9月24日初出願

このポンプを当時の通産大臣からの評価を受けて津田喜次郎は井戸ポンプの研究が始まった

昭和9年2月9日出願

広島県高田恵比寿神社

商標 砲彈

台南国立歴史博物館

博物館所蔵の砲彈

入手ルートは不明

津田式ケーボー号の分解図(英文パンフからの引用)

昭和14年8月11日内務省中庭で井戸ポンプの性能試験

性能検査結果票、津田式ポンプ製作所は高成績

昭和16年9月11日の官報で津田式ポンプ製作所は第一級品と認定
さらに、ひし形に大臣の商標を認定

昭和16年広島市西区南観音町に第3工場を建設(鳥瞰図)

広島市安佐北区可部駅前のポンプ
賛助企業の協力で整備された津田式ポンプ

水色枠は昭和18年建設当時、赤色枠は昭和36年ごろの工場
(現在は広島交通本社兼車庫)

工場内で使用されていた黒板が蚤の市で発見

工場の中庭で全社員と記念撮影(撮影年不明)

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社長

昭和34年10月19日急死
10月22日、観音高等高校講堂にて会社・PTA合同葬儀

昭和33年講堂兼体育館落成記念碑
津田喜次郎はPTA初代会長

昭和30年中国文化賞授与
昭和32年紫綬褒章授与
昭和33年紺綬褒章授与

昭和35年2月29日、PTA後任会長の呼びかけで徳碑を建立
観音様の言葉     

喜次郎の死後、会社は長男によって経営継続され、昭和45年(1970年)倒産後、特許・販売権を興陽産業製作所(広島市安佐北区可部東)横尾氏(旧姓津田)に譲渡され、商表名を「KOYO」として継続して製造された。その興陽産業製作所は平成22年(2010年)2月に閉鎖された。これによって「津田式ケーボー号」の生産は終了した。

広島市高須の丘に墓標と自我の銅像と共に建立

商標登録

昭和04年1月22日出願

昭和26年認定

昭和25年認定

↓広瀬神社

⇐広瀬工場


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