もうひとつの始まり



 エルクがシュウやフィニアと共に神の塔の内部へと姿を消してから、何時間経っただろうか。
 アレクやマーシアと共に三人を見送ったリーザは、塔の前を動こうとはしなかった。
 リーザの気持ちを察したアレク達は、その場で簡易テントを用意すると、いつ戻るとも知れぬエルク達の帰還を待つことにした。
 日が傾き、月が淡い光を放ち、星が瞬き始めても、神の塔は静まり返ったままである。
 眠れぬ一夜を明かし、朝日が周辺を照らし出す。
 ――そして。
 神の塔から、二つの影が現れた。
 直後、まだ朧気な形であったにも関わらず、リーザは一つの影――エルクの元へと駆け出した。
 近づく彼女の姿に気づいたエルクが笑みを浮かべる。
「お帰りなさい、エルク」
「ああ。ただいま、リーザ」
 仕事の成否を問う必要はなかった。何より、エルク達の満足げな表情が結果を物語っている。
 大きな怪我は見当たらなかったが、念のため、回復魔法で二人の身体を癒すと、リーザはようやく安堵の息をついた。
 そして、改めて気づく。
「ターバンはどうしたの?」
 指摘され、エルクは頭をかいた。布でまとめていた癖毛は少々収まりの悪い状態になっている。
「ん、ああ……渡してきたんだ」
「そう……」
 それだけでリーザは納得した。
 彼女の勘は当たっていたのだろう。
 フィニアがエルクに向けていた思慕の感情は、妹のそれではなく……。
 エルクもまた、それに気づいたのだ。
 リーザは思い切って尋ねてみた。
「ね、エルク。私に新しいターバンを作らせてくれない?」
 目を丸くするエルクに、リーザは慌てて言葉を継ぐ。
「その……いつも身につけていたものがないとやっぱり不便でしょ?お裁縫なら得意だし」
 あなたの身につける物を、作らせて欲しいの。
 この一言は口に出さなかったが、エルクはそれと察したらしい。
 彼は嬉しそうな顔で頷いた。
「ああ、頼む。できる頃に取りに行くよ」
 エルクの声に、リーザのやや緊張した表情がやわらぐ。
「うん、待ってるわね」
 約束を交わす事で戻って来た彼の存在を噛みしめつつ、リーザは微笑んだ。
 ここで、不意にエルクの瞳が思案の色を見せた。
 何事かを思いついたらしく、彼はリーザにひとつの提案を持ちかける。
「せっかくだからさ、戻る前にちょっと寄り道してみないか」
「え?でも……」
「実は南スラートに急ぎの仕事が入ってるんだ。すぐに片づけられると思うから、待っててくれねぇか?」
「南スラートなら、テスタね?」
 腕の立つ赤髪の刀使いを思い出しながら、リーザが問う。
 しかし、エルクは小さく笑って否定した。
「トッシュじゃねぇんだ、悪いけど。リーザに会いたいってヤツがいるんだよ」
 不思議そうに首を傾げるリーザの手を取ると、エルクは頬を赤らめる彼女の手を引いて飛炎へと走り出す。
 後に残った三人は意味ありげに笑みを交わしていたのだが、既にその場を離れていたリーザは知る由もなかった。


 マーシア、アレク、シュウの三人をそれぞれの町へ送り届けると、エルクは飛炎の舵を南スラートへと向けた。
 リノやベルニカ村とは別の形で復興を遂げた町・パンディラの中心にある大邸宅が、目的地である。
 この屋敷を初めて訪れたリーザは、豪奢な佇まいにただ目を丸くしている。
 そんな彼女にウィンクすると、エルクは扉の呼び鈴を鳴らした。
 ほどなくして、落ち着いた物腰の執事が姿を見せる。
「これはエルク様、ようこそいらっしゃいました」
「久しぶり。御主人は?」
「中でお待ちです。どうぞ」
「ありがとう」
「お、お邪魔します」
 執事の洗練された所作での誘いに、リーザはひどく緊張しているようだった。
 そんな彼女の様子を微笑ましく思いつつ、エルクは先導する執事の後に続く。
 屋敷内に通されると、主と顔見知りのエルクは先に奥へ案内され、やがて一人の少女を伴って戻ってきた。
「初めまして、リーザさん。アンリエッタと申します」
「は、初めまして」
 突然の出来事に戸惑うリーザへ、この屋敷の主アンリエッタが優雅に微笑みかけた。
「わたくし、皆様のお話を何度もお聞きしていましたから、一度貴女にお会いしたいと思っておりましたの。念願叶って嬉しいですわ。さ、どうぞ。楽になさって下さいね」
「ええ、その……よろしくね、アンリエッタ」
 すぐにお茶の用意が調えられた。二人はアンリエッタに連れられてティールームへと場所を移す。
 最初は面食らっていたリーザだが、アンリエッタの心からの歓迎を受け入れると、少しずつ、会話も打ち解けてきた。
 二人の様子を見届けて、エルクはアンリエッタに手を上げる。
「じゃあ、後は頼んだ」
「どうぞご安心下さいませ、エルク様」
「気を付けてね、エルク」
「ああ、行って来る。すぐ戻るからな」


 一仕事を済ませたエルクは、すぐにアンリエッタの屋敷へリーザを迎えに行った。
 二人はその足でテスタへ赴き、トッシュと旧交を温めたが、瞬く間に時間は過ぎて行き、気が付くと、すっかり夜も更けていた。
 トッシュは滞在するよう勧めたが、牧場の世話があるというリーザへ無理強いすることはできず、次の機会を約束させた上で、二人を見送ってくれたのだ。
 飛炎を駆り、何とか日の変わらない内にリーザを牧場へ送り届けたエルクは、名残惜しげな彼女を残して、そのままフォレスタモールを後にした。
 翌朝一番で駆けつけた先は、パンディラの大邸宅――アンリエッタの屋敷である。
 早朝の訪問だったが、すぐに彼女が現れた。どうやら、女主人は訪問を待ちかまえていたらしい。
「いらっしゃいませ、エルク様」
「で、どうだった?」
「こちらですわ」
 勢い込むエルクへアンリエッタは得意げな笑みを見せる。
 彼女の掌には、指輪がひとつのせられていた。精緻な細工で上品に飾られた、サファイアの指輪である。
「……ちっさいんだな」
「殿方と比べれば当然ですわね。これがちょうどでしたから、九号でよろしいかと思います」
 九号、とエルクが口の中で反芻する。
 アンリエッタはさも可笑しげな表情を浮かべた。
「それにしても、突然何事かと思いましたわよ。まさかわたくしの所にいらっしゃるなんてね」
 エルクが一瞬詰まったが、面映ゆそうに視線を外す。
「悪かったよ、その、無理な頼みをしちまってさ」
 他に適任者が思いつかなかったのだ。シャンテの場合リーザにこちらの意図を読まれそうだったし、サニアやシェリルはそもそもこういう頼み事に向かないタイプである。
「いいえ、よろしいんですのよ。こんな形でエルク様のお手伝いができるなんて、光栄ですもの」
「…………」
 アンリエッタはすこぶる上機嫌だった。それが何とも不思議に思える。
「訊いてもいいか?なんでこんなに積極的に協力してくれたのか」
「交換条件を出されるとでもお思いになりまして?例えば、アレク様の情報をいただきたい、とか?」
 図星を指されて言葉に詰まったエルクに、アンリエッタはさもおかしそうな笑い声を立てる。
「残念ですけれど、アレク様に関してはわたくしの方が情報収集能力は高いと思いますわ。ですからその取引は成り立ちませんわね」
「じゃあ、なんでだ?」
「純粋な好意ではいけませんかしら?」
 彼女は澄ました顔で訊き返す。
「リーザさんが気に入りましたの。それに、伝説のハンターであるエルク様に私事でご協力できる機会なんてまずあり得ませんもの。好機は逃すべからず、我が家の家訓ですわ」
 アンリエッタがアレクに熱を上げているという話は、彼らと知り合った頃にルッツから聞いていた。
 しかし、アレクはギスレムで孤児院を経営するクララに惹かれており、クララも彼を想っているらしい。
 アンリエッタが二人の恋路に横槍を入れる様子がないことから、周囲の人間はこの一件を既に過去の出来事と考えられている。
 とはいえ、現在も彼女が抑えているアレクの情報網は、エルクが内心舌を巻く程なのだが。
 情報は抑えているが、干渉はしない。
 むしろ彼女の情報は、アレクの仕事に役立っているのだ。
 アレクの行動はハンターとしての活動が大半を占めている。彼に関する情報の収集はハンターの情報収集に繋がる事を意味していた。
 無論、過去に関わりを持ったエルクやシュウへの助力も惜しまない。
 アレクの仕事における有能な後援者、それが今のアンリエッタの立場だった。
「わたくしがアレク様をお慕いする気持ちに変わりありませんわ。今はただ、相応の女になりたいだけですの」
 例え相手が振り向かずとも。
 アンリエッタが己を磨けば磨くほど、彼女が慕うアレクの存在が大きくなる。
 そして、今はそれが彼女の誇りになっているのだ。
 数年前は、我儘お嬢様と呼ばれていた少女の変化に、エルクは目を細めた。
「オレが言うのも何だけど、あんたはいい女だと思うぜ」
 ふふ、とアンリエッタは笑った。
「当然ですわ」
 毅然とした彼女の態度は、自信と気品に満ちあふれていた。


 アンリエッタ御用達の宝石店を紹介されたエルクは、長時間の吟味を経て、ひとつの指輪を見繕った。
 指輪と同じく、唯一無二の決意を胸に秘めて。


 再びエルクがリーザの元を訪れたのは、彼女と別れて一週間後のことだった。
 別れ際に期日を決めての訪問は久しぶりになる。
 用が用だけに一刻も早くリーザの元へ急ぎたかったのだが、普段から多忙を極めるエルクには、なかなか時間のゆとりが得られない。
 結局、リノへ飛炎が到着した時には、日没から既に数時間が経過していた。
 例え約束の期日に間に合わなくとも、リーザが怒ることはないだろう。
 しかし、今日だけは、エルク自身が約束を違えたくなかった。
 リーザの家へ辿り着く頃には夜半を過ぎると思われるが、何とか間に合いそうである。
 月明かりが照らす夜道を、ただひたすらに急ぐ。
 これまでで一二を争う最短時間で目的地へ辿り着くと、エルクは扉の前で息を整えた。
 モンスターたちは既にねぐらに戻ったらしく、牧場の周囲は穏やかな静寂に包まれている。
 エルクがノックすると即座に扉が開き、リーザが姿を現した。
 彼の姿を認めた顔が幸せそうに輝く。
「エルク!」
「すまねぇ、リーザ。遅くなっちまって」
「ううん、ちゃんと今日来てくれたんだもの、嬉しいわ。お仕事お疲れさま。さ、入って」
 相手の心を癒す暖かな笑みを浮かべて、リーザはエルクを家の中へといざなった。
「疲れたでしょう。何か飲む?コーヒーがいいかしら。すぐに食事を温めるわね」
「あ、いや。それより、先に話があるんだ」
 ややぎこちないエルクの様子に、リーザは不思議そうな表情を見せたが、厨房へ向けていた足を返すと、居間に戻った。
 リーザの前に立ち、エルクは息を整える。
 ……だが。
 いざ、切りだそうとしたものの、うまく言葉が出てこない。
 先に指輪を出した方が話が早いか、いやでもまず言葉で伝えた方が……。
「エルク?」
 ぐるぐると堂々巡りの思考を繰り返すうちに、時間は無情にも過ぎてゆく。
 小首を傾げてリーザが彼の名を呼んだとき、既に十分以上経っていた。
「あ、いや、その……だな」
「良かったら、座って。椅子にかけても話はできるでしょ?」
「あ、ああ、ありがとう」
 完璧に言葉が空回りしている。自分でもそれがわかっているのに、対処法が出てこない。
 リーザの指摘にいちいち動揺するエルクの様子は、傍目にかなり訝しく映ることだろう。
「ね、エルク。喉が乾いてるんじゃない?」
 言われて気づく。緊張のせいか、確かに、喉はカラカラだった。
 リーザは小さく笑みを漏らした。
「冷たい飲み物を持ってくるわ。ちょっと待ってて」
 笑顔を残し、リーザは厨房に下がった。
 彼女の姿が見えなくなった途端に、エルクの全身からどっと力が抜ける。
「だああああ、ったくオレは成長してねぇな!」
 頭を抱えて深く息をつく。
 とにかく、次だ。リーザが現れたら、これから一緒に暮らそう、と持ちかけるのだ。
 新たに気合いを入れ直すエルクの前に、澄んだ水の満たされたグラスを手にしたリーザが現れた。
 エルクの前にグラスを置き、リーザはソファの上の包みを手に取る。
 冷えた水で喉を潤したエルクへ、彼女は包みを差し出した。
「エルク、これ、受け取って」
 大きな布で包まれたそれを受け取り、エルクは包みを開く。
 オレンジ色のターバンだった。
 以前、エルクが使っていたものとよく似た色合いである。
「これ……」
「リノでちょうどいい布を扱っていたの」
 エルクはターバンを頭に巻いた。収まりの悪かった髪がきり、と締まる。
 我知らず、姿勢を正していた。エルクにとってのターバンは、仕事に赴く際のトレードマークであり、気持ちを切り替える一番身近なものなのだ。
 しかも、これはリーザの手作りだった。
「サンキュ、リーザ」
「喜んでくれて良かった」
 嬉しそうに微笑むリーザを、心底愛おしいと思う。
 彼女は、自分にとって大切な空間を自然に作り出してくれる、かけがえのない女性なのだ。
「リーザ」
「なあに?」
「これから、一緒に暮らそう」
「……え?」
 返事に一呼吸のタイムラグが起こった。言葉の意味をどう捉えるべきか戸惑うリーザへ、エルクは真摯な瞳で言葉を紡ぐ。
「結婚してくれ」
 リーザの瞳が見開かれる。
「今まで勝手ばかりしてきたけど、いつも、オレを支えてくれたのはリーザだって思ってる。そして、これからも支えてくれるのはリーザだけだ。だから、オレも君を生涯掛けて守りたい」
 口元を抑えたまま、リーザは身動き一つしない。
 そんな彼女に笑みを見せ、エルクはマントの中から小さな箱を取り出すと、テーブルの上に載せた。
 小箱のふたを開く。
 中に収められていたのは、ひとつの指輪。
 透明な輝きを持つ宝石の周囲を、銀色の小さな花びらが縁取っている。
 派手なものではない。しかし、自己を主張しすぎない落ち着いた雰囲気は、自然と目を引くものがあった。
「これ、受け取ってくれないか」
 上品にカットされた石が、室内の明かりを反射する。
 リーザは少しだけ眉を寄せて、戸惑いと困惑のないまぜになった表情を浮かべた。
「え、エルク、あの……」
 彼女の態度に嫌な予感が頭をよぎり、エルクの表情が曇った。
「あ、違うの!私、そうじゃなくて、だから」
 エルクの表情に、自分の態度を力一杯否定したものの、リーザの戸惑いは消えない。
「リーザ?」
「エルク、これ、夢……じゃないの?」
 一瞬の沈黙。
 次いで、エルクは吹き出した。
「や、やだエルク!どうして笑うの!!」
「わ、悪ぃ、や、……けど……っ」
 何とか笑いを抑えようとするのだが、後から後からこみ上げてくる発作は止まらない。
 リーザの顔は真っ赤だった。
「だ、だって!いきなりそんなこと言うんだもの!私何も聞いてないわ!!」
「そりゃ、はなっから言ってたら意味ねぇじゃん」
「でも、何も突然こんなこと……」
 リーザの瞳に涙が溢れる。
 エルクは思わず席を立った。
「お、おい、リーザ」
 溢れた涙が、リーザの頬を伝い落ちる。
 流石に冗談が過ぎたかとエルクも大焦りしたのだが。
 リーザは顔を上げると、口元に笑みを浮かべていた。泣き笑いの表情である。
「ずるいわ、エルク。……でも、嬉しい」
「リーザ……」
 こぼれた涙を指先ですくい取り、リーザはそっと微笑んだ。
「お受けします」
「……ありがとう」
 エルクは小箱から指輪を取り出した。そして、リーザの左腕を取り、細い薬指に指輪をはめる。
「ぴったりね」
「調べたからな」
「いつ?」
 少しばかり得意げなエルクに、リーザが問いかける。
「頼んだんだよ。アンリエッタに、さ」
「あ!……じゃあ、あの時から……?」
 驚く彼女を見つめたまま、エルクは指輪をはめたその手を引き寄せ、口づけた。
 見る見る頬を赤らめる彼女に微笑みかける。
「いや、もっと前からさ」
 幸せに頬を染めるリーザを抱きしめたエルクは、彼女の唇へ口づける。
 優しく、甘い二人の誓いの口づけを、夜空に煌めく星々が窓の外から静かに見守っていた。



──fin


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<あとがき>

 長らくお待たせしました、88888HITのキリ番小説です。
 機神後のエルリーといえば、やはりプロポーズしかないでしょう!(笑)
 と決意したのは良かったんですが、それからがもう…本当に時間がかかってしまいました…。
 自分でも意外だったのがアンリエッタです。3ではちょっと苦手だったんですが、機神での落ち着いた彼女を見ていると、こういった立場にいるのではないかと思えまして。
 勝手な解釈ですが、こんな関係もあるのではないかと。
 エルクとリーザは最終的にこういう形を迎えると思っていたので、今回、きちんと話を作ることができたのは嬉しかったです。