詩島広海
「おめでとう!」 「お似合いだよ!」 歓喜の声が飛び交い、紙吹雪が勢いよく舞い踊る。 『花の都のヴェローナに、いずれ劣らぬ二つの名家……』 見るからに幸せそうな新郎新婦をながめながら、ヴァッシュは古い……地球においても古典とされた戯曲を思い出していた。 愛し合っているのに、対立する二つの権力者の家にそれぞれ生まれたがために、険しい道を歩まざるを得ない男女。 戯曲の中の二人は死ぬことでしか添い遂げることがかなわなかったが、目の前の二人は生きて、結婚することが出来たのだ。 この一件に図らずも関わることとなったヴァッシュとしては、今日この日を無事迎えることが出来た、という一事だけでも嬉しくて仕方がない。 「ヴァッシュさん」 聞き慣れた女性の声と共に、鼻先にハンカチが差し出された。 「親族の方でもない大の男が結婚式で泣いている姿は、見栄えの良いモノではありませんわよ?」 「え、あぁ。ありがとう」 相変わらず辛辣なメリルの声に苦笑を浮かべ、ヴァッシュはハンカチを目元にあてた。 祝福の輪の中では、純白の衣装をまとう花嫁を守るように夫たる男性が寄り添っている。 「アレ? そういえば君の相棒は?」 「ついさっきまで一緒にいたんですけど… すぐ、戻ってくると思いますわ」 |
「ダーリン」 「な、なんや。ハニーかいな」 教会の陰にいたウルフウッドは、突然現れたミリィに吸いかけのタバコを取り落としそうになるほど、驚いた。 「表の祝い、もう終わったんか? 早いな」 「ちがいますよぉ。ダーリン、式で疲れたんじゃないのかなぁ、って思って」 「そら、おおきに。ハニーの笑顔見たらいっぺんに疲れも飛んでいったわ」 笑顔のミリィにウルフウッドも笑顔で返す。 新郎新婦それぞれの実家の争いに巻き込まれ、ヴァッシュや保険屋さん達と共に停戦に一役買ったウルフウッドは、ぜひにと望まれ彼らの門出を祝う役を担うことになったのである。 もっとも、争いの最中に教会の牧師が殺され、今街にいる「職業・牧師」という人間がウルフウッドだけ、という現実的な問題もあるのだが。 「でも、ダーリンの言う誓いの言葉、って、他の牧師さんとちょっと違うんですね?」 そうか? と応えながらウルフウッドはタバコをふかす。 「『どんなに辛くても、苦しくても、互いに助け合って生きていくことを誓うか?』って。ふつー『病めるときも健やかなるときも…』って言いませんか?」 大兄ちゃんや大姉ちゃん達の結婚式で聞いて知っているんです、とミリィは言った。 「心のこもってへん型どおりの文句言うより、少々ハズしとっても心のこもった言葉で祝ったる方が、祝福される方もエエやろ?」 「そうですねー」 と、またミリィが笑う。 いい笑みを、浮かべるんやな、この娘は… 「そういえば君は、」 新婚の二人に軽くすがめた目を向けたまま、ヴァッシュが切り出した。 「結婚はしないのかい?」 「良い殿方がいませんの。おつきあいだけなら幾つかありましたけど」 「もったいないなぁ」 妙にしみじみとした声に、ついメリルはヴァッシュの横顔を見上げてしまった。 「きっと君なら、ウエディングドレスがよく似合うだろうに」 勝手に赤くなる頬を見られたくないのに、ヴァッシュはメリルへと向き直る。 「僕にはこんな事を言う資格はないと思うけど」 早鐘を打つ胸の音が、まわり中に響いているのではないか。そうメリルには思える。 「君の結婚式には、僕も招待してくれないかな」 「却下しますわ」 やたらきっぱりとした言葉に、ヴァッシュは情けなげに眉を下げた。 |
「そうだ! 私がダーリンを祝福しちゃいます」 「はぁあ?」 思わず大きな声が口からこぼれてしまった。 ミリィの突拍子もなさは今に始まったことではないし、慣れたつもりではいたが、それでもこれにはウルフウッドも驚いた。 「ダーリン、いっつも他人を祝福してばかりでしょう? だから、私が牧師さんの代わりにダーリンを祝福しちゃいます」 「いや、ワイは…」 口ごもるウルフウッドの片手を取り、まわりを見回していたミリィは得たりとばかりに微笑み、空いている右手をさしのべた。 「そいつは…」 「十字架なら、聖書のかわりになりますよね?」 ミリィの笑みに、ウルフウッドは先を続けるよう、うながした。 右手を布とベルトに覆われた十字架にあて、左手でウルフウッドの手を握ったミリィは、神妙な顔つきで切り出した。 「神様。えーと、ダーリン、じゃない。牧師さん…じゃなくて…」 「ウルフウッドでええで」 「あ、はい。…ウルフウッドさんが、ごはんに困りませんように。苦しい思いをしませんように。いつも笑っていて、誰よりも誰よりも、幸せになりますように」 「…終わりか?」 短い沈黙のあとのウルフウッドの声に、ミリィは困ったような表情を浮かべた。 「変、ですか…?」 「いーや。心のこもった、エエ祝福やった」 ミリィの手を取って胸の前であわせてやり、彼女の手を捧げ持つように自分の両手の上に載せるとウルフウッドは目を伏せた。 「こんなエエこと言うてくれるマイハニーに、神の御加護があらんことを」 「牧師さんに、祝福されちゃいましたね」 えへへ、と笑うミリィから手を離し、ウルフウッドは訊ねた。 「ところで、さっきのハニーからの祝福、かなわなかったときはどないなるんや?」 「泣きます」 きっぱりとミリィは言った。 「泣いて泣いて、神様を困らせるくらい、泣きます」 「そら神様も大変やな。アンタ泣かせるくらいやったら、願いかなえなしゃーない」 一瞬だけ驚いた表情を浮かべたウルフウッドは、まぶしいものでも見るかのように目を細め、笑った。 「そろそろ行きませんか? ヴァッシュさんも先輩も、きっと待ってますよ」 「いや、ワイはもうちょっと一服してから行くわ」 ウルフウッドは胸元からタバコの箱を取り出しながら、応えた。 「牧師さん」 「なんや?」 「ファイトです」 両手を胸の当たりで握りしめたミリィの姿に、ウルフウッドは笑みを浮かべる。 「おう。…ほなまたあとでな」 両手を大きく振って、待ってますよ、と言い、ミリィは駈けていった。 彼女の後ろ姿が建物の角に消えたあとも、ウルフウッドの視線はそのあとを追い続けていた。 「かなわんで、全く」 相棒である異形の十字架のとなりの壁にもたれかかり、ウルフウッドはぽつりと言った。 手を取られ、彼女の手が十字架に触れた瞬間、よほど制止しようかと思ったのだ。 あんたが思うとるようなモンと違う! ワイも、そいつも… 血にまみれた人殺しの道具。彼女のような存在が触れるべきではない… なのに、止めることが出来なかった。 その笑みを、無邪気さを、見守りたいと感じてしまったから。 かなうなら、…… 神様。ワイは人殺しです。生きるためとうそぶいて、ぎょーさん殺してきました。 しかるべき時が来たら、おとなしゅうに罰を受けます。せやから… 「あの娘が、いつでも笑ろていられますように。誰よりも、誰よりも…幸せな人生、送れますように」 そう祈る資格すら、もう、ないのかもしれないけれど… |
「大体、何故あなたを私の結婚式に呼ばなければいけませんの? 私は毎度毎度あなたに苦労させられているんですのよ?」 「…そんなに迷惑かけてるっけ?」 「ええ。…ちょっとミリィを探してきますわ」 メリルがきびすを返して歩き去ろうとした瞬間、ひときわ大きな歓声が上がる。 「保険屋さん!」 構わず歩き去ろうとしたメリルの手の内に、花束が降ってきた。 「おめでとう!」 「次はあンたの番だな!」 周囲に集まり騒ぎ立てる人々の向こうで、ヴァッシュが微笑んでいる。 さらにその後ろ、教会の石段の中程に客達に背を向けて立つ花嫁が、肩越しにメリルを見つめていた。 なんですの? という疑問は、のどの奥に引っかかったまま、止まる。 花嫁の放ったブーケを自分が受け取ったのだということに、ようやくメリルは気づいた。 「そんな…まだ決まった人なんていませんのに…」 「なァに、あンたぐらいの器量よしならすぐ見つかるさ! 連れの金髪の兄ちゃんなんかイイ線いってないかい?」 手の内の白い花束からヴァッシュへと視線をやると、彼は穏やかな笑みを浮かべていた。 「あーっ。先輩、花嫁さんのブーケもらったんですかぁっ?」 どう応えようかと迷っていたメリルは、のんきな後輩の声に息をついた。 「じゃあ、次は先輩の番ですね?」 「ミリィ。私に結婚の予定なんて、まっったくないんですのよ? よろしければ、さしあげますわ」 「…私も予定ありませんねぇ」 イイ女が二人揃って甲斐ないことだと、まわりの野次馬がため息をつく。 「おっ、なんやちっこい姉ちゃん。式上げるんやったら、安ぅしといたるで?」 「なんだ、金取るんだ」 いつの間に近付いて来たのやら、ヴァッシュと巨大な十字架を背負ったウルフウッドが、話に参加していた。 「ワイはこれで飯喰うとるんやで。知り合いからでもきちんともらうものもらっとかんと、干上がってまうがな」 「でもさ…」 「でももへったくれもあれへん。あ、オドレの葬式やったらロハにしといたるわ。『ヴァッシュ・ザ・スタンピードの葬式あげた牧師』っつー名上がったら、よう儲かるやろしな」 「縁起でもないこと言わないでよ!」 「…二人とも。当てのない話で盛り上がらないでいただけます?」 棘のあるメリルの台詞に、二人は軽く顔を見合わせると神妙な返事をした。 彼女の右手がケープの内側に向かいかけたのに気づいたからである。 「牧師さん、ヴァッシュさん、メリルさん、ミリィさん! パーティ開場の方へそろそろお願いします!」 「ほな行こか、ハニー」 「はい、ダーリン」 よく通る新郎の声に、まずウルフウッドが歩き出した。 巨大な十字架を負った男と、その隣を歩くミリィの姿をまぶしげに見つめるヴァッシュに、花束を持ったままのメリルが声をかけた。 「ヴァッシュさん、早く行きませんこと?」 「ああ。行こう」 大きな手で軽く肩を叩いた男を見上げようとしたメリルには、もう先を行く彼の背中しか見えなかった。 小さな苦笑を浮かべると、メリルも先を行く彼らのあとを追った。 あなたが、幸せでありますように。 誰よりも、何よりも、幸せであるように。 ささやかな、祈りを。 |
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991005am |