兄妹 うららかな昼下がり。 ここ原宿小学校では、給食を食べ終えた児童達の賑やかな声がこだましていた。 友達とお喋りに興じる者、ボールを手に校庭で遊ぶ者、読書を楽しむ者もいれば、グラウンドを所狭しと駆け回る者もおり、それぞれに昼休みを満喫している。 「いいタイミングかな」 そう一人ごちたゼットは、活気に満ちた校内をのんびり歩くと、目的の教室に入り込んだ。 お目当ての人物は、机に広げたノートにシャープペンシルを走らせている。 「宿題?」 突然降ってきた声に未来が勢いよく顔を上げた。 視線の先には、楽しそうな笑みを浮かべた少年が立っている。 「ゼット!」 「や、未来」 意外な人物の出現に、未来は驚きを隠せない。 彼が地上へ遊びに来るのは今に始まった事ではないが、学校に姿を見せたのは、あれ以来初めての事だ。 「こんな所で何してるの?」 「もちろん君たちに会いに来たんだよ。ちょっと早かったから、こっちにね。学校ってものにも興味あったし」 「いわゆる社会見学?」 「ま、そんなとこかな」 未来が笑う。 「ゼットらしい登場の仕方よね」 「で、何してたの?」 「午前中の授業で気になったことを思い出したから、書き留めてたの」 「ふーん」 ゼットは未来のノートに視線を走らせたが、すぐに顔を上げた。 そのまま賑やかな教室の中を見回し、ふと動きを止める。 「刹那って割と人気あるんだ」 偶然、廊下で級友と喋っている刹那の姿が窓から見えたらしい。 しかし、それだけではなかった。 会話をする刹那に対して、教室の内外を問わず、いくつかの視線が彼に向けられていることに気づいたのだ。 ただ眺めているというものではない。さりげなさを装っていても、明確な意図──好意が感じられたのである。大人の錯綜する複雑な心の裡も容易に読みとるゼットにとって、子供のそれを知るのは朝飯前だ。 ……正直、意外だった。 刹那のような性格ならば、小学生よりも中高生になってからの方が、好意の対象になると思われたのだが。 未来は頬杖をついて彼を見やる。 「女の子にモテるのよ。本人ほとんど気づいてないけどね」 「そうなんだ。でもちょっとわかるかな」 「そう?」 微かに笑みを含んだ表情で刹那を見つめるゼットに、未来は小首を傾げてみせる。 ふと、ゼットが尋ねた。 「未来は心配だったりしないの?」 「心配?」 言葉を反芻して、未来は刹那を見る。 騙されるかもしれない、という危惧ではないだろう。刹那は年齢以上にしっかりしている。 見えないところで何かが起こるかもしれない、ということだろうか。 しかし、刹那はああ見えて腕が立つ。ましてやデビルチルドレン、並大抵のことでどうにかなるわけでもない。 ――つまり、ゼットの言葉が意味するところは、いわゆる『やきもち』になるのだろうか。 そんな事を思いつつ、未来の瞳は刹那の姿を捉えたままだ。 何やら楽しそうに級友と喋る刹那。 そんな彼へ、遠巻きにしつつも向けられている好意の視線。 異性からの感情にはやや鈍いため、その点では相手に同情してしまうけれど。 「別に」 一瞬考えたが、未来は素っ気ない口調で即答した。 「あっさりしてるなぁ。一応お兄ちゃんだろ?」 やはり先程の言葉は未来の考えた通りの意味合いだったらしい。 ……何を考えているのやら。 少しばかり大袈裟に驚く少年へ、未来は肩をすくめてみせた。 「確かに血は繋がってるけど、全然実感ないもの」 刹那と一緒にいれば楽しいし、話も弾む。 これは、以前からそうだった。 そして、第三者が刹那に対して好意を向けていた場合。 ──嬉しいのだ。むしろ、安心できる。 刹那は常に弟の身を案じていた。 二人きりの兄弟であるが故に、弟を守るのは自分だけ、という意識が強かったのだろう。 しかし、あれ以来、刹那にも弟以外のことに目を向ける余裕が出てきた、と思えるのだ。 常に兄を頼っていた永久が、今回の一件で、一人で物事を考え、個人の意志でひとつの道を選び、そして……彼にもまた、頼るべき存在が現れたのである。 無論、兄弟仲の良さは相変わらずだったが、互いしか見ていない、やや危なっかしい部分は薄れたように感じられた。 刹那自身は大人びた雰囲気があるものの、クラスメイトの輪に自然と溶け込み、自然体でいられるようになっている。 そして、彼の印象が、逆に異性の目を惹きつけた要因でもあるのだろう。 刹那と永久の仲の良い姿は、見ていて安心できる。 刹那に好意の感情を向けられる事が、嬉しく感じられる。 ――独占欲の対象ではないのだ。 何より、ゼットの大きなリアクションは、わざとやっているフシがある。 刹那に対する未来の気持ちを言葉にして引き出してみたい、という感情の表れらしいのだが。 「ま、それもそうか」 珍しく、あっさりゼットが引き下がった。 彼の態度を少し意外に思いつつも、未来は本音で駄目押しをする。 「大体刹那は永久君のお兄さんだしねー」 「ああ、あの二人は互いにブラコンだもんねぇ」 ゼットはくすくすと笑い出した。 つられて未来も笑う。 ──互いを支えあう甲斐兄弟を見守っていきたい、と思う。 永久を喪い、苦しんだ刹那の姿は、二度と見たくない。 永久を取り戻すべく、それだけを支えに必死になっていた刹那の姿は、痛々しくて……。 「……本当に、良かったわ……」 刹那を見つめながら、未来は微笑む。 その慈愛に満ちた眼差しが、ゼットの心に奇妙なざわめきを生み出した。 目を細めた彼の表情が改まる。 その視線が未来から刹那へと移り、再び未来へと舞い戻った。 「未来」 振り向いた少女を見つめるゼットの瞳に、悪戯っぽい光が宿った。 |
続いて、午後の最初の授業が終わった後。 ゼットは刹那の元へ姿を見せていた。 「や、刹那。こんにちは」 「来てたのか」 刹那は少しばかり驚いていたものの、特に対応は変わらない。 関係者以外立ち入り禁止のはずの小学校だが、同年代の子供ならば見慣れない人間でも、さほど怪しまれることはない。もの珍しさで目立つ可能性はあるのだが。 「未来って人に好かれるんだね」 唐突な発言に、教科書を片づけていた刹那の手が止まった。 ちら、とゼットに視線をやり、刹那は彼の目線を追った。 数人の女子生徒と一緒にお喋り中の未来の姿を捉える。友達と連れだって隣の教室から遊びに来ているらしい。 「男子よりも女子に人気があるけどな」 「へぇ、それはちょっと意外かも」 言った傍から、未来に駆け寄る少女が現れた。 困った顔で何やら話をしている。 未来は周囲の級友と共に彼女の話を聞いていたが、何事かを思いついたらしく、いくつか質問をした。 頷いていた少女の顔が明るくなった。 安堵の表情で両手を組み合わせる少女へ、未来は笑って何かを話す。 やがて、少女は手を振って席を離れていった。 「成程ね」 偶然にも級友の相談事を目撃したゼットは、納得げに頷く。 刹那は休めていた手を動かして教科書を片づけると、次の授業の用意を始めた。 「目立つし頼りがいがあるし話しかけやすいし。下手な男子より身近なんじゃないか?」 他人のことはよくわかるものである。 ゼットは刹那の机に両手をつくと、少し身体を屈めて声を潜めた。 「でもねぇ、それも小学生のうちだけだと思うけど」 「?」 意味ありげにゼットが笑う。 「そのうち男子生徒は放って置かなくなるよ。明るくて素直で元気な可愛い子、なんてモテる素質充分じゃない。ましてや素材も文句なし。悪い虫が近づかないとも限らないと思うけど?」 「悪い虫には自分で天誅加えるだろ。伊達に原宿最強小学生の名は持ってない」 「そりゃあ、刹那と同じデビルチルドレンだけどさ、未来も女の子だってこと、忘れない方がいいんじゃない?」 声の調子は変わらない。人を食った表情も常から見ているそれである。 だが、微妙なニュアンスを感じるのは、気のせいではないだろう。 刹那は頬杖をつき、半眼でゼットを見上げる。 「……一番厄介な存在が言うかな」 「何か言った?」 「別に」 刹那の一言で言葉の応酬はおさまったが、互いの視線が内に秘める感情を雄弁に物語っている。 何とも言えぬ不穏な空気が流れたが、不意にゼットは肩をすくめた。 ま、いっか、と呟くと、彼は刹那に手を振り、ふらりと教室から去っていく。 後には不可解な表情の刹那が取り残された。 午後の授業も済み、残るは担任の最後のホームルームのみとなった。 ゼットの不意打ちの来訪がひっかかっていたものの、他に気になるような事もなく、賑やかなお喋りに満ちた教室で、刹那は他のクラスメイト同様に帰り支度をしていた。 机の前に人影が立ったと気づいた直後、聞き慣れた声が耳に届く。 「……お兄ちゃん?」 一瞬、泣きそうな顔の少女が脳裏を過ぎった。 反射的に、手元に落としていた視線を上げる。 視界に映ったのは、不安げに眉を寄せて小首を傾げた未来の姿。 普段の元気すぎるほど溌剌な様子は影を潜め、どこか頼りなげな表情だ。 その姿に、以前の見た少女の顔が二重写しになる。 一瞬、何をどう応えて良いのかがわからなくなった。 その直後。 「なーんてね」 くるりと未来の表情が変わった。明るい笑顔が輝く。 「驚いた?」 二、三度瞬きを繰り返す刹那へ、未来は悪戯っぽい瞳を輝かせ、楽しそうに弾んだ声を返す。 しかし、刹那は何も答えられず、まじまじと彼女の顔を見てしまった。 そんな彼の態度に、未来は不満顔を見せる。 「もう、刹那ってば。可愛い妹の意外な顔なんだから、もっと大きなリアクションを返してくれてもいいじゃない」 反応が遅れたのは、表情の落差のせいだったのだが、未来にはそう見えなかったらしい。 流石に妹という言葉こそ声を潜めていたものの、口調にはありありと不服な様子が滲み出ている。 しかし、口を尖らせた彼女はすこぶる魅力的で。 刹那は内心で小さく溜息をついた。 ――成程。 未来を可愛がる父親の気持ちが、少しだけわかった気がする。 「明日は雨かな」 「そう来るわけ」 「いや、何となくさ」 半眼で自分を見下ろす未来に、つい笑ってしまったが、彼女は怒らなかった。 ただ肩をすくめたのみである。やや呆れ顔ではあったけれども。 「ま、いいわよ。やっぱりあれよね、お互い面と向かって兄妹って柄じゃないみたいだし」 「同感」 未来は小さな笑いを浮かべると、じゃね、と軽く手を上げ、さっぱりした表情で隣の教室へと戻っていった。 その後ろ姿が引き戸の向こうに消えてから、刹那は改めて記憶を呼び起こす。 ダークパレスで自分を待っていた、未来の姿。 永久の死を伝えた時は、ひどく衝撃を受けた様子だったのだ。 あの時は刹那自身が動揺していたため、未来の気持ちを慮る余裕は無かったけれども、彼女の顔は、はっきりと覚えている。 そして、仲魔にしたゼットと共にディープホールから戻った刹那を待っていた、未来の表情。 寂しげで頼りなげな、小さな衝撃で崩折れてしまいそうな彼女を見たのは、初めてだった。 あれが、本当の未来の姿なのかもしれない。 後にも先にもたった一度だけの出来事だったけれど。 普段の元気な様子と正反対のあの姿が、本来の未来だったとしても、二度とあんな表情を浮かべさせたくはない。そう、思ったのだ。 未来には、幸せな笑顔を浮かべていて欲しい。明るく元気な彼女の姿を、見守りたいのだから。 |
不意に、ゼットの顔が脳裏に浮かび、刹那はようやく彼の意図に気づいた。 「……そういうことか」 溜息混じりの独り言は、教室のざわめきにかき消えてしまったけれども。 永久とは違う、けれどもかけがえのない、大切な存在。 こういう間柄も、いいものだと思う。 未来の明るい笑顔を思い返し、我知らず頬が緩んだ。 そして、浮かんだ笑みをそのままに、刹那は中断していた帰り支度を始めたのである。 おまけ。 「未来ちゃん!さっき甲斐君に何話したの!?」 ホームルームを終えた後、飛び込んできた刹那の教室の女子生徒の剣幕に、未来は目を丸くした。 「別に、大したことじゃないわよ」 「でも甲斐君、顔が赤かったよー!」 「えー、そうなんだ!ひょっとして、未来のことが好きだったりして」 何も知らない級友の発言を、未来は笑って否定する。 「違う違う。ちょっとからかっただけ」 実際に言葉にしても、やはり実感は湧かなくて。 けれど、意表を突かれた刹那の顔が、見ていて可愛いと思えたのは、身びいきというわけでもないようだ。 クラスメイト達は楽しそうに刹那の反応を話題にしている。 先程の反応を思い出しつつ、未来は悪戯っぽい笑みを浮かべた。 ――遠巻きにしてる女の子達が近づくきっかけになるかも、ね? |
──fin
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