古時計 ダークパレスの主がくつろぐ空間は、現在親子団欒の場でもある。 物珍しい調度品が並ぶ中『それ』が子供の目に留まったのは、当然の結果だと言えるだろうか。 「ねぇ、パパ。これ、地上の時計じゃない?」 サイドボードの上に置かれた古い時計をしげしげと眺めつつ、未来が問うた。 「ああ、そうだよ。随分昔、地上を訪れた時に気に入って購ったものだ」 「そうなんだ」 父親の話を聞いた上で、再び未来は時計に見入る。 と。 「あら?」 未来は声を上げて、時計の模様をそっと指でなぞった。 ルシファーはそんな娘の様子を見守っている。 「パパ、これ、ひょっとしてもう一つあるんじゃない?」 「どうしてそう思うのかな?」 問いかけつつ、ルシファーはどこか楽しそうである。既に答えがわかっているかのように。 未来は自分の考えが間違っていないと悟り、悪戯っぽく笑った。 「だってほら、この部分。模様が途中で切れてるわ」 ルシファーは笑みを浮かべる。 「ああ、その通りだ。よくわかったね」 言いつつ、彼は立ち上がると娘の元へ歩み寄った。 そうして時計に手を触れる。 百年の昔から変わらぬ時を刻む、美しい装飾品を。 「元は一対だったんだよ。昔、ある店に飾ってあったものでね」 |
「それは祖父が作ったものですが、その、曰く付きなんです」 初めて店を訪れた客に、その古い置時計の由来を尋ねられた店主は、躊躇いがちに口を開いた。 端正な顔立ちの客が、整った眉を微かに顰める。 「曰く付き?」 「はい。二度ほどお買い上げいただいたのですが、どちらも奇怪な事が起こるとおっしゃられて、返品されたんです。何でも、妙な影が周りを踊るとか、誰もいない部屋で話し声が聞こえるとか……」 その出来事を思い起こしつつ、店主は溜息を漏らした。 修行時代から目を掛けてもらった恩人の依頼で、祖父が作った置時計。 祖父が精魂込めて作り上げた最高傑作は、見る者を惹きつけて離さないと賞賛された。 依頼主は大層喜んでくれたのだが、ほどなくして、置時計の周りで奇妙な出来事が起こるようになったのだ。 依頼主よりも、その家族が気味悪がった。 結局、三月を待たず置時計は制作者の元に送り返される羽目になったのである。 ……祖父が既に身罷っていた事が、せめてもの救いだったろうか。 その後、一度は新たな持ち主を得たものの、やはり同様の出来事が起こり、同じ道を辿る羽目になった。 以来、この置時計を購入する者はいない。 購入を検討する客へ、店主がわざわざ『曰く付き』である旨を説明する為だ。 その結果、時を経た置時計は現在こうして、店先でひっそりと時を刻んでいる。 不思議なことに、この店内ではそういった奇怪な現象が起きなかった。 「成程。しかしそのような事を客に話しては、売れる物も売れないだろう」 事情を理解した青年の言葉に、店主は寂しげな微笑を浮かべる。 「一度お買い上げいただいても、返品されてはこの品が……祖父が、悲しむと思いまして」 青年は再び置時計に視線を戻した。 静かな店内に、様々な時計の時を刻む音が響く。 やがて、彼の口元が微かな笑みを形作った。 「わかった。では改めて、私が買おう。返品もせぬ」 店主が目を見開いた。 「よろしいのですか?」 「曰くの原因も想像がつく。何よりこれほど見事な細工物、滅多に見られぬだろう。大事にさせてもらう」 青年がこの置時計に心惹かれた事は、はっきりと見て取れた。しかし、正直期待はしていなかったのである。 だが、青年の表情は真摯であり、その言葉は誠実な響きを持っていた。 ──店主の驚きが安堵に変わる。 そうして、その表情に心からの笑顔が浮かんだ。 「ありがとうございます。祖父も喜ぶ事でしょう」 「へぇ……」 置時計の由来を聞いた未来は、騒動の原因が解明されていない事に気づいた。 「でも、曰く付きって?」 ああ、とルシファーが笑いをこぼす。 「この細工物に惹かれた悪魔たちが、周りで騒いでいただけだ」 「なーんだ、そんな事だったのね」 楽しそうに笑う未来だが、彼女にとっては『そんな事』でも、他の人間にあっさり流せる出来事ではない。 ましてや悪魔を怖れる国ならば。 「で、もう一つはどこにあるの?」 「天界だ」 「……え?」 ルシファーはさらりととんでもない場所を告げる。 さすがに未来は目を丸くした。 天界とは、ミカエルを始めとした天使達の世界である。基本的に他の世界と交わることはなく、当然魔界との行き来もないはずだ。 だが、訪れられぬ場所ではないとも聞いた。 行き来がないのは、互いのテリトリーを侵さないという暗黙の了解故であると。 ……つまり、こういった物品を送ったりは出来るのだろう。 「時計師が敬虔なクリスチャンと知ったのでね、ならば一方はそちらに置いておく方が供養にもなると思ったのだ」 天界の騒動を想像し、未来はつい笑ってしまった。 見かけに寄らず、悪戯好きというか、子供っぽいというか。 ある意味、ゼットと良い勝負かもしれない。 けれど未来は、そんな茶目っ気のある父親がより一層好きになった。 |
──fin
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