ある日の出来事




 辺境にある、穏やかで静かなラハン村。
 村外れの山頂に、この村唯一の医師が妻子と共に居を構えてから、そろそろ1年になろうとしている。
 穏和な人柄で村人に頼られるようになっている医師シタン・ウヅキは、普段は庭で趣味の機械いじりをしているのだが、今日は珍しくその姿が見られなかった。
 庭では、3歳になる娘のミドリが鳥にエサをやっている。
 小鳥たちは何のためらいも無く、ミドリの肩や頭で羽根をやすめて、エサをついばんでいた。
 心なしかミドリが微笑んでいるように見え、窓からその様子を眺めていたシタンは目を細めた…が、頭は少し重い。
 そこへ、部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。
「どうぞ」
「熱は下がりまして?」
 やわらかな声が耳朶を打つ。普段耳に心地良いはずのそれさえ重く響くのが情けない。
「残念ながら。すぐに治ると思ったんですがねぇ…」
 ユイがくすりと笑みを漏らした。夫の枕元に近づき、そこに置かれていた1冊の本を取り上げる。
「あなた、いつも風邪を引いた患者さんには、目を休ませてあげるように言ってませんでした?」
「あ、いえ、それは…昨日は熱も下がっていたし、ちょうど気になる所だったので…」
「患者さんがそう弁解したら、いつも何て言ったかしら?」
「…すみません」
 シタンは思わず苦笑を浮かべた。患者の立場になって初めてわかる不自由さ、である。
 ユイが本を書棚に片付けるのを眺めて、目を閉じた。
 為すべき事はまだ多い。考えたいこともある。
 ただ眠るだけの時間が貴重に感じられ、目は冴える一方だ。シタンは小さく溜息をつく。
 ──不意に水音が聞こえてきた。
 目を開けたシタンがそちらを見やると、ユイがベッドの傍らに佇んでいた。手には水がなみなみと注がれたグラスを持っている。
「喉が渇いたでしょう?どうぞ」
「ああ、ありがとう」
 上体を起こしてグラスの水に口をつけ、シタンはようやく彼女が水差しとグラスを持ってきてくれたことに気がついた。熱のせいか、随分と注意力が散漫になっている。
 ユイはサイドテーブルに水差しを置きながら、口を開いた。
「昨日、フェイが来てくれたのよ」
 水を飲み終わっていなければ、むせていたかもしれない。
 シタンは視線を上げ、妻の横顔を見た。
「フェイが?」
「ええ。とても心配していたわ。ちょうどあなたが眠っていたから、ここから様子を見て帰ってもらったのよ」
「どうして起こしてくれなかったんですか?」
「あら、フェイに風邪をうつすおつもり?お医者様が他の人に風邪をうつしては本末転倒でしょう」
 シタンは言葉に詰まった。その様子に、ユイは小さな笑みを見せる。
「せめて明日はちゃんと話せるようになりたいでしょう?だったらちゃんと寝てちょうだいね」
「…まるで子供扱いですねぇ」
「今のあなたは私より身体が大きいだけの子供です。さ、布団に入って」
 シタンは肩を竦めるとユイにグラスを渡した。布団を引き寄せ、ふと窓の外を見る。
 しかし、そこには青々とした芝生が広がるばかりで、小さな人影はどこにもなかった。
 少し寂しさを感じつつも、彼はおとなしく横になる。
 それを見届け、ユイはサイドボードの上に水差しとグラスを置き直した。横になっているシタンの手が届く位置を確認して、ベッドから離れようとした時。
「ユイ」
「はい?」
「その…身体の調子はどうですか?」
「もう平気よ。うちには腕のいいお医者様がいますもの」
 つい3日前に風邪をひいていたのはユイだったのだ。
 しかし、症状は軽かったので、1日横になっただけですっかり回復していた。
「それは良かった。ぶり返さないかと心配だったんですが」
「きちんと寝ていたおかげよ。あなたがお食事の用意もしてくれましたし」
「いえ…あれは、ねぇ…」
 シタンの脳裡に厨房の惨状がよみがえる。きちんと料理を作ったつもりなのだが、匙加減がいまひとつわからず、我ながら摩訶不思議な味に出来上がってしまったのだ。
 ひとつまみを何本の指でするべきか悩んだと話すと、ユイは困ったような微笑みを返し、お料理ノートに書き加えておくわね、と言っていたのだが。
 ユイの料理はおいしいと思うのだから、味覚がおかしいわけではないハズである。
 機械いじりや数式ならばはっきりした答えが出るのに、どうしてこれほど難しいものがあるのだろうか。
「あなた」
 つい考え込んでしまったシタンの額に、ひんやりとした手が触れる。
「今くらい何も考えずに眠ってちょうだい。悪い癖よ」
 少し驚いた様子の夫に、ユイは穏やかな表情を見せた。
 やわらかで、暖かく、すべてを包み込む優しさと強さを持つ女性。
 シタンは思わず苦笑した。
「そう…ですね。こればかりは治りそうもありませんが」
 身体の力を抜いて、目を閉じる。けだるさは残っているものの、不思議と鈍痛はおさまった気がした。…いや、本当におさまったようだ。精神的にリラックスできたおかげだろう。
 そっと傍らの妻を見あげ、シタンは言った。
「ユイ」
「なぁに?」
「…もう少し、このままでいてもらえませんか?」
 ふわりとユイが微笑む。
「ええ。あなたが眠るまで、ここにいます」
「ありがとう、ユイ…」
 シタンはゆっくりと目を閉じた。
 今は何も考えず、少しだけ休むことにしよう。
 自分の安らぐ場所を育んでくれる、かけがえのない妻のもとで。


 ほどなく彼は眠りについたが、ユイはその後もしばらく夫の側を離れなかった。
 そして。
 小さなノックの音の後、幼い少女が室内に入ってきた。
「あら、ミドリ」
 シタンが眠ったままであることを確認し、ユイはミドリの前にしゃがみこんだ。娘と視線をあわせて、尋ねる。
「どうしたの?」
 ミドリは両手を後ろに回してうつむいていたが、母親に声をかけられ、おずおずと小さな手を前に出した。
 その中から出てきたのは、可愛い花々だった。庭に咲く、ミドリが育てている花である。
「…おとうさんに…」
 短い言葉に精一杯の想いをのせるミドリに、ユイは優しく笑いかけた。
「ありがとう。枕元に生けておきましょうね。お父さんもとっても喜ぶわ」
 ミドリが小首を傾げ、小さく頷いた。父親の顔を見る表情が、少し寂しさを含んでいたけれど。
 ユイはミドリの手を取った。花を生ける器を用意すべく、部屋の扉を静かに開く。
「お父さんもすぐに元気になるわ。ミドリのお花は一番効くものね」
 自分の手を握り返す娘に話しかけながら、ユイはそっと扉を閉めた。


 その日、シタンは心地良い、穏やかな夢を見た。
 彼が枕元の切り花に気づくのは、翌朝目覚めてすぐのことである。

──Fin


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<あとがき>
 実はこのゼノギアスというゲーム、のみの市で2000円で買ったものでした(笑)。前々から興味はあったんですが、値段が高くて手が出なかったんです。
 プレイ前から言われ続けた言葉が、「長山は絶対シタン先生に転ぶ!」…そのとおりでした(爆)。しかも素敵な奥さんがいらっしゃる!!夫婦で大好きになりました☆
 でも、シタユイのお話ってなかなかないんですよねぇ…。素敵なお話もいくつか見かけましたが、ユイさんを書いている方が少ないんです。
 というわけで、ちょっとほのぼの(?)したウヅキ夫妻を書いてみました。
 密かにこの二人の出会いなども書いてみたいと思ってます(笑)。