キネアス ?-? キネアスは大弁論家デモステネスの弟子で、当時としては並ぶものなき弁論家であり、ピュルロスの許で方々の町に派遣されてはそれらの町を降伏させ、或いは味方につけるのに大いに力がありました。ピュルロスは常々「自分が武器を以て得たよりも多くの町をキネアスが言葉を以て得た」と言っていたということです。ピュルロスはこの人物を非常に尊敬して使っていました。 しかしキネアスもピュルロスの度を越した戦争熱にはちょっと言いたいことがあった様です。ピュルロスがタレントゥムの来援に応じてイタリアへ遠征する為の戦備をすすめていたころ、キネアスはピュルロスが寛いでいるところへ来て話しかけました。 「王様、ローマ人は優れた軍人であって多くの勇猛な民族を支配していると言われていますが、神の思し召しでこの人々に勝つことが出来たとすれば、我々はその勝利をどう使いましょう。」 するとピュルロスは言いました。 「キネアス、お前は分かりきったことを聞く。ローマ人が屈伏すればあそこには我々の相手になるような町は蛮族にしろギリシャ人にしろいないのだから、すぐさまイタリア全体を手に入れる。あそこの大きさと富と力は余人は知らず、お前に分からない筈はあるまい。」 キネアスは暫く間をおいて言いました。 「それでは王様、イタリアを取ってから我々はどうしましょう。」 ピュルロスは未だキネアスの意向を見抜かずに言います。 「シキリアが手を差し延べている。あれは豊かな人口の多い島だが、取るのは至極易しい。アガトクレスが死んでから(シラクサを28年間独裁してのち72歳の時、前289年毒殺された)あそこでは今も全く町々の分裂と無秩序と煽動政治家の跋扈があまねく見られる。」 するとキネアスは言いました。 「なるほど、仰る通りでしょう。しかしシキリアを取れば我々の遠征が終わりになりますか。」 それに対してピュルロスは言いました。 「神は勝利の成功を助けて下さるだろう。これらを手掛かりにして、我々は大きな事業に進む。シキリアを取ったならば、リビアやカルタゴが手の届くところまで来ているというのにそれをそのままにしておく奴があるか。これらを征服すれば今失敬な態度を取っている敵が一人として我々に手向かう者がなくなることは言う必要があるまい。」 キネアスは言いました。 「ございません。それほど強大な勢力を持てばマケドニアを取り戻して確実にギリシャを支配することが出来るのは明白です。しかし全てのものが我々の配下になったら、それからどうしましょう。」 ピュルロスは笑って言いました。 「そうすればうんと暇になるから、お前、毎日宴会をやって、集まった者同士気持ち良く話し合うさ。」 ピュルロスをやっとここまで議論で引っ張ってきてキネアスは言いました。 「それでは、血を流したりえらい労苦や危険を冒したり、多くの災いを人に加えたり自分達が被ったりしなくても、今ここで酒盛りをして互いに暇を楽しむことは出来ないのでしょうか。」 結局この議論によってもピュルロスの気持ちは翻らず、キネアスはいつも通り軍隊に先発して町々と交渉する役を仰せつかることになります。しかしキネアスの弁舌も見事なら、ピュルロスの壮大な夢も見事なものです(笑)。 また、イタリアでの戦いの時、ローマ軍を屈伏させることが容易ではないと知ったピュルロスはキネアスをローマに送り、懐柔させようとしましたが、ローマの人は誰一人として懐柔にのらず、かえって「ピュルロス軍がイタリアから去らないうちは決して講和しない」と返答します。送り返されたキネアスがピュルロスに報告して「元老院というものは大勢の王の集会であるかの様に見える」と言ったというのは有名です。 私がキネアスに就いて初めて知ったのはルソーの「エミール」でです。ルソーに限らず西洋の思想家というのは知っててあたりまえのこととしてぽんぽん古代ギリシャ・ローマの人物の逸話を出してくるので、知らない間は半分ぐらいしか理解出来なかったものです。 次回はこれまたルソーの処女作「学問芸術論」に演説をしに特別出演している(笑)ファブリキウスです。 |