とっぷりと夜も更け、街中が静まり返る時間。 何故かふと目が覚めてしまったミリィは、ベッドの中で寝返りをうった。 ……落ち着かない。 いつもなら一度眠ってしまうと朝まで起きないはずなのに、どうしても眠ることが出来ないのだ。 ──先輩やヴァッシュさん、牧師さんはもう寝ちゃったかな……。 ミリィは一緒に旅をしている3人の顔を思い浮かべてみた。 フィフス・ムーン事件後に一度別れてしまったが、今は4人で旅をしているのだ。 メリルとミリィはヴァッシュの監視役として。ウルフウッドはヴァッシュと行き先が同じらしい。彼を中心に、4人が共に旅をしている。 一緒にいられることが、とても楽しい。 ……けれど。 ふと頭をよぎる思い。 ──いつか、旅が終わって別れ別れになってしまう日が来る。始まりがあれば終わりもまたやって来るものだ。 それがいつになるかはわからないけれど。 そして、その思いと共にわきあがった不安。 『人生っちゅうのはわからんもんやわ』 『え?』 『“一寸先は闇”っちゅうことわざがあるやろ?大概悪い方に使われるもんやけど、実際、次の瞬間にええことがあるんか悪いことが起こるんか、わからへんと思てな』 この言葉を口にした時、珍しくウルフウッドが不思議な表情を見せた。 とても穏やかで静かだけれど、不思議な……。どこか、見ていて落ち着かなくなるような、そんな表情だった。 普段彼はこんな話をしたことがない。この時は、酒に酔って口が軽くなったのだろうか。 ウルフウッドはよく喋るタチだが、軽口を叩くことが多く、こんな話題が口にのぼることは滅多にない。 だから、印象に残ったのかもしれなかった。 「…一寸先は…」 声に出してみたものの、最後の言葉は飲み込んでしまった。 なんとなく、口にしたくなかったのだ。 『出会いに別れはつきもんや。そして、再会もな』 伝え聞いたものだが、これも彼の言葉だった。 再会を期する別れなら、こんな気持ちにはならない。あの時はそうだった。前向きに考えられたはずなのに。 ……不安で仕方ないのだ。一緒にいる4人の誰かが突然いなくなってしまうような、そんな気がして。 そして、それが現実になる可能性もありえることが、ミリィを更なる不安へとかきたてる。 ミリィは思い切ってベッドの上で身を起こした。 ハンガーにかけていたコートをはおり、そうっと部屋のドアを開ける。 ──何か、飲んでこよう。そうしたら眠れるかもしれない。 足音を立てないよう注意しながら、ミリィは静まり返った宿の階段を降りていく。 さすがにこの時間では、宿でも起きている者はいないらしい。 足元へ差し込む白い月明かりに、ミリィはふと廊下の窓を見やった。 窓の外には3つの月が浮かんでいる。 晧晧とした月明かりは、人の気配をすべて隠してしまったようだ。 月は綺麗だと思う。夜の空気は刺すように冷たいが、どこか心地良い香りを含んでいる気がして、落ち着くように思えたのに、今は何故かひどく寂しさを感じてしまうのだ。 「…こんな夜中にどないしたんや?」 「ひゃあっ!!」 突然降ってきた声に、ミリィは思わず大声を上げた。 振り向くと、少しばかり唖然とした顔のウルフウッドが、階段の踊り場から彼女を見下ろしている。 ミリィの心臓はロビー全体に響きそうなほど大きく鳴っていた。 「ぼぼ、牧師さん…?」 「…いや、ちっと驚かしてしもうたな、カンニン」 「い、いえ私こそ大声出してすみません。まさか牧師さんがまだ起きてると思わなくて」 「そろそろ寝よか思たんやけど、ハニーの部屋のドア開く音が聞こえたんで、気になってな」 「え、聞こえたんですか?足音立てないように気をつけたつもりだったんですけど」 「ワイは耳がええんや」 ウルフウッドのウインクに、ミリィもようやく笑みを返すことが出来た。 「ダーリンってば、すごいですね〜」 「あったりまえやないか。可愛いハニーのことやったら何でもわかるで」 「いやですよー、もう…」 不意に。 ミリィの瞳から涙がこぼれ落ちた。 「あ、あれ?」 一瞬きょとんとしたのち、ミリィは慌てて両手で目をこすった。しかし、何故か涙は止まらない。 「す、すみません。何でもないんです。ごめんなさい」 目をこすり始める直前に、ウルフウッドの驚いた表情が見えた。話していた相手にいきなり泣き出されたら、誰でも困惑するだろう。 ミリィは言い訳しながら何とか涙を止めようとするのだが、それは一向に収まる気配がない。むしろ後から後から涙がこぼれ落ちてしまうのだ。 泣きながら困っていた彼女の背に、暖かい手が触れた。 と思う間もなく、ミリィはウルフウッドに抱き寄せられていた。 「涙が出るんやったら泣いたらええ。無理に我慢する必要はないんやで。──泣きたい時に泣けんのは、つらいわ」 「…すみま…せ…」 「謝らんでええ。……大丈夫や」 彼の声音のあまりの優しさに、こらえていたものが溢れだす。 軽く背を叩くウルフウッドの手に安心できたのか、ミリィは素直に泣き出した。 |
泣くだけ泣いてしまうと、後には恥ずかしさが残ってしまう。 泣き止んだミリィが照れ笑いを浮かべられるようになると、2人は冷え込んできたロビーからミリィの部屋へと移動した。 「本当にすみませんでした」 「ええて」 謝りながらも、瞳はまだ潤んでいる。だが、泣きたいだけ泣かせてもらえたおかげで、落ち着くことが出来たようにミリィは感じていた。 ベッドに座った彼女は、ウルフウッドの顔を見上げる。 彼はベッドの正面に位置する窓に背を預けていた。窓の向こうには、うすい雲のかかった3つの月が見える。 「怖い夢でも見たんか?」 その声がひどく優しくて、ミリィはどきりとした。 少しだけ迷ったが、思い切って言ってみる。 「あの、笑わないで下さいね?」 「笑わへん。誰でも怖いもんがひとつやふたつあるもんや」 「……夢じゃ、ないんです」 ウルフウッドは、ミリィをじっと見つめた。 どう切り出そうかと考えたが、うまい表現が思いつかず、ミリィは頭に浮かんだ言葉をそのまま口にする。 「突然、誰かがいなくなっちゃうんじゃないかって。そんなことを考えちゃったんです」 確かに、この星では争いが絶えない。どこにでも諍いは起こるし、それが事件へと発展することもある。悪意ある者が加害者となって、人を傷つけることなどしょっちゅうだ。 そういった輩から身を守るために所持する銃は、容易に人を加害者に変え、更なる被害者を生み出していく。 こんな中で。知人が、友人が被害者にならないと、どうして断言できるだろうか。 メリルの、ヴァッシュの、そして彼の銃の腕はよく知っている。彼らがどうにかなるなどと、今まで考えたことがないほどだ。 だが。この世に絶対がありえないこともまた、真実ではないだろうか? 先程からずっとわだかまっていた言葉を口にすると、不安が大きくなるのがわかった。それが心の中で波打つように感じられ、落ち着けない。 ミリィは俯くと、膝の上に置いた両手を見つめた。 「そんなことあるわけないって思ったんです。でも、昨日まで当たり前だった毎日が明日も続くとは限らないんだって考えた途端、いてもたってもいられなくなって…。みんなもう眠ってると思ってたし、起こすのも悪いですし、それに……」 もしも、既に誰かがいなくなっていたら。 そんなことまでもが頭をよぎったのだと話したら、この人は笑うんだろうか。 ここで、ミリィは勢いよく頭を振った。そして、顔を上げると、ウルフウッドに笑いかける。 「ヘ、ヘンですよね、やっぱり。こんなこと考えちゃうなんて、私ってばどうしちゃったんでしょう。いきなりおかしな話をしてすみませんでした」 その時。 不意に、雲間から月が顔を覗かせた。それが逆光となり、ウルフウッドの表情が隠れる。 「…夜は暗いからな。余計に寂しなる」 ひどく静かな声だった。 ミリィはウルフウッドの顔を見ようとしたが、未だ月の光が逆光となって、彼の表情が伺えない。 「牧師さん…?」 「ん?」 ミリィに呼ばれたウルフウッドは、窓から離れた。その顔が月明かりに照らされる。 いつもの表情だ。ミリィを安心させてくれる、優しい表情。 「いえ、その……」 ミリィは口ごもった。気持ちがうまく言葉に出来ない。 ふと、ウルフウッドは笑みを浮かべた。そしてミリィの側へと歩み寄り、彼女の頭を軽く叩く。 「まだ心配やったら、ハニーが寝るまでここにおるで」 「いいんですか?」 不安げな表情の拭い去れないミリィが、小声で訊き返す。 ウルフウッドは身をかがめ、彼女と目線を合わせた。 「かわいいハニーのそんな顔見たら放っとかれへん。部屋戻ったところでワイも寝られへんわ。せやから、ハニーの寝顔見せて安心させてくれへんか?」 彼の言葉に、ミリィはようやく小さな笑みを浮かべた。 「…ありがとうございます…」 |
ベッドに横になってしばらくすると、ミリィは静かな寝息をたて始めた。 ベッド脇に移動させた椅子に腰かけたウルフウッドは、その寝顔を見つめながら、彼女にそっと手を伸ばした。栗色の髪に触れ、静かにその髪を梳く。 「…確かに随分近づいてきたわ」 独り言を呟く。万一ミリィの耳に届いても、意味はわからないはずだが、果たして彼はそこまで気にしているのだろうか。 今彼らが向かっているのはカルカサス、忽然と住民の消えた街だ。 そして、その向こうにはヴァッシュを導くべき場所がある。それがこの旅の終着点なのだから。 ──仕事を請けた時は、まさかこないなことになるとは思わんかったな…。 傍らの女性の無邪気な寝顔を見つつ、ウルフウッドは思う。 ゆきずりの出会いなら、これほど想い入れることはなかったかもしれない。 いや、それでも。深く印象に残っただろう。この娘なら。 「一寸先は闇、か……」 先のことはわからない。自分の生に対する夢と希望。そんなものを求めなくなって久しくなったというのに。 ミリィの寝顔を見つめたまま、ウルフウッドは天真爛漫な彼女の見せた翳りを思い出す。 ──だからこそ。 彼はミリィの額に触れてみた。ほんのりと暖かいのは、自分の手のひらが冷えているためだけではないように思う。 「…この者の未来に祝福のあらんことを」 小声で唱えると、ウルフウッドは身を引いた。 音を立てぬよう注意してベッドを離れようとしたが、何故か引っ張られる感覚がある。 「?」 振り向くと、布団からはみ出たミリィの手が、しっかりと彼の服のすそを握っていた。 思わずウルフウッドは苦笑する。 そして、上着を脱いでミリィの上にそっと掛けた。 「さすがにここで泊まるワケにはいかんしな」 ウルフウッドはベッドを離れた。ドアを開けると、一旦振り向いてぐっすりと眠っているミリィの寝顔をもう一度見やる。 「ええ夢見ぃな、マイハニー」 静かな寝息を耳に、彼は優しく呟いてドアを閉めた。 |
──了 |
感覚的になんですが、23話の前夜のイメージで書きました。 旅の終わりが近づいた時、何かが近づいてくる、言い知れぬ不安…というものをミリィが感じていたのではないかな、と思ったんです。ただでさえ直感的に鋭い彼女のことですから、「不穏な空気」にも人一倍敏感なのではないでしょうか。 …それにしても。今回改めて思ったんですが、うちのウルフウッドって優しすぎますか?(笑) |