あなたをみつめていたいから 雲ひとつない澄んだ空の下、リーザは畑の水撒きに精を出していた。 天気が良い日は気分も明るくなる。暖かな日射しが春の訪れを告げているせいかもしれない。 水撒きを終え、最近増えてきた畑の雑草抜きを済ませると、リーザは庭に干していた洗濯物を取り込んで、空を仰いでみた。 つい先程まで蒼く彩られていた空が、夕焼け色に染まってゆく。 リーザは、その美しい色の移り変わりにしばし心を奪われた。 やがて、太陽が地平線の向こうに沈んだ頃、鮮やかな夕焼け色の中に黒い影が浮かび上がった。 徐々に近づく影を見つめていた彼女の顔が、明るく輝く。 リーザは牧場を囲う柵に駆け寄り、改めて目を凝らしてみた。 道の向こう、ベルニカ村へと続く橋を渡ってくる影がある。 決して見間違えるはずのない、懐かしい人物の姿。 「エルク!」 その名を呼ぶと、緑のマントに身を包んだ人影――エルクが軽く手を挙げた。既に向こうは彼女に気づいていたらしい。 足を早めてやってくるその姿を見つめながら、リーザは胸の鼓動が高まるのを感じていた。 彼──もう少年とは呼ばないであろう、青年となったエルクが柵を挟んでリーザの前に立つ。 しばし見つめ合った後、彼はゆっくりと口を開いた。 「リーザ……その……久しぶり」 「エルク……」 また背が伸びていた。 日に焼けた顔に少しはにかんだ笑みを浮かべて、エルクはリーザを見つめている。 「なかなか来られなくてごめんな。その……会いたくなってさ」 照れると表情が幼くなった。リーザのよく知るエルクの顔だ。 「ううん、来てくれて嬉しい。さ、上がって」 |
まずエルクに椅子を勧め、リーザは手早く洗濯物をたたみ終えて厨房に立った。 椅子に腰を下ろしたエルクはコーヒーを淹れるリーザの背に、これまで見聞きした出来事を語り始める。 まだまだ復興のペースは緩やかだが、だからこそハンターの仕事も多い。毎日忙しく飛び回り、世界の再建を進めようと必死な彼の姿を想像しつつ、リーザは相づちを打っていた。 話に耳を傾けていたリーザが、ふと顔を上げて振り向いた。 やや驚いた顔のエルクと目線が合う。 「どうした?」 「ううん、何でもない」 不思議そうなエルクへ首を振ってみせ、リーザは淹れたてのコーヒーをテーブルへ運んだ。 マグカップに口をつけると、エルクは嬉しそうに顔をほころばせる。 「リーザのコーヒーはうまいぜ」 「ありがとう」 「こっちはどうだ?何か変わったことはないか?」 話が一段落したところで、今度はエルクが質問を始めた。 牧場の様子、近くの村や町、何よりリーザ自身について、などなど。 あれこれと近況を尋ねるエルクにひとつひとつ答えていたものの、リーザの口は重くなり、いつしか彼女は黙り込んでしまった。 「リーザ?どうした」 「ねぇ、エルク」 いつしか俯いていた彼女は顔を上げ、正面からエルクの瞳を見据えた。 「何かあったの?」 ふ、とエルクの表情が消えた。 それまでの陽気な口調が嘘のようだ。ひどく静まり返ったその様子に、リーザは自身の勘に確信を持った。 いつもと変わりない風を装っているが、何かに気を取られているような、落ち着かないエルクの様子が気になったのである。 普段、遠く離れている自分に心配を掛けまいとしているのかもしれないが。 ──黙っていてはわからない。 そう思ったからこそ、敢えて尋ねたのだ。 何かがあったなら知りたいし、何よりエルクの口から話を聞きたい、そうリーザは思っているのだから。 居心地の悪い沈黙が続く。 別の話題を出せば、雰囲気が変わることは想像に難くない。エルクがそれを望んでいるようにも感じられたのだが、リーザは待った。 彼女の視線を受けながらも、エルクは逡巡しているようだった。 やがて、苦笑とも自嘲ともつかないものが口元に浮かぶ。 「かなわねぇな」 しかしエルクはすぐに言葉を継がなかった。湯気の立つマグカップを見つめたまま、口を閉ざしている。 リーザはただ、待っていた。 だが、長い沈黙の後にエルクが漏らした言葉は、彼女の意表を突くものだった。 「あと半月で、四月だろ」 春の陽気が訪れはじめているにも関わらず、エルクの口調は重かった。 「そうね、もう三月だもん。もうすぐエルクの誕生日ね」 「……オレ、アークより年上になるんだよな」 リーザは目を見開いた。 エルクはテーブルの上で組んだ指に視線を落としている。 「実感わかなくてさ。大体あいつ大人びてて十六には見えなかっただろ?オレと一コしか違わないって知ったときは驚いたぜ」 「エルク……」 「去年はそんな余裕無くてさ、同い年になったことを気にも留めてなかった。何だかんだで忙しかったし、余計なことを考えるヒマもなくてよ。だけど、気がついた途端、さ……」 エルクは言葉を切った。 しかし、リーザには合いの手が入れられない。 エルクの両腕に力が込められた。 「オレは変わってない。時間だけが過ぎてるんだ。まだ何もやってない。アークたちが残した世界は傷ついたままだ」 エルクの瞳がリーザを捉えた。 「あれからどのくらい経った?旅を始めてから、あいつと出会ってから、仇じゃないってわかって、あいつの事を知って、一緒に旅をするようになって……色んな事があったけど、あいつの背負うものが少しでも軽くなったらって思ってたんだ。……けど、あいつは戻って来なかった」 エルクは唇を噛んだ。腕に力を込める余り、肩が震えている。目を伏せ、俯いた表情からはにじみ出るのは悔しさと……やるせなさだろうか。 共に旅をしていた頃を思い出す。 リーザにとって、アークは頼りになる人物だった。憧れ慕っていたのは事実だが、今思えば、兄に対する思慕に近い感情だったのだろう。 だが、ある意味最も近い場所にいたエルクにとって、アークの存在は……。 ──心の中まではわからない。けれど、察することはできる。 アークもまた、何かにつけて、エルクを頼りにしていたように感じていた。 ゆえに、未来を託したのだと……そう、思う。 しかし、エルクは思っていたのだろう。自分には、アークとククルが遺した想いに応えられるだけの力がない、と。 リーザはおもむろに立ち上がり、エルクに歩み寄った。 傍らに膝をつく。 「エルクは変わったわ」 強く握られた拳を包むように触れて、リーザは苦悩に歪むエルクの顔を下から見上げた。 「みんな少しずつ変わってる。だって、時間は確実に流れているもの」 エルクの瞳がリーザのそれを捉えた。頼りなげな表情を浮かべる彼に笑みを返し、リーザは窓辺に視線を向けた。 つられてエルクもそちらを見やる。 視線の先には、小さな鉢植えが三つ並んでいた。 一番右の鉢から、小さな芽が出ている。 「ね、エルク。この牧場も緑が増えてきたと思わない?花が咲いているの。草も生えているし、木々も少しずつ成長しているわ。ここだけじゃない、不毛な大地と言われた場所に根付く命もあるはずだもの。……傷は、癒すことができるでしょう?」 エルクが我に返った様子で目を見開いた。 リーザはエルクに微笑みかける。 「……そう、だな」 エルクの表情がやわらいだ。やがて、薄く息をつく。 組んだ指から力が抜けた。 「色々思うようにいかなくてさ、どうしても焦っちまうんだ。すぐに結果が出るわけじゃねぇってわかってるつもりなんだけどな……」 エルクがゆっくりと傍らの少女へ視線を移した。そして、微笑む。 「ここに来て良かったよ。リーザに話して気が楽になった」 いつものエルクだ、と思えた。肩肘を張らずに本音を語る、リーザの大切な人。 リーザはそっと笑みを返した。 「私も、エルクが話してくれたことが嬉しいの」 「……リーザ……」 「ここがあなたの帰る場所だって……自分の家だと思ってくれるのが、嬉しいから」 エルクが優しい笑みを浮かべる。その表情がひどく大人びていることに改めて気づき、リーザは頬を赤らめた。 そんな彼女へ手を伸ばし、エルクはその髪に触れる。 「髪、切ったんだな」 「長すぎるとお手入れが大変だもの」 「活動的になった感じがする。……髪だけじゃなくてさ、色んな事に対して積極的になっただろ」 髪を梳いた指が頬に触れる。 頬を包み込む暖かな手に両手を重ね、リーザは微笑んだ。 「エルクに会う前は考えられなかった。だけど、生活しなきゃならないでしょ?町の人たちにも、うちの子たちがいい子だって知ってほしいし、一緒に頑張りたいから」 「そうだな、少しずつ……オレたちの手で、作っていくんだよな」 目には見えなくとも、昨日よりも今日、今日よりも明日へと、一歩一歩進んでいるのだ。 たとえ離れていても、ひとつの目的のために努力する事は、共に進む事と同じだと。 ククルさんも、こういう気持ちを抱いていたのかな……。 エルクも、きっとそう思ってる。 「ひょっとしたら……」 「ん?」 「ううん、何でもない。今日は泊まっていくでしょう?夕御飯は腕を振るうわね」 「そいつは楽しみだな」 嬉しそうなエルクに笑みを返し、リーザは軽やかに立ちあがって厨房へと向かった。 |
──fin
<あとがき> 実はこれエルクの誕生日に合わせて考えていたんですが…1ヶ月以上過ぎてしまいました(汗)。 エルクにとって、アークの存在は大きかったと思うんです。 年齢差というものは本来変わらないものですが、追いつかない筈の年齢が、追いつき、追い越してしまう…ということは、色々な意味で重いのではないかと。 私自身があのエンディングをなかなか受け入れられなくて、「2」以降の話というものがまったく浮かんでこなかったんです。唯一、この話を除いて。 この話の原型はクリアしてから割と早くに浮かんだんですが、書けなかったんですよね。 正直「3」は今ひとつでしたし。 でも、「機神復活」を遊んで、ようやくエルク達の…エルクとリーザのその後が見えた気がしました。 ……ひょっとして、エルク×リーザのみの話って初めてかも。 |