肖像画



 誕生日は一年に一度、誰もが必ず迎える日である。
 生まれてきた事を祝い、健やかに成長した年月を喜び、これからもつつがなく日々を送る事が出来るよう、願う日だ。
 母親が生きていた頃は毎年祝ってくれた。しかしそれも遠い記憶である。
 けれども、今年は。
「もうすぐお前の誕生日だな、未来」
 週末に訪れたダークパレスで、父親であるルシファーにそう言われた時、未来の表情が輝いた。
「パパ、覚えていてくれたの?」
「当然だろう。娘の大切な日だ」
「嬉しい!」
 未来は父親の腕に抱きついた。幸せそうな娘の笑顔にルシファーの顔が綻ぶ。
 もしもここにゼットがいれば、間違いなくからかいの種にされるだろう。しかし幸いにも、部屋には二人きりである。
 ……もしも刹那がいたとしても、やはり苦笑を浮かべたかもしれないが。
 誕生日には毎年伯父が祝いを届けてくれたし、友達同士でプレゼントの交換もしていたが、自宅に友達を呼んでの誕生日会などはできなかった。
 通いの家政婦はあくまで仕事で来ているのだから我が儘は言いづらかったし、敢えて言う気にもならなかったのだ。
 母親の写真に誕生日の報告をして、小さなケーキでお祝いをする。
 それが未来にとっての誕生日だった。
「誕生日のプレゼントなのだが……」
 ここでルシファーが口ごもった。彼にしては珍しい事だ。
 未来は小首を傾げる。
「なあに?」
「未来は何が欲しい?」
 ストレートに尋ねられ、未来はじっと父親の顔を見た。
 ルシファーは苦笑を浮かべると、少し言い訳めいた言葉を連ねる。
「すまないな、私はおまえのような子どもが望むものがよくわからぬのだ。贈り物をするならやはり相手の喜ぶものが好ましいだろう?」
 少し照れている様子の大魔王が微笑ましくて、未来はふふふと笑った。
「ありがと、パパ」
 そうして未来は考える。今自分が一番欲しいもの。
 玩具、アクセサリー、CD、本……。
 プレゼントされて嬉しいものをひとつひとつ挙げてみるものの、どこかピンと来ない。
 それぞれは確かに魅力的だけれども、何かが違う気がするのだ。
 いつしか俯いていた未来の視線が室内を巡り、やがて隣に座る父親の姿を捉えた。
 週末に訪れる居心地の良い場所。
 幸せな今という時間。
「写真……」
 我知らず、未来は小さく呟いていた。
「ん?」
 ルシファーの温かな眼差しに迎えられ、未来は改めてはっきりと欲しいものを声に出す。
「パパと一緒の写真が欲しいな」
 母親の写真はアルバムという形で残っているが、父親のそれはない。両親の経緯を知れば当然の事かもしれないが、やはり未来には寂しいものだった。
 けれども、今なら気兼ねなく頼むことが出来る。すぐ傍に当の本人がいるのだから。
 未来の眼差しは自然と期待に満ちたものになっていたが、しかし、ルシファーは些か弱った様子で娘を見返した。
「残念だが、写真は無理だ」
「え、どうして?」
 予想外の言葉に、未来が身を乗り出して問いかける。
「私の姿は写真には写らないのだ。悪魔はこうして実体を持ち相手に触れることもできるが、ああいった機械にはこの姿は捉えられぬ。故に明確な形を残すことができぬのだ」
 未来の目が驚きに見開かれた。初耳である。
「そう……なの?」
「朧気な残像ならば写るかもしれないが、それでは意味がないだろう」
「うん……そう、なんだ。残念……」
「済まぬ、未来」
 我知らず肩を落としてしょげた未来へ、ルシファーが言葉少なに詫びる。
 未来は咄嗟に笑顔を浮かべると、慌てて両手を横に振った。
「ううん、いいの。どうしてもってわけじゃないし、今はもういつでもパパに会えるもん。えっと……他に欲しいもの……」
 プレゼント候補を考え始めた未来の頭に、そっとルシファーの手がのせられた。
 もの問いたげに向けられた娘の視線を微笑みで受け止め、ルシファーは優しく言い含める。
「急ぐ必要はない。次に来る時までに考えておいで」
「……うん。ありがとう、パパ」
 写真は残念だったけれども、自分を気遣ってくれる父親が身近にいるという事が、未来にとっては何より嬉しかった。


 誕生日当日。
 おめかしした未来はルシファー主宰の誕生日会に参加していた。
 髪を彩るルビーをあしらった金の髪留めは、ルシファーから贈られたプレゼントである。未来によく似合うと贈った当人もご満悦の様子だった。
 こちらもパーティに相応しく正装した刹那や永久、そしてゼットやその兄弟も招かれ、刹那と未来の仲魔も交えて、賑やかな宴と相成ったのである。
 刹那は堅苦しい正装に少々窮屈そうだったが、意外に永久はそうでもないようだった。改まった場においては、刹那よりも永久の方が適応力があるらしい。
「永久はミカエルの血を引いてるわけだし、そこはかとなく上品さを漂わせてる所があるよね。……もっとも、その意味じゃ刹那だってルシファーの血を引いてるんだから、こういう宴もさらっとこなせて当然だと思うけど」
 人の悪い笑みを浮かべるゼットへ、刹那は肩を竦めてみせた。
「人には向き不向きってものがあるだろ」
「未来だってパーティに馴染んでるのにねぇ。そのドレス似合ってるよ、未来」
「ありがと、ゼット」
 刹那をからかう合間にしっかり未来を褒める辺り、ゼットらしいというべきか。
 軽口を叩き合う刹那とゼットを見やりつつ、未来は永久と苦笑を交わした。
「でも本当に綺麗だよ、未来ちゃん。誕生日おめでとう」
 言葉と共に永久は手に持っていた小さな花束を未来に渡す。
「ありがとう、永久君。とっても可愛い。……嬉しいな。こんなお祝い初めてだから」
 幸せそうに微笑む未来に笑顔を返し、永久ははたと気づいて刹那の腕を引っ張った。
「兄さん、ちょっと!肝心な事まだ言ってないよ!」
 永久の指摘でようやく気づいたらしい。刹那は慌てて未来の前に立つと、軽く咳払いをした。
「誕生日おめでとう、未来」
「ありがと、刹那」
 差し出された小さな紙袋を受け取った未来へ、刹那は説明を加える。
「その、何がいいか良くわからなくてさ……前に好きだって言ってた曲が入ってるCDなんだ」
 未来は目を丸くした。
「……よく覚えてたわね。私、今の今まですっかり忘れてたわよ」
 以前、学校の校内放送で聴いた音楽が耳に残り、その曲について刹那と話した事があった。
 洋楽で歌詞の意味もわからなかったけれども、メロディがとても印象的だったのだ。
 しかし、もう三ヶ月以上前の話である。
「俺も気になってたから、ちょっと聞いてみたんだよ。紅野先生が自分のCDを使ったって教えてくれてさ。CDのタイトルもその曲からとられてた」
「そうなんだ……。ありがとう、刹那。後でゆっくり聴いてみるわ」
 意外なプレゼントだったけれども、刹那らしい心遣いが未来には嬉しかった。
「最後は僕かな?誕生日おめでとう、未来」
「ありがと、ゼット」
「蓋を開けてみて」
 ゼットから贈られたのは、両手に載る程の大きさの、木製の小箱である。光沢のあるチョコレート色に彩られ、蓋の四隅には葉をデフォルメした模様が彫られてあった。
 ゼットの言うとおり蓋を開けてみると、柔らかなメロディが辺りに響く。
「オルゴール?」
「この間地上で見かけてね。可愛いから、君への贈り物にぴったりだと思ったんだよ」
「ふふ、お上手ね、ゼット。ありがとう」
 にっこり笑う未来の耳に、賑やかな楽器の音が聞こえてきた。
 フロアで祝いの曲が始まったらしい。
 楽器を奏でるデビルの回りで、好き好きに歌い踊るデビルたち。
 刹那や未来の仲魔も加わり、もはや一目では誰がどれやらわからない状況である。
 しかし、皆それぞれに楽しそうだった。
「主賓そっちのけでお祭り騒ぎだね」
 ゼットは苦笑していたが、デビルたちを見つめる未来は楽しげな笑顔を浮かべている。
「いいじゃない、お祭りで。みんな誕生日を知らないんでしょ?」
 未来にとっては意外だったが、ルシファーもゼットも自身の誕生日を覚えていないという話だった。
 ――とはいえ、生誕した年が既に千年単位の昔の話では、それも仕方ないことかもしれない。
 多少の違いはあれど、デビルはそもそも生まれた日というものにあまり執着を持たないため、新年を迎えた回数でそれぞれの歳を数えているらしい。それすら面倒がる者もいる程である。
 そういえば、日本でもその昔、新年を迎えると皆が一緒にひとつ歳を取るという数え方をした、と聞いたことがある。
 こちらは母親の胎内で生を受けた時から人生が始まるとの考えから、生まれた歳を一歳として、新年を迎える度に一つ歳を加えていくもので、数え年という風習である。
 意味合いは違うけれども、年齢の数え方はよく似ている。
 自分自身が生まれた日を覚えていないせいもあるのだろう、デビルたちは誕生日という祝い事を実感していない様子だったが、それぞれにこの祭りを楽しんんでいる事は一目瞭然だった。
 正直な所、未来としてもその方が気楽だったのである。
 見ず知らずのデビルが未来の誕生日を祝うよりも、一緒にお祭騒ぎを喜ぶ方が皆心から楽しめると思えたのは、ある種自然の成り行きと言えるかもしれない。
 いつしか未来たちの周囲のデビルも、思い思いのステップを踏んで踊り始めている。
 未来は刹那と永久の手を引いた。
「私たちも踊りましょ!」
 意外な言葉に狼狽えたのは永久である。
「え、でも僕こんな踊りなんて知らないよ?」
「平気よ、私も知らないもの。好きに踊っちゃえばいいわ」
「そ、そんなものなの?」
 救いを求めるように兄を見やった永久へ、刹那は肩を竦めて笑う。
「ああ、なんか無礼講みたいだし、思うままでいいんじゃないか?」
「ノリの良い曲だから、それに合わせて踊っちゃえばいいよ。楽しんだ者勝ちってね」
 ゼットが軽くウインクをする。
 それを合図に、未来たちは踊りの輪の中に入っていった。


 やがて宴もそろそろお開きという頃合いになると、ルシファーは未来を隣室へと誘った。
 理由がわからないながらも、未来は父親の後に続く。
 城の他の部屋に比べると、幾分殺風景な場所だった。
 調度品の類はほとんど存在しない。ただ中央の雛壇と、その上に置かれた一脚の椅子くらいである。
 そして、雛壇の椅子の前方に、一体のデビルが控えていた。
 その傍らには大きなキャンバスを立てかけたイーゼルと、絵筆や絵の具を始めとした道具が一式。
 未来が目を見張る。
 ルシファーは愛娘を振り返った。
「写真は無理だが絵画ならば大丈夫だ」
 未来の顔がみるみる輝いた。
「ありがとう、パパ!」
 心から嬉しそうな娘の笑顔に、ルシファーも柔らかな笑みを返す。
 そうして、用意されていた椅子に未来を掛けさせると、ルシファーはその隣に立った。
 デビルは待ちかねていたように、手に取った木炭でキャンバスに大まかな構図を描き始める。それが終わると絵筆を握りしめ、すぐさまキャンバスの上を忙しなく走らせた。
 脇目もふらずキャンバスに集中するデビルの姿に、自ずと未来は緊張してしまう。
 不意に、その肩に大きな手が触れた。
 見上げると、ルシファーが穏やかに微笑んでいる。
「未来、固くなる事はない」
「うん……それにしてもすごい集中力よね。なんだか圧倒されちゃう」
「芸術を生み出す者は往々にして強烈な情熱を持つものだ。それを昇華させる術を会得するか否かで運命が大きく左右されるのだろうな」
 親子のひそやかな話し声には全く興味を示さず、デビルはひたすらに絵筆を動かしている。
 成程、この集中力もまた彼が持ち得る才能のひとつなのだろう。
 とはいえモデルの一人はこの城の城主なのだ。今日の祭りは無礼講だったとはいえ、普段未来が城で出会うデビルは礼儀を重んじる者ばかりである。
 父親がこの画家のデビルをどう思っているのかが、ふと気になった。
 見上げる娘の視線から彼女の抱く疑問を察したのだろう、ルシファーは小さく笑う。
「芸術家は偏屈な者が多いのだ。しかし腕が確かならば、いちいち目くじらを立てるほど私は狭量ではないよ」
「パパらしいわね」
 未来もこっそりと笑い返す。
 そうして、ルシファーと言葉を交わす事で、未来は肩の力を抜くことができたのである。


 数日後、未来の元に一枚の絵が届けられた。
 四つ切り写真の大きさである。どうやらあのデビルは同じ構図でもう一枚、絵を描いたらしい。
 城の一室で見たあのキャンバスが届いたらどこに飾ろうかと思っていたのだが、それが杞憂に終わって未来は内心ほっとした。
 もっとも、そういう点でルシファーに抜かりのあろう筈がないのだが。
 未来はこの絵を勉強机に飾る事にした。日々の生活で一番時間を費やす場所だ。ここならば、いつでも絵を見ることが出来る。
 添えられた手紙によると、キャンバスに描かれたものは城に飾ることにしたという。
 未来は机に飾った肖像画を見つめ、幸せそうに微笑んだ。


──fin


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<あとがき>
 …書き上げるまで、かなり時間がかかりました。
 大筋は割と早くに上がっていたんですが、肉付けがなかなか進まなくて。
 相変わらずオリジナル設定の話ですが、楽しんでいただけたら幸いです。

 お題を見た時、誰の肖像画か、で迷いました。
 ルシファー城には城主の肖像画はなかった気がするし、
 刹那や未来の母親の絵も特に見当たらなかったですし。
 実際、記憶がしっかり残るなら、敢えて肖像画は不要かとも思えまして。
 むしろ、父親の思い出を持たない未来に描いてあげるべきかなと…。

 余談ですが、話の中に出てきたCD。頭にあったのはニック・カーショウの「THE RIDDLE」です。
 管理人が舞台で初めて聴いて以来、耳から離れなくなって実際に購入したものだったりします。