凍える想い




 アークが父親の顔を最後に見たのは、11年も前の事だった。
 記憶に残る父の姿は、彼自身明瞭なものだとは断言できない。
 しかし、その男が素早い身のこなしで母を救い、自分に語りかけてきた時、はっきりと理解した。
「…父さん?生きて…生きていたんだね!」
 確かに手紙は幾度も届いた。
 筆跡自体に見覚えはなかったが、父のものだと確信できた。
 だが、それでもどこかで疑っていたのだ。
 普段から気をつけているはずの言葉遣いを忘れて声を上げてしまった事に、アーク自身は気づいているだろうか。
 一瞬微笑んでみせたヨシュアは、すぐに表情を引き締め、鋭く言った。
「ポルタの事は心配するな、お前は全力で戦え!」
 アークが我に返る。
 すぐにリーダーの役目を思い出し、仲間に指示を出すと、自らも攻撃を開始した。


「大きく成長したな」
 気を失っている妻を腕に、ヨシュアは息子へそう話しかけた。
 対するアークは返す言葉が思い浮かばず、ただ父を見つめている。
 彼が父の消息を知るべく、運命の扉を開け放ったあの日から、1年が過ぎていた。
 ヨシュアが口を開きかけたその時、轟音が建物全体を襲った。
「崩れるぞ、脱出だ!」
「トッシュ、奥に外へ面した場所があるはずだ!」
「よし、行くぜ!」
 内部を確認していたらしいシュウの助言の通り、トッシュがまず走り出す。
 彼を先頭に、サニアとポコを先に進め、シュウも部屋を出た。
「父さん、早く!」
 アークと共に、ヨシュアもまた走り出す。
 下へ降りている暇はない。
 とにかく外への張り出しのある場所を探して、全員が駆ける。
 要はシルバーノアが接舷できる場所まで出ればいいのだ。異変を察知していれば、必ず迎えに来ているはずである。
 皆、脇目も振らずに建物を駆け抜けた。
「無事だったか!」
 外へ出ると同時に、チョンガラの大声が彼らを出迎えた。
 背後には、シルバーノアの姿がはっきりと視界に入る。
「早くせい、とっとと逃げんと崩れるぞ!」
「わかってるからどけって、おっさん!」
 罵りつつもトッシュが乗り込み、後に続くサニアを引き上げた。次いでポコ、シュウがシルバーノアへと移ってゆく。
「父さん!」
 振り向くアークに、ヨシュアは先に行けと目で促した。
「ポルタを乗せてくれ」
 アークがシルバーノアに移り、ヨシュアから母を託された。その身体を横に下ろし、すぐに手を伸ばす。
 ヨシュアが身を乗り出した、刹那。
「ぐっ…」
 彼は激しく咳き込み、その場に膝をついた。
「父さん!?」
「来るな!」
 飛び降りようとしたアークは、父の厳しい叱咤に思わず硬直した。
 ゆっくりと顔を上げたヨシュアの口元に残る赤いものに、彼は瞠目する。
 深い息をつき、ヨシュアが口を開いた。
「…どうやら、これ以上私の体はもたないらしい」
 一瞬、アークは言葉の意味をはかりかねた。
「なに…を、言ってるんだよ?早く…」
「アーク、もうすぐ私の寿命が尽きる」
「…嘘、だろう……?」
 普段の彼からは想像もつかないほど、弱々しい声だった。
「苦労をさせてすまん、アーク」
「父さ…」
「精霊と契約したのだ。時間を行き来する力を得る代償に、生命力が削られると告げられていた。覚悟はしていたが、今、その時が来るとはな……」
 声は明瞭だが、ヨシュアは肩で息をしている。顔色もずいぶん悪い。まるで、身体が急速に病魔に蝕まれてゆくかのように。
 衝撃が、建物を揺るがした。
 シルバーノアとヨシュアの距離が開く。
「無茶だ、アーク!」
 思わず飛び降りようとした彼を、背後から伸びた手が引き止める。
 声の主を振り返りもせず父親へと腕を伸ばし、アークが叫ぶ。
「手を、手を伸ばして!俺が引き上げる!早く!!」
 しかし、ヨシュアは動かなかった。
「無駄だ、アーク。もう私は助からん。早く行け」
「嫌だ!」
「…アーク」
 地面の揺れはます一方である。この場所もいつ崩れるかわからない。一刻も早く立ち去らねばならない事は百も承知だが、それでも父を残して行く事などアークにできるはずもなかった。
 否、今のアークには、おそらく周囲の状況は見えていないだろう。
「父さんを追って精霊の山に登ってから、いろんな国を回った。どこかに父さんがいるかもしれないって思いながら、いつも進んでたんだ。手紙の指示する先へ行くたびに、父さんに会えるかもしれないって期待してた。いつか会えるって信じてた。ようやく会えたのに、なのに見捨てろって言うのか!?」
 リーダーとして、責任を背負っている勇者はこの場にいなかった。
 今ここにいるのは、父の身を案じ、助ける事だけを一心に望んでいる16歳の少年である。
 ヨシュアの命が風前の灯火である事は傍目にも明らかだが、全てを忘れて父を助けようとするアークの姿に、それを言い出せる者はいない。
 それゆえに、ヨシュアは息子に決心させなくてはならなかった。
 仲間をまとめるリーダーのとるべき行動を。今ここで無為に時間を過ごす事が、とり返しのつかない事態になるという事を。
 ヨシュア自身、もはや身を起こす事も難しい。ここで助かるはずがないのだから。
 不意に、強い力でアークの腕が引き戻された。
 彼の視野が反転し、仲間の姿をとらえる。
 最後に視界に入ったのは、自分の腕をつかんでいたトッシュだった。
 トッシュが、アークの目を見据えた。
「これ以上ここには残れねぇ」
 自分に向けられた少年の瞳にいたたまれないものを感じながら、それでもトッシュは言葉を継いだ。
「…逃げるぞ」
 どくん、と大きな心音が響いた気がした。
 アークが再び父を見る。
 ヨシュアは射るような目で息子を見つめていた。
「チョンガラ…」
「トッシュ!」
 勇者の声が、仲間の言葉を遮った。
「俺が…言わなくちゃならないんだ」
 アークは目を閉じ、うつむいていた。
 ヨシュアの瞳がかすかに和らぐ。そして、彼は懐から何かを取り出した。
「アーク」
 目を開いた息子に、ヨシュアは最後の力を振り絞ってそれを投げた。手のひら大の紋章のようなものが、アークの両手におさまる。
「契約の証として、精霊から渡されたものだ。過去へと導く力を持つ。だが、人間にそのような力は使いこなせるものではないな…」
「…父さ」
「あなた…」
 か細い声が、ヨシュアへ届いた。
 ポルタはいつの間にか意識を取り戻していたらしい。夫に寂しげな表情を向けていた。
 ヨシュアが愛しげに妻を見る。
「すまん、ポルタ。苦労ばかりかけたな…」
 ポルタは首を振った。かすかな笑みを返す。
「私は、あなたと一緒になれて幸せでした」
 その時、ヨシュアの背後からモンスターが現れた。
 ポルタが声にならない悲鳴を上げる。
 ヨシュアが背後を振り返った。立ち上がる。
 アークが確認したのは、そこまでだった。
「チョンガラ、離脱しろ!」
 魂切る叫びに似た声を合図に、シルバーノアが急速でその場を離れる。
 ヨシュアの姿は、瞬く間に見えなくなった。
 タワー全体の揺れはますます激しくなり、頂上が崩れ始める。
 降り注ぐ瓦礫をかわしながら、シルバーノアは最高速度でパレンシアタワーから離脱した。
 後に残るのは、崩壊の際に生じた土煙と、広範囲にうずたかく積もった大量の瓦礫である。
 あの高くそびえ立つ塔は、完全に破壊された。
 ──かけがえのない人をのみこんだまま。


 あの時、トッシュが離脱の指示をしていたら、結果的にアークは彼にある種の憎しみを抱いたはずである。助けられたかもしれないというかすかな望みが、転じて憎しみに変わっただろう。
 ゆえにヨシュアは、アークに離脱を促したのだ。
 自分が決断することで、仲間にわだかまりを抱えさせないために。
 ──だが、身を切られるようなこの感情は、消えはしない。
 どさり、と何かが倒れた音がした。
 視線を転じた先に、意識を失った母の姿があった。
「母さん!」
 アークがしゃがみこむより早く、左から細い腕が伸びた。サニアはポルタの身体に触れ、様子を確かめる。
「気を失っただけよ。かなり衰弱しているけれど、心配ないわ」
「…そうか」
 アークは母へ手を伸ばしかけ、握り拳を作った。
 そのまま、何も言わない。
「あなたが構わないなら、おばさまは私が看ているわ」
 静かな、どこかいたわるような響きをにじませ、サニアが話しかけた。
 普段から口調が厳しく、とがった物の言い方ばかりしている彼女からは想像するのが難しい声である。
 その場の者は大なり小なり驚いていたが、アークはただ短く応じただけだった。
「頼む。…一人になりたいんだ」
 それだけを言うと、彼はうつむいた。
 シュウが無言でポルタを抱き上げる。サニアは先に立って部屋を出、シュウを先導する形になった。
 二人がいなくなると、トッシュもその場を離れた。ポコは何か言いたげだったが、それを半ば無理矢理引きずって部屋を出る。
「ね、アークを一人にしていいの?」
 半泣きのポコが訴える。
「一人にしてやる方がいいんだよ」
 応えるトッシュもまた沈んだ表情だった。彼にしてみれば珍しいことだ。
 しかし、ポコはなおも続けようとする。
「でも…」
「親父を目の前で見殺しにしちまったんだ。他人が何を言っても聞こえやしねぇよ。放っておけ」
 ポコが胸を突かれたように口を閉ざした。
 アークの事ばかり口にしていたが、トッシュもまた彼と同じ心境であるはずなのだ。
 一度死んでしまったはずの父親を、彼はその手で殺めたのだから。
「ごめ…ごめん、トッシュ……」
 ぼろぼろ涙をこぼしながら、ポコが謝る。何度も目をこするが、それでも溢れてくる涙が指をぬらしていた。
 トッシュがかすかに笑みを返す。
「気にすんな。構やしねぇよ」
 泣きやもうとしても涙が止まらないらしいポコの頭を何度か軽く叩き、トッシュは眼前の扉を見つめ、中のアークを思う。
「…あいつも、まだ16なんだよな……」


 アークは、一人海原を眺めていた。
 その後ろ姿を見れば、誰もが彼の寂寥を感じとるだろう。今彼を見つめるククルは、そう感じていた。
 トゥヴィルの岸壁は、この地が孤立した時と変わらない。
 自分がここに一人残ったあの時も、今の彼と同じように海原を眺めていた。
 しかし、その内面は似て異なるものだ。
「アーク」
 少しだけアークは身動きしたが、いらえはない。
 構わず、ククルはその傍らへ足を運んだ。隣に腰を下ろす。
「タワーでの話を聞いたわ」
「…そうか」
 機械的な返事しかできないアークを見る。
 いつもの気負いは感じられない。痛みを押し隠して無表情の仮面を被った少年が、そこにいた。
 パレンシアタワーで受けた傷もそのままである。見ているだけで痛々しい。
「怪我の手当てもしていないのね」
 ククルがその場を離れ、せせらぎにハンカチをひたした。軽く絞り、アークの側に戻ると、目の届く範囲の傷の汚れを落とす。
「…以前なら、すぐに治してあげられたけど」
 ようやくアークがククルを見た。
「後で治してもらうのよ」
 幼い子供に言い聞かせるような口調に、アークが目を伏せた。
 ククルは彼の頬に手を伸ばす。
「今は、無理をする必要はないわ、アーク」
「…俺は…」
「お父さんが亡くなったんだもの、泣いて当然よ。悲しむのは当たり前だわ。人の死を悼む心を持てない人間は、どこかが間違っているのよ」
 アークが、自分の頬に触れているククルの手を握った。
 やがて、彼は絞り出すような声を出す。
「…涙が出ない。何の感情も湧いてこない。ただ空しいだけなんだ。悲しむ心すら失った気がする…」
「アーク…」
「助けられなかった事はわかってる。父さんが行った事も理解しているつもりだ。俺には仲間がいる。すべて理解しているはずなんだ。なのに…わからない」
 どこかうつろな声だった。普段の彼からは想像もつかないものだ。
 ククルが軽く手を動かすと、それを握っていたアークの手は、簡単にほどけた。
 そのまま膝立ちになり、ククルはアークを抱きしめる。
「…ククル?」
 訝しげなアークには応えず、ククルは目を閉じた。
 ひどくこわばっていたアークの身体から、徐々に力が抜けてゆく。
 彼が我知らずまとっていた鎧をすべて捨て去るまで、ククルは何も言わなかった。


 しばらくして彼女は身を起こし、アークの目を見つめて静かに語りかけた。
「あなたは、抱えきれないほどの悲しみに自分を見失っていただけよ。自分の中におさまりきらない感情を受けたから、逆に何も考えられなくなったの」
 アークが何かを言おうとした、その時。
 彼の頬を、一筋の涙がつたい落ちた。
「…え?」
 戸惑う間にも、あとからあとから涙は溢れ、やがてアークは顔を伏せた。嗚咽が漏れる。
「父さんに…いろいろ訊きたかった。…話もしたかった。考えてた事は、山ほどあったんだ。なのに…」
 悲しみと、やりきれない思いを、アークはようやく口に出した。
 涙はとめどなく頬をつたい、流れ落ちる。一旦表面に出した感情を、彼は自ら抑えつけようとはしなかった。
 父への思い、父の姿、父の意志、表情…。
 いつになく饒舌な少年を、ククルはただ抱きしめた。
 …せめて今だけは、16の少年として、ありのままに父親の死を泣いてほしいから。
 重い使命に自分の感情すら殺してしまわないように。
 深い想いを胸に、ククルはアークを支えていた。


──Fin


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<あとがき>

 このイベントは、アーク2でも特に印象的なものでした。その前のモンジイベントは、前振りからある程度予測できましたが、こちらは完璧に不意打ちだったんです。
 でもイベント中にアークとヨシュアの会話がほとんどなく、立て続けに次のイベントが発生してしまったせいか、ヨシュアの死が淡々と終わってしまったなぁと感じました。
 そこで、ふと思い立って、場面を少し追加して書き起こしてみたものだったりします。
 トッシュは普段ああですが(笑)、パーティ内ではアークの兄的な位置にいるのではないかな、と思っています。アークはリーダーとはいえまだ16歳ですし、精神的な部分では人生経験豊かなトッシュを頼りにしているように感じられるんですが、いかがでしょうか?