昭和25年認定

昭和26年認定

昭和4年1月22日出願

商標登録

広島市高須の丘に墓標と自我の銅像がある
津田喜次郎(享年71歳)の遺志は台湾で受け継がれている
(明治21年~昭和34年)

津田喜次郎の死後、会社は長男によって経営が継続され、昭和45年(1970年)倒産後、特許・販売権を興陽産業製作所(広島市安佐北区可部東)横尾好正と節子(旧姓津田)に譲渡され、「津田式ポンプ」は商表名を「KOYO」として継続製造され、その後、甥の大﨑達夫が継続製造した。その興陽産業製作所は平成22年(2010年)2月に閉鎖された。
これによって「
津田式ケーボー号」の生産は終了した。
尚、
濾過器は「株式会社友鉄マシー」(広島市安佐北区安佐町飯室森城-6861-27)が製造販売している。

昭和35年2月29日、PTA後任会長の呼びかけで徳碑を建立広島県立観音高等学校の敷地内に建立     

昭和33年講堂兼体育館落成記念碑
PTA初代会長 津田喜次郎

工場の中庭で全社員と記念撮影(推定 昭和25年撮影)
前列右から4人目社長5人目長男・中列右から7人目長女

平成30年12月、工場内で使用されていた黒板が
関西の蚤の市で発見された

昭和16年広島市西区南観音町に第3工場を建設
(鳥瞰図の製作年月日は不明)

昭和16年9月11日の官報で津田式ポンプ製作所は
第一級品と認定、さらにひし形に大臣の商標認定

昭和14年8月 内務省の中庭にて手押しポンプの能力試験風景津田式ポンプ製作所からはケーボー號スイショウ號を提出
性能検査結果で津田式ポンプ製作所は高い評価を置ける

昭和14年8月11日内務省中庭で井戸ポンプの性能試験

津田式ケーボー号の分解図

台南国立歴史博物館

広島県海田恵比寿神社

昭和9年2月9日特許出願図

左記の地図は広島県江田島市能美町鹿川の地図です。最初の特許申請地「廣島懸佐伯郡鹿川村2614番地」がこの地図の中にある。(表記はない)

右は大正9年9月24日初出願ポンプ申請書。
このポンプは大正9年11月の広島市工芸品評会に出展し、高評価を受けた。それから津田喜次郎は手押し井戸ポンプの研究開発が始まり、昭和25年頃までに50件の井戸ポンプ関連の特許申請をした。

昭和10年当時の住宅地図上の広島市広瀬町
明治21年7月11日 喜次郎は広島県佐伯郡能美島鹿川村で誕生
津田家(伯父)の養子となる
明治37年~大正9年 小学校卒業後、各地で職工として技術を学び、鹿川村に帰郷して小さな工場を開く
大正9年9月24日 そこで井戸ポンプの研究・開発をして、実用新案特許を申請する
(他の事案の特許もある)
津田式ポンプ製作所のモットー
「賣る氣で造るな、 買う氣で造れ」

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台湾南靖駅前のアサヒ号

台湾国立嘉義農業大学の大空号

サカヱ号

タカオ号

新高山

戦前に台湾へ送られた「津田式ポンプ」

町内での放水訓練、2階屋根まで届く(実際は不明)

 

 

 

広島市西区の第三工場の
創立一周年記念碑
昭和17年11月8日

浄水装置 昭和8年8月24日特許
特許番号102456號

 広瀬神社

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昭和34年10月24日津田式ポンプKKと南観音高校PTA合同葬儀

商標「コーヨー」の鋳型

津田式ケーボー号をシンガポールで発見
マレーシア マラッカ市にて(2021.1.7撮影 Suhaila Merican さんより投稿)
p2614 へのリンク

広島市可部駅前広場の
津田式ケーボー号ポンプ

台南国立歴史博物館所蔵(砲弾)
広島県海田恵比寿神社(砲弾)

津田式ポンプ工場↑
(昭和20年8月9日被爆)

入手経路不明➡

観音高校国旗掲揚台寄贈

九州会結成記念 昭和43年11月16日 於ホテル児玉 

昭和30年中国文化賞授与
昭和32年紫綬褒章授与
昭和33年紺綬褒章授与