思い描く絆




 ラグナロクを迎えた世界は、新しく生まれ変わるべく、ゆっくりとした変革の時を刻んでいた。
 魔界も落ち着きを取り戻しつつある中、セントラルランドの居城・ダークパレスへ戻ったルシファーは、多忙な日々を送っていた。
 時間を惜しんで仕事を片づける魔王の元へ、来訪者の報せが入ったのは、ある日の午後の事である。
 来訪者の名を耳にしたルシファーが、小さく笑みを漏らす。
 ほどなくして、執務室に一人の少年が姿を見せた。
「こんにちは、父さん」
 挨拶の声はやや固い。少しぎこちない様子から、緊張の色が見て取れた。
 以前、魔界を旅していた時にもここを訪れているはずなのだが、城主が存在した上で正常に機能した城とでは、建物そのものの雰囲気も自ずと変わってくるのだろう。
 息子の緊張をほぐせるよう、ルシファーは優しく微笑んだ。
「よく来たな、刹那」
 そうして立ち上がると、刹那に歩み寄る。
「昼は済ませたのか?まだなら食べていくといい。この城の料理長はなかなかの腕だぞ」
「あ、いいよ。ここへ来る前に済ませたし。それより」
 刹那が言葉を切った。わずかに逡巡している様子だったが、やがて顔を上げると、しっかりと父親の目を見据えた。
「今日は、父さんに聞きたいことがあって、来たんだ」
 瞳に宿る確固たる決意を感じ取り、ルシファーは軽く頷いた。
「場所を変えようか。料理長には飲み物を頼むとしよう」


 ルシファーは刹那を客間へと導いた。
 広々とした室内はゆったりとした空間を作りだし、落ち着いた雰囲気をかもしだしている。
 ソファに刹那を座らせ、ルシファーは肘掛け椅子に腰を下ろした。
「地上はどうだ?」
「異常気象がおさまってからは特に変わったことはないよ。未来も永久も元気だし。こっちは?」
「概ね落ち着きを取り戻した。残務整理が多少あるものの、各地の魔王もしっかりやっているしな。……そういえば、マーブルランドの武闘大会で優勝したと聞いたぞ」
 楽しげな口調にからかう声音を感じ取り、刹那は赤面した。
「あれはクールのおかげだよ。大体、優勝しなきゃサンドランドに行けなかったし……しかも決勝戦の相手が未来だったんだ」
「らしいな。驚いたろう。大会も随分湧いたという話だ」
「周囲を気にしてる余裕なんてなかったなぁ。未来も本気でぶつかってきたし、オレだって必死だったし……ところで、大会の話なんて誰から聞いたの?」
「ビビサナだ。報告書に詳細が添えられていた。お前に感謝しているともな。たまには訪ねてやるといい」
「へぇ、そうなんだ。今度行ってみるよ」
 ここで、料理長ニスロクがコーヒーを運んできた。
 テーブルに二人分のコーヒーと砂糖壷、ミルクピッチャーを置き、静かに下がる。
 ルシファーは息子に砂糖とミルクを勧めると、自身はブラックのままコーヒーに口を付けた。
 砂糖を二杯と、ミルクを加え、刹那もコーヒーを飲む。
 豊かな香りのコーヒーはやや濃く感じられたが、しっかりした味が楽しめた。
「おいしいコーヒーだね」
「料理長自慢のブレンドだ。刹那が気に入ったと知れば喜ぶだろう」
 感心する刹那にルシファーは笑みを見せる。
「マーブルランドの長にビビサナを選んだのは慧眼だったな。おかげで今はあの国も平和に治まっている」
「父さんは武闘大会のことを知ってた?」
「いや、直接は知らなかったが、予想はしていた。マーブルランドの種族はとりわけ力を重要視するのでな」
 刹那はマーブルランドでの出来事を思い返していた。
 国を訪れた当初から、一触即発の好戦的な空気が流れ、誰もが大会の開催を待ちわびている様子だった。
 この地に住むアシュラ、デーバ、ラセツ三種族の王が、覇権を巡って争うことになっていたのだから、当然といえば当然である。
 普段から争いが絶えないと言う話は聞いていたが、中でも、アシュラ族とデーバ族は互いに神経を尖らせており、この二つの種族間の対立は根が深いと思われた。
「これまでラセツ、デーバ、アシュラそれぞれの長が話し合って国を動かしていたが、それも限界だろうと感じてはいたな。デーバとアシュラは古来より対立することが多く、どちらが主導権を握っても争いが起こりかねないと危惧してもいた」
 流石に魔界全土を治めるだけあって、ルシファーは各国の情勢を把握していたらしい。
「じゃあ、父さんがビビサナをマーブルランドの魔王に指名すればよかったんじゃないのか?」
 素直な疑問を大魔王は笑っていなす。
「他の国ならばまだしも、マーブルランドで頭ごなしの命令が受け入れられると思うか?ラセツ、デーバ、アシュラ、三種族の民と同じ目線で戦いうる者、彼らが認めた者でなければ主として仰ぐことはできんだろう。ラセツ王ビビサナはデーバ王インドラやアシュラ王ヴリトラに一歩力を譲るものの、大会で己の力を示した上で優勝者であるお前に認められたのだ。皆が納得する形でな」
 こう説明されると、確かに最善の形になったのだろうと思われた。
 しかもそれは、偶然この地を訪れた刹那たちが関わる事により、実現したのである。
 これ以上のお膳立てはないだろう。
 いつしか、刹那はルシファーの顔をまじまじと見つめていた。
 武闘大会が計画された時、既にルシファーはアゼルに囚われていたはずである。
 息子の視線へ、大魔王は鷹揚な笑みを返した。
 一瞬、すべてがあらかじめ計算されていたのではないかという疑問が頭をもたげたが、刹那はその考えを放棄する。
 穿った見方をした自分に、少しばかり呆れながら。
「それで、話とは?」
 いつしか大魔王の深い瞳の色に魅入っていた刹那は、その声で我に返った。
 そして、ようやくここへ来た目的を思い出す。
 これまでの会話でずいぶんリラックスしていたものの、刹那は迷った様子で口ごもった。
 話の糸口を探しているらしい息子を敢えて詮索することなく、ルシファーはゆったりと待つ。
 刹那は包み込むように持ったカップの湯気を眺めていたが、思い切ったように顔を上げると、重い口を開いた。
「……永久を助けた時、ミカエルが言ってた事」
 ルシファーの静かな表情が続きを促しているように感じ、刹那は言葉を継いだ。
「あの言葉の意味を確かめたいんだ」
 まっすぐな瞳が、ルシファーのそれを捉える。
 大魔王は息子へ穏やかな表情を返すと、左手のソーサーにカップを載せた。
「そうだな、いずれ話さねばと思っていた」
 ソーサーをテーブルに戻し、ルシファーはゆっくりと語り始めた。


 ラグナロクの起動を決意し、ゼブルの協力を得たこと。
 そして、鍵となるデビルチルドレンの存在。
 運命の子供、デビルチルドレンは、デビルと人間の血を引く者でなくてはならない。
「故に、私は人間界に降り立った」
 人間とデビルは異なる種族である。その二つの種族の血を受け継ぐ子供を宿し、世に送り出すには並々ならぬ力が必要だった。
 人間やデビルが生まれ持つ生体エネルギーには個人差がある。これは、天分とも言える、生まれついてのものなのだが、質量ともに千差万別のエネルギーを大量に所有する人間はあまり多くない。
「この時、私はミカエルの守護する娘に会ったのだ」
 おそらく、ミカエルは早くから素質のある人間を捜していたのだろう。
 そして、一人の少女を選んだ彼は、その成長を待っていた。
「彼女を見た瞬間に、忘れられなくなった」
 一度は諦めようとした。
 しかしそれもかなわず、意を決して彼女と直接向き合い、全てを話した。
「彼女は私の想いを受け入れ……刹那、お前が生まれたのだ」
 そして入れ替わるように地上に降りたミカエルが彼女の元を訪れ、永久が生まれ……。
「間もなく、彼女は息を引き取った」


「どうして、それが父さんのせいになるんだ?」
 事情の全てを飲み込んでいない刹那に、ルシファーは説明を加える。
「異種族の子供を産む場合、母胎の生体エネルギーが消費されるのだ。一人だけならばその後も子供を育てることができたはずだが、二人は無理だった」
 脳裏にミカエルの声が蘇る。
 貴方が望まなければ、彼女が死ぬことはなかったのだ、と。
 最初で最後の、感情も露わに激昂した声が。
 もしも、ルシファーがミカエルと同じ女性に想いを懸けなければ、彼女が早くに命を落とすことはなかっただろう。
「彼女は文字通り、命を削ってお前たちを世に送り出したのだ、刹那」
 ミカエルの言葉は、そういう意味だったのだ。
 長い沈黙が降りる。
 すっかり冷めたコーヒーに視線を落とし、刹那は黙りこくっていた。
 ルシファーはソーサーを手に取り、カップを傾ける。
「サンドランドで」
 ルシファーの視線が動く。
 刹那は顔を上げた。
「母さんは、笑ってたよ」
「……………」
「デビルの血が流れているのは悪い事じゃない、世界に住んでいるのは人間だけじゃないんだって。あの時は永久の行き先が気になってたから、きちんと考えられなかったけど」
 ふとルシファーが笑みを漏らす。
「おまえはいつも永久の身を案じているのだな」
「たった一人の弟なんだぜ、当然だろ?」
 ルシファーの笑みが深まった。
 共に戦いをくぐり抜けた頃には見られなかった、父親の顔である。
 相手を包み込むような暖かい表情に、刹那の肩から力が抜けた。
 血の繋がり、親子の絆。それを実感するには、まだ時間が必要かもしれない。
 ――だが。
「永久にはミカエルが、オレは父さんがいなければ、生まれなかったんだよな。永久はずっと一緒だったし、今は父さんだっている。母さんがいないのは少し寂しいけど、オレはたくさんのものを貰ってるよ」
 求めるよすがは、自身の中にある。
 母の忘れ形見である自分は、父と母が想いを交わした末の存在なのだから。
「そうか……」
 呟くようなルシファーの声音が感慨深げだと思ったのは、刹那の気のせいではないだろう。
 ここで、不意に思い出した事があった。
「そういえば、父さんとミカエルも兄弟なんだろ?」
「ああ、その通りだ。しかし今は種族も異なれば、考えも住む場所もなにもかも違う。お前たちのように力を合わせて生きることもない」
 刹那の中に新たな疑問が生まれたが、ルシファーは不意に扉へ顔を向けた。
「その話は後にしようか。長くなるからな」
 別に今でも、と続けようとした刹那の耳に、軽やかな足音が届く。
 そして、途切れた足音の代わりに、扉がノックされた。
「どうぞ」
「パパ、こんにちは!」
 リュックを背負った未来が元気よく挨拶すると、ルシファーは顔をほころばせた。
「よく来たな、未来」
「うふふ。あ、刹那も来てたんだ。ちょうど良かった!クッキー焼いてきたの。お茶淹れてくるね」
 勝手知ったる何とやら。城のデビルたちに道案内を請う事もなく、未来は笑顔を残して厨房へと向かった。
 ぱたぱたと足音が遠ざかる。
 そして、開かれた扉の向こうに、鮮やかな緑の髪の少年が姿を見せた。
「こんにちはー」
「ゼット。未来と一緒だったのか?」
「まぁね。二人に会いに行ったら刹那は留守だろ?きっとこっちだと思って、未来を誘って来たんだよ」
 ゼットは部屋に入ると、勧められる前に空いていた肘掛け椅子に落ち着いた。
「お邪魔だったかな?」
「いや。ちょうど話が終わった所だ」
「内緒話かな」
 悪戯っぽい顔で小首を傾げる少年へ特に表情を見せるでなく、ルシファーはカップを口元へ運ぶ。
 続いてゼットが刹那に顔を向けた。
 刹那の瞳がルシファーを伺う。
 ゼットは楽しげに笑い出した。
「刹那は正直だねぇ。大丈夫、無理に聞き出そうなんて野暮な事しないからさ」
 もうすぐ未来がやってくるだろう。
 別に悪いことを話しているわけではないのだが、彼女の前で自分の母とルシファーの馴れ初めを口に出すのは憚られた。 
 自分が、父親と未来の母の話を敢えて聞きたいとは思わないように。
 ――もっとも、この少年は双方の母親について、既に知っているのかもしれないが。
 突然、ルシファーが席を立ち、扉に向かった。
 取っ手に手を掛け、なめらかな動作で扉を開くと、そこにはワゴンを押した未来がいた。
 あまりのタイミングの良さに、未来は驚いた顔で父親を見上げる。
「パパ?」
「足音でわかったよ」
「びっくりしたぁ。ありがと。でも後は用意するから、座ってて」
「ああ」
 娘を部屋に招じ入れると、ルシファーは扉を閉じて椅子に戻った。
 未来はワゴンに載せていたポットからティーカップに紅茶を淹れている。
「とろけそうな顔して、まぁ」
 ゼットのからかいは、余裕の笑みで流された。
 とはいえ、刹那にはルシファーの顔がとろけそうな表情には見えなかったのだが。
「何の話?」
 それぞれの前にカップを出しながら、未来がルシファーに尋ねる。
「未来が可愛いねって話だよ」
「なーに言ってるんだか」 
 横から口を挟むゼットへ、未来は呆れ顔を返す。
「本心なんだけどねー」
 頭の後ろで両手を組み、ゼットはにやにや笑っている。
「刹那とマーブルランドの武闘大会の話をしていたんだ。お前たちが決勝戦を戦ったという話を聞いてね」
 ルシファーの言葉を聞くや、未来は楽しそうに顔を輝かせた。
「あ、あれね!びっくりしたわよ、追いかけてた指名手配犯が刹那だったんだから」
「こっちも驚いたさ、オレを追ってたのが未来だったなんてな」
 ソファに座った未来が話に加わり、賑やかなティータイムが始まる。
 手作りのクッキーとおいしい紅茶を楽しみつつ、ダークパレスの客間では、のどかな時間が過ぎていった。



──fin


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<あとがき>
 デビチル小説第2弾です。
 最初の話とほぼ同時に浮かんだ話だったので、あまり間を置かずにアップすることが出来ました。「腕に抱く夢」の一部エピソードを補完した話になっています。
 いずれ、刹那の母が実際に出る話は、改めてきちんと書ければ…と思っています。
 ゲームで初めて刹那ママを見たとき、好みのタイプだったので大喜びしました(笑)。こういう、穏和で優しそうな、でも心の奥底には凛としたものがありそうな女性が大好きなんです。
 実は、このゲームに惚れ込んだきっかけのひとつだったりします(笑)。
 デビチルはコメディも書いてみたいですね〜。
 刹那サイドの話が続きましたが、未来の話も書きたいですね。ルシ様一筋の所に親近感を感じます(笑)。