いつかどこかで ――きっと、また会えるから。 鬱蒼と木々の生い茂る森の中を、一人の少女が駆けていた。 幾度も雑草に足を取られつつも、少女は何かに突き動かされるように、勾配のある道をひた走る。 しばらくすると、彼女の視界の先で小さな光がきらめいた。 光を目指して駆け続けた少女の小さな身体が、木々の帳を駆け抜ける。 突然、少女の視界がきらめいた。 長い森を抜け、開けた場所に出たのだ。 明るい陽の光が降り注ぐそこは、暗がりに慣れた目にはまぶしく映る。 目をしばたかせた少女の瞳に、赤く彩られた大きな門が飛び込んできた。 よく見ると、門の前には彼女の背よりも低い奇妙な岩がひとつ置かれてあり、その両面に人の顔のようなものが描かれている。 大きな門は通り抜けられるようだが、暗く長いトンネルの向こうがどうなっているのかは、こちらからは全くわからない。 少女は肩で息をしていたが、やがて呼吸が落ち着いてくると、ゆっくりと岩に歩み寄ろうとし……足元の木の根につまづいた。 「きゃ…」 視界がぐるりと回った直後、少女はその場に転倒した。 「…いたぁぃ…」 今にも泣きそうな表情を浮かべて、すねた声を出しつつ、それでも少女は肘をついて立ち上がろうとした。 その時。 「――立てる?」 涼やかな声と共に、白い手が差し出された。 俯いていた少女がゆっくりと顔を上げ、目を丸くする。 いつの間に現れたのか、見慣れない服装のとても綺麗な少年が、彼女の前に立っていたのである。 自分をじっと見つめている少女へ、彼は、もう一度問いかける。 「立てるかい?」 その声にひとつ瞬いて、少女は大きく頷いた。 おずおずと少年に手を差し出す。 彼はその手を握ると、難なく少女を助け起こした。そして、転んだ拍子についた服の汚れを一緒にはたき落とす。 一段落つくと、少女が尋ねた。 「ありがとう。…お兄ちゃん、だれ?どうしてここにいるの?」 あどけない表情で問いかける少女に、少年は微笑みを返した。 「――約束、したんだ」 「…やくそく…?」 少女が首を傾げた時、森の中からかすかな声が響いてきた。 顔を明るく輝かせ、少女は勢い良く振り向く。 声に誘われるように、少年もまた、森を見やった。 間を置かず、二人の視線が向けられていた森の中から、一人の女性が姿を現した。 美人とは言い難いが、愛嬌のある顔立の彼女からは、どこかこの少女の面影が感じられる。いや、むしろ少女の姿にこの女性の面影が感じられる、というべきだろうか。 少女は満面の笑顔で彼女に駆け寄った。 「お母さん!」 不安そうな面持ちで森から出てきた彼女は、飛びついてきた少女の頭をなでると、安堵の笑みを漏らした。 「千晶、こんなところにいたの?」 そして、女性はその場にしゃがみ込むと、少女――娘と目線を合わせる。 「勝手に行っちゃダメって言ったでしょう?お父さんもお母さんも心配したのよ」 「ごめんなさい。どうしても、ここに来たくなったの」 しょうがないわね、と彼女は苦笑した。 ここで、ようやく周囲に目を向けた彼女は、この場にいたもう一人の少年の姿を認めた。 ――綺麗な少年だった。 見慣れぬ彼の服装は、着物に似て異なるものだった。 ずいぶん前、彼女がまだ学生の頃に教科書で見たような……そういえば、神社の神主の衣装に似ている気がする。 少年の、肩口で切りそろえた艶やかな髪が、風に揺れる。涼やかで切れ長の瞳が翠色がかって見えたのは、光の加減らしい。 母の視線に気づいたらしく、少女が言った。 「あのね、ちあきがさっきころんだとき、あのお兄ちゃんがたすけてくれたの」 「まぁ」 娘の言葉に彼女は改めて少年を見た。そして、会釈して笑いかける。 「ありがとう」 しかし、少年は応えなかった。 何も言わずに、ただ、彼女を見つめている。 吸い込まれそうなほどに澄んだその瞳を見つめるうち、彼女の脳裏を疑問がよぎった。 ――この辺りに神社なんてあったかしら。 そこへ、今度は別の声が響いてきた。 少女が森に顔を向ける。 「お父さんだ!」 言うなり駆け出した娘を、彼女は引き留めなかった。 いや、むしろそこまで気が回らなくなっていた、というのが正しい。 彼女はいつしか、少年の姿に見入っていたのである。 …何故か、目が離せなかった。 確かに人目を惹く容貌をしているが、それだけではない気がする…。 穏やかな風がさわさわと周囲の梢を揺らす音が、遠くに聞こえた。 佇んだままの少年を見つめているうちに、数秒とも数分ともしれぬ時間が、彼女の周囲をゆるやかに流れてゆく。 ふ、と空気が揺れた。 自分を凝視したままの女性へ、少年が、そっと微笑みを返したのである。 |
「――千尋?」 肩に手を置かれて、彼女は我に返った。 振り向くと、そこには先程の少女と一人の男性が手をつないで、しゃがんだままの彼女を見下ろしている。 「……あなた」 どこかぼんやりした妻の様子に、男は怪訝そうな声で問う。 「どうしたんだ?ぼんやりして」 彼女は目を瞬かせると、慌てて立ち上がった。 「何でもないわ。さっき千晶があの子にお世話になったらしいのよ」 曖昧に笑った妻が指し示した先を目線で追うと、男は不可解な表情を浮かべた。 「誰もいないぞ」 「え?」 彼女が振り向く。 背後には、石を積み上げて作られた門があった。荒れ放題の雑草や苔に覆われた門は、ここが長い間放置されていることを物語っている。 ……その周囲には、誰もいない。 「あれ?お兄ちゃん、どこにいったのかなぁ?」 父親の手を握ったまま、少女がきょろきょろと辺りを見回した。 「どんな子だったんだい?」 「あのね、とってもきれいなお兄ちゃんだったの。でも、ヘンなふくをきてたよ」 「ヘンな服?」 「少し違うんだけど、着物に似ていて…そう、神主さんが着ているような服だったのよ」 抽象的な娘の言葉を、彼女が補足する。 「へぇ」 男が周囲を見回した。彼女や娘もそれに倣ったが、やはり少年の姿は影も形もない。 狭い場所である。木々の陰に隠れただけならばすぐに見つかると思えたのだが、いくら見回してみても、人の気配は感じられなかった。 不意に、少女が母の手を引いた。 「ね、お母さん。あの門、赤くなかった?」 「え?」 娘の言葉に、彼女は門を見やる。 雑草や苔で覆われた石垣の門には、赤い色彩など見られない。 「……赤くておっきな、おうちの入り口みたいじゃなかったかなぁ…?」 不思議そうに…いや、むしろ不審そうに、少女がひとりごちる。 「でも、あれは石の壁よ?」 母親の言葉に、少女は眉を寄せた。 「おかしいなぁ…」 「千晶の見間違いじゃないのかな?」 「ん〜〜〜」 口をとがらせた少女の頭を軽く叩き、男は笑った。そして、妻へと顔を向ける。 「そろそろ行こうか。義父さんたちが待ってるよ」 「…そう、ね…」 応えつつ、彼女は再び石垣へと視線を戻した。 しかし、そこには誰もいない。 ――多分、近所の子供がここに来ていたのだろう。 ぼんやりとしていた彼女の耳に、娘の声が聞こえてきた。 「お父さん、かたぐるまして〜〜!」 不思議そうに門を見ていた少女は、もうそのことを忘れてしまったらしい。 可愛い声にねだられるままに肩車をする夫を見るうち、彼女はそっと苦笑した。 「おじいちゃんもおばあちゃんも元気かな?」 「ああ、千晶がやってくるのを首をなが〜くして待ってるよ」 「ちあきも早くあいたいなー」 はしゃぐ娘の足を支えながら歩いていた男は、やがて森の中へと姿を消した。 足早に夫の後を追っていた彼女の歩みが、止まる。 もう一度だけ、振り向いた。 ……やはり、誰もいない。 彼女の視線の先には、緑に覆われた石造りの門があるだけだ。 それでも彼女は名残惜しげにこの景色を見つめていたが、やがてきびすを返すと、元来た道を下りて行った。 ――千尋が忘れても、私は覚えているから。 一陣の風が吹く。 赤く彩られた大きな門の前に、水干姿の少年が一人、佇んでいた。 三人が……最後に女性が姿を消した、森へと続く道を見やったまま。 ――幸せにおなり、千尋……。 女性を見送った彼の表情が、透きとおるような優しい笑みを形作る。 もはや二度と出会うことのない彼女の姿を胸に秘め、少年は静かに姿を消した。 |
──fin
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<あとがき> 実はこの話、私の大好きな漫画をモチーフに書いたものだったりします。 高橋なのさんの「そしてキミに会いに行く」(アニパロコミックス)…多分ご存じない方の方が多いと思います。現実世界の女性・庸子と二次元世界の住人であるシャア・アズナブル。決して出会うはずのない二人の人間の時間が交錯して…という話。多分廃刊になっているので、古本屋さんでないと見つからないと思いますが…。じんわりと心に残る物語です。 「神隠し」ではハク×千尋が一番好きです。なので、本編を観た後でまず思ったのが二人には再会して幸せになってほしいな、ということでした。(基本的にほのぼの甘々が大好きですし、再会ハッピーエンドの話は大好きです) でも、友達と話しているうちに、千尋が記憶を失ったまま再会できないんじゃないか、ということに思い至ったんですよね。その時に頭に浮かんだのがつかの間の再会、というシチュエーションでした。 ハク×千尋のハッピーエンドではありませんけれども、こういう再会もありかもしれないな、と思ったんですが、いかがでしょうか。 |