都市伝説 「ねぇゼット、都市伝説って知ってる?」 淹れたての紅茶を運びつつ、未来が問いかけた。 「ああ、いくつか知ってるけど、いきなりどうしたのさ?もう怪談の季節は過ぎてるよ」 テーブルのビスケットをつまみながら、ゼットが意外そうに未来を見やる。 「デビダスもフルコンプしたんだろ?」 こちらは紅茶を受け取った刹那の発言である。 「ええ、しましたとも。だって空欄があったら気になるじゃない。って、今はその話じゃないの」 「そういえばデビダスにも入ってたっけ、都市伝説のデビルが」 「そうよ。赤マントとか」 「ふむふむ。それで?」 ゼットに促され、未来は続けた。 「聞けば聞くほど不気味な話が多いのが気になって。ほら、私たちが会ったデビルも色々いたけど、怖いデビルはともかくこういう不気味なタイプってほとんどいなかったじゃない?」 「未来はどんな話を聞いたんだい?」 尋ねるゼットはどこか楽しげである。 その様子には自分のフィールド内の出来事を楽しんでいる雰囲気があった。敢えて言うなら自分の知らない意見を聞くことが出来るかもしれない、という期待感だろうか。 相手の態度に未来は安堵したらしい。彼女は肩の力を抜いて話し始めた。 「交通事故の起きた場所で一緒にいたはずの人が消えてしまう話でしょ、噂を聞いたら十日以内に本人の幽霊が現れて、追い払わないと殺される話、二十歳になった時に覚えていると死んでしまう言葉がある、とか。赤マントだって改めて由来を聞くと背筋が寒くなるものよね」 「……具体的な内容を聞かないと、現実味がないんじゃないか?」 個々の話は怖いものなのだろうが、未来の説明では怪談らしく聞こえない。 刹那の素直な感想に、未来はひとつ咳払いをした。 「じゃあ、具体的な例をあげるわよ。これはクラスメートがお母さんから聞いた話。口裂け女って聞いたことある?」 「口裂け女?」 「ああ、それは有名だね。最近でいうとあれだけ一世を風靡した話は他にないんじゃないかな」 聞き覚えのない単語に刹那は首をかしげたが、ゼットはしたり顔で頷いた。 刹那が未来とゼットの顔を見比べる。 二人は視線を合わせたが、口を開いたのはゼットだった。未来の話はあくまで伝聞だ。ゼットが説明する方が良いと双方が判断したのだろう。 |
「学校の帰り道、マスクを被ったコート姿の女性が現れるんだよ。そうして出会った相手に『私、綺麗?』って聞いてくる。人間の美醜は、マスクに隠れてない目元だけじゃ判別しづらいんだよね。だから大抵の人間が頷く。すると『これでも?』と言ってマスクを取る。すると耳元まで裂けた口がぱっくりと……」 「…………」 「悲鳴を上げて逃げる相手をどこまでも追いかけてくる、って訳。最初は驚かせるだけだったみたいだけど、どこまでも追いかけてくる、追いついたら隠し持っていた刃物で首を斬られる、って感じで少しずつ話が変わっていったみたいだね」 しばしの沈黙が降りた。 デビルと渡り合った過去を持つ刹那にしてみれば、強大な力を持つ存在を連想するのは容易い。だからこそ、そんな存在が町中に出没したらと考えるだけで背筋が寒くなるのだ。 しかし、デビルと縁がない人間であっても、その不気味さを考えれば恐怖心が湧き上がるであろう事は容易に想像できた。 「正直、会いたくないな……」 ぼそりと呟いた刹那の感想に、ゼットは小さく笑った。 「うん、まぁ怖いよねぇ。小さい子供が聞いたら泣き出しそうだ」 ただね、とゼットは聞き手によっては最も肝心な話を、ようやく持ち出した。 「最後の話になると口裂け女からは絶対に逃げられないって事になるだろ?そのせいかな、口裂け女の好物や苦手な物の話もあるんだよ」 「そうなのか?」 「好物とされるのは、べっこう飴だね。口裂け女はこれらに目がないから、投げつければそれを食べる間に逃げられる。嫌いな物はポマード。口裂け女は歯医者もしくは整形医師の治療ミスで口を切られた女性だと言われてて、その医者が頭に付けていたポマードの強烈な臭いを嫌うんだって。治療や手術を思い出すのかもしれないね。だからポマード、ポマード、ポマードと三回繰り返すと逃げていくなんて話もあるんだよ」 ……成程、こういう逸話を聞くと、少し恐怖心が収まった気がする。 「好悪の情」があるとわかるだけで、それまで全く得体の知れなかった存在に、聞き手に理解しやすい人間らしさが備わったせいだろうか。 いや、むしろ遭遇した人間に逃走手段があるせいかもしれない。好悪の対象を知らなければ、口裂け女との遭遇はそのまま死に結びつくのだから。 ゼットの話が一段落ついたところで、今度は未来が言葉を添えた。 「私が聞いた話はもうひとつあったわよ。整形手術に失敗した女の人が自殺して、手術したお医者さんに祟ったんだって」 「実際に起こった話なら、そっちの方が信憑性ありそうだね。誰彼構わずで被害者を特定しないからこそ、都市伝説って言えるんだろうな」 紅茶を飲みながらゼットはそんな感想を述べる。 確かに、医者の治療ミスでそういう目に遭ってしまったならば、手術をした当の医者へ復讐する方が理に適っているだろう。無差別に人を傷つけるよりも信憑性は高い。 だが、世間が怖がるのがどちらかと問えば、間違いなく無差別犯に軍配が上がるだろう。 我が身に降りかかる可能性の高い事件の方が、恐怖感が増すのは当然だ。 未来も口裂け女について自分なりの解答を得たらしく、得心のいった表情になったのだが。 「じゃ、都市伝説の源って何なのかしら?」 最初の疑問に立ち戻り、未来がゼットに問いかける。 ゼットは紅茶のカップを手にしたまま、端的に答えた。 「人間の心が生み出す恐怖心、かな」 「恐怖心?」 鸚鵡返しに未来が訊き返す。 「そう、恐怖心。悪魔や妖怪も近いものがあるけど、こっちはむしろ自然現象に対する脅威や畏怖が込められているから、意味合いが違うんだ。気味が悪いのは恐怖心がダイレクトに反映されているからじゃないかな。自分が被害を被る可能性が含まれると、恐怖心は飛躍的に高まるだろ?」 「恐怖心の反映、ねぇ……」 今ひとつピンと来ない刹那へ、ゼットは少しばかり意地の悪い笑みを見せる。 「山奥に一人取り残されるのと、四方を壁に囲まれた部屋に一人で閉じこめられるのと、どっちが怖いかな」 「え?」 「周囲に人っ子一人いない状況だよ。ま、食べ物の心配はしなくていいと仮定して、君たちならどちらにより恐怖を感じると思う?」 刹那は未来と視線を合わせた。相手の瞳に怪訝そうな色を見て取り、互いにゼットの意図が把握できていないことは確認できたのだが……。 当のゼットは含みのある表情で、二人からの回答を待っている。 疑問を一時的に棚上げして、刹那はゼットの言った状況を想像してみた。 見知らぬ山中に取り残されれば、途方に暮れるだろう。夜の闇に灯りもなく、雨風を防ぐにも苦労する事は容易に想像がつく。山に棲む動物への恐怖も相まって、言いようのない不安が広がってゆくのではないか。 対して四方を壁に囲まれた部屋では、生命を脅かされる危険はない。天候を気にする必要もなく、安全な場所といえるだろう。ただし、密閉空間における孤独に耐えられればの話だが。 沈黙した二人の顔を、ゼットは興味深げに見つめている。 「……部屋、かな」 刹那がぽつりと呟いた。 未来も頷いて同意する。 「わたしも部屋の方が嫌だわ」 期せずして同じ解答に至った刹那と未来へ、ゼットが短く問いかけた。 「理由を聞かせてくれる?」 刹那と未来、二人に向けられていた彼の視線は、言葉を発した時に刹那を見ていた。それに応じるように刹那がまず答える。 「外から隔離された部屋で、誰とも会わずに一人だけっていうのは、正直ぞっとしない」 「それに、山なら自然が身近にあるでしょ?危険と隣り合わせかもしれないけど、動植物の気配を感じるかどうかで、かなり違うと思う」 直感的な刹那の発言に補足する形で未来の意見が続く。 「うん、安全性で考えるなら室内に軍配が上がるけど、精神面ではむしろマイナス要因が大きいんだよね。ま、これはあくまで個人の場合だけど。さて」 ゼットはここで一呼吸置いた。 「双方の場所で、突然手の皮膚が切れました。どうしてだと思う?」 またもや唐突な話題転換だったが、話が続いていることは察せられた。 皮膚が切れるといえば…… 「かまいたちでしょ」 あっさりと未来が答える。ゼットはにこにこ笑った。 「山ならすんなりそう考えられるよね。じゃ、窓のない部屋の中は?」 「……紙で手を切ったとか……でも紙もないのよね?とすればやっぱりかまいたちじゃないの?」 「かまいたちは風を伴うはずだろ?」 「あ、そっか」 かまいたちは一陣の風と共に現れ、人を斬りつけて姿を消す妖怪だ。 ちなみに科学的解釈によると、何らかの形で出来た真空状態に触れた皮膚が裂ける、という事らしい。 どちらにせよ、風の通らない場所ではありえない話だ。 「理由がわからない、でも現実に傷がある……ここで都市伝説登場ってわけ」 「あ!」 刹那と未来が同時に驚きの声を上げる。ここでようやく話が繋がったのだ。 「『何か』あるいは誰かに切られた。でも部屋には誰もいない。ならば『何か』が存在するはずだ……そんな恐怖心によって『何か』はどんどん怖ろしいものになっていく、と。昔は言い伝えで説明できた事が、現代では通用しなくなってるんだよ。それで新たな話が誕生する。けれど恐怖心で塗り固められた話は、気味の悪い言い伝えになってしまう」 「そういう事だったのか」 「成程ねぇ」 未来は感心した様子で頷いている。 だからね、とゼットは続けた。 「日本古来の妖怪は自然の変化と言えるんだよ。本当に怖いのは都市伝説、人間の恐怖心を鏡のように映し出す都会の伝説じゃないかな。……ところで未来、紅茶のお代わりもらってもいい?」 「あ、ごめんね、気づかなくて。冷めちゃったし、全部淹れ直してくるわ。刹那もカップを貸してくれる?」 未来はトレイに三人分のティーセットを載せると、台所へ向かった。 その後ろ姿を見送っていた刹那の耳に、呟きに似た声が届く。 「だからこそ、僕らが存在できるわけだけど」 振り向いた刹那の視界に、空で放物線を描いたチョコレートを口で受け止めるゼットの姿が映った。 「刹那もどう?」 「ああ。ってこれ未来が用意したお菓子だろ」 「かたいこと言わない言わない」 アルファベットの描かれた小さな立方体のチョコレートを受け取ると、刹那は包み紙を開いて口に運んだ。 「恐怖心、か……」 口の中に広がる甘みを味わいつつ、刹那の頭はまだ先程の会話から離れていない。 「疑ってるのかい?」 「いや、納得した。都市伝説の不気味さが恐怖心の現れだっていうのは、わかる気がするし」 悪魔であるゼットの口から聞くのは、多少奇妙な感じがするけれども。 そんな刹那の内心を察したのか、ゼットはくつくつ笑い出した。 「人間の恐怖心は悪いことばかりじゃないからね。文明の進歩にだって多大に貢献しているよ。怖いから知る、怖いから守る、怖いから逃げる、怖いから戦う、怖いから支配する。色々さ」 一瞬、包み紙をほどいていた刹那の手が止まった。 ……最後の言葉に、何かひっかかるものを感じたのだ。 刹那が視線を向けた先では、頬杖をついたゼットがビスケットに手を伸ばしている。 手にした菓子を口に運びながら、ゼットは続けた。 「ただし、自分の力量を把握するのは大事だよ。かなわないモノに手を出すべきじゃない。そこを履き違えると怪我をするからね」 世間話の中、どこか相手を諭す口調。しかしその奥に何かがあると思わせる。 ゼットの穏やかな声音には、時折、得体の知れない感情が潜んでいるように感じるのだ。 「ま、君たちの身近にそういう人がいないといいんだけどさ」 思わず刹那は本気で周囲の人間の性格を総ざらいしそうになった。 しかし、頭の後ろで両手を組んだゼットは、明るい笑顔を見せている。 「……あぁ、大丈夫だろ。多分」 ゼットの言葉を真に受けた自分に赤面しつつ、刹那は短く応える。 事実、身近な人々はそういう事には縁遠い者ばかりなのだから。 照れ隠しに刹那がチョコレートを口に放り込んだ丁度その時、トレイに三人分の紅茶を載せた未来が現れた。 「お待たせ〜」 「ありがと、未来」 淹れたての紅茶を手渡され、ゼットが上機嫌で礼を言う。 一気に明るくなった雰囲気に、刹那はこっそりと安堵の息をついた。 「どうしたの?」 「いや、サンキュ」 「どういたしまして」 受け取った紅茶の礼だけではないのだが、未来はにっこりと頷いた。 全てがお見通しなのではないかと思わせるその笑顔は、不思議と刹那の心を落ちつかせてくれたのである。 |
──fin
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