怪かし 悲鳴を上げつつ走り去る三人を遠目に見た途端、刹那は『嫌な予感』を覚えた。 その三人が未来のクラスメイトだという事に気づいたせいかもしれない。 「何だぁ?」 刹那と行動を共にしている眼鏡をかけた少年が、不審そうに振り返った。 「あれ、三上たちだろ。また何かやらかしたんじゃねーの」 同じく刹那の隣で野球帽を被った少年が振り返り、呆れ顔で応じる。こちらは駆け去る面々の顔を確認していたらしい。 本日、原宿小学校は遠足の日だった。 普通『遠足』といえば登山を連想するものだが、今日の目的地は遊園地である。園内で一日遊び放題という生徒にとっては楽しいことこの上ない学校行事なのだ。 班分けも仲の良い友達が中心だ。一班六人前後という決まりだったが、いざ入場してみると皆それぞれに親しい友達とのグループに自然と分かれていった。 そうして、散り散りにお目当てのアトラクションへと駆けてゆく。 コースター系はやはり人気が高いらしく、入場して間もないうちに長い列が出来ていた。 ある程度の列が出来ると、そのアトラクションへの一番乗りは諦めるようになる。一番乗りを見送った子供たちがそれぞれ第二第三と候補を変えてゆくにつれて、園内の人気アトラクション付近の混雑も若干緩和されてきた。 そうした中、刹那は同じ班の友達二人と行動を共にしていた。 刹那達は第一候補を早々に諦めた口だった。おかげでそれ以外のアトラクションは高確率で遊ぶことが出来たため、そろそろ本命の様子を見に行こうかと相談している最中だったのだが。 遊園地の案内板前でアトラクションの位置を確認していた刹那は、無意識のうちに三人が駆けてきた元の場所と目されるアトラクションを探していた。 その口から、ひっそりと溜息が洩れる。 「どーした、刹那」 「別に。次は何にする?」 「そりゃコースターだろ。いい加減空いてきただろうし、行ってみようぜ」 嬉々として絶叫系アトラクションを指す友達に頷き、刹那は野球帽の少年に声を掛ける。 「一樹、次これでいいか?」 「ああ」 「ならさっさと移動しようぜ。行列長くなきゃいいけどなぁ」 幸いなことに、先程の騒ぎは既に二人の頭から消えている様子だった。 それに便乗する形で、刹那は意識的に小さな騒ぎを忘れて目的のアトラクションへ向かったのである。 だが。 |
「なぁ、なんかあっちの方が騒がしくないか?」 野球帽のつばを軽く上げ、一樹が言った。 二十分ほどの待ち時間を経てコースターを楽しんだ刹那たちだったが、アトラクションを離れるに従って、歓声とも悲鳴ともつかない声が聞こえてきたのである。 周囲の子供たちの中にも、不思議そうに声の響く方角を見やっている者がいた。 身近で何事かの騒ぎが起こった時、人間の反応は大きく二つに分かれるだろう。 騒ぎに近づくか、遠ざかるかである。 しかし、得てして子供というものは、好奇心が人一倍旺盛なもので。 「行ってみるか」 「面白そうだな」 即座に意気投合した友人たちの姿に、刹那は先程の嫌な予感が頭をもたげてくるのを感じずにはいられなかった。 薄暗い境内に、古びて苔むした石灯籠がぽつんと佇んでいる。 少し先にもよく似た石灯籠が立っているのだが、こちらは高さが半分もない。本来あるべき笠の部分は壊されて足下に残骸として転がっているせいだ。 壊れた石灯籠は背の高い雑草に姿を覆い隠されていた。 あちこちが雑草で覆われた境内の奥に、この寺の本堂らしい建物が見える。 遠目にも荒れ果てた様子が見て取れるお堂だが、何故か閉じられた障子の奥で、薄ぼんやりとした灯火が揺らめいていた。 障子越しではない。破れた障子の隙間から、橙色の灯りが見えるのだ。 灯りのすぐ傍らには、影がひとつ。 隙間風で灯火が揺らぐたび、影もゆらゆらと心許なく揺れている。 その首が、すぅっと上に伸びた。 瞬く間に頭が天井に触れる程に伸びる。やがてその頭がゆっくりと右へ動き、頭を支える首もまた不自然な曲がり方で更に伸びてゆく。 不意に、肩を叩かれた。 「うわあああっ!」 耳元で悲鳴がこだまする。 刹那は背後を振り向いた。 そこに佇んでいたのは、刹那達とさほど背の変わらない老女だった。真っ白の髪から覗く赤い目が細められ、口を歪ませて不気味に笑う。 「ほほぅ、美味そうな餓鬼どもじゃ」 右手できらりと光を反射したのは、研ぎ澄まされた出刃包丁。 「うっぎゃあああああ!!」 一樹が一目散に駆けだした。勢い余って野球帽を草むらに落としてしまったが、それは既に彼の思考の外だった。 しかし、刹那と眼鏡の少年はその場に留まっていた。 眼鏡の少年は、硬直してしまったためにその場を動けなかったのだが。 刹那が逃げなかった事に励まされたらしく、少年は震える指でずれた眼鏡のフレームを直そうとしていた。 「……よ、良くできたお面だよな。包丁も、本物みたいに光ってるし」 「ああ、作り物なら良く出来てる」 眼鏡の少年の顔から血の気が引いた。 老女が一歩を踏み出す。着物の裾からやせ細った素足が覗いた。 直後、鋭く光る刃が振り上げられる。 「〜〜〜〜っ!」 眼鏡の少年は身を翻すや、後ろを見ずに元来た道を逃げていった。 どうやら、悲鳴を上げる事も忘れてしまったらしい。五十メートル走の記録を更新しそうな速さだった。 友達二人が逃げた所で、刹那は軽く溜息をつくと、草むらに落ちた帽子を拾い上げた。 「おや、おまえさんは逃げないのかぇ?」 出刃包丁を振りかざした老女はにやにや笑いながら、帽子についた土を払う刹那を見つめている。 「当たり前だろ。未来だな?」 「ご名答。さすが刹那ね」 柳の向こうから、一人の少女がひょっこりと姿を現した。 「……お前なぁ……」 脱力する刹那へひらひらと手を振りながら、未来は笑顔を見せる。 「こんな所で堂々とデビルを外に出すなよ」 「大丈夫、日本のデビルを選んでるから、違和感ないでしょ?」 「そういう問題じゃなくてだな……」 突然、冷たい風に頬を撫でられ、刹那は思わず振り返った。 視線の先で、雪女がにっこりと微笑んでいる。 刹那は真剣に頭痛を覚えた。 「ちょっとね、クラスの子とモメちゃったのよ」 軽く額を抑えていた刹那に背を向け、未来がぽつりと呟いた。 刹那が顔を上げる。 「本当はここに入るつもりはなかったんだけど、クラスの子に誘われちゃって。同じ班の友達は怖がりな子ばっかりだから、私だけ一緒に入ることになったのよね。お化け屋敷なんて子供だましだよね、本物なんて出るわけないじゃない、なんて最初は軽口言ってたんだけど」 ここで、未来が口を閉ざした。 しばらく待ってみたものの、言葉を継ぐ様子がない。 ――そういえば、あの三人。 不意に、刹那の頭に閃くものがあった。 以前、開かずの間でデビル召喚の真似事をして、さっさと逃げ出した奴らだったんじゃないだろうか。 当時、刹那は魔界にいたのでその出来事を実際に見たわけではないのだが、後から話を聞いて三人組の無鉄砲さに呆れてしまったのだ。 ベールなどはひどく憤慨しており、宥めるのが大変だったと未来は笑っていたけれども。 ……三人からしてみれば、本物が現れるなどと予想だにしていなかったのかもしれない。 だが、現れたデビルが悪意のない奴だったから良かったものの、下手をすれば未来の身が危うかったのだ。 未来は刹那に背を向けたまま、沈黙していた。 今回の原因になった出来事について、話しかける切っ掛けを探しているようにも見える。 ――未来は分別というものをわきまえている。 多少羽目を外すことはあっても、こういった場所でデビルを顕在化させる危険性は十二分に理解している筈だ。 刹那は背中を見せる未来の隣に歩み寄り、その頭をこつりと軽く叩いた。 未来が振り向く。予想外の出来事に目を丸くする彼女へ、ことさら顰めっ面をしてみせる。 「反省、してるよな?」 「……うん」 小さく頷く少女へ、刹那は肩を竦めて吐息をつく。 「じゃ、二度とやるんじゃないぞ」 未来が意外そうに刹那の顔を見つめた。 そのまま、十秒は経過したろうか。 不意に、彼女は微笑みを浮かべた。少しだけ、照れくさそうに。 「はーい」 小さな声だったが、充分に気持ちが伝わる答えである。 刹那は内心安堵した。 「じゃ、行くぞ。友達が外で待ってるんだろ?これ以上騒ぎになると面倒だし」 「了解」 応じる未来はすっかり普段通りである。 未来が仲魔をデビライザーに戻すのを確認し、刹那たちはお化け屋敷を後にした。 |
──fin
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