逢魔時 「今日もいい天気だったねぇ」 例によって例の如く地上に遊びに来たゼットは、放課後学校で刹那をつかまえるや、そのまま外へと連れ出した。 今日のリクエストは町中散策。商店街の店を冷やかすゼットは楽しげで、しっかりお菓子もねだられたものの、刹那も一緒に楽しんでいた。 商店街を一巡した後、休憩がてら神社を訪れたのは、どれくらい経ってからだったろうか。 境内の片隅に置かれたベンチでアイスを食べているうちに、日暮れも間近になってきた。 木々に囲まれた神社では、風が吹くたびに梢が揺れ、木の葉のざわめきが聞こえる。 時折、これらの木々に棲む鳥たちの鳴き声も聞こえるのだ。 辺りが少しずつ、夕焼けに染まってゆく。 夕日に照らされる神社は、見慣れぬ色味を帯びていて、普段は感じない年月を思い起こさせる、気がする。 「この神社ってどのくらい前からあるんだろうね?」 不意の問いかけに刹那は少し驚いてゼットを見た。 内面を見透かされたように感じたのだが。 ざわり、と木の葉がさざめいた。 一陣の風が巻き起こしたものだが、刹那の意識はそれを認識していなかった。 ――ディープホールへようこそ、刹那。 声音にすら感じられた、圧倒的な力。 強大な力を有する存在を前にすると、身体の震えなど意志で抑えられないことを、身を以て知った。 幾度も魔界で出会った時には、微塵も感じさせなかった、底知れぬ力。 全てを威圧する存在感……。 |
「刹那?」 目の前で、ゼットが首を傾げていた。 既にアイスを食べ終わったらしく、ベンチからやや離れた位置に移動していた彼は、やや前屈みの体勢で、腰掛けていた刹那の顔を覗き込んでいる。 「どうしたのさ、ぼーっとしちゃって」 刹那は幾度か瞬きをすると、軽く首を横に振った。 「あ、いや……ちょっと」 木や土の香りや、座っているベンチの木材の感触が蘇り、今ここが現実なのだという実感がわいてきた。 鳥の羽ばたく音も、聞こえてくる。 刹那は肩で大きく呼吸した。 そして、心配そうなゼットへ苦笑いを返す。 「悪い、今なんか現実感が無くなって……疲れてるのかな」 何とも言えぬ感覚を表現することが憚られ、刹那はこれだけを言ったのだが。 ああ、とゼットは納得したように笑うと、背後を振り向いた。 「あれのせいじゃないの?」 「あれって……」 ゼットの背後には、鮮やかな夕日が浮かんでいる。 「逢魔が時って知ってるかい?」 常からの相手をからかう様子で、ゼットが問う。 しかし、その口調に、普段感じられぬ響きが交じっているように思ったのは、刹那の気のせいだろうか。 「現世と異界が交わる時間。太陽が沈む、陰と陽が交代するその瞬間にはね、異界のモノが紛れ込みやすいのさ。……そして」 刹那の返事を待たずにゼットは続けた。 「現世に属さないモノは、その正体を垣間見せてしまう事があるんだよ」 鮮やかな夕焼けが地平線に広がってゆく。 逆光によって、太陽を背にする少年の表情は伺えない。 刹那は我知らず、右手を握りしめた。 右手の中の固い感触に、思わずそちらへ目を向ける。 ――アイスの棒だった。 ついさっき、商店街でゼットと一緒に買ったものだ。 食べ終えた後も手に握ったままだった、小さな木の棒である。 「刹那?」 弾かれたように刹那が振り向いた。 視線の先で、ゼットが佇んでいる。 しかし、その背後の太陽は、既に地平線の向こうへ沈んだ後だった。 悪戯っぽい笑みを浮かべたゼットの顔が、はっきりと見える。 刹那の肩から力が抜けた。 「どうかしたのかな、ずいぶん緊張してたみたいだけど?」 「……誰のせいだよ」 憮然とした面持ち一人ごちる刹那に笑って見せ、ゼットはくるりと背を向けた。 「ちょっと遅くなったね。そろそろ帰るかい?」 振り向くゼットの様子は、普段と変わらない。 刹那は肩を竦めた。この少年の本心が読めないのはいつものことだ。 当のゼットは鳥居まで駆けて行くと、くるりと背後を振り返った。 「ほら刹那、早く帰ろう」 悪戯好きの少年の姿を持つディープホールの主は、無邪気に手を振っている。 ……多少のことを気にしていては、付き合えない相手なのだ。 刹那は苦笑を浮かべて立ち上がると、ゼットに向かって駆けていった。 ――君は気づいているのかな? 駆け寄る刹那を笑顔で待ちながら、ゼットは内心で問いかける。 夕焼けの中、緊張を漲らせた刹那の気配は、魔界に棲む強大な力を持つデビルと遜色ないものだった。 元々、彼は魔界を統べる大魔王ルシファーの血を引いているのだ。 今は人間世界で他人と変わらぬ生活を送っていても、いずれその中には綻びが生じてくるはずである。 この世界の表舞台は人間のものだ。妖怪や悪魔は同じ舞台に立つことができない。 現世はあくまで人間を主と認めているのだから。 ――そう。刹那もまた、逢魔が時に相応しい存在なのだから。 |
──fin
|