光射す場所 




 ――息が、苦しい。
 押しつぶされそうな抑圧感に、ククルは必死で抗っていた。
 神殿に封印されているはずの闇は、その強大な力の片鱗を垣間見せることがある。ゴーゲンが「闇のうねり」と称しているそれは、封じられた中から漏れ出でる力の波動で神殿を守るククルに強大な圧力をかけるのだ。
 闇が封印を破ることはありえないが、力の余波が外に漏れることのないよう、ククルは神殿に結界を張っている。そのために結界に干渉する「闇のうねり」は、ククルの精神へ影響を及ぼすのだ。随分慣れて来たものの、未だ底の知れない闇に取り込まれる錯覚を感じることがあった。
 闇の中に取り残された自分自身。
 普段ならば薙ぎ払える闇の気配が、濃度を増してゆくように感じられ、ククルの肌が粟立った。
 ……そういえば、最近少し体調がすぐれなかったのだが、それが影響しているのだろうか。
 心の底に生まれた一抹の不安は、格好の餌食である。
 ククルは遠く離れた仲間を思った。
 彼らも今、戦っているのだ。弱音を吐いてはいられない。
 自分自身を奮い立たせようとした、その時。
 闇の中に、一条の光が射し込んできた。
 光の中に佇む人影を視認した刹那、ククルの目が大きく見開かれる。

 ――どうして、ここにいるの?

 疑問を口に出す前に、人影は軽やかな足取りでククルの元へと駆け寄ってきた。
 そして、いつしかその場に膝をついていた彼女へ、右手を差し出す。
「大丈夫か?ククル」
「……アーク?」
 いつしか闇の気配は退いていた。だが、闇のうねりによる後遺症か、頭に靄がかかっているように、現実味が薄く感じられる。
 そのためもあって、ククルは半ば放心状態で懐かしい少年の顔を凝視していた。
 彼は、小さく笑う。
「胸騒ぎがして、急いで帰ってきたんだよ。ククルが無事で良かった」
 優しく話しかける少年は、彼女が常から心に思い描いく姿そのままで…。
 ククルは静かに彼を見つめた。
 ──何かが。
 鈍い痛みが頭を掻き乱そうとしている。
 何故か、身体が動かなかった。
 本当なら、すぐにでも彼に駆け寄りたい、手を取りたいはずなのに。
 アークが眉をひそめる。
「動けないのか?」
「ええ、ちょっと……」
 あれほど強烈な存在感を見せつけた闇は、どこへ行ったのか。
 何故、自分は未だ動けないのだろうか……?
 混乱する頭で必死に考えるククルの中に、何かが閃いた。
 ふ、と彼女の表情が翳る。
「……馬鹿ね、私……」
 溜息と共に漏れた声は、自身が思うよりも寂しく、切なかった。
「ククル?」
 訝しげなアークへ鋭い視線を返し、ククルは立ち上がった。
「下がりなさい。もうまやかしは通用しないわ」
 凛とした声が響きわたると同時に、アークの口元が歪んだ。彼にはありえない、邪悪な笑みを浮かべている。
 凝縮された闇の気配が、明確になった。
 闇は退いたのではなく、一個人の形をとったのだ。封印の守護者たる娘の最も大切な人間の、器を借りて。
 真実を悟ったククルの強い意志が、光となって辺りを包む。
 闇が象った偽りの勇者はその姿を失い、消え失せた。


 ククルは重い瞼をゆっくりと開いた。
 見慣れた石造りの天井と壁。神殿の一室である。
 気だるく感じられる身体を起こして重い頭を振ると、目眩を覚えた。
 火照る身体の節々が痛んでいる。どうやら、風邪を引いたらしい。
 ククルは小さく息をついた。
「情けないったら……」
 つい、声を漏らしてしまったが、それを聞く者はいない。この神殿に存在するのは彼女一人だけである。
 先程の夢を思い返し、ククルはひそやかな苦笑を浮かべた。
 おそらく病で精神的にも弱くなっていたのだろう。そこに、つけ込まれたのだ。
 喉の渇きを覚え、彼女はベッドから降りようとした。
 その時。
「目が覚めたかい?」
 ククルは目を見開いた。
 聞きたかった、懐かしい声。いつもいつも心に思い描く姿……。
 予想に違わず、扉から顔を覗かせたのは、シルバーノアで世界を駆けているはずのアークだった。
 夢の中で見た偽者ではない。発せられるオーラ、その気配、懐かしい姿。間違いなく本物の彼である。
「……アーク……?」
 呆然とその名を口にしたククルへやわらかな笑みを見せ、アークは彼女の傍らへと近づいた。両手には水を張った手桶を持っている。
 ベッド脇の椅子に腰を下ろし、テーブルに手桶を乗せた彼は、中に浸してあった布を固く絞った。
 そして、ククルの額に手を伸ばす。
 ひんやりした感触。
「……まだ熱いな。横になった方がいい」
「ちょっと待って。どうしてアークがここにいるの?」
 未だ現状を把握できないククルへ、アークは肩をすくめてみせた。
「久しぶりに戻ってみたら、祭壇にククルの姿がないだろ?あわてて捜してみたら、ここで眠ってるじゃないか。驚いたよ。どうやら風邪らしいってわかったから、俺がついてることにしたんだ」
「じゃあ、他のみんなは?」
「情報収集に出てるよ」
 ククルは我が耳を疑った。
「まさか、アークだけがわざわざここに残ったの?」
「そう聞こえなかったかな」
「冗談でしょう?駄目じゃない、アークが外れるなんて!風邪なんて眠っていれば治るわよ。アークがここにいてどうするの?」
 他に成すべき事があるでしょう、と続けようとした言葉は、しかしククルの口から発せられなかった。
 アークの表情が変わったのである。
「ククルを放って行けっていうのか?」
 声を荒げたわけではない。むしろ、静かなものだった。だが、その声音に怒気がにじんでいるのが見て取れた。
「……看病してくれるにしても、他に適任者がいるでしょう」
 やや怯んでしまったのは、アークが本気で怒っていることがわかったせいだ。
 そんなククルへ、今度は彼が苦笑を返す。
「本当は、リーザかシャンテに頼むつもりだったんだけど、押し切られたんだ」
「え?」
「たまには側にいてあげてくれってさ」
 いつも一生懸命に頑張る少女の、心配そうな表情。
 たまには我儘言ってみたら?と苦笑に優しさをにじませていた女性。
 ――あの二人……。
 ククルはひとつ息をついた。
「一度は断ったんだけど、二人とも譲らなかったんだよ」
「まったく、もう……」
「正直言うと、俺も残りたかったしね」
 ククルがアークを見上げた。
 二人の視線が交わる。
「いつも一人で頑張っているだろう、ククルは。せめて、こういう時くらいは側にいたかったんだ」
「ごめんね。忙しいのに、迷惑かけて」
「迷惑なんて思ってないよ」
「でも……」
 ククルの視線が逸れる。
 アークはそう思っていなくても、私には。
 負担になりたくないのに……。
「ククルはここに一人で残っているだろう。──俺だったら、耐えられないかもしれない」
 意外な言葉だった。思わず顔を上げた彼女に、アークの優しい眼差しが向けられる。
「俺はククルの強さを知ってるよ。だけど、今くらいは甘えて欲しいな」
 一度甘えてしまったら、二度と独りで立つことは出来ない。あの時も、そう思っていた。
 アークの言葉を聞くまでは。
「……私、本当は弱いのよ」
 つい先程まで見ていた悪夢を振り払えたのは、信じる心の強さゆえ。
「でも、アークがいてくれるから、強くなれるの」
「俺もだよ。一人じゃここまで来られなかった。ククルがいるから、前に進めるんだ」
 だから、と言いながら、アークは悪戯っぽく笑った。
「今はまず風邪を治すこと、だな。ククルが元気にならないと、安心できないよ」
 つられてククルも笑みを返す。
「そうね。心配かけてごめんなさい。これからはもっと健康管理に気をつけるわ」
「ああ。今はとにかく休んだ方がいい。……眠るまで、側にいるから」
「ありがとう、アーク」
 横になったククルの手を取り、アークは椅子に腰を下ろした。
 そんな彼にはにかんだ笑みを見せてククルは目を閉じる。
 手の中に感じるぬくもりに安堵しつつ、やがて彼女は眠りに落ちていった。

──fin


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<あとがき>
 先日風邪で頭がぐらぐらしていたときに、ふと思いついた話。一度、アーク×ククルで看病ネタを書いてみたいなと思っていたんですよね。
 体調の悪いときに、気が弱くなってしまうことがままあるのではないでしょうか。
 トゥヴィルに一人残っているククルなら、なおのことではないかと…。
 実際には健康管理に充分に気を付けていると思うんですけど、たまにはアークが彼女についていてあげると嬉しいな、という気持ちから書いてみた話です。
 本来ならあまり前線に出ないであろうシャンテやリーザが残ると思うんですが、そこはそれ。せめてひとときの間、戦いのことを忘れて二人でいることもあってほしいな、という願望を形にしてみました(笑)。