2000年度文集より 2000年度文集より転載しました。 大庄公民館館長より
昨年5月10日に9ヶ国27人の学級生と25人のボランティアの皆さんでスタートしました、平成12年度の「大庄日本語よみかき学級」も早いもので、3月28日をもって46回にわたる学習を終えることになりました。
いつも多くの人が楽しい雰囲気で学習できましたのも、学級の運営並びに指導にご協力をいただきました講師の先生を始め多くのボランティアの皆さんのご尽力によるものと心から感謝申し上げます。
学級生のみなさん46回の長期にわたる学習参加は大変だったと思います。しかし、学級生同士の語らいや触れあいから、武庫川でのバーベキュー大会やクリスマス会など、多くの思いでと喜びもあったと思います。
学級はひとまず終了しますが、学級生のみなさんには、大庄公民館の日本語学級に来てよかったと思っていただければ幸いです。
最後にそれぞれが日本語よみかき学級で学習した思いでを文集にしました。
どうぞご覧になってください。
講師より
日本語学級のことを考えると、ぱあっと広がるイメージがあります。
広い教室のあちこちで、先生と学級生がいっしょにすわり、楽しそうに話しています。
そう、日本語で話しているのです。おもしろいことに、外国の人どうしが、日本語で話すこともあるのです。英語がわからない人と中国語がわからない人が日本語を使って。
みんなはいっしょうけんめい、そして心からうれしそうです。
「たくさんのこえが聞こえてうるさいんじゃないのかな」という心配はいらないようです。教えるのが楽しい先生たち、教えてもらってうれしい学級生たち。あたたかい気持ちがこの大きなへやいっぱいにあふれているのです。
日本の人たちと外国の人たち、みんな、ここで出会えたことを大切にしています。
世界の人がみんな、大庄公民館のようなこんな気持ちで出会えたらすてきですね。
みなさん、これからもずっといいともだちでいましょう。
学級生の声
○私のかんじたこと
ここに来て日本語の勉強をしてからあっとゆうまに5ヵ月がすぎました。知らない人達ばかりで心配しましたが、やさしい先生達から親切に教えてもらい有難いと思いました。週1回だけの勉強でしたが私にはとても役に立ちました。時々仕事で休むこともありましたが公民館に来てよかったと思います。毎週水曜日はたのしみで友達のさそいがあっても約束はしませんでした。以前よりも色んなことが少しづつわかり、仕事にも役に立つようになりました。ボランティアの先生がいいしょうけんめいおしえている姿に感動しました。私も日本語検定試験1級にがんばって合格したいと思っています。公民館に来ている皆さんありがとうございました。(韓国)
○こうみんかんに来てから
ぼくは、一九九八年十二月六日に日本に来ました。日本に来る前は韓国にいました。日本にきたとき、日本語はまだしゃべれませんでした。一九九八年二月二十八日にひっこしをしました。大庄にひっこしをして、ちかくのこうみんかんで日本語の勉強をしましたが、まだ日本語がしゃべれなかったです。ずっと英語でした。それから体がしんどくなってやめました。
二000年の冬にまたこうみんかんで勉強をやることにしました。韓国から来たお兄ちゃんとお姉ちゃんもいっしょに勉強しました。
中学に行ったらこうみんかんの勉強をやめようと思いますが、がんばって勉強は続けるつもりです。(韓国)
○私の日本での生活
私は日本人の主人と結婚しました。去年の一月六日に日本に来ました。今はお母さんと主人と私の三人で住んでいます。初め料理はお母さんが作りました。買い物もお母さんがしてくれました。三月頃から、私も料理を作りました。今は私がほとんど作ります。いろいろな中国料理と日本料理も少し作ります。日本料理は、お母さんが教えてくれました。煮物や天ぷらも作れます。煮物や天ぷらは、中国では食べてないです。日本で初めて食べておいしかったです。
以前私は主人と京都へ行きました。京都の清水寺です。車で2時間かかりました。京都に着いたらくるまがいっぱいでした。清水寺は山の上で景色はきれいでした。上から下の景色をみると恐かったです。家に着いたのは夕方になりました。(中国)
○私のしゅみ
私は魚つりがとてもだいすきです。ひまがあるときよくうみにいってさかなつりをします。日本ではしきいつでもつりができるからいろいろな魚も食べられます。
きせつはちがいますから魚もちがいます。はるはいわしがつれます。なつもいわしがつれます。あきはかれいがつれます。ふゆはたちうおがつれます。じぶんでつった魚はしんせんで、とてもおいしいです。つりがいちばんおもしろいとおもいます。うみのくうきはほんとうにきれいです。そしてきもちもいいです。いくらつかれてもたのしみです。いつもじぶんでつりの魚をいっぱいもってかえったときはとてもうれしいです。(中国)
○お母さん
韓国には「遠くて近い国日本」という言葉がある。これは歴史的な背景がある為だと思うが、日本に来る前に私もその気持ちを持っている1人だった。それは日本に関連した本を読んだり、日本での生活経験がある人達にがある人達に聞いたりして、自分で感じたものではなく、他人の間接的な経験を自分のものとしたからである。
今、韓国にいる家族と離れて寂しいことがなによりの悩みである。一般的に考えると妻や子供に会いたいと思うものだが私の場合、今1人で住んでいる母にも同じくらい会いたいし、話をしたいのだ。私の母は昭和6年、日本の大坂で生まれ、8歳の時に韓国へ戻ってきた。祖母が早く病気で亡くなったために祖父一人で育てることができなかったからである。あの頃の日本にいた韓国人はだいたい貧乏な生活をしていたと聞いたが、私の母の家庭はもっと酷かったと聞いた。そして韓国の親戚に預けられて、一人で寂しい人生が始まったのだ。悲しい歴史の被害者として見るものではなく、あの時の事情が作った残酷な現実である。
韓国の南にある済州道に住んでいる母から、子供のころ「一度祖父と祖母の墓参り行きたい」との言葉を聞いたのだが、あの頃には正式に日本に来ることができなかった。
8年前に夏の休暇をとって地元に行ったら日本に住んでいる母の従兄弟が来た。二人は長い間離れていたせいか話が通じなくて、私が今から日本語の勉強をして役に立とうと自分に誓った記憶がある。それ以降母の夢を叶えてあげるという思いが日本語勉強をするのに大きな柱になった。頑張ってきた結果かも知れないが、会社で2年間留学する機会が与えられた。
夏休みに妻と子供を呼んで1ヵ月間日本での生活をしたことがあった。その時、家族と一緒に祖父の御墓参りに行った。電車に1時間乗って墓に到着した。私は感激して胸を打たれた。母にその話を国際電話したら、涙を流しながら「今になって両親に面目が立った」と言った。
今年夏休みに、母を日本に招いてもっと深い喜びを味あわせてあげたいと計画している。父が早く亡くなったので、寂しさとか、悩みとかが吹っ切れなかった母、70歳まで気掛かりだった両親墓参りは大きな意味がある。お墓で絶えず涙を流しながらもむせび泣くのを私は理解してあげようと思う。天国で見下ろしている祖父も、墓を訪ねた私の母を見て感激の涙を流すかも知れない。儒教の生活で子供のころから育てられた私は、親としての母の喜びがどこのあるか探して解決しなければならないと思った。その喜びを見ることができれば私にとって人生の大きな喜びになるはずだ。(韓国)
○日本の体験
私は向静(むこうしずか)です。中国のハルビンから来ました。もう1年経ちました。
日本へ来た時、日本語は全然解りませんでした。中国と日本とでは漢字の意味が違います。例えば豚という字は、中国ではイルカのことです。始めてスーパーへ行った時、イルカの肉だと思いびっくりしました。家族は4人です。ママは色々なことを教えてくれます。城内小学校で日本語を勉強する時は連れていってくれました。うれしかったです。でもしんどかったです。日曜日、主人はいつも私や子供と遊んでくれます。
中国に住んでいた時、海を見たことがありませんでした。日本で初めて海を見ました。去年の8月日本海へ行った時、台風が来ました。私は死にそうになりました。今は海が恐いです。
毎週水曜日私は大庄公民館で日本語を勉強しています。こどもはピアノを習っています。水曜日私達は一番忙しいです。
毎回出かける時車で行きます。だから電車に乗ることができません。
今年7月中国へ帰ります。中国へ帰ったら親戚や友達に会って麻雀をしたいです。そしておいしい物をいっぱい食べたいです。嬉しくて今からワクワクしています。(中国)
○私の食べたい物
私は今韓国の食べ物のとりカルビが食べたいです。私は韓国で友達や会社の人といっしょによく行きました。とりカルビはとてもおいしくてからいです。とりにくとコチジャンといろいろなやさいを入れます。フライパンで焼いて食べます。その食べ物といっしょにお酒を飲みます。とりカルビを食べたらごはんも食べます。その食べ物は色が赤いです。
友達3人と食べてお金は2500円ぐらいです。おなかがいっぱいになります。そこでたくさんはなします。おわってあした休みのときはカラオケへすぐ行きます。私はカラオケで韓国の歌を歌います。私はカラオケがだいすきです。日本の食べ物はちょっとあまいです。私は今から韓国の食べ物が食べたいです。私の母がつくった料理が食べたいです。私の母はキムチをつくるのがじょうずです。(韓国)
○お正月
初めて日本で迎えたお正月は嬉しかったです。
その時家族と一緒にごはんを食べたり、テレビを見たりしました。最後にそばも食べました。とてもおいしかったです。
でもその時私は中国のことを思い出しました。私の友達や親戚は今何をしているでしょう?中国の正月はことしが一月二十四日です。なつかしいですね。家族も子供達も一緒に遊びます。十二月二十三日の夜十二時にみんな一緒に花火をあげます。とてもにぎやかです。
私は日本に来てから今まで半年くらいです。長かったと思います。でも友達は少ないです。いつも一人で淋しいです。だからこの新しい一年一生懸命がんばろうと思います。日本語ももっと上手になりたいです。友達もたくさん作りたいです。そして家族みんな元気でいたいです。これは私の願いです。(中国)
○お茶会
この間私は公民館でお茶会をしました。学生は全部一緒に初めて和室で日本茶を飲みました。茶道の先生は全部着物を着ていて、きれいだと思いました。先生がお茶を作るとき、みんなはじずかに見ていて、すごくいい感じでした。そして、おかしを食べました。おいしかったです。おかしが甘くて、お茶が苦かったから、ちょうど合います。馬さんは三杯も飲みました。
みんなはおかしを食べたり、お茶を飲んだり、話をしたりしました。とてもうれしかったです。
でも初めて日本人と同じ正座で座りました。足がとても痛かったです。(中国)
○大阪で本を買います
先週、私は波多野先生と一緒に大阪へ本を買いに行きました。波多野先生は私に日本語を教えてくださっている先生です。
大阪まで電車で行きました。日本は交通がとても便利です。十五分くらいかかりました。JR大阪駅でおりました。人がたくさんいました。みんなはいそがしそうです。
本屋は駅の近くにあって、いろいろな種類の本があります。すぐに私達は本をさがしてお金を払いました。値段が高くてびっくりしました。中国の十倍くらいでした。
それから先生は私に大阪をいろいろ案内してくれました。時間はまだありましたから。私達は阪急三十二番街の二十七階に行きました。二十七階から大阪が全部見えます。車はおもちゃみたいです。高いたてものも沢山あります。すごいと思いました。
その日一日とても楽しい一日でした。(中国)
○私の将来
私の将来の夢は通訳になることです。
私は中国の上海から来た中国人です。日本に来てもう半年です。その半年の間に一生懸命日本語を勉強しました。でもそれではまだ足りないと思います。
今は中国も世界に開放しています。いろいろな国の人がよく中国に行きます。旅行とか貿易とか。もし通訳がいないと人は言葉に困ります。私が日本語と中国語の通訳が出来たら、交流は便利になるでしょう。中国と日本の文化と経済の交流もだんだん多くなります。私は中国と日本の交流に役立ちたいです。
私は小学生の時鑑真物語を読みました。とても感動しました。鑑真さんは一生懸命中国と日本の交流を促進しました。何回も失敗しましたが何度でも日本に行きました。自分の命も度外視しました。鑑真さんは何を考えていたのでしょうか?それは中日の掛け橋になりたかったのです。その鑑真さんの気高い志の影響で私も中日の掛け橋になりたいです。
私が通訳になって一番したいことはテレビで中国語の文法を日本人紹介することです。
将来私は通訳になって中国人と日本人を仲良くさせ交流も促進したいです。(中国)
○私の国
私の国は台湾です。沖縄の南の方にあります。日本の九州と同じくらいの大きさです。首都は台北市です。四季がありますけど、冬は日本より暖かいです。一番寒くても15℃くらいです。
台湾はやさいやくだものや米などを作っています。食べ物はおいしいし、やすいです。台湾は世界貿易が発展しています。得にコンピューターは世界で有名で、生活は豊かになりました。
台湾はアメリカ、中国、日本などいろいろな国の文化が入って来ました。だから言葉は英語、北京語、日本語が通じますが北京語が中心です。ふつう家庭では台湾語を話します。
台湾は故宮博物院が有名です。中国五千年の文化が見られます。中華料理も有名です。夜市や屋台はいっぱいです。食べることは幸せです。
もしチャンスがあったらぜひ一度遊びにいらっしゃいませ。(台湾)
○私のこども
私には八歳の息子がいます。はじめて日本へ来たとき、こどもは日本語が全然できませんでした。小学校の一年生に入りましたが、毎日の学校生活が、とてもさびしそうでした。ことばができないから友達もいなかったのです。夫と私は困りました。
でも、半年ぐらいしたら、クラスのこどもたちが家に来て一緒に遊ぶようになりました。こどもはとてもうれしそうでした。私たちもうれしかったです。
そして、こどもの日本語がだんだん上手になりました。いまではこどもが私たちの先生になりました。家で日本語を勉強するとき、わからないところがあっても、時々こどもが教えてくれます。子供に負けないように、私たちもがんばります。(中国)
○わたしの家族
山口蕾と申します。今で日本に来て二年間になります。
はじめは日本語が全然わかりませんでした。今、日本語が少し話せます。先生から教えてもらいました。本当に感謝しています。でももっと日本語が上手になりたいです。勉強はまだまだ続きます。
今、家の家族は主人だけ。主人は東洋製缶で仕事をしています。26年間働いています。家族のために一生懸命、がんばってくれていますので、やっぱりいい人だと思います。3月中頃、こどもが中国から日本へ来ます。家族一緒に生活して、幸せになると思います。こども今年10才、男の子、うるさいですが、でも可愛いです。これからわたしはだんだん忙しくなります。こどもの教育など、いろいろ教えなくてはなりません。私はがんばるつもりです。
5月からこども連れて一緒に公民館で勉強するつもりです。先生に教えてもらいたいです。こどもが早く日本語と日本の日常生活になれてくれることが、私の一番ののぞみです。(中国)
○私の生活
去年、10月に韓国から来て、今日本の学院で、日本語を勉強しています。
初めは日本語も全然わからないし、友達もあまりいなくてちょっと大変でしたが、今は慣れました。
私は、午前9時から午後1時まで学校で勉強をして、午後2時半からアルバイトをしています。
私はレンタルビデオの店せアルバイトをしています。
レンタルビデオは韓国語の映画とドラマがたくさんあります。
仕事はいいですが日本語の勉強にはなりません。お客様はほとんど韓国の人です。あまり日本語を使いません。
学校生活はきれいな先生に習いますから、毎日楽しいです。
授業が終わってまっすぐ店に行って、そらから昼ごはんを食べます。
わたしは朝から晩まで忙しいです。私は火曜日から日曜日まで働きます。学校へ行って、働いて、うちへ帰ったら1日が終わります。1日が短いです。1日36時間ぐらい欲しいです。(韓国)
○日本語の難しさ
大庄公民館は私達外国人には大事な場所です。字も言葉もわからない人に日本語をやさしく教えてくださる先生がいます。私達外国人は個性が強いところがありますけれど日本語の勉強だけは皆真剣です。日本語の教室はいつも明るさと活気に満ちあふれています。
公民館では基本の日本語からレベルが高い大学留学生まで様々ですが、外国人には当然日本語が必要です。けれどなかなか上手になりません。努力と長く続けることができる教室です。ボランティアの先生達は日本語が下手な私達にいつもこう言ってくれます。「絶対大丈夫ですから」と。異国での生活に勇気をくれます。私達外国人は勉強の相談や言葉の相談とともに生活の相談もします。それをちゃんと聞いてアドバイスしてくれるのはボランティアの先生方です。私も何年もお世話になっておりますのでもちろん色々なことを話します。色んなことに意欲がありますけれど、外国だとどうしたらいいか、わからないこと、やりたいこと、色々なことを教えてもらいます。この日本語の教室では自分に自信が持てるようになるし、目標をどんどん高めて行くように教えてくれます。理由は日本語ができるように教えてもらいますからこういう教室はいつまでも続けられるように私達はがんばります。ほんとにお世話になりました。ありがとうございました。(韓国)
○こころ
わたしのくにはハワイです。日本に6年住んでいます。
日本とハワイのしゅうかんはにています。げんかんでくつをぬぎます。ともだちをプレゼントをもってほうもんします。こころもにています。けがのときにはハワイ人も日本人もやさしいです。こどものこころもいっしょです。いちばんたいせつなものもいっしょです。それはかぞくです。それにともだちです。
ハワイではみしらぬ人もだいじにします。バーベキューのとき、みしらぬ人をさそいます。こどもたちがいちばんはやくともだちになります。それでいっしょにパーティーをします。
日本のこうえんでもいっしょです。こどもたちがすぐにあそびにきます。いつまでもこどものこころをおぼえておきたいです。(ハワイ)
○ペルー
わたしのくにはペルーです。ペルーはみなみアメリカにあります。ペルーはみっつにわけられます。いちばんめはうみのちかくです。そこにじんこうのはんぶんいじょうがすんでいます。しゅとのリマもうみのちかくです。あめはあまりふりません。ここにきれいなビーチがあります。
にばんめはアンデスさんみゃくです。5000メートルいじょうのたかいやまがあります。いちねんじゅうゆきがあります。ここにはゆうめいなマチュピチュいせきがあります。3000メートルいじょうです。マチュピチュはインカのいせきです。そのちかくにあるクスコはインカのじだいのしゅとです。そこではほしがきれいにみえます。じっとすわってむしのこえをきくとなにもかもわすれてすてきなときをすごせるでしょう。
さんばんめはジャングルです。まいにちたくさんのあめがふります。そこにはアマゾンがわがあります。ふねにのってジャングルのへびやさるやとりをみるのはたのしいです。つりがすきならピラニアがつれます。そしてジャングルのなかのりょうりはげんきがでます。(ペルー)
○中国と日本
私の国は中国です。私の街は、中国北部のハルビンです。
私の国は日本より大きいです。私のふるさとは、冬は寒くてマイナス25℃〜30℃ぐらいです。ふるさとはピンチョン(氷で家か動物を作って中に電気をいれます)が有名です。
わたしは1996年6月21日に日本に来ました。日本にくるとき、初めて海をみました。とてもきれいでした。
日本にきてから、日本語がわからないので困っています。ともだちがいますから、なにかわからないときはお世話になっています。
ともだちが大庄公民館を紹介してくれました。みんな日本語を勉強します。だから私はきました。日本語はむずかしいです。でもせんせいと一緒に日本語を勉強するのはたのしいです。先生ありがとうございます。(中国)
○私の国
わたしの国は中国です。アジアにあります。中国は大きくてひろいです。人口は日本より多くてじゅうばいあります。
中国には海があります。森林もあります。中国は長い歴史を持つ国です。ふるい寺がたくさんあります。しゅとは北京です。中国では北京語や上海語などたくさんの言葉があります。北京では冬になると、雪がふり寒いです。一番寒いときの気温は-15度までさがります。
北京の万里長城は有名で、やく2000年の歴史があります。わたしにとって行きたい所は北京の万里長城です。みなさん時間があったら、ぜひいってみてください。(中国)