訣 別
大破壊後の新宿の街は、事実上小沢という男によって支配されていた。 「建御名方様、この目障りなガキどもを始末して下さい!」 小沢の高らかな声と共に、鋭い眼光を持つ鬼神が現れた。 溢れんばかりの威圧感を与えるその鬼神が彼の傍らに立ち、手にした刀を一閃する! 不意を突かれた三人に、痺れるほどの衝撃波が襲いかかった。 「うわぁっ!」 「野郎っ!」 立っている事もままならず、真哉が片膝をつく。 隣の司は鬼神の強さに闘争心を刺激されたらしく、衝撃波を受けながらも呪文を詠唱しようとした。 そこに、制止の声が飛ぶ。 「駄目だ、こいつには勝てない!逃げましょう!」 膝をついた真哉と今にも呪文を唱えようとしている司の腕をつかみ、圭一が二人を強引に部屋から連れ出した。 「止めるんじゃねぇ、圭一っ!」 「あの衝撃波には君の火炎も効きませんよ!」 「くそっ、ここまで来て…」 小沢の勝ち誇った顔を最後まで睨みつつ、司が呟く。 その言葉には耳を貸さず、圭一は司の腕をつかんだまま、ひたすら走った。 |
なんとか追手をまいた三人は、半ば崩れたビルの中でようやく息をついた。 圭一が回復魔法で真哉の傷を癒す。 「サンキュ、圭一」 真哉の礼に笑みを返し、圭一が司の腕を取ろうとした。 だが、司はその手を振り払い、彼を睨みつける。 「司君…」 司は視線を逸らし、右手を握り締めた。 「…昔の俺は非力だった。だが金剛神界で力を身につけたはずだ…。なのに現実はどうだ!?あの男に、あの男の手下に、悪魔に歯が立たねぇ!やつらをぶちのめさなけりゃいつまで経っても堂々巡りだ!」 その激しい独白に、二人は何も言えなかった。ただ、激昂する司を見つめるのみである。 二人が自分を気遣う表情には目もくれず、司は呟いた。 「…力が欲しい…」 「司…」 「小沢を倒すためには、もっと力がいる…悪魔よりも強い力…そうだ!悪魔の力だ!悪魔の力を俺の身体に宿せばいい!」 「何て事を言うんですか!」 意表を突いた司の言葉に、まず反応したのは圭一だった。 「悪魔と合体したら、司君はもう人間ではなくなるんですよ!? そうまでして勝って何になると言うんです!」 司は圭一を真正面から見据え、低い声を出す。 「圭一…おまえにはわからねぇだろうよ…」 誇り高い獣の傷つけられた瞳。 以前、司が一度だけ過去の出来事を口にした事があった。あれは、真哉が母親を悪魔に殺された直後だったろうか。 小沢一味と争いになり、自分に力が足りないと強烈に感じたということを。 『多勢をカサに相手をねじ伏せる、それがあいつのやり方だ。だが、一番許せねぇのは、その小沢に負けちまった無力な俺自身だ。あの男を倒すだけの力、俺が求めているのはそれだけだ』 司の口癖を聞くたびに、真哉はこの言葉を思い出していた。 「真哉!仲魔を一体くれ、俺が強くなるために!! 圭一相手では埒があかないと感じたのか、司は真哉に向かって自分の望みを口にした。 ──力を求める渇いた魂。 夢の中のあの声は、これを意味していたのだろうか。 今、止めても無駄だろう。それだけは真哉にもはっきりとわかっていた。 「僕には、司のように強さを求める気持ちはわからない。けど…」 真哉は目を伏せた。 視線の先にはひび割れ、崩れ落ちた壁がある。 破壊された世界。30年前は何の変哲もないビルだったはずの空間。…二度とは戻らない時間。 顔を上げた真哉の瞳には、強い意志が見て取れた。 「わかった」 「真哉君!正気ですか!?」 「本気だよ。司は力を求めてる。正しいかどうかなんてわからない。でもどうしても、司自身がケリをつけなきゃ始まらない。それに…」 ふっと真哉は圭一を見た。 「こいつは、後悔しないよ…」 諦めだろうか。信頼か。真哉の瞳からそれを読み取った上で、圭一は司を見た。 「僕が何を言っても無駄でしょう。でも、司君」 司が圭一を見返す。闇の炎を思わせる彼の昏い瞳に、まるで相手の身体をも射抜いてしまいそうな錯覚を覚えながら、圭一が問う。 「そうまでして得た力に、どういう意味があるんです?」 「意味?この世界を生き抜いてやる。それだけだ」 「……生きる事になりますか?」 心の奥底まで見通すような瞳。深い胸の奥に染み入るような静かな声。 それらに対し、司は、ただ、嗤った。 「なるさ。間違いなく」 圭一は司から視線を外し、外へと続く扉へと体を向けた。 「では、もう何も言いません」 |
「わ、悪かった!許してくれ!!」 建御名方を倒された小沢が、床に這いつくばって三人に哀願した。その姿は哀れみを通り越し、もはや軽蔑の対象でしかない。 「……」 眉をひそめた真哉は返答しなかった。 そこへ、司が一歩前に出る。 「俺に殺らせろ」 「司君!」 「司…!」 二人の声を無視し、司は剣を振り上げた。 「カリを全て返してやる。貴様の命が代償だ!!」 「司君!そこまでする必要は」 「口出しはしないと言ったな、圭一」 「……」 圭一が唇をかむ。 「司、本気でそいつを殺すのか!? こんな奴手にかけて何になる!!」 「それが、俺の目的なんだよ」 司が剣を振りおろす! 「!?」 「圭一っ!」 司の渾身の一撃は、小沢の前に身を躍らせた圭一の右肩に吸い込まれていた。 身につけていた鎧を引き裂き、肉を断った感触が伝わる。思わず剣を引くと、それは簡単に司の手に戻った。 しかし、血止めの役目を果たしていた剣が引き抜かれた事により、圭一の傷口から溢れる血潮が瞬く間に衣服を緋に染め、床には血溜りが広がってゆく。 「な…何のつもりだ、圭一!」 真哉が圭一に駆け寄る。傷口をふさごうとした彼の手を制し、圭一は司を見上げた。 「人を…傷つけるということの…意味が、本当に…わかっていますか?」 「こんな下衆を庇うのか!? くだらねぇことしてんじゃねぇよ!!」 「この人を庇ったつもりはありません!!」 普段は穏やかな圭一の激しい口調に、司がわずかに怯む。 「人の血に染まった剣を手にして、何になるんです!? 他人を傷つけた数ほど、流した人の血の量だけ、君が傷つくんじゃないんですか?」 「…綺麗事言ってんじゃねぇよ」 「司君!」 「俺は!」 司が剣を横に振った。剣を染めていた赤い血が、飛沫となって周囲に飛び散る。 「聖人君子の説教聞くつもりはねぇよ!小沢に止めを刺すためにこの力を手に入れたんだ!最後の最後で邪魔するってのか!?」 「ここで考え直さなくては、君は本当に人間ではなくなります!本当にわかっているんですか?後悔した所で」 「おまえに言われるまでもねぇよ!」 圭一と司の口論に、真哉は口を挟めなかった。 二人のそれぞれの主張に対し、発言できる明瞭な言葉がなかったのだ。 そして…その三人に隙ができた。 小沢が脱兎のごとく逃走を図る! 「…マハラギオン!」 「ぐわぁっ!!」 司の手から発せられた紅蓮の炎が、小沢の身体を包んで燃え上がる。 「司君!」 「司!」 二人の制止の声に耳を貸さず、司は飛び出した。小沢に剣を突き立てる! 「司…」 「……」 小沢が事切れるまで、三人は無言だった。 最初の炎に焼かれた時、既に小沢は致命傷を受けていたようだった。逃げる事などできはしなかったはずである。だが、その心臓に突き立てられた剣は、司の意志の現われだった。そう、感じられた。 時間にしてみればわずかな間だったろう。 けれどこの場の人間にとって、それは短いものではありえなかった。 物言わぬ骸と成り果てた小沢の身体が、ゆっくりと崩折れる。 「やっと、こいつに落とし前をつけた」 倒れ伏した小沢の身体から剣を引き抜き、司は二人を見た。 「…司…」 何と言えばいいのだろう。何を話すべきだろうか? それには応えず、司は手にした剣の刃を左手で軽く握った。 圭一と小沢の血潮が残る刃。 刃から左手を放し、剣を軽く一振りする。血糊を飛ばして鞘におさめられたその剣は、しかし既に人の流した血に染まっていた。 「真哉…圭一」 圭一がはじかれたように司を見る。 「おまえらみたいな甘いやり方じゃ、この先生き延びることさえできねぇぜ。俺は合体で力を得た。もうおまえらと一緒にいる必要もなくなった」 ふと司は圭一の傷口に目をやった。肩口を押さえる圭一の手は、鮮やかな赤色に染まっている。 「…悪かったな。傷、早く治せよ。じゃあな、生きていたらまた会おうぜ」 司が二人に背を向け、歩き出した。 「司…待てよ!」 「真哉君」 立ち去る背中を追いかけようとした真哉を圭一が止める。 「無駄ですよ。君がそう言ったのでしょう」 「圭一、でも」 「彼の心は決まっています。もはや引き止められません」 真哉がうつむいた。そのまま、何も答えない。 「真哉君?」 彼の名を呼ぶ圭一に応えず、真哉はくすんだ色をした床を見つめていた。 大破壊を潜り抜けたらしいこの建物は、支配者の部屋の壁さえも薄汚れている。片付けられていないわけではなく、それがこの建物の色合いとなっているせいだ。 立ち去る司の気配が完全に消えてから、ようやく真哉が重い口を開いた。 「…あの時僕が悪魔を提供したのは…そうしなかったら、司が行ってしまうって思ったからなんだ。あいつを引き止めたくて、頷いた」 「……」 「本当は止めるべきだったのかもしれない。止めて別れてれば…司は」 「仮定はあくまで仮定です。過去に戻る事はできませんよ」 圭一は静かに言葉を発した。 果たしてそれは、真哉に対してか、彼自身に対してか。 きっかけを作ったのは紛れもなく真哉自身だ。あの時司の望みを叶えたのは自分なのだから。 圭一は少し寂しげに、言葉を継ぐ。 「真哉君、もっと強くならなくてはいけませんよ。…自分で決めた道を進んでいく事ができるだけの、強さを身につけなければね」 そこで彼は少し微笑んだ。 「君は、優しすぎますね…」 「…圭一の方が、ずっと優しいよ」 圭一は首を横に振った。 真哉が何かを言うより先に、彼は自分の傷を治す。 「行きましょうか。僕たちにはまだやるべきことがあるでしょう?」 「そう…だな」 真哉は立ち上がった。圭一もゆっくりと立ち上がる。 ふと部屋の片隅の小沢の死骸に目を遣り、真哉は口を開いた。 「確かに、小沢は放っておくべきじゃなかった。司のやったことはある意味で正しいよ。…全面的に認める事は出来ないけど…」 「…そうですね」 「何か、方法があったんじゃないだろうか」 「……」 ──綺麗事でしかないだろうか…? 傲慢な思いでしかないかもしれない。けれども、真哉はそう思わずにはいられなかった。 何が正しいのか。 真実はどこにあるのか。 今つかめない答えは、進んだ先にあるのだろうか。 わからない。けれど、今は前に進むしかない。 答えを見つけられる事を信じて…。 ──了
<あとがき> |