和風人形 例によって例の如く地上へ遊びに来たゼットは、下校中の未来をつかまえると、彼女の家でちゃっかりお茶をご馳走になっていた。 帰宅した未来を迎えたベールは予期せぬ来訪者に少なからず不機嫌な様子だったが、それを気にするゼットではない。 結局、ベールは未来の部屋に引っ込んでしまった。言い争いでは分が悪いため、ゼットの帰りを待つことにしたらしい。 ――相変わらず未来はベールに好かれてるなぁ。 二杯目の紅茶を用意すべく台所に立った未来の背を見やり、ベールが閉じこもった部屋の扉に視線を投げかけたゼットは、そんなことを考えていた。 もっとも、刹那もクールに好かれているし、永久とスフィンクスも仲が良い。 パートナーとして契約したデビルとその主は強い絆を持つものだが、未来と刹那に関して言えば、契約自体は成り行きのもので、なし崩し的な要素が強かったはずだ。 それを考えれば、二人は互いに良いパートナーに巡り会えたということだろう。 何となく手持ち無沙汰になったゼットは、居間をぐるりと見回した。 と。その視線が、ある一点で留まった。 |
小さな段が設けられた部屋の一角に、市松人形と雛人形が置かれている。 確か、以前訪ねたときには見なかった物だ。 片や一見して高級品とわかる市松人形。穏やかな表情からは奥ゆかしさが感じられ、身に纏う着物は質感がある。素人目にも安価なものとは明らかに異なった造りであるのが見て取れた。 しかし、その隣に飾られてあったのは、折り紙で作られた女雛と男雛である。 女雛と男雛は文庫本の半分にも満たないサイズの台に載っている。この台も手作りだろう。金屏風はボール紙に金色の折り紙を張って作られ、ややいびつな雪洞はつまようじを細工したものだ。有り合わせの物で作られた雛人形だが、そこに込められた愛情が伝わって来るようだった。 双方の人形の前には、小皿に乗せた雛あられが供えられている。 「お待たせ、ゼット」 ほどなくして、未来は二人分の紅茶を載せたトレイを持ってきたが、生返事を返すゼットの様子に首をかしげた。 「どうかした?」 「あ、ありがとう、未来。あのさ、そこの市松人形と紙の雛人形、なんでセットで置いてるの?」 ティーカップを受け取ったゼットの言葉に、未来はああ、と小さく笑った。 「雛人形はママの手作りなの。市松人形は伯父さんが実家から届けてくれたのよ。ママが一番大切にしていたものだから、せめてこれだけでも私にって」 「そっか……」 良家の子女であった未来の母は、未婚の母となる事を決めた時に父親に勘当されたのだ。 娘を産んだ後も、生涯実家の敷居を跨ぐことは無かったと聞く。 未来にとって母の実家は、名前だけの意味しか持たないのかもしれない。そもそも顔も見たことがない祖父母に、何らかの感情を抱くこと自体が無理な話と言えるだろうか。 「だけど、ちょっと意外だな。彩華って和風なイメージ無かったから、人形っていうならアンティークっぽいのとかビスクドールとか、そっち系だとばっかり思ってた」 未来は小首を傾げる。 「そう?あの雛人形は手作りだし、別に不思議には思わなかったけど」 そういえば、未来ははっきりと母親の姿を覚えているわけではないのだ。 未来の母は、一言で言うなら華のような女性だった。快活で気の強い、決して弱みを見せようとしない娘。 しかし、着物を始めとした日本の伝統文化から連想されるのは、侘び寂びといった感覚や、落ちついた所作などが主である。 ゼットの記憶している彩華とこれらを共通項で括るには難があるように思えたが、あの手作り雛人形を見ると、むしろ彼女は和風好みという方がしっくりきた。 「人は見かけに寄らないか」 「え?」 「いや、別に。だけどこの子本当に綺麗だね。大切にされてたんだろうなぁ」 ゼットは人形に近づくと、硝子越しにしげしげと眺める。 やがて、その表情に楽しげな笑みが浮かんだ。 「人形には心が宿るって言うよね。大切にしてくれた人を覚えてるからかもしれないな」 「そうね。怖い話もたくさん聞くけど、それだけ思い入れがあったってことなんだし」 「うん。この子も綺麗な表情をしてる。一見して大切にされてたことがわかるくらいにね」 未来の手に届くまで、母親の実家で大切に保管されていたのだろう。慈しまれていた様子が目に見えるようだった。 「そうね」 もしも彩華があと数年生きていれば、両親と和解する切っ掛けが得られたかも知れない。 あまりに早い娘の死によって、溝が埋まらないままになってしまったけれども。 しかし、彼女の娘はこうして生きているのだ。 ――いつか、互いの存在を認められる日が来る可能性もあるだろう。 屈託のない未来の様子を見ると、案外それが実現するのも遠い日の事ではないように思える。 血は水よりも濃い、というしね。 未来のために、また、彼女が顔も知らぬ祖父母のために。 ……そして彩華のために。 柄にもなく、ゼットがそんなことを考えてしまったのは、やはり人形に込められた慈しみのせいだろうか。 「そういえばもうすぐ雛祭りだよね。こんな祝い事を知ったらルシファーも大喜びで……あれ?」 何の気なしに独りごちた言葉で、ゼットは我に返った。 「未来、ルシファーは雛祭りのこと知ってるよね?」 「さあ?」 「……話してないの?」 「うん」 さも当然と言わんばかりの返答に、ゼットは目を丸くした後、大袈裟に溜息をついてみせた。とはいえ、半分以上はポーズである。 「ゼット?」 予想に違わず、未来が少し心配そうに彼の名を呼ぶ。 ゼットはテーブルに頬杖をつくと、未来の顔を下から覗き込むように見上げた。 「こういう事は話してあげないと、残念がるよ。あれで根っからの子煩悩なんだからさ」 「でも、これって地上のお祭りなんだし、魔界とは関係ないでしょ?」 未来の言うことはもっともである。 だが、それを言ってしまえば父親の立つ瀬がないだろう。たとえ暮らしている世界が異なるといえども。 「じゃあクリスマスはどう?僕らには聖誕祭なんて関係ないけど、日本じゃサンタクロースが子どもにプレゼントをあげる日だろ?」 「あ、そっか……」 「まして未来の祝い事なんだよ。ルシファーが知ったら仕事放り出して用意するはずさ」 ゼットの発言は大袈裟ではない。件のクリスマスにしても、地上の催しを知ったルシファーが二人に内緒でパーティの準備をしてくれたのである。 仮にも魔界を統べる大魔王だというのに、城を挙げてセッティングされたクリスマスパーティの賑やかさには、二人共流石に唖然としたものだった。 事前に家族揃って食事をしようという話はしていたものの、まさかこれほどの規模で用意されているとは思いも寄らなかったのだ。 とはいえ、大喜びした二人の姿に、ルシファーが眦を下げたのは言うまでもない。 「うん、そうね」 未来は頷いた。楽しそうな思い出し笑いを浮かべながら。 ――変な所で遠慮するんだよね、未来はさ。 彼女の淹れた紅茶を飲みつつ、ゼットは内心苦笑する。 世界情勢も落ちついた今、本音を言えばルシファーも我が子たちを手元に置きたいのであろうが、二人の意思を尊重して地上での生活を認めているのだ。 せめて祝い事は共に迎えたいと望むのは当然だろう。 普段はさんざんルシファーをからかう側のゼットだが、こういう時は友人想いなのである。 「後でパパに話しておくわね。ありがとう、ゼット」 「どういたしまして」 澄まし顔のゼットに微笑みかけ、未来は部屋に飾られた市松人形と雛人形を見やった。 後日、『雛祭り』を知ったルシファーが未来と共に雛人形を一揃え購入し、翌年からは立派な雛人形がダークパレスの一室に飾られることになるのだが、それはまた別の話である。 |
──fin
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