『その日』は、あれから半月後にやってきた。 学校が、魔神皇ハザマによって魔界に落とされた、半月後。 東京の空は、閃光につつまれたのである。 「…和音? 私、一体、何をしていたの?」 リリスを倒した後、正気に戻った玲子は、不思議そうな表情を向けてきた。 『今のリリスは嫉妬に狂った君の心の姿だったのだよ。君は力ずくでねじ伏せたわけだ…』 狭間の嘲りを含んだ声が、耳の奥でこだまする。 『何しに来たんですか? 和音、私に何か用なんですか? 私はあなたに用はありません。 私は彼と一緒にいて、とても満足しています。 あなたは私に何をしてくれるんですか? あなたは彼のように、私を守ってくれますか? 私に優しくしてくれますか? あなたは私に、何もしてくれませんでしたね… もともと、無理についてきてもらいましたが、あなたとは もう終わったんです。 さようなら…』 この部屋にたどり着いた時の、玲子の言葉がよみがえった。 返事に詰まり、俺は彼女から視線をそらす。 「…なんでもないよ。変な夢を見てただけだから」 玲子が一歩、踏み出してきた。 「和音?」 小首をかしげたらしい彼女に、俺は視線を戻した。 「行こうか」 玲子に近づき、その手を取る。 そして、俺たちは部屋を出た。 「か、和音?」 玲子の手を握ったことは、今まで数える程しかない。 それも、必要に迫られたときだけだ。 普段ならありえないパートナーの行動に、彼女の声が上ずっていた。 「…俺さ」 「?」 「君への態度が、はっきりしていなかったと思う」 ぴくり、玲子の手が動く。 「君のことを、理解しようとしていなかったんだよ。君が何を考えているか、何を望んでいるか、何を…思っているのか」 「……」 歩みを止め、言葉を継ぐ。 「薄々、気づいてたからさ。つい引くことばかり先に立ってたと思う。それが冷淡な態度に映っていたのかもしれないし、守るべき時に守れないことにつながったのかもしれない」 あの時の玲子の言葉は、本心だ。 何も言っていないくせに、どこかよそよそしい態度で接していれば、何もしていないことと同じになる。 そう思われるような態度をとっていたのだと、ようやく気がついた。 「和音…」 玲子が何か言いかけたが、振り向いて遮った。 彼女の目を見つめる。 「でも、これからは君を守る。態度も改める。二人の協力がなければ、先へ進めないことは一目瞭然だからね」 笑みを浮かべつつ、ぎこちなくなっていなければいいな、と思う。 そんな俺を見ていた玲子は、ゆっくりとうつむいた。 彼女の腕が、小刻みに震えている。 「…ごめんなさい…」 そんなくぐもった声が発せられたのは、少し経ってからだった。 何も言えずに、俺は玲子を見る。 「私も、無意識のうちに、予防線を引いていたんだと思います」 うつむいたまま、玲子は続けた。 「無理にお願いして来てもらったくせに、私は別の方ばかりに目を向けていたんです。だから…あなたがそんな風に気を遣ってくれていることに、気づいていませんでした…」 か細い声だった。 玲子がこんなしゃべり方をするということを、初めて知った気がする。 「私の理想は理想でしかなくて、現実にはないってわかっているつもりでした。でも、追いかけてしまうんです。私…ひどい人間ですね…」 「玲子…」 「愚かだと思います。あなたにひどいことをしていると、わかっているつもりです。なのに、私自身は別の所を見ています。きっと、私はあなたと一緒にいる資格がないんです」 うつむいたままの彼女の肩が、震えている。 「初めて会った時のこと、覚えてるかい?」 いきなりの話題転換に、玲子は涙にぬれた瞳を上げ、俺を見た。 「あの時、まずクラスメイトの由美に話しかけられたんだ。一緒に行ってほしい、学校のみんなを救いたいってね」 不思議そうな表情の玲子だったが、俺は構わず話を続ける。 「次に君に会ったんだ。すぐに行ってしまったけど。その後でチャーリーに会った。あいつは一人でも魔界から出て行ってやるって言っていた。…それから、もう一度、君に会った」 玲子は、黙って話を聞いている。 「確かに、由美のようにみんなを助けたいと思った。チャーリーのように、一刻も早く抜け出さなきゃならないって思った。──でも、俺は君を助けたかったんだ」 玲子のきれいな瞳の中に映る自分の顔が、やわらかな笑みを浮かべていた。 「思わせぶりな態度の奥で、心細がっている姿が見えたんだよ、俺には。だから力になりたいと思った。道は一つだと気づいていたから、誰の手を取ることもできたはずだろう?でも、俺は君を選んだんだ」 玲子の頬を、一筋の涙が流れ落ちた。 「一緒に行こうと思ったのは俺だよ。資格なんてものは必要ないさ。君と出会ったその時から、俺は君しか見ていない。一緒に進んで行きたいんだ、玲子」 普段の自分なら、こんな台詞を照れもせずに言えるはずがなかったはずである。 だが、今は自然に言葉が出てきた。 眼前の人へ、その想いを口にすることは、難しくはないのだと初めて知った。 「和音…私、でもあなたを傷つけます。この先、もっとたくさんの傷をあなたに負わせます」 静かな声ではあったけれど、芯の強い、はっきりした声で玲子は言った。 「平気だよ。男はね、惚れた女のためなら、どんな傷も受けられるんだ」 「…和音…」 「女もそうさ。君だって、もうたくさんの傷を負ってる。俺一人無傷じゃ割に合わないよ」 「……」 玲子はうつむいた。 次の言葉を発するまで、少しだけ、時間を置く。 「玲子」 その名を呼んだ。 「一緒に来てくれないか?」 一呼吸おいて、玲子は顔を上げた。 はっきりとした、意志を持った瞳をこちらに向け、彼女は一言返事をしたのだ。 「はい、和音」 |
すべてが終わった後、あのプログラムの製作者と出会い、再び悪魔召喚プログラムを手に入れた。 そのためか、俺は生き残った。 知人の多くが鬼籍に入った今も、まだ生きながらえている。 終わりのない夢を見ているような毎日を過ごしながらも、思い出すのは魔界で玲子と共に進んだあの日々ばかりなのだ…。 「…残酷、だな」 狭間の精神世界に入ってから、彼の記憶を幾つか垣間見た。 その中で、暁子とのいきさつを知った直後のことだ。 玲子は、何も言わない。 「あの二人は、狭間が傍で会話を聞いているかもしれない、なんて考えてなかったのか…。それとも、知っていた上であんなことをやったのかな」 何を言えば人が傷つくのか。 ほかに言いようはいくらでもあった気がする。 怠惰界で見たあの石像は、本物だったのだろうか? 「でも…知っていたら、あんなに無造作なことをするとは思えません…」 玲子が遠慮がちに言う。 「俺もそう思う。狭間って、純粋だな」 「え…」 「内向的だけど、本当に純粋な…ある意味、子供みたいだって思ったんだ」 どこか縋がるような、暖かいものを見つけたような。 不思議なまなざしを、玲子は俺に向けている。 「無邪気な子供ってさ、大人が気を遣って言わないようなことを平気で言うだろう?」 「ええ」 「あの二人も、まだ子供なんじゃないかな。他人を思いやることができて、初めて人は大人としての第一歩を踏み出せるって、聞いたことがある」 「……」 記憶の部屋を出ながら、肩をすくめた。 「ま、俺もその点まだガキだと思う。甘えもあるし」 そして、玲子を振り返った。 「でも、狭間も子供じゃないのかって思えるんだ」 「和音…」 それ以上、玲子は言わない。 「なんか変だけど、この事件の発端は子供の夢物語っていう気がする」 「夢…でも、これは悪夢ですね…」 玲子は、この精神世界に来てから浮かべるようになった、寂しげな表情で呟いた。 「内向的な少年の見た夢。そのきっかけを作り出した奴。何より、夢を実現させた力。このうち、どれか一つでも欠けていれば、こんな事にはならなかったんじゃないかな…」 「そうですね…」 その声が悲しげなものだと、改めて思った。 何度も何度も思い返す玲子の顔。 その中で、笑っているのは数えるほどだ。 いつもいつも、真摯な瞳を前に向け、進んでいた。 ともすれば、他の事など、すべてを忘れてしまう程に。 けれど嫉妬界を抜けた頃には、俺たちの間にも、通じあうものができはじめたと思う。 玲子の瞳が他を見ていたことは知っていたが、それでもいいと思っていた。 そばに彼女がいるだけで、良かったのだ。 狭間と玲子の繋がりを明確にする記憶に出会い、俺たちの間には、妙に気まずい空気が流れていた。 そして、本当に最後の扉の前に来た時。 「狭間は、ただ俺たちを恐怖に怯えさせるためだけにこんなことをやったのかな…」 ふと、今まで抱いていた疑問が口をついて出た。 「……」 「4階から上の学校は、狭間の造り出したものなんだろう?」 「ええ、そうです」 「敵を迎え入れる際に、わざわざ敵の有利になるようなものを置いたり、回復場所を設けたり…普通、逆だと思わないか?」 玲子は、俺を見ている。 「学校だけじゃない。傲慢界、飽食界、怠惰界、嫉妬界、そして貪欲界。確かに、狭間の思考の押しつけって部分はある。でも、そんなことよりも、警告のような気がしてならないんだ」 今までの出来事を思い返す。渡ってきた6つの世界を。 「飽食界では、校長先生をオーカスに化えていた。怠惰界では、教師と生徒を含む全員を強制労働させていた。だが、これは一理あると思う。嫉妬界でもそうだった……」 「……」 「暁子がああなった原因は、さっき見たとおりだ。龍一は暁子に関係あって、陰口の一員でもあった。他にも、悪魔の犠牲になった人間はたくさんいるし、狭間のやったことを認めるわけにはいかない。でも…」 こちらをただ見つめる玲子に、感じたことをはっきり言った。 「俺は、狭間のすべてが悪だとは思えない」 わずかながら、時間が過ぎた。 そして、玲子は静かに口を開く。 「和音は、そう思うのですね」 「君はどう思う?」 しかし、玲子は、ただ首を横に振った。 「私には先入観があります。この感情のベールから物を見れば、すべての事実はゆがめられます。真実は見えないでしょう」 俺が彼女の名を呼ぶよりも早く、玲子は俺の目を見つめて、毅然とした声を発した。 「ですから、あなたに見てほしいのです。何物にもとらわれることのない瞳で。今までの出来事すべてを思い出してください。あなたが見た事実は、真実の裏返しなんです。 和音なら、きっと何が真実なのかがわかります。 そう思ったから、私は、あなたと一緒に来ました。この、彼の内面まで」 ──今まで聞いたどの言葉よりも、重い言葉だった。 だからこそ、玲子は重大な決意を秘めてあの場にいたのだと、今、気がついた。 「わかった。行こう。狭間…魔神皇が待っている」 「はい」 そして、俺たちは扉をくぐった…… |
あれから、3年の月日が流れた。 俺はあのときの経験から、デビルバスターという仕事を生業とするようになり、大破壊で失った家族の残した家で、生活を続けている。 あれ以来、軽子坂高校が魔界に落とされた日になると、学校で一日を過ごすようになっていた。 校内にも悪魔は出現する。 だが、それでもそこにいたかった。 ──最後に玲子と別れた場所だったから。 我ながら女々しいと思いつつ、いつも通りに2−Dの教室へ入る。 軽子坂高校は、ひどく荒れ果ててしまった。 だが、机や椅子、黒板や教卓を見ていると、平和だった頃のことが昨日のように思い出されるから不思議だ。 そして、音楽室へ。 ここに来ると、玲子と出会った時のことにはじまり、彼女と過ごした日々が、絶え間なく思い出される。 刹那。 殺気を感じたと同時に、横へ飛んだ。だが、遅かったらしい。 攻撃を受けながらの着地と同時に、右胸にひどい圧迫感を覚え、一瞬、息が止まった。 肋骨がやられたか。 悪魔の追い討ちをなんとかかわすと、体の異常に気がついた。 ──毒、だな。 とりあえず回復系の仲間を召喚しようと、コンピューターに右手を伸ばし…。 その手を、止めた。 …今まで、俺は何のために生きてきたのだろうか。 ふと、そんな疑問が頭をよぎったのだ。 ただひたすら、一人の面影を追いかけ、何をしたのだろう。 二度と会うことのない女性を想い…目的もなく、ただ、生きてきた。──三年もの間。 目を閉じ、まぶたの裏に玲子の姿を想い描く。 ……そろそろ、疲れたな…… 耳の奥で、悪魔が呪文を詠唱する声が響く。 玲子の姿を思うせいか、彼女の詠唱の声までがよみがえってきた。 澄んだ玲子の声は、どこか歌うような響きがあった……。 「…マハジオンガ!」 どさり、と何かが倒れる音がした。 不思議なことに、俺は何も痛みを感じない。 ゆっくりと、目を開けた。 「和音、良かった…」 ──これは、夢か? 自分の視界に存在する人間に、現実感が抱けない。 「無事だったんですね」 澄んだソプラノが、俺の耳に伝わった。 数えきれぬほど夢に見たその声。 駆け寄り、俺にそっと触れた手は、少し冷たかった。 「和音…」 「…夢でも幻でも…君が、目の前に現れたなら……」 右手で、彼女の頬に触れた。 暖かい。 「…玲子…本当に、君なのか…?」 にっこりと笑みを浮かべたその瞳に、涙があふれる。 「和音…私、あなたに会うために、帰って来ました…」 その背に腕を回し、俺は、彼女を抱き締めた。 「玲子…!」 「兄さんが、私を解放してくれたんです」 俺の傷を回復させながら、玲子は語りはじめた。 「あの時、兄さんの意識と私の意識が、ひとつになりました。けれど、私の心の中には、あなたを想う気持ちが残っていたんです。一緒に魔界を進んでいる間に芽生えた、あなたへの想いが…」 癒された俺の傷口から手を戻し、玲子は膝の上で両手を組み合わせる。 「それに、兄さんは気づいてくれました。自分は意識体となってしまったけれど、私の身体がまだ残っていたことで、兄さんは、私の意識を二つに分けられないか、と考えたんです。兄と共に存在する意識には、身体は必要ありません。残った身体に半分の意識を返すということを、何度も何度も繰り返した結果、私が目覚めたんです」 俺は、玲子の肩に手を回した。 玲子が自然と、俺に頭をもたせかける。 「目覚めた時、私の前に兄さんと私自身がいて…なんだか不思議な感じでした。その私に、兄さんは状況を説明してくれたんです。そして…」 『僕を救うことができたのは、君だけだった。感謝しているよ、玲子。そして僕同様に、いや、それ以上に、今君という存在によって救われる人間がいるんだ。今の君が想う男性だよ。彼と共に幸せにおなり。─―そして、彼に伝えて欲しい。感謝している、と』 あの時の声だろうか。 すべての戦いが終わり、自分自身を取り戻した狭間が、玲子を抱きしめた時の穏やかな声音。 そして、あれこそが、おそらく本来の狭間の姿だったのだろう。 「俺の方こそ、感謝してる。こうしてまた君に会えるなんて思いもしなかった…」 玲子が顔をあげた。 俺の顔を見つめ、微笑む。 「私、あなたを好きになって良かった。今はなによりも、あなたに会えたことが嬉しい…」 「玲子…」 彼女の頬に手をやる。 そっと、唇を重ねた。 「愛してるよ。誰よりも、君だけを」 臆面もなくこんな言葉が言えるとは、自分でも思わなかったけれど。 「私も、あなただけを愛しています、和音…」 そう言って玲子が浮かべた優しい微笑みが、俺だけに向けられたものだと実感できた。 これから君と過ごせる時間は、俺にとってかけがえのないものだから…。 俺は、腕の中の玲子の身体を、しっかりと抱き締めた。 もう二度と、離れることのないように…。
──了
<あとがき> 自分で読み返して思ったんですが。 …なんでこんなにベタ甘小説になるかな、私(爆)。 「if…」ではとにかくレイコが好きで、わざわざ男主人公を選んでプレイしていたんです。だからあのラストがすっごくショックでした。なんで私の好きになるカップリングって恋愛成就しないんだろう…(泣)。真Uのベスもそうでした…。 で、こうなったら自力でハッピーエンドにしてやる!!と思い立って書いたまでは良かったんですが。…恥ずかしくてまともに読み返せません(汗)。特にラスト…あああ、笑うしかないかも(爆)。 「if…」の各世界を回っていると、ハザマの言うことにも一理あるなぁと思えてなりませんでした。ラストダンジョンの学校でも回復施設作ってくれるし(笑)。もちろんこれはストーリーとは関係ないとわかってたんですけど、なんだかこう、ハザマって悪に徹しきれていない所がある気がしまして、私はその点を好意的に解釈しています。 念のため、これらの解釈はすべて長山の個人的なものですので、読み手の方には「こういう考え方の人もいるんだなぁ」という感じで受け取っていただけると嬉しいです(汗)。 |