Dream comes true


 とある街の外れに建つ教会には、主である牧師夫妻によって、身よりのない子供達が引き取られ、育てられている。
 決して裕福な暮らしはできなかったが、けれども、この教会から笑い声が絶えることはない。
 子供達の笑いさざめく声。
 元気に遊び、また、それぞれに分担された仕事をこなす子供達。
 貧しいながらも、満足感の得られる生活。
 そして、傍らには…。
「あなた?」
 初めて聞いたときより幾分落ち着いた、耳に心地よいソプラノの声。
 ふと、ウルフウッドは我に返った。
 ここは、彼の経営する孤児院も兼ねた教会の一室である。
 夜のとばりの下りたこの時間、子供達は皆それぞれに夢の中でまどろんでいる。
 今、起きているのは彼と妻の二人きりだ。
 ウルフウッドは椅子に腰掛け、テーブルで頬杖をつきながら、ぼんやりと考え事をしていた。その青みがかった灰色の瞳を、暖炉の前の椅子に座る、愛しい女性に向けたまま。
 先程から自分の顔を見つめていた夫の視線に、ミリィは首を傾げた。そして、今度は具体的に問いかける。
「あの、私の顔に何かついてます?」
 ウルフウッドは微笑んだ。
「いや、ハニーがかわええなぁ、と思たんや」
 ミリィは瞬きをすると、にっこりと笑いかける。
「うふふ、あなたこそ素敵ですよ。格好良くて、優しくて、頼りになる、私の自慢の旦那様です」
「せやろかなぁ…」
 過大に感じられるミリィの評価へ疑問を抱いたウルフウッドに対して、彼女は大きく頷いた。
「はい!……あ」
 元気良く声を出したミリィは、慌てて口をつぐむと、自分の腕を見下ろした。
 彼女の腕の中からは、小さな寝息が聞こえてくる。
 ミリィはほっとした表情を浮かべると、ウルフウッドに顔を向けた。
「あなたと一緒に家に帰った時、大姉ちゃん達も友達も、みんなびっくりしてたんですよ。どこでこんな素敵な人と知り合ったんだって」
 ウルフウッドは苦笑した。
 そして、結婚前に彼女の実家へ挨拶に行った時のことを思い出す。
 この時は、ミリィの一家が家族総出で末娘の婚約者を歓迎してくれたのだ。
 一応定職には就いているものの、どこの馬の骨ともつかぬ男であり、その実入りなど雀の涙と言っても過言ではない。
 仕事柄、そうは取られないかもしれないが、それでもある意味ヤクザ者というレッテルを貼られてもおかしくない人間に対して、ミリィの家族の反応は違っていた。
 まず、姉たちはウルフウッドを一目見るや、妹の手柄を褒めそやした。甥っ子や姪っ子たちはすぐに彼に懐いてくれたし、男兄弟たちとは一悶着あったものの、それぞれに納得してくれたようだった。
 彼女の父親は感慨深げに娘の婚約者と酒を酌み交わし、母親は、穏やかに微笑んでいた。
 そして、一人一人から、折に触れ彼女のことを色々な言葉で託されたのである。それは優しい言葉であったり、励ましの言葉であったり、軽い口喧嘩に始まる騒ぎであったりしたのだが。
 何より彼が驚いたのは、たった一日で新参者を打ち解けさせた、家族の雰囲気そのものだった。さすがミリィの家族だと感心したのは言うまでもない。
『あの子はのんびりしてるけど、人を見る目は確かなのよ』
 二日目の夜、初日よりも盛り上がった席の片隅で、家族の様子を眺めていたウルフウッドに、ミリィの母が話しかけた。
『ミリィが選んだ人ですもの、あの子を幸せにしてくれると信じてるわ。それから…ここはあなたの家になるんだから、たまには顔を見せに来てちょうだいね』
 お人好しもここまで来れば立派な武器だと思う。…そう、思いながら。
『おおきに』
 自然と、礼の言葉がウルフウッドの口をつく。
 ミリィの母親は、そんな彼に皺の刻まれた手をさしのべ、その頬に触れた。そして、やわらかく微笑む。
『いい子ね。……ニコラス、ミリィをよろしくね』
 ミリィとは少し異なる、けれどもよく似た口調のアルトの声。
 ウルフウッドは、頷いた。
『ワイにとってもあのコ…ミリィはかけがえのない娘なんや。大切にするわ。泣かせたりせぇへん』
 彼女の笑みが深くなった。ミリィの母親というには少し年輩のように感じられるが、七人の子供を産んで育てた女性である。その顔や手足に刻まれた皺のひとつひとつに、年を重ねた苦労と歓びがあると、そう思えた。
 ミリィのほがらかで天真爛漫な性格を培ってきた、とても暖かく、優しい居場所。
 そして……。
 ウルフウッドは、赤ん坊を腕に抱き、自分に笑いかけている妻を見る。
 席を立つと、彼はミリィに歩み寄った。背後から、そっと彼女を抱きしめる。
 ミリィは夫の腕に頭をもたせかけた。
「どうしたんですか?」
「ちぃっとな、思い出しとった。ハニーの家に行ったときの事や」
 ミリィが小さく声に出して笑った。
「あなたってば、いきなり中兄ちゃんと口喧嘩しちゃうんですから。あの時はびっくりしましたよ」
 ウルフウッドも苦笑を漏らす。
「そら、すまんかったなぁ。せやけど売ってきたのは兄ちゃんの方やで」
「うふふ。しかも、中兄ちゃんが言い負かされるなんて思いませんでした。だけど、中兄ちゃんがケンカするのは、相手が仲良くなりたい人なんですよ。だから、嬉しかったです」
「ああ、解る気ぃするわ。ここのガキ共もようケンカしとるやろ」
 喧嘩は本音をぶつけるからこそできることだ。建前で飾ることなく話す相手としかできないことでもある。
「そうですね〜。毎日みんな元気ですよね」
 ミリィはウルフウッドの腕の中から、子供達の部屋へと続くドアを見やった。
 それぞれにどんな夢を見ているのだろうか。
 不意に、ミリィの肩に軽い重みがかかった。
 そして、髪に触れるやわらかな感触。
「…夢やったんや」
 彼女は気づいただろうか。ウルフウッドがその栗色の髪に、口づけを落としたことに。
「どんな夢ですか?」
 静かに、染み入るような声音で、ミリィは夫に問いかける。
 妻を腕に抱きながら、ウルフウッドは目を閉じた。
「気だてのええ子供好きなコと一緒に、この教会で暮らしていく夢、見とったんや。ここで孤児院始めた時から、ずっと」
 甘い理想だからこそ夢なのだと、思っていた。
 手が届かぬが故の、夢。
 不意に、彼の腕の中で、ミリィが身じろぎをした。
 目を開いたウルフウッドが彼女を抱きしめていた腕を解こうとした、その時。
 指先に、あたたかな、やわらかいものが触れた。
 手のひらにしてはやわらかすぎる。それに、ミリィはこれほど体温が高くない。
 一瞬訝しんだ彼の耳に、小さな寝息が聞こえてきた。
「…ミリアム、か…?」
 それは、彼の娘の名前。
 二人の長男のニコルが生まれる前に、ミリィに乞われてウルフウッドが考えた名前だった。
 それから七年が経ち、ミリィが二人目の子供であるミリアムを身ごもった時、仕事を辞めた彼女を連れて、家族全員でこの孤児院に引っ越してきたのである。
 以来、ウルフウッドとミリィは二人で孤児院を経営しながら、生活をしていた。
 ミリアムが生まれたのは、ここへ移ってから半年後のことである。今から一年程前になるだろうか。
 そのミリアムの頬に、ウルフウッドの指先が触れたのだ。
「私、ここに来て良かったです」
 ウルフウッドはわずかに身を起こして、腕に抱いたままの妻を見やった。
 ミリィは夫を見上げると、静かに微笑む。
「あなたの育んできた家で、あなたの子供達と一緒に、みんなで暮らしたいって、ずっと思ってました。ちょっと時間がかかっちゃいましたけど、夢が叶って嬉しいです」
 出会った頃より落ち着いた言動になった彼女。しかし、本質は変わっていない。そして、これからも、決して変わることはないのだろう。
 夢は叶うと、彼女は言う。
 その言葉から、ひとつの記憶がウルフウッドの中に蘇る。
 九死に一生を得た自分に、幸せを望むことは罪にはならないと……それを教えてくれたのもまた、彼女であった事を。
「…せやな、夢っちゅうんは叶えられるモン、か…」
 彼女の言葉に、幾度救われてきたのだろう。
 ──進むべき方角を見失ったとき、それを知らしめる星のような女性。
 けれども。彼女は、空に輝き、人を見下ろすだけの星ではない。
 ウルフウッドはそっとミリィを抱きしめた。
 そして、彼の腕の中で。ミリィは微笑みを返す。
「だから、私はここにいるんですよ?」
「…ホンマやな」
 ウルフウッドが小さく笑う。
 そして、彼は優しくミリィに口づけた。

──Fin

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<あとがき>
 …多分この話をここで初めてお読みになる方の方が少ないかと思うんですが(笑)、ウルミリ秘密結社の企画実験室に投稿した話です。
 「星」をテーマとした話、ということで、定番だなぁと思いつつも、ミリィを星に見立てたストーリーになりました。しかも結婚後、孤児院で暮らしている二人…というドリームパラレルな話です。
 ここからは私の勝手に考えたパラレル話になるんですが、この話のバックグラウンドを、少し。アニメでは牧師が生き残った後、彼はミリィと結婚して、生まれてきたニコルと共にディセムバで暮らしつつ、月の半分は孤児院にいる、ということになります。ミリィも長期の休みが取れると孤児院に通っているんですが、本職は保険屋さん。で、7年後に二人目の子供を身ごもったのを機に、ミリィはベルナルデリを退職、ウルフウッドやニコルと共に孤児院で暮らすようになる…という設定です。
 牧師が生き残ったら…という事を考えた時、実は大まかにここまで話を組んでいたんですよね(笑)。
 この二人にとって、乗り越えなくてはいけない壁はたくさんあると思います。
 でも、ウルフウッドとミリィが一緒なら…家族が一緒なら、子供達と一緒なら。幸せになることができるんじゃないかと……そう、思います。