記念日 -father's day- 




 町に足を踏み入れると、仲間の間に独特の安心感が漂うものだ。
 旅の間は常に外敵に対する警戒が必要であり、常に気を張っているだけに、町に辿り着くとそれまでの緊張感から解放される。
 反面、スリや物盗りなどには特に注意を払わねばならないのだが、旅の間の緊張とは一線を画したものだ。
 緊張を解いて、その場で軽く伸びをしたロイドの元へ、コレットが小走りに駆け寄ってきた。
「ロイド、明日は『父の日』だね」
「あ……」
 言われて気づく。ロイドはこの手の年中行事をほとんど記憶していないのだ。下手をすると仲間の誕生日すら忘れているのだから。
 ロイドの反応に彼の内心を察したのだろう、コレットは小さく笑った。
「やっぱり忘れてたんだ?」
「うー、まあ、な」
 ロイドはきまりの悪い顔でコレットを見返した。
 父の日には毎年ダイクへささやかな贈り物をしていたが、今年はそれどころではなかったため、全く考えていない。
 ――それに。
 ロイドの視線が少し離れた位置に立つ男に向けられる。
「ね、ロイド。明日は一日自由行動にしてみたらどうかな」
 意外な提案にロイドは目を丸くした。
「いや、でも……」
「二人で何話してるのさ?」
 ここでジーニアスが加わった。
 コレットから父の日の話と自由行動の提案を聞くと、あっさり頷く。
「いいんじゃないの?コレットだってたまにはお父さんに顔見せた方がいいと思うし。プレセアも、お墓参りとか……できるしさ」
「私が何ですか?」
「ぷぷぷプレセア!?」
 静かな声に振り向いたジーニアスは頬を真っ赤に染めている。
 しかし、プレセアはただ小首を傾げただけだった。
 傍目にはあからさま過ぎるほど明確なジーニアスの態度だが、未だ感情の起伏が乏しいプレセアには、その意味を読み取ることはできないらしい。
 咄嗟に言葉が出ないジーニアスに代わって、コレットが尋ねた。
「プレセアは父の日って知ってる?」
「はい。テセアラの行事と同じ内容でしたら。父親に感謝の意を表す日ですね」
「うん、そう。その父の日がね、明日だねって話してたの」
「そうですね、明日です」
「それで、明日は一日自由行動にしたらどうかなって」
 明快な回答を続けていたプレセアが、不思議そうにコレットを見返した。どうやら父の日と自由行動の関連が見えなかったらしい。
 そんな彼女へ、ジーニアスが話しかける。
「えっと、その、プレセアも、お父さんのお墓参りができるかなと思ってさ」
「…………」
 プレセアが口を閉ざした。憂いを帯びた瞳がそっと伏せられる。
「みんな、宿の予約が済んだわよ。どうしたの?」
 ここでリフィルが彼らに近づいてきたため、改めてコレットの提案を繰り返すことになった。説明するうちに、クラトス、リーガル、しいなの三人も集まり、簡単なミーティング状態になる。
「そういえば、明日だったね。すっかり忘れてたよ」
 気づいたしいなも何事かを考えているらしい。
 リフィルは教え子たちの顔を見つめ、柔らかく微笑んだ。
「成程、父の日ね。私は構わないと思うけれど、どうかしら?」
「そうだな、たまには良いだろう」
 リフィルの意見にリーガルが賛同し、クラトスも頷いた。
 決まりである。
「じゃあ、明日一日自由行動ってことで。夕方宿に集合しよう」
 方針を定めると、この場は解散となった。


 翌日。
 プレセアは故郷へ父親の墓参りに、しいなもまたミズホの里に向かった。プレセアにはジーニアスが同行を希望したため、二人で出かけている。
 ロイドとコレットは連れ立ってイセリアへ戻る事にしたのだが、こちらはクラトスが同行を申し出た。無論ロイドたちに断る理由はない。
 一日を宿で過ごす事にしたリフィルとリーガルを町に残し、三人はレアバードでイセリアへ向かう事となったのである。
 瞬く間に村の入口へと辿り着くと、コレットは二人に明るい笑顔を見せた。
「じゃあね、ロイド、クラトスさん。行って来ます」
 手を振るコレットを見送ってから、ロイドとクラトスはダイクの家へ赴いた。
 クラトスと共にここへやって来たのは三度目である。
 一度目はイセリアの人間牧場を出た後。クルシスに戻るという彼を引き止めようとした。
 二度目はオリジンの封印を解き、デリス・カーラーンの真の姿を知った後。
 この時、クラトスは共に戦う決意を見せたのである。
 そして、今日が三度目だった。
「……どうした?」
 クラトスの声に、ロイドは我に返った。
 隣を歩いていた彼を見つめたまま、考え事をしていた事に遅まきながら気づく。
「いや、その、なんか……一緒に旅してるんだって実感してさ」
 相手の些か訝しげな表情を見て取り、ロイドは慌てて誤魔化した。
「俺、先に親父の所に行ってるから!」
 クラトスはまずアンナの墓を訪れる筈である。
 ロイドは墓参りを後に回し、扉を叩いてダイクに帰宅を告げた。
「おう、よく帰ったな、ロイド」
「ただいま、親父」
 豪快な笑顔で出迎えた父親の姿に、ロイドはここが自分の家なのだと改めて実感する。
「で、今日はどうした?」
 用事があって立ち寄ったのはお見通しらしい。
 やっぱり親父だよな、と言いつつ、ロイドは父の日のプレゼントを手渡した。
 嬉しそうに頬を緩めたダイクは、プレゼントの包装を解いて目を丸くした。
 一見して上等な刃物が並んでいる。細工師であるダイクの目はその品質を即座に見抜いたらしい。
「えらく豪勢じゃねえか。……ありがとうよ、ロイド」
「へへ」
 ロイドは照れ笑いを浮かべて頭をかいた。
 喜ぶダイクの顔を見られた事は勿論、何よりこの一言が嬉しいのである。
 そうして懐に忍ばせていたもう一つの贈り物を出そうとした時、扉がノックされ、クラトスが姿を見せた。
 ロイドの考えた通りアンナの墓に寄って一足遅れる形となったが、久しぶりに家に戻ったロイドとダイクに対して、彼なりに気遣ったのだろう。
 茶を淹れようとしたダイクに遠慮し、クラトスは意外な言葉を口にした。
「ダイク殿。申し訳ないが、今日一日ロイドを貸していただけないだろうか」
 驚いたのはロイドである。
 確かにクラトスが同行を申し出た時は、彼とゆっくり話をする時間があるかもしれないと思ったのだが。
 ダイクは少し驚いた様子だったが、何事かを察したのだろう、明るい笑顔を浮かべた。
「何でえ、改まって。親子で出かけるのに断り入れる必要なんかねえさ」
「感謝する」
 礼を言うと、クラトスはロイドを連れてダイクの家を出た。
 アンナの墓に挨拶を済ませ、ロイドはようやくクラトスに問いかける。
「どうしたんだよ、いきなり」
 考えてみれば、クラトスがここまで強引な態度をとった事など、ほとんどなかった気がする。
 仲間とは常に一線を引いた接し方をしているのはもちろん、実の息子であるロイドに対してもそういった部分があった。表現を変えるなら、遠慮と言えるかもしれない。
 意外そうなロイドの瞳を見返したクラトスは、不思議と穏やかな表情を浮かべていた。
「おまえを連れて行きたい場所があってな。済まんが今日一日付き合ってくれ」
「……ああ、それは構わないけど」
「では行くか」
 結局ロイドはクラトスの言動の意味を察するゆとりのないまま、彼について行くことになったのである。


 最初に訪れたのは、ルインだった。
 以前、クラトスから母の故郷だと教わった町である。
 一度は完膚無きまでに破壊されたが、ピエトロを始めルイン再建の夢を抱いて集まった人々が、町の復興に全力を尽くし、以前よりも立派になったとの評判が高い。
 偶然とはいえ破壊される前を知っていただけに、クラトスと共に町を歩いて回ったロイドもまた深い感慨を抱いていた。
「ここはアンナの生まれ育った故郷だが、人間牧場から逃げた後は、一度も立ち寄ることのないままだった」
 不意にクラトスが口を開き、ロイドは足を止めて彼を見た。
 つられたようにクラトスもまた歩みを止める。
 そうして彼は澄んだ水が虹を生む噴水へと視線の先を転じた。
「だが、アンナが好きだったと言っていた場所は、形を変えながらもこうして今も残されている。それが有難いな」
「ああ、そうだな……」
 クラトスの視線を追うように噴水を見やったロイドは、前もここで母の話を聞いた事を思い出した。
 父と母もまた、この場所を共に訪れた事があったのだろうか。
 声に出そうとした質問を、しかしロイドは黙って飲み込んだ。
 噴水を眺めやるクラトスの表情が、何よりその答えをあらわしているように感じられたのである。
 ルインでしばし時を過ごした後、クラトスはロイドを別の場所へと誘った。
 ロイド達が旅の最中に幾度も足を運んだ町、人里離れた森の中、何の変哲もない草原や砂浜……。
 ここまで来れば、ロイドにもクラトスの真意が伝わって来た。
 敢えて尋ねることはせず、ただその場所をひとつひとつ、記憶にしっかり焼き付けてゆく。
「アンナと過ごした場所だ」
 その言葉をクラトスが紡いだのは、とある町の外れに忘れられたように建っていた廃屋の前だった。
 人の住む気配のなくなった建物を、しかしクラトスは懐かしさを滲ませた瞳で見つめている。
 特別な場所だと察したロイドを振り向き、彼は微笑んだ。
「ここでおまえが生まれたのだ、ロイド」
 常に厳しい表情を崩さない男の笑みは、普段からは想像できないほど穏やかなものだった。
 驚くロイドにクラトスは言葉を重ねる。
「一度、お前を連れて来たいと思っていたのだ。お前にも、覚えていて欲しくてな……」
「……父さん」
 滅多に見せることのない笑顔には、クラトスの不器用な優しさが滲み出てくるようだった。


「けど、今日は驚いたな」
 最後の場所は夕陽の映える丘だった。
 少しずつ色を濃くする太陽を眺めつつ、ロイドはクラトスに話しかける。
 クラトスは息子へ穏やかな瞳を向けた。
「今日は父の日だと聞いてな。今まで父親らしいことなどしてやれなかったというのに、おこがましいかとも思ったのだが……」
「ありがとう、父さん。父さんや母さんの話が色々聞けて嬉しかった」
 今日一日の出来事を振り返り、ロイドは改めて父親である男へ礼を述べた。
 ほとんど知る事がないであろうと思われていた母の思い出を、こうして辿ることが出来たのである。
 何よりも、クラトスの言葉の端々から妻に対する愛おしさが伝わってきた。
 そして、我が子に対する愛情が。
「そうか」
 短く応えるクラトスもまた、思うところがあるのだろう。感慨深い様子である。
 一瞬、その隣に母の姿が見えた気がした。
 二人が並んで立つ姿を思い描いた直後、ロイドは慌てて懐をまさぐり、危うく忘れそうになっていた物を手に取る。
 その行動をやや訝しげに見守っていたクラトスへ、彼は照れ笑いを返した。
「ところでさ、『父の日』ってのは、ちょっと意味が違うんだぜ?」
「何……?」
「子どもが父親に感謝を伝える日なんだよ」
 言いつつ、ロイドは懐から取り出した小さな包みを差し出した。
 クラトスは幾分驚いた様子だったが、綺麗に結わえられたリボンで丁寧に包装された贈り物を受け取ると、息子に問いかけた。
「開けても良いか?」
「もちろん」
 丁寧にリボンをほどき、包み紙を解く。と。
 クラトスの瞳が驚きに見開かれる。
 中から出てきたのは、彼の手のひらほどの大きさの彫り物だった。
 以前クラトスがロイドに渡したペンダントと同じ絵柄の、親子三人の姿が彫り込まれている。
 クラトスが肌身離さず持ち続けた、愛おしい妻子との思い出だ。
「……ペンダントは俺がもらったからさ」
 照れた表情でロイドが頭を掻いた。
 クラトスは彫り物をそっと握りしめる。
「見事な細工だ。ありがとう、ロイド」
 感嘆の響きが伝わったのだろう、嬉しそうな笑顔を見せた息子へ、クラトスは深い笑みを返したのである。




──fin



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<あとがき>
 クラトスのペンダントは息子に譲られたので、代わりに同じ絵の彫り物を、ロイドが父親に贈る…という話を書いてみたくなりました。
 ED後は離れ離れになってしまいますし、せめてクラトスの元に何か家族の思い出になる物が残されれば、と思ったのがきっかけです。
 話を考えたのが6月だったので「父の日」の話にしてアップしたかったのですが、夏の原稿で手が回らず…(汗)。
 季節はずれの話になってしまいましたが、楽しんでいただければ幸いです。