――時折、口をついて出そうになる、言葉。 神殿内でククルの姿を探していたアークは、厨房の開いた扉の隙間から、目に馴染んだ装束の裾が見えたことに気づき、中に入ってみた。 「ククル?」 ――今度みんなが帰ってきたら、腕を振るうからね。 そう言っていたククルの言葉を思い出し、アークが室内に足を踏み入れる。すると。 静かな寝息を立てながら、テーブルに頭を伏せ、ククルがうたた寝をしていた。 厨房の奥ではぐつぐつと鍋が煮えている。蒸気は出ているものの、その中身が吹きこぼれていないところを見ると、弱火でじっくり煮込んでいる最中なのだろう。 どうやら、料理を煮込み、椅子に座って待っている間に、船をこぎ始めてしまったらしい。 アークは小さく笑みを浮かべると、彼女の傍らへと歩み寄った。 組んだ両手に頭を乗せて眠っているククルは、しばらく目を覚ましそうにない。 規則正しく上下する肩。穏やかな寝顔は不思議とどこか幼く感じられ、彼女を見つめていたアークの瞳が、ふと翳った。 「…つらい、よな…」 彼女が目覚めている間は、決して口にできない言葉。 頷けばアークが心配する。否定をしたところでそれが本心でないことはわかっている。 きっと、遠慮がちに頷いて……大丈夫だ、と。そんな言葉を口にするのだろう。 相手が答えられない質問だとわかっているからこそ、言うことができないのだ。 この広い神殿に一人で残ったまま、封印を守っている少女。 一年前、共に旅をしていた時の、はちきれんばかりの元気に溢れた彼女の姿を思い出し、アークは空の手を握りしめた。 できることなら、連れていきたい。 それがかなわぬ事なのだと、誰よりもアーク自身がよく知っている。 しかし、知っていてなお、トゥヴィルに戻り、ククルの姿を見、彼女が孤独と戦っていることを考えるたび、いっそさらってしまえたら、と思ってしまうことがある。 いついかなる時も。彼女だけは、自分の手で守りたいのだ。 アークはそっとククルの髪に触れる。柔らかな彼女の髪を梳きながら、その寝顔を見つめた。 「…ククル」 愛しい少女の名を呼ぶ。 ――君が、傍らで笑顔を見せてくれるなら。俺は…。 |
鍋の吹きこぼれる音がした。かたかたと、蓋が揺れる音も聞こえてくる。 アークが顔を上げた。と。 「大変!!」 突然、ククルが身を起こした。同時に立ち上がると、慌てて鍋に駆け寄り、その火を弱めて蓋に手を伸ばす。 「熱っ!」 派手な音と共に蓋が床を転がった。 「やだ、どうしよう…お水!!」 おろおろしていたククルは、とりあえず水道の蛇口をひねった。勢いよく流れる水をカップに満たしながら、心配そうに鍋の様子を見ている。 思わず、アークは吹き出した。 ククルが振り向く。 「アーク!…いつからここにいたの?」 「ついさっきね。気持ちよさそうに寝てたから、声をかけるタイミングがつかめなかったんだよ」 「起こしてくれればよかったじゃない」 思わぬ失態に赤面しつつ、ククルが抗議する。 その仕草が、ひどく愛らしくて。アークは声を抑えたものの、笑いを止めることができなかった。 それに、まさか寝顔に見惚れていたとは言いづらい。 「アーク!」 「カップ。水が溢れてるよ、ククル」 「あ…」 アークに指摘され、ククルは慌てて蛇口をひねり、水を止めた。 一息ついたのもつかの間、今度は蓋を開けたままの鍋から中身が吹きこぼれ始めている。 「きゃあ、お鍋!!」 ククルの声と同時に鍋の火が消えた。 度重なるアクシデントに固まっていた彼女へ、鍋の火を止めたアークが笑いかける。 「ごめん。なんだか相変わらずだな、と思ってさ。…手伝おうか?」 ククルは眉を寄せ、不服と羞恥の入り交じった表情でアークを見ていたが、やがて小さく息をつくと、ひとつ頷いた。 「じゃあ、その前に」 アークは先程鍋の蓋に触れたククルの右手をとった。指先に軽い火傷を負ったらしく、やや赤く変色している。 「アーク?」 少し戸惑う声には応えず、彼女の手に軽く左手をかざしたアークは、静かに精神を集中した。 やわらかな淡い光がククルの手を覆う。 光が収まると、火傷の痕は綺麗に消えていた。 「…ありがとう」 ほんのりと頬を赤く染め、礼を口にしたククルは、すぐに苦笑した。 「駄目ね、私ったら。せっかくみんなに手料理を食べてもらうつもりだったのに」 「まだ途中だろう?このくらいなら手を加えれば大丈夫だよ。急けば夕食に間に合うはずだしね」 アークの提案にククルはやや驚いた様子だったが、やがて小さく微笑んだ。 「そうね、まだ間に合うわよね。みんなにああ言った手前、できなかったら夕食抜きになっちゃうし。じゃ、お手伝いよろしくね、アーク」 「OK。まず献立を教えてくれるかい?」 「まず肉じゃが。ご飯は山菜おこわで、お吸い物と…」 予定していた今日の献立を口にしながら、ククルは鍋の中身を確認した。 そんな彼女を見やり、アークは小さく笑う。 そして、床に転がっていた鍋の蓋を手に取ると、彼女の側へと歩み寄った。 |
──fin
<あとがき> 共に旅をすることが出来ない、ということは…想像するよりずっとつらいことではないかと思います。そして、背負う使命の大きさから、決して口に出せない言葉、表に出すことの出来ない気持ちがあるんじゃないか、と思うんですよね。アークにも、ククルにも。 今回はアークの話を書いてみましたが、ちょっと消化不良かな、という感じがしないでもないですね(汗)。短いですし…。 ククルサイドの話は…書けるかな?うまくまとめられたらアップできるかもしれません。 実は今回の話、今までに書いてきたものと文体が変わった気がするんです。私自身の考える二人の関係や雰囲気、話のイメージは変わっていないと思うんですけど…なんとなくなので、はっきりとは書けないんですが(苦笑)。 アークとククルの話は、私自身の色々な節目に書くことが多いので、忘れた頃にさりげなく新しい話をアップしているかもしれません。 |