St. Valentine's Day






 その日は珍しく、シャンテがリーザとサニアの二人だけを誘って買い出しに出た。
 大抵は荷物持ちとして男性陣の誰かを連れてくるのだが、今日は特別なのである。
「二人とも、決まった?」
 最初に訪れた雑貨屋で、いくつかの袋を買い物かごに入れたシャンテが、この日のために設けられた売場の前で佇む二人に声をかける。
「シャンテさん。これ、どうでしょう?」
「あら、かわいいじゃない」
 リーザが差し出したのは、赤いリボンでラッピングされた箱だった。彼女らしい可愛い包みを見たシャンテがにっこりと笑いかける。
 ショーケースを前に楽しそうに話している二人を横目に、同じ売り場のやや離れた場所にいたサニアは、それまで注視していた棚へと視線を戻した。
 可愛らしくラッピングされたもの、シックなデザインが目を引くもの、華やかなもの、高級そうなもの…売場を飾る種類の豊富な商品に、内心圧倒されてしまう。
 ――こういうものは、リーザみたいな可愛い娘に似合うのよね。
 そう思いつつ、サニアは手近にあった包みを手に取った。
 焦げ茶の包み紙に黄色のリボンがかけられた、落ち着いたデザインのものである。
「サニアも決まったの?」
 突然声をかけられ、サニアは慌てて振り向いた。
「い、いきなり何よ」
「ふーん、それ?いい感じね」
 手元を見やり、したり顔で頷くシャンテへ、彼女が否定の声を上げる。
「別にあたしは買うなんて言ってないわよ!」
「はいはい。でも手に取ったんならそれにしちゃいなさい。時間もないし、そろそろ戻らなくちゃ。リーザはそれでいいのかしら?」
「ええ、これにします」
「だから待ちなさいってば!!」
 反論する間もあらばこそ。
 制止の声を聞き流し、シャンテとリーザはさっさとレジへと歩き出していた。
 結局、サニアが手にしていたチョコレートは、店を出る三人の買い物袋の中に収まっていたのである。


 雑貨屋を出、食料品を買い込むうちに、三人はそれぞれ大荷物になっていた。
「一旦シルバーノアに戻った方がよかったかしらね」
「男供を連れて来ればよかったじゃない」
 殊更につっけんどんなサニアへ、シャンテは苦笑を返す。
「今日はそういうワケにいかないでしょ。ま、買い物も全部終わったんだし、早く帰りましょうか」
「そうですね。何とか持てる量ですし」
「…すっげー荷物だな」
 突然の声に、三人が振り向いた。同時に、リーザが顔を輝かせる。
「エルク!」
 いつの間にか、二人の人間が彼女たち後ろに立っていた。
 深緑のマントを身にまとい、額に赤いバンダナを巻いた少年が、嬉しそうなリーザの手から大きな荷物を持ち上げる。
「こんだけ大量に買うんなら先に言えよ。荷物持ちくらいしてやるぜ」
「ありがとう、エルク。でもどうしてここに?」
「ギルドに用があったんだよ。な、シュウ」
 黒装束の青年が、エルクの問いかけに頷く。
 そして彼はシャンテに歩み寄り、彼女の荷物を受け取った。
「あら、お仕事?」
「先日の仕事の報酬を受け取りにな。情報収集も兼ねて寄ったんだが」
「成果は?」
「収穫なしだ」
 シュウはサニアに近づいた。彼が言葉を発するより先にサニアは荷物を押しつけ、さっさと歩き出す。
 つられて、他の四人も彼女を追うように歩き始めた。
「……らしいっちゃらしいけど、相変わらずだよな」
 エルクが少しばかりとがった声を出す。
「あら、可愛いと思うけど?」
 笑みを含んだ表情で振り向いたシャンテに、エルクは心底意外そうに聞き返す。
「どこが」
「素直じゃないところ、かしらね。そう思わない?シュウ」
「……さぁな」
 矛先を向けられたシュウのいらえに、エルクは少しばかり驚いていた。
 他の人間ならば気づかない程度だったが、彼の声音が笑みを含んでいることに気づいたのである。
 先を行くサニアの背中とシュウの顔を見比べ、エルクは首を傾げるばかりだった。


 厨房から歓声が上がった。
 続いて、楽しそうなお喋りの声が響く。時折聞こえる歓声も相まって、室内の賑やかな様子が手に取るように伝わって来た。
 トゥヴィルでのククル達の楽しそうなお喋りはいつもの事だが、今日は特に騒々しく感じられ、トッシュは鬱陶しげに眉を寄せる。
「一体何だってんだ?」
 ククルを含めた彼女たちが夕食の支度を始めたのはわかるのだが、それにしても、このはしゃぎようはどうだろうか。誰かの誕生日というわけでもないはずだが。
 トッシュの怪訝な表情の中に迷惑げな色を見て取り、隣を歩いていたポコがくすくす笑い出した。
「バレンタインデーだよ。女の子が好きな人にチョコレートをあげて気持ちを伝えるんだ」
 トッシュが感心した様子で厨房の方へと目を向ける。
「ほー。んな習慣があったのか」
「まぁ、トッシュには関係ないのかもしれないけどさ」
「そりゃどういう意味だ?」
 一転して不機嫌な声を出すトッシュへ、ポコが慌てて弁解する。
「えっと、トッシュはチョコレートなんて興味ないかなーって」
「ま、つまみにはなるかもしれねぇが、俺なら酒の方が嬉しいぜ」
「だよねぇ」
 別にチョコレートでなくてもいいんだけど、という言葉は飲み込んでおく。
 そこへ、廊下の向こうから、尖った声が聞こえてきた。
 二人の注意がそちらへ向けられる。
「だから、あんた今受難の相が出てるのよ。魔除けに持ってなさい!」
 強い声音が耳に飛び込んできた直後、肩を怒らせたサニアが足音も高らかに二人の脇を通り抜けていった。
 通りすがりに睨まれたように感じ、ポコは思わず首をすくめた。
 しかしトッシュは全く意に介さず、彼女のやってきた方向を覗き込む。
 つられてポコもそれに倣った。
 ……すると。
「あれ、シュウ?それ……」
 驚いたことに、廊下に佇んでいたのはシュウだった。しかも、その手に持っていたのは綺麗にラッピングされた箱である。この時期に見間違えるはずのない贈り物だ。
 ポコの物問いたげな視線を受け、シュウがあっさりと応じた。
「魔除けだそうだ」
「……へぇ、そうなんだ……」
 ポコは背後を振り向いたが、もちろん、既に人影はない。
「しかし、おっかねー剣幕だったな」
「サニアが言うなら効果があるんだろう」
「ほぅ、まんざらでもねぇか」
 人の悪い笑みを浮かべたトッシュにシュウは苦笑を返していたが、ポコはその意外な取り合わせに目を丸くするばかりだった。


 バレンタインデーは勝負の日である。
 意中の相手にチョコレートを送ることで想いを伝えるという行事は、最近ではすっかり定着しており、エルクにもそれなりに馴染みのあるものだ。
 だが、今年は別である。
 身近に気になる存在……はっきり言ってしまえば、好きな娘がいる。
 そして、相手もこちらに好意を持っているらしいのだから、期待してしまうのも無理からぬ事だろう。
 ……リーザが好意を寄せてくれている、という印象は強い。
 だからきっと、と思う反面、もしやということも考えてしまうのだ。
 もしも『義理』として渡されたら。
 いやいや、義理なら友達ラインはクリアしているのだ。今後の展開を期待するという考え方もある。ひょっとすると、気持ちを表に出すのが恥ずかしいからとチョコレートをしまい込んでいるのかもしれない、などなど。
 まだチョコレートをもらってもいないのに気が早すぎる。いや、だからこそ色々と考えてしまうわけで……。
 ――ったく、誰だよ。こんな心臓に悪いイベント考えやがったのは!
 思考が袋小路をさまよううちに、エルクは心の中で誰へともなく不平を呟いた。
 その時。
「エルク」
 耳に心地良い、聞き慣れた声に、エルクは半ば飛び上がるように振り向いた。
 今の今まで彼の心を占めていた少女が、そこにいる。
「リ、リーザ」
「良かった、ここにいたのね。広間にいないからどこに行っちゃったのかと思って」
「あ、その、悪い。ちょっと考えたいことがあって……」
 内心の動揺を隠すべく、さりげない風を装う。
 この場に第三者がいたならば、エルクのあからさまに不審な態度にすぐ気づいたであろうが、リーザはそこまで気が回らなかったらしい。
 彼女は頬を赤らめたまま、しばらく言葉を探しているようだったが、やがて固く目を閉じると、思い切ったように後ろ手に持っていたものを差し出した。
「エルク、これ受け取って欲しいの!」
 両手に余る大きさの綺麗にラッピングされた箱。それを目にした途端、エルクは頬が赤くなったのを感じていた。本音を言えば握り拳で喜びを表現したいくらいだが、どうも照れが表に出てしまったらしい。
 エルクは二度ほど深呼吸して心を落ち着けると、目を閉じて両手を差し出す少女から、チョコレートを受け取った。
 手の中の重みが消えたリーザが、おそるおそる目を開ける。
 そんな彼女と視線が合うと、エルクは満面の笑みを返した。
「サンキュ、リーザ」
 リーザの顔が輝いた。そして、幸せそうな笑みを形作る。
「これさ、リーザからもらいたかったんだ」
 頬をかきつつ、少し視線を逸らしてのエルクの言葉に、リーザの頬が見る見る赤く染まっていく。
 自身の気持ちを伝えたくて紡いだ言葉は、ちゃんと相手の心に届いたらしい。
「……エルク……」
「ありがとな、リーザ」
「うん」
 笑いかけたエルクへ、リーザは最高の笑顔を返してきた。


 その夜はククルを中心とした女性陣の心尽くしの夕食と、バレンタインデーにちなんだチョコレートケーキが全員に振る舞われた。
 そして、食後は広間でポコのハーブを伴奏に、シャンテが歌を披露することになり、ささやかながらリサイタルが催されることになったのである。
 静かなバラードが広間に穏やかな空気を作り、皆それぞれにこのリサイタルを楽しんでいた。
 部屋の片隅のテーブルには酒とグラスにおつまみが置かれてある。
 酒好きのトッシュなどは既に一本まるごと抱え込み、手酌で飲み始めていた。
 彼女の歌に耳を傾けつつ、皆が思い思いの場所でくつろいでいる中、サニアも一人、しっとりした歌に聴き入っている。
 そこへ、声と同時に黒い影が彼女の隣に現れた。
「少し、いいか?」
「な、あんた……」
 意表を突いた登場に、思わず声を荒げかけたサニアの前へ、ワイングラスが差し出された。
 思わず言葉を飲み込んだ彼女へ、抑揚のない声がかけられる。
「魔除けの礼だ」
 シュウがもう一方の手に持っていたのはワインのボトルだった。テーブルのそれとは異なるものだ。どうやら、あれから用意をしたらしい。
「へぇ、気が利くじゃない」
「たまには、な」
 しかし、シュウの手に用意されていたグラスはひとつだけである。
 静かにボトルを置いた青年へ、サニアが強い調子で問いかける。
「まさか一人で飲めって言うんじゃないでしょうね?」
 眉を上げたシュウへ、不機嫌な声が飛んで来た。
「こういう時に一人で飲んだって味気ないのよ」
 微かに笑みを浮かべると、彼はもうひとつのグラスを運んで来た。
 ボトルの栓をあけたサニアがそのグラスへワインを注ぐ。
 液体が満たされると、シュウは彼女の手から瓶を受け取り、相手のグラスを満たした。
 微かに透明な音が響く。
 まろやかなワインはなかなかに美味である。シャンテの歌に耳を傾けつつワインを楽しむサニアの耳に、シュウの声が届いた。
「うまかった」
 その一言が何を指しているのかは明白である。
「当然よ。このあたしが選んだんだもの」
 さらりと髪をかきあげ、サニアはちらとシュウを見た。
 そして。
「……ありがとう」
 相手に届くか否かの微かな声。
「ああ」
 いらえは短かったが、はっきりとサニアの耳に届いた。
 短いやりとりではあるものの、双方に意味は通じている。
 サニアは元来好意的な感情を表に出す方ではない。
 今も暖かい何かを感じてはいるものの、大して表情は変わっていないだろう。
 しかし、何故かそんな心の裡が隣の人物には伝わっているように思われるのだ。……理由は、よくわからないのだが。
 そして、今の状態に、サニアは不思議な安らぎを感じていたのである。


 神殿の外に、静かに雪が降りしきる。
 空に掲げられた月の光と建物から漏れる明かりに照らされ、雪は淡く光を放っていた。
 昼間とは異なる雰囲気をかもしだす景色をぼんやりと眺めるアークの耳に、やわらかな声がかけられる。
「アーク」
 振り返った彼の目に、ククルの姿が映った。
「ごめんね、せっかく中でゆっくりしていたのに。……これを、渡したくて」
 ククルは袂から手のひら大の箱を取り出した。
 白い包み紙に赤いリボンがかけられたそれを受け取ると、アークが問いかける。
「ありがとう。開けてもいいかな?」
「ええ」
 ククルの了解を取り、アークは包みを丁寧に開いた。
 箱の中から、六つのチョコレートが姿を見せる。
 ひとつを口に運び、味わって食べると、アークは彼女に笑いかけた。
「おいしいよ」
 その様子を見つめていたククルが、安堵の表情を見せる。
「良かった」
 彼女が見守る中、アークはひとつひとつのチョコレートを味わいながら食べる。
「ククルは料理上手だね」
「前は得意じゃなかったのよ。少しずつ慣れていったんだから」
「そういえば、旅を始めたばかりの頃はポコの作るスープの方がおいしかったっけ」
「もう」
 ククルが軽くアークを睨みつける。
 アークは小さく笑うと、最後のチョコレートを口に運んだ。
「おいしかったよ」
「ありがとう。……そろそろ、戻りましょうか」
 中から漏れる明かりに目をやり、ククルは身を翻そうとした。
 その時。
 アークがそっと彼女の肩に手を回したのである。
 驚いた表情で彼の顔を見返すククルに、アークは優しく微笑みかける。
「良かったら、もう少しだけ……一緒にいないか?」
 ククルはふわりと笑みを返した。
「そうね」
 そして、彼女はアークの肩に頭を持たせかけた。
 静かに積もる雪が、少しずつ周囲を銀世界に染め上げてゆく。
 そんな景色を見つめながら、神殿から聴こえるシャンテの調べに耳を傾けつつ、二人は静かに寄り添っていた。


──fin




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<あとがき>
 実はこの話、三年越しに書き上げたものだったりします。大筋はサイト開設の頃から考えていたものの、時期を逃してしまううちに今年までずれ込んでしまいました。
 ……あとはカップリングでしょうか。シュウ×サニアは個人的に好きなんですが他に同志がいないのではと思うほどマイナーなので(苦笑)。
 そういえば、エルク×リーザのこういうエルク視点はうちとしては珍しいかも。
 この世界に日本のバレンタインデーのような風習があるとは思えないんですが、こういう事があれば、という感じで見ていただけると嬉しいです。