監察官カンサツカンヒョウ (「^」はチイさい「ル」です)
トシ 監察官カンサツカン 特記トッキ
443 Lucius Papirius Mugillanus Lucius Sempronius Atratinus この政務官職の最初の保有者たち。人口調査が17年間行われなかったため、執政官を軍事的に自由にさせておくために設けられた。この監察官職は、モムゼン、ベーロッホ、最近ではR.V.クラムらによって疑わしいとされているが、ロイツェやニルソンらは執政官権限軍事護民官制度の創設と結びつけてこの監察官職を受け入れている。
  貴族:444補欠執政官、443監察官(ルーキウス・パピーリウス・ムギ^ラヌス) 貴族:444補欠執政官、443監察官(ルーキウス・センプローニウス・アートラーティヌス)
     
     
435 Gaius Furius Paculus Fusus Marcus Geganius Macerinus カンプス・マルティウスにあった公共建築物ウィー^ラ・プーブリカで承認され、そこで監察官として任命された最初のケース。その任期は1年半に限定されていた。モムゼンはこの年の監察官を最初の確実な監察官職と見なしている。
  貴族:441執政官、435監察官(ガーイウス・フーリウス・パクルス・フースス) 貴族:447,443,437執政官、435監察官(マールクス・ゲガニウス・マケリヌス)
      426執政官シッセイカン権限ケンゲン軍事グンジ護民官ゴミンカン  
430 Lucius Papirius Publius Pinarius キケローの『国家論』2.60によると「監察官ルーキウス・パピーリウスとプブリウス・ピーナーリウスが罰金を宣告することによって多くの牛馬を私人から公の所有に移したため、執政官ガーイウス・ユーリウスおよびプブリウス・パピーリウスの法律により、罰金を軽減する家畜の査定が定められた。」
  貴族:430監察官(ルーキウス・パピーリウス) 貴族:430監察官(プーブリウス・ピーナーリウス)
     
418 Lucius Papirius Mugillanus ? パピーリウスの同僚の名前は残っていない。『公職暦表』にはL.Papirius L.[----]とある。
  貴族:427執政官、418監察官(ルーキウス・パピーリウス・ムギ^ラヌス)
      422執政官権限軍事護民官  
403 Marcus Furius Camillus Marcus Postumius Albinus Regillensis 『プルターク英雄伝エイユウデン』カミ^ルスデン2.によると、「そのケーンソルとしての在職中立派な業績と記録されているのは、結婚していない男達を、言葉で勧めたり罰金で脅したりして、度々の戦争に寡婦となったものが大勢いたので、それらの女達を娶らせたことであり、やむを得ない処置と認められているのは、それまで納税を免れていた孤児達に税を納めさせたことである。その原因は、多大な費用を必要とする戦争が長引き、ことにウェーイイーに対する包囲は財政を逼迫させたからである。」
  貴族:403監察官(他1回?)、401,398,394,(マールクス・フーリウス・カミ^ルス) 貴族:426執政官権限軍事護民官(マールクス・ポストゥミウス・アルビーヌス・レーギ^レーンシス)
      386,384,381執政官権限軍事護民官     403監察官
      396,390,389,368,367独裁官  
     
393 Lucius Papirius Cursor Gaius Julius Jullus コルネーリウスは、監察官職にあって死亡したガーイウス・ユーリウスの代わり。ローマが占領されたこの期間中に、もし片方の監察官が死亡したならばもう一人の方も監察官職を退くという原則となった。彼らはルクレーティウスを元老院主席に指名した(Liv.5.55.前390年)。
  貴族:393監察官(ルーキウス・パピーリウス・クルソル) 貴族:408,405執政官権限軍事護民官(ガーイウス・ユーリウス・ユ^ルス)
      387,385執政官権限軍事護民官     393監察官
    Marcus Cornelius Maluginensis
    貴族:393補欠監察官(マールクス・コルネーリウス・マルギネンシス)
389 ?Marcus Furius (Fusus?) ?Lucius Papirius (Mugillanus?) この監察官職は非常に疑わしい(詳細ショウサイヤク問題モンダイのため先送サキオクりする)。
  貴族:403執政官権限軍事護民官(マールクス・フーリウス(・フースス)) 貴族:389?監察官(ルーキウス・パピーリウス(・ムギ^ラヌス))
      389?監察官     380執政官権限軍事護民官
380 Gaius Sulpicius Camerinus Sprius Postumius Albinus Regillensis 『ローマ市建設以来の歴史』6.27.4-5.によると、「任期中にポストゥミウスが死んだ時、すでに彼らが仕事に着手していたため、他の同僚監察官を選ぶことには宗教上の疑念があった。そのためその後スルピキウスは職を辞し、他の監察官が選ばれたが、彼らの選挙に過失があったため、結局職に就くことはなかった。」 『共和政キョウワセイローマの政務官セイムカンタチ』のチュウ2によると、「この監察官職はミュンツァーにとベーロッホによって疑わしいとされた。なぜなら、前380年の執政官権限軍事護民官の数が多く、またスルピキウスとポストゥミウスの名が前366年の監察官として再度現れるからである。(しかしクラムによると)新たな監察官をすぐ前378年に選ぶということは伝承が恐らく正しいのであろうということを示しており、前366年の監察官が同じ人物だという証拠はない。」
  貴族:382執政官権限軍事護民官(ガーイウス・スルピキウス・カメリーヌス) 貴族:394執政官権限軍事護民官(スプリウス・ポストゥミウス・アルビーヌス・レーギ^レーンシス)
      380監察官     380監察官カンサツカン
     
378 Sprius Servilius Priscus Quintus Cloelius Siculus 戦争によって、その仕事の達成を妨げられた。
  貴族:378監察官(スプリウス・セルウィーリウス・プリースクス) 貴族:378監察官(クィーントゥス・クロエリウス・シクルス)
366   Postumius Regillensis Albinus Gaius Sulpicius Peticus 前365年には監察官の一人(ポストゥミウス)が死亡している。
  貴族:366監察官(ポストゥミウス・レーギ^レーンシス・アルビーヌス) 貴族:380執政官権限軍事護民官(ガーイウス・スルピキウス・ペティクス)
        366監察官、358独裁官
        364,361,355,353,351執政官
363 Marcus Fabius Ambustus Lucius Furius Medullinus  
  貴族:381,369執政官権限軍事護民官(マールクス・ファビウス・アンブーストゥス) 貴族:381,370執政官権限軍事護民官(ルーキウス・フーリウス・メドゥルリーヌス)  
      363監察官     363監察官  
351 Gaius Marcius Rutilus Gnaeus Manlius Capitolinus Imperiosus マルキウスは平民で最初の独裁官となった人で、また平民で最初の監察官ともなった。
  平民:357,352,344,342執政官(ガーイウス・マルキウス・ルティルス) 貴族:359,357執政官(グナエウス・マーンリウス・カピトーリーヌス・インペリオースス)
      356独裁官、351監察官     351監察官、345騎兵隊長
Lucius Cornelius Scipio Publius Cornelius Scipio この記録を残したウェ^レーイウス(ティベリウス帝治下の歴史家)が、明確に監察官としてではなく、単に同じ官職の同僚だった兄弟について考えている可能性があるため、この監察官職は疑わしい。もし監察官を意味しているのだったとすれば、その就任年は、監察官のうち一人は平民でなければならないと定めた前339年のプーブリリウス法が作られるより前であるはずである。
340 貴族:350執政官、〜340?監察官(ルーキウス・コルネーリウス・スキーピオー) 貴族:〜340?監察官(プーブリウス・コルネーリウス・スキーピオー)
        (350騎兵キヘイ隊長タイチョウ同一ドウイツ人物ジンブツ?)
     
332 Quintus Publilius Philo Sprius Postumius Albinus (Caudinus) 新しいラテン市民を登録し、マエキアトリブスとスカプティアトリブスを追加した。
  平民:339,327,320,315執政官、339独裁官(クィーントゥス・プーブリリウス・フィロー) 貴族:334,321執政官、332監察官(スプリウス・ポストゥミウス・アルビーヌス(・カウディーヌス))
      336法務官、335騎兵隊長     327騎兵隊長
      332監察官  
319 ?Gaius Sulpicius Longus ? 『公職暦表』の記述は[--Su]lpicius Se[--](Seは彼の父Serviusを意味する)。もう一人の監察官の名前は失われている。彼らは任期を全うすることなく恐らく職を辞したのであろう。なぜならば前318年に他の人物が監察官に選ばれているからである。
  貴族:337,323,314執政官、319?監察官(ガーイウス・スルピキウス・ロングス)  
      312独裁官  
318 Lucius Papirius Crassus Gaius Maenius
貴族:318監察官(ルーキウス・パピーリウス・クラッスス) 平民:338執政官、320,314独裁官(ガーイウス・マエニウス)
    318監察官