砂の国、サンドランド。 死者の魂が訪れるというこの国に、ルシファーが設えた二つの墓がある。 そこには、彼の愛した二人の女性の魂が、静かに眠っていた。 時折訪れる墓所へ向かったゼットは、遠目に先客の姿を捉えた。 花を供え、墓の前で手を合わせている少女の姿を確認すると、彼は意識的に砂を踏む音を響かせて、そちらへ歩み寄る。 相手が気づいたことを確認した上で、声を掛けた。 「やぁ」 振り向いた未来は、驚きに目を丸くしていた。 「ゼット」 相手のあからさまに意外そうな表情に、ゼットはつい笑ってしまう。 「驚いた?」 「ちょっとね。前にここで会ったけど、あなたには縁のない場所じゃない?」 「そうでもないよ」 墓石そのものに彼女たちの面影はない。 しかし、ゼットの脳裏には在りし日の二人の女性の姿があざやかに蘇るのだ。 ゼットは持参した二つの花束をそれぞれの墓の前に供えた。 未来の花束とは少し趣の異なる、魔界に育つ花々だ。 「二人とは面識があったから」 「そうなの?」 「ああ。刹那の母親に会ったのは一度きりだけどね」 言外の意味に気づき、未来は思わず身を乗り出した。 「じゃ、何度かママに会ったの?」 まあね、とゼットは軽く頷く。 「ルシファーが選んだ女性に興味があってさ」 |
控えめでおとなしい性格だった刹那の母。 積極的で快活な性格だった未来の母。 早くから職に就き、事故死した両親の代わりに海外留学中の妹へ仕送りをしつつ、慎ましやかに生活していた刹那の母と、裕福な家の箱入り娘だった未来の母。 何もかもが正反対の娘達が愛したのは、同じ青年だった。 しかも、二人は親友だったのである。 ──出会いは、刹那の母の方が早かった。 ルシファーと恋に落ち、幸せに暮らす彼女が親友に彼を紹介したのが、始まりだったのだ。 未来の母が、親友の恋人に焦がれ、家族も友人も何もかもを擲ってつかんだ愛。 愚かな行為と笑うだろうか。 人の道にもとると悲しむだろうか? 『彩華に会うことがあったら、伝えて欲しいの』 二人の子供を産んでから病の床についていた刹那の母は、穏やかな表情でそう言った。 見舞いに訪れたゼットの正体を知り、言づてを頼んだのである。 『ずっと一緒にいたかった――あなたの子供と、あの人を交えて』 儚げな笑みを残して逝ったのは、彼女の方が早かった。 『合わせる顔なんて、あるはずないじゃない』 刹那の母の死を知り、出会って初めての涙を見せた彼女は、そう言った。 『私はあの娘を裏切ったんだもの……』 父親に勘当されたことよりも、想いを交わした相手に二度と会わぬと誓ったことよりも。 彼女にとって、親友への罪の意識の方が、はるかに強かったのだ。 ――情熱を秘めた強い瞳で、未来を切り開いた娘。 その強さに惹かれた。 ルシファーもまた、彼女の強さに惹かれたのだろう、とゼットは思う。 地上に降りる前は、産まれた子を育てられるだけの力を持つ女性を、資質のある人間を捜すと断言していたのだ。 にも関わらず、実際の選択は違っていた。 かの大魔王が『感情』に流されるとは露とも思っていなかったため、その選択は意外としか考えられなかった。 ……それが、彼の興味を刺激した。 心は思うままにならぬもの。感情には、理性で御し得ぬ何かがある。 だからこそ、飽く程の長い生命さえも、楽しめるのだ。 彼女が会わぬと誓ったのはルシファーだ。そう理屈をつけ、ゼットはたびたび未来の母──彩華の元を訪れた。 最初は会うことを拒絶していた彼女も、あっけらかんとしたゼットに呆れながら、次第に態度を軟化させていった。 未来は記憶にないらしいが、訪問中にゼットはよく彼女をあやしていたのである。 親から勘当されたものの、年の離れた兄が隠れて妹を援助していたおかげで、乳飲み子を抱えながらも彩華は何とか生活することが出来た。 死が彼女をその手で包み込むまで、四年に満たない時間しか無かったけれど。 母子二人の慎ましい生活ながらも、彼女は幸せそうで……。 全てを受け入れる包容力を持った刹那の母とは、違った魅力を持っていた。 |
「未来はお母さんに似ているよ」 在りし日の彩華の姿を思い描きつつ、ゼットはそんな感想を漏らした。 突然の言葉に、未来は小さく首を傾げる。 「そう?」 「とても強くて、誇り高くて、暖かい……ルシファーが愛した女性だからね」 未来は嬉しそうに微笑んだ。 彼女の笑みが、母親のそれと重なる。 姉のように接してくれた娘は、ゼットの持つこれまでの長い記憶の中でも、鮮やかな輝きを放っていた。 おそらくは、これからも。 ――そして。 花を供え、手を合わせて、未来は立ち上がる。 そして、屈託のない顔で勢いよく振り返る。 「ね、ゼット。良かったらママの話を聞かせてくれない?」 「もちろん。じゃ、これから未来の家に遊びに行こうかな」 悪戯っぽいゼットの笑顔に、つられて未来も笑みを零す。 「じゃ、ケーキ買って帰りましょ。おいしいお店を見つけたの」 「僕は未来の手作りクッキーが食べたいなぁ」 「ふふ、ありがと。今度作って持っていくわね」 「僕専用の特製クッキーをよろしく。楽しみだな〜」 「……なんだか、ゼットってば甘えん坊の弟みたいね」 呆れ半分苦笑半分の未来に、ゼットは楽しそうなウィンクを返す。 そして、ダークパレスで未来から手作りクッキーをもらい、少しばかり不機嫌になるであろう城主の顔を想像しつつ、ゼットはこっそりと人の悪い笑みを浮かべた。 |
──fin
|