いたずらごころ


「ウルフウッド?」
 名前を呼ぶと、彼が振り向いた。
 ガラス越しに見えるその瞳には、目を丸くしたヴァッシュの顔が映っている。
「なんや、ヘンな顔しくさって」
 ウルフウッドが不審そうに問いかけると、ヴァッシュは表情を変えずに彼に近づいた。気づかずに通り過ぎた数歩だけ歩み寄り、まじまじと相手の顔を見る。
「…君、そのメガネどうしたの?」
「酒場でちぃっとな」
 眼鏡のつるをいじりながら、ウルフウッドは得意げな笑みを見せる。どうやら、賭けのカタに頂戴したものらしい。
 そう、彼は眼鏡をかけていたのである。眼鏡といっても、いつものサングラスではない。度が入っているのかはわからないが、色のついていないものだ。
 普段なら間違っても見過ごすことはない相手だが、考え事をしていたことも手伝って、すれ違った時もヴァッシュは彼にまったく気づかなかった。
 それにしても、眼鏡ひとつでこれだけ印象が変わるとは。
「度は入ってへんけど、やっぱり見づらいわ……どないした?」
「いや、君が真面目な人に見えたから」
「どーゆーイミや」
 ウルフウッドの言葉に、ヴァッシュはしれっと言ってのける。
「メガネって印象変わるんだねぇ。自分がかけてると気づかないんだけど。いや、意外意外」
「…それで気ぃつかんかったんか?」
 先程の不機嫌はどこへやら、ウルフウッドは少し眼鏡を下ろしながら、上目遣いにヴァッシュを見た。
 ヴァッシュはいつもの笑みを浮かべる。その中には少しだけ、苦笑が混じっていた。
「うん。ちょっとびっくりしたな。サングラスかけてる君は見慣れてるけど、普通の眼鏡をかけてるところは見たことがなかったし」
 ウルフウッドは顎に手をあてた。何やら思案しているらしい。
 やがて、彼は楽しそうな表情になると、人の悪い笑みを浮かべた。
「オモロイこと思いついたわ」


 宿を出たウルフウッドは、早速市場へと足を向けた。
 風をはらんでコートの裾が広がる。きっちりと留められた襟元を少しこそばゆく感じながら、タイに手を伸ばした。
 と。道の向こうから、目標の人物が歩いてくる姿が瞳に映る。
 伊達眼鏡をかけなおし、真面目な表情を作ると、ウルフウッドはゆっくりと二人に近づいた。
 二人──メリルとミリィは、それぞれに荷物の入った紙袋を持ちながら、何事かを話している。
 ふと、ミリィが前を見た。
「あれ?ダーリン!」
 言うなり、彼女は満面の笑みを浮かべて駆けてきた。
 しかし、一方のメリルはキョロキョロとあたりを見回している。
 ミリィは迷わず彼に近づき、立ち止まった。
「どうしたんですか?その格好」
「…いや、驚かそう思たんやけど」
「え!?ウルフウッドさん、ですの?」
 今度は驚いた声が耳に飛び込んできた。こちらは予想通りである。だが、ウルフウッドはメリルを騙しおおせたことよりも、一目で自分を見破ったミリィの眼力に驚いていたのだ。
 ウルフウッドは伊達眼鏡をかけているだけでなく、普段の開襟シャツの襟元をきっちりと留めてネクタイを締め、その上白いコートを着ていたのである。
 こう言ってはなんだが、下手な変装よりわかりにくい化け方だと自負していたのだ。
「そうなんですか?ちょっとびっくりしましたけど、眼鏡も似合いますね」
「ワイとしては、驚いたリアクションが欲しかったんやけどなぁ」
 苦笑を浮かべながら、ウルフウッドは伊達眼鏡を外した。
 彼に歩み寄りながらまじまじとその顔を見ていたメリルが、感心したように言う。
「こうして見ていると普通の人のようですわね。いっそこれからもその格好でいらしたらどうですの?」
「そらあかんわ。身動きとれへんやん。暑っ苦しいで、こんな格好」
 ネクタイを外し、いつものようにシャツの胸元を開くと、ようやく普段の彼らしくなった。それでも白いコートのせいか、少しばかり違和感が残る。
 そんなウルフウッドを見つめて、ミリィがにっこりと笑った。
「やっぱりダーリンはこうでなくっちゃ、ですね」
「せやな。気ぃ楽になったわ」
「…ってゆーか、君って意外と子供っぽいねぇ」
「きゃ!」
 突然上から降ってきた声に、思わずメリルは紙袋を抱きしめて振り向いた。
 案の定、いつもの笑顔を浮かべた人間台風が立っている。
「いきなり背後に立たないで下さいな!」
「ごめんごめん、驚かせるつもりはなかったんだけど」
「あなたもウルフウッドさんに負けず劣らず子供っぽいですわよ」
 照れ隠しも手伝って、メリルはつっけんどんな態度をとる。一方のヴァッシュは全然こたえていない様子で、傷ついちゃうなー、などと言っていた。
 それを無視してきびすを返しかけたメリルの手が、不意に軽くなった。
 見ると、先程までメリルの手にあった荷物を持ったヴァッシュが、彼女にいたずらっぽい笑みを向けている。
「重い荷物があるんなら、言ってくれればいいのに」
「そんなに重くありませんわ。それに、あなたと一緒に外を歩いたら、騒ぎが起こりかねませんもの」
「信用ないねぇ」
 とはいえ、せっかく持ってくれた荷物を取り返すわけにもいかず、メリルは胸の前で両手を合わせた。
「…その、ありがとうございます」
 小さな声だったが、ヴァッシュにはちゃんと聞こえている。彼は嬉しそうにメリルを見た。
 不器用ながらも互いを気遣う二人の隣では、相も変わらず夫婦漫才が続いている。
 いつの間にか、こちらもミリィの荷物がウルフウッドの手に渡っていた。
「ハニーは人混みの中で友達見つけるんが得意なんか?」
「そうですね〜。かくれんぼは得意でした。どうしてですか?」
「いや、さっきのアレな、まさか一目で見破るとは思わんかったんや」
 ミリィと話しながらも、白いコートが視界の隅に映っている。身だしなみを整え、眼鏡かけた上、上に羽織ったコートは普段と正反対の色である。かなり印象を変えたつもりだったのだが。
 けれど、悪い気はしなかった。捜してくれる人がいて、自分を見つけられる人がいる。そんな、些細なことだけれど。
「そうですか?でも私ダーリンなら女の人の格好しててもわかると思います!」
「…いや、それはさすがにマズイやろ」
 苦笑を浮かべるウルフウッドに、ミリィはえへへと笑い返す。
 その笑顔が、非常に楽しそうに見えたのは、気のせいだろうか。
「……まさか、本気やないな?」
「結構カワイイと思いますよー」
 にこやかに笑うミリィを見ていると、あながち本気なのではないかと疑ってしまう。
 彼女の言葉は、直訳すればいつでも見つけられるということだろう。その気持ちは嬉しいのだが、少しばかり複雑な感情を抱いてしまう。
 ウルフウッドは肩を竦めた。
「まぁ、ええわ」
「え?」
「いや、そういう意味とちゃうで。ちゃう意味で、ええと思ただけや」
 彼女の眼差しに期待を感じ取り、彼は即座に言葉の意味合いを否定する。
 きょとんとしていたミリィはすぐに笑顔を見せた。返事がなかったところを見ると、やはり冗談だったのだろう。
 ……本気でなければいいのだが、と、ウルフウッドはそう思わずにはいられなかった。


──Fin

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<あとがき>
 元ネタは某所のチャットです。牧師が眼鏡をかけたら…という話をしまして、その後さがみさんの眼鏡牧師のイラストを拝見した時、プロットができました(笑)。(眼鏡だけでもツボなのに、この牧師は白衣姿なんですよ!おいしすぎます!!ちなみにさがみさんの眼鏡牧師はこちらです☆) さすがに白衣だと目立つので白コートにしたんですが…あんまり違わないかも(笑)。
 そういえば、4人が一緒にいる話は久しぶりですね。ちょこっとずつになりますが、ヴァッシュとウルフウッドの会話や、ヴァッシュ&メリル、ウルフ&ミリィ、それぞれのシーンが書けて楽しかったです〜。