Wish


「ねぇ、ウルフウッド。誰でも幸せになる権利があるよね」
 突然のヴァッシュの言葉に、懐の煙草へと手を伸ばしかけたウルフウッドの動きが止まった。
「なんやて?」
 眉をひそめた表情で訊き返されたが、ヴァッシュはにっこりと笑いかける。
「だからさ。人には誰しも幸せになる権利があると思うんだ」
「またおどれのくだらん理想論か」
 ウルフウッドが煙草を取り出して、火をつけた。彼はいつも食後に煙草を口にする。
 揺らめく紫煙を眺めるヴァッシュに、ウルフウッドは冷たい視線を向けてきた。
「くだらないかな?」
「アホらしいわ」
「でもさ、幸せになろうとするのは大切なことだと思うよ」
 ヴァッシュはテーブルに両肘をつく。両手を顎の高さで組み合わせて、正面に座る彼をじっと見つめた。
 ウルフウッドが、灰となった煙草の先を灰皿に落とす。
「おどれの夢みたいな話に付き合うほど、ワイはヒマやない」
「今ヒマだろ」
「まぜっかえすな、ボケ」
 じろりと睨んできた黒服の青年に照れ笑いを見せ、ヴァッシュは表情を改めた。
「まぁ、それは置いといて。人が生まれてくることって、ある種の奇跡だと思うんだ。君、女性の出産に立ち会ったこと、ない?」
 ウルフウッドが不可解な顔をした。だが、不機嫌そうな表情は変わらない。
「いきなり何の話や?生憎あらへんわ。ワイは医者やない」
「そっかぁ…。女の人ってね、命懸けで子供を産むんだよ。懸命に、大切なものを守る為に。そうやって生まれる子供たちに、幸せになって欲しいって思うのは当然じゃないかな」
 1度だけ、シップで立ち会った出産の様子をヴァッシュは思い出す。
 長い長い時間をかけて、1人の女性が我が子をこの世に送り出していた。その女性の苦しむ表情は、もはや彼女が母親であることを物語る。
 そして、彼女を助けるべく、全員が懸命に新しい命を受け止めようとしていた。
 彼らの想いはただひとつだ。
「産んだことがあるような言い方やな」
「あるわけないだろぉ。でもね、何て言うかな…お母さんの気持ちって伝わってくるよ。子供をあやしたり、寝かしつけたり、話しかけたり、遊んだり。そのひとつひとつがね、幸せを願ってる」
 子供を抱きしめる腕。慈愛に満ちた優しい表情。溢れんばかりに与えられる愛情と、暖かい想い。
「親の…」
 回想に沈みかけたヴァッシュを、低い声が現実に引き戻す。
「え?」
「親のおらんガキは、そんなん知らん。生きていくだけで必死や」
 ウルフウッドはヴァッシュを見ていなかった。灰皿に視線を向けたまま、彼は普段より低い声でこれだけを口にする。
 ヴァッシュもまた少しだけ目線を落とした。しかし、すぐに顔を上げて眼前の青年を見つめる。
「うん…。でもさ、その子供たちだって、母親から生まれてくるんだ」
「……」
「子供を持つ親ってね、自分達の子供の幸せを誰より何より願ってるんじゃないかな。だから、この世に生まれてきた人には、皆幸せになる権利があると思うんだ。生まれてきたことそれ自体が奇跡であり祝福だから、大切にして欲しいんだよ」
 ウルフウッドが皮肉を含めた笑みを見せて、立ち上がった。吸いかけの煙草をヴァッシュに向ける。
「真顔でそんなこと言う輩はおらへんで。いっぺん職業変えてみるか?おどれみたいなマヌケ面が一生懸命説教したら、改心する奴がおるかもな」
 ウルフウッドは食事代をテーブルの上に置いた。そうして部屋に戻るべく、座っているヴァッシュの隣を通り過ぎようとする。
「ウルフウッド」
 足音が止まった。
 一呼吸置いて、返事が届く。
「何や?」
 ヴァッシュはやや後方を振り向いた。わずかに、立ち去ろうとする彼の後ろ姿が見える。
「幸せを望むことは、罪じゃない」
 一瞬だけ、その場の喧燥が耳から遠のいたように感じたのは、ヴァッシュの気のせいだろうか。
「…アホぬかせ」
 明瞭な声が、ヴァッシュの耳に届いた。
 遠のいていたはずの音が蘇る。
 ウルフウッドは肩を竦め、先程と歩調を変えずにそのまま階段へと向かうと、間もなく階上へと姿を消した。
 それを見届けてから、ヴァッシュは組んでいた両手に額を乗せた。溜息をつく。
 ──こんなふうにしか言えないけど…。
 今、彼は何を考えているのだろうか。
「君だって、幸せになる権利がある……」
 その呟きは喧騒に紛れ、発した者以外の耳に届くことはなかった。
                                              ──了

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<あとがき>
 ウルフとヴァッシュの話は2度目ですね。以前のキリ番リクエストの時はウルフ視点でしたが、今回はヴァッシュ視点で書いてみました。
 ウルフウッドは、安らぎや幸せといったものが、自分には決して手に入れられない、手に入れることを許されないと、そう思い込んでいるように感じられます。
 また、ヴァッシュは彼のその内面の思いに早くから気づいているのではないでしょうか。言わば自分と正反対の位置に立つ相手ですけれど、友達として、仲間として彼の幸せを願わずにはいられない…。そういう彼の気持ちが表現できればと思ったんですが、いかがでしょうか。