失われた想い





「…圭一は、どうしたの?」
 麻弥の問いに、真哉は言葉を失った。
「真哉、ねぇ、圭一は?」
 口を閉ざした彼の様子にただならぬものを感じたらしく、二人を隔てる鉄格子を両手でつかんだ麻弥は、必死な面持ちで尋ねる。
「麻弥…」
 真哉は彼女に歩み寄った。
 鉄格子をつかんだままの麻弥の手を握る。屍人と化していた少女のそれは、ひどく、冷たかった。
「圭一は…死んだんだ」
 真哉の手のひらの下で、麻弥の手が強張った。
「…嘘…だって、この前、来てくれたじゃない」
 血の流れない冷たい手を暖めるように、真哉の手のひらが麻弥のそれを包み込む。
「最後まで、麻弥の事を心配してた。…反魂香を、やっと見つけられたんだ。遅くなって、ごめん…」
 真哉の脳裏に、自分を庇って死んだ圭一の姿が蘇る。
 本当なら、ここに立っていたのは彼だったはずだ。
 目の前に佇む真哉を見つめながら、半ば呆然としていた麻弥は、どこか現実離れした様子で呟いた。
「…嘘みたい…。ね、圭一があたしを見た時も、こんな気持ちだったの?もっと違っていたのかな?……遅くなってごめんって、この間みたいに、今にもここへ来てくれそうじゃない」
「麻弥…」
「…あたし…圭一が死ぬなんて、考えたこともなかったのに…!!」
 麻弥の腕から力が抜けた。足が萎えてしまったように座り込むんだ彼女は、俯いたまま肩を震わせる。
 かすかに嗚咽が漏れたが、しかし、その瞳が涙に濡れることはない。
 彼女の身体は、既に生の息吹を失っているのだから。
「圭一…圭一…ケイイチぃっ!!」
 流せぬ涙で慟哭する少女の姿に、真哉の過去の記憶が蘇った。

 ──大破壊のあの日、ICBMが落下した瞬間。
 白い閃光に包まれた視界の中、くっきりと浮かび上がった少女の姿。
 舞夜の力によって金剛神界に送られた真哉は、その時になって初めて、彼女の気持ちに気づいたのだ。
 ……そして、いつしか自分の中に芽生えていた感情にも。
 無力な自分に悔しさを感じ、失ってしまったものの重大さに気づいたときには、最早手遅れだった…。

 真哉は傍らに視線を向けた。
 そこに佇むのは、悲しげに麻弥を見つめている一人の少女。
 三十年の時を経て、彼女の転生により、真哉と舞夜は再会を果たすことができた。
 だが、今は。その喜びすら、罪悪感として心に重くのしかかる。

 ──目の前で別れを口にし、彼を生き残らせた、舞夜。

 何の前触れもなく、麻弥の前から姿を消してしまった圭一…。

 力無く崩れた少女の姿にいたたまれないものを感じ、真哉は唇をかんだ。
「ごめん、麻弥。圭一が僕を庇わなかったら……」
 口を突いて出た言葉によって、真哉の中で後悔と言うには苦しすぎる感情が広がる。
 不意に、麻弥の悲痛な叫びが、途切れた。
 ゆっくりと顔を上げると、彼女はかすかに問いかける。
「圭一は…真哉を庇って、死んだの?」
 彼に向けられた瞳は不思議そうで、どこか幼い子供のように見えた。
 唇を引き結び、真哉が頷く。
「悪魔から…真哉を庇って、死んだの……」
 視線をはずした麻弥の空虚な声音が、牢の中でかすかにこだまする。
「麻弥、ごめん…!!」
 ──待っていたのだ、彼女は。三十年もの長い間、ただ一人の少年だけを。
 だが、再会できたのは、一度きりだった。
 この六本木の街で圭一が死んでから、その事実を告げることを怖れた真哉は、麻弥のもとへ来ることが出来なかったのだ。
 狭い牢の中、鉄格子によって隔離されたまま、彼女は待っていたのだろう。
 圭一が再び訪れる、その時を。
 ……彼の手によって、弔われることを……。
「ごめん…」
 ──謝罪の言葉しか出てこない。
 麻弥に対して許しを乞うたその言葉は、圭一に言えなかったことでもある。
 真哉は、堅く、鉄格子を握りしめた。
「僕が…あの時、僕がネビロスの動きに気をつけていれば…いや、圭一が僕を庇ったりしなければ、圭一は死ぬことはなかったんだ。…そうすれば、きっと…」
「違う、真哉」
 遮ったのは、強い声。
 真哉は口をつぐむと、緩慢とした動作で、悲しみと怯えの入り交じった顔を麻弥に向けた。
 麻弥は俯いたままである。だが、発せられた声は意外なほど、明瞭なものだった。
「誰かが危ない目に遭っていたら…自分のこと忘れて助ける人だもの。それが仲間なら、なおのことじゃない」

 ──君のせいじゃありません。僕のわがままです。僕には、こういう方法しか取れなかった……。

 不意に、真哉の耳に、圭一の最期の言葉が蘇った。

 ネビロスを倒したおかげで魂が解放された、と礼を述べた圭一の魂に、真哉は応えることができなかった。
 元はといえば、自分を庇ったために、圭一は命を落としたのだ。恨み言を言われこそすれ、感謝される筋ではない。そう、思っていた。
 真哉の罪の意識を感じ取ったらしく、圭一は静かに続けた。
 ──君のせいじゃありません。僕のわがままです。僕には、こういう方法しか取れなかった……。
 彼が浮かべた笑みは、どこか苦笑に似ていた。そう、感じたのだ。
 そして、彼は言った。
 ──麻弥のことを、頼めますか?
 真哉の表情が凍りつく。
「圭一……ごめん、僕がもっとしっかりしていれば……」
 己の不甲斐なさを責める彼に対し、圭一は首を横に振った。
 ──いいえ、違うんです。僕は……反魂香を見つけたくなかったんですよ……。
 驚く真哉に圭一は寂しげな笑みを返す。
 ──僕には、彼女の死を看取る勇気がありませんでした。麻弥が消えていく所を見たくなかった。彼女の身体はもう死んでいる。そう、知っていたのに、認めたくなかったんです。真実彼女を想うなら、何よりまず反魂香を探すべきだった。どれほど時間がかかっても、歪められた麻弥の生を僕の手で終わらせて、看取ってあげるべきだったのに……。それだけが、心残りです……。
 反魂香を見つけられなかったのは、圭一のせいではない。麻弥の事を知った時、真哉達は六本木から新宿に戻り、反魂香を探したのだ。当時行ける場所を全て訪れた。にも関わらず見つけることができなかったのである。
 だが、そう感じてしまうほどに……彼は、優しかった。
 ──真哉君、どうか……麻弥のことを…お願いします……。
 最後の最後で、最も大切な少女の事を真哉に託し、圭一はこの世から姿を消したのである。

 ……何故だろうか。今の麻弥の声が、かつて圭一が口にした言葉と重なって聞こえた気がした。

 真哉は麻弥から視線を外さなかった。いや、外せなかった、と言うべきだろうか。
 しかし、俯いていた麻弥はそんな彼の様子に気づくはずもなく、ただ言葉を継いだ。感じたこと、思うことをそのままに。
「圭一は、真哉の事を助けたんでしょう?それなら……真哉は、圭一の分まで生きなきゃいけないよね」
 麻弥は顔を上げると、真哉を見つめる。
「…圭一は、優しい人なの…」
 一瞬、彼女の瞳が涙に濡れているように見え、真哉は右手を握りしめた。
 屍人である麻弥には、涙を流すことができない。けれども、そう見えたのは、彼女の内なる感情のせいではないだろうか。
「ああ…そうだよ。圭一はいつも人の事ばかり考えてた」
 真哉の言葉に、麻弥は小さな笑みを浮かべた。
「それに、真哉には大切な人がいるもんね」
 泣き笑いに近かったが、それはこの牢に捕らわれていた彼女が初めて見せた笑みだった。
「麻弥…」
 真哉の言葉に応えるように、麻弥は立ち上がる。
「真哉、お願い。あたしを…楽にして…」
 頷くと、真哉は懐から反魂香をとりだした。
 憧憬を込めた麻弥の眼差しが、それに向けられる。
 やがて、反魂香から細い煙が立ち上った。
 麻弥が両手で自分の身体をつかむ。その腕に、力がこもった。
「麻弥!!」
「あ…か…身体…が…」
 ゆらり、と彼女の姿がぼやけた。
 両腕から、力が抜ける。
「…ありがとう…これで、やっと死ねるわ……」
 やわらかな笑み。安堵と嬉しさの入り交じった表情で、麻弥は言った。
「今、とっても安らかな気分よ…」
 ふわ、とその身体がゆらめく。
 消えかけたその瞬間、麻弥は囁くように言葉を紡いだ。
「…ありが…とう……」


『…ケイイチ…?』
 揺らめく影が、囁くように呟いた。
 そこは、白亜の建物の一室だった。どこか静謐な雰囲気をかもしだす部屋だ。
 全てが白で統一された空間に唯一存在していたのは、白い衣に身を包んだ少年である。
 彼は声が聞こえた方へ顔を向けると、ぼんやりと浮かんでいた影を不思議そうな眼差しで見やった。
「…君は…?」
 薄い影が、おぼろげな少女の姿をとった。そして、彼女はもう一度、言う。
『圭一…生きてたのね…?』
 嬉しそうな、けれどもどこか寂しさを感じさせる表情を浮かべた少女に対し、彼は怪訝そうな視線を向けた。
「君は、何故僕の名を知っているのです?」
『!?』
 少女が愕然と目を見開いた。
 そのまま身動きしない幻へ、彼は静かに言葉を継ぐ。
「この世に未練があるのですか?ですが、そのままでは、いずれ貴女は悪霊となってしまいます。道を見失ったというのであれば、神の御元へ送ってさしあげましょう」
 見開かれた少女の瞳から、涙があふれ、頬をつたう。
 彼女の姿に言い知れぬ悲しみを感じたのか、彼の表情が戸惑いを帯びた。
「…どうしたのですか?」
 困惑した表情、仕種。
 それは、決して知人に向けるものではない…。
『ケイ…イチ…』
「ええ、ぼくは圭一。一度は死んだ身ですが、神の御力によって再び生を受けたメシアです」
『…!…』
 一瞬、顔をゆがめると、少女は顔を覆って俯いた。
 そのまま動かない少女の幻に、彼はそっと問いかける。
「君は、一体…?」
 突如現れた幻の不可解な行動に対して、彼は困惑を隠せないようだった。
 しばしの逡巡の後、彼は幻へと近づいた。
 と。ここで、悲しみに満ちたかすかな声が聞こえたのである。
『…憶い出して…』
「え…?」
 幻に歩み寄ろうとしていた彼は、少女の口から発せられた言葉に意表を突かれ、立ち止まる。
「何を…」
 少女が顔を上げた。
 何かを訴えかけるような瞳は、一途に彼を見つめている。
『憶い出して…ケイイチ…あなたのこと……』
「き……」
 ふ、と少女の姿が消えた。
 直後、室内に扉をノックする音が響く。
 彼が応じると、わずかに開いた扉の向こうで、一人の女性が、深く頭を下げていた。彼女は白と青の衣に赤い十字を染め抜いた、メシア教徒を象徴する衣装を身にまとっている。
「メシア様。ハニエル様がお呼びです」
 その言葉が、彼を救世主の表情に引き戻す。
「わかりました。すぐ参ります」
 その言葉を受けて女性が退室すると、彼は再び少女の現れた場所を見やった。
 しかし、そこにはもはや何もない。
 彼は、眉をひそめた。
「…貴女は、何を思い出せと…言ったのですか…?」
 それに応じる声はない。
 無人の部屋に佇みながら、彼はただ一点を見つめたまま、しばし動かなかった。
 ……メシアの心に一点の曇りを残した少女は、いずれまた現れるだろう。
 彼――圭一は、そう確信していた。



──了



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<あとがき>

 メガテンシリーズの感想ページにも書いていますが、うちのロウヒーローこと圭一は、メシアとして転生した時に「優しさ」に連なる記憶を失っています。主人公・真哉やカオスヒーロー・司と一緒に行動していた事、麻弥を捜していた事も覚えて入るんですが、彼女に関しては「自分を捜して行方不明になった」という事実への罪悪感が、麻弥を捜す動機であったという形で、記憶がすり替わっています。
 これはゲームを進めながら感じた事…メシア教の求める理想のメシアに彼の優しさは不要ではないか、と思えたためなんですよね。圭一は心から麻弥を愛おしんでいた故に彼女と共にいた時間を含めて、彼女そのものが圭一の優しい心の象徴であるために思い出せない…ということになっています。
 ちなみに「反魂香」はロウ君がパーティメンバーの間でも新宿のラグショップで入手可能ですし、その後メシア教教会で販売されているんですが…話の都合上、見つからなかった、ということにしています。
 一応、この後に圭一サイドの話もあるんですが…いつ書けるかはまだ未定。とりあえず「真・1」をクリアするのが先決ですね(笑)。気長に待っていただけると嬉しいです。