06 飼い慣れた金魚 (TOS・ゼロス&ロイド) (テセアラ救いの塔ネタバレを含みます) リーガルの用事に付き合う形でアルタミラへ立ち寄り、早めに宿を取ったロイドたちは、午後をビーチで過ごす事になった。 しかし。 「なぁゼロス、本当に行かないのか?」 水着に着替えてなお問いかけるロイドへ、ベッドに横になったゼロスは笑って手を振る。 「言ったでしょーよ、アルタミラの名物は夜だってな。ま、確かにビーチのお姉様方にも惹かれるけどよ、今日はちょーっとばかしハードだったし、ここで休ませてもらうわ」 普段なら率先してビーチに赴くであろうゼロスのこの言動は、ロイドならずとも意外に感じる所だろう。 しかしアルタミラは昼と夜の二つの顔を持つ。 夜の舞台となるカジノや劇場が持つ独特の雰囲気は実際ゼロスが好むものであったし、最近の強行軍で疲れが溜まっていたのも事実だ。 健康的なロイド達は日頃の疲れを忘れてビーチで短い休息を楽しみ、夜にぐっすりと休むのだから、夜のアルタミラを楽しむゼロスとは休息と活動の時間がずれているだけの話である。 その辺りを納得したのだろう、ロイドは肩を竦めた。 「ま、お前がそう言うならいいけどさ。じゃ留守番頼むな!」 「おう、任せとけ」 一足先にロビーへ降りたジーニアスの後を追い、ロイドは部屋を出て行った。 そんな彼の背を見送るゼロスの浮かべていた笑みが、苦笑にすり替わる。 ロイドたちとの旅は、これでなかなかに面白かった。 反面、彼らを欺いている罪悪感に似たものを感じているのも事実である。 身勝手な話だ。 ……最初は深入りするつもりなどなかった。 共に旅をするとはいえ、さほど長い時間でもないと踏んでいたし、何より彼らは三つの秤の中で最も軽かったのだ。 強大な力におもねるならばクルシス。 隠し球を有効利用できるならばレネゲード。 起死回生の策を信じるならば……。 ゼロスの都合など露も知らず、ロイドたちはコレットを、そして世界を救う術を探して世界中を奔走していた。 幾度挫けそうになっても、諦めずに。 しかもロイドの考え方は、人間関係においても変わらないのである。 一度受け入れた相手はどこまでも信じるのだ。 ロイドが未だにクラトスを信じていると知ったとき、思わず失笑が洩れたのは当然だろう。 人の心は弱いものだ。いくら言葉を重ねた所で、最後の最後で掌を返すことも有り得るというのに。 暑苦しい熱血漢に呆れるばかりだった。冗談でからかって、さっさと終わらせようと考えたのはこの頃だったろうか。 ――なのにいつの間にか、ロイドの信念を羨んでいる自分がいたのだ。 一度は裏切られたクラトスを、ロイドは今でも心のどこかで信じている。 再び裏切りにあったとしても、それでも尚ロイドは彼を信じられるのだろうか? おそらくはメンバー内で最も状況を把握しているであろうゼロスでさえ、クラトスを信頼するつもりなど毛頭ない。利害関係があればこそ、協力することができるのだから。 ……だが、クラトスの行動は、ことロイドに関して利害などでは計れないものなのだ。 ――ロイドの存在が、あの男までも動かしたと言うのか? 無条件に相手を信じるロイドだからこそ、仲間は彼を裏切らない。信頼を置くに値すると思っているのだろう。 最初から怪しげな存在であり、決して心を開かない人間へ、手を差し伸べる事などできるだろうか。 居心地の良さを拒絶したのは彼自身。 その機会を笑って見過ごしたのは、希望の後の絶望を知っているが故だ。 いっそ今の立場も何もかもない状態で出会えたなら、心から信頼できる仲間に成り得ただろうか。 ……これも、無駄な想像でしかないけれども。 ロイドならば。本性を知った上で尚、自分を受け入れてくれるかもしれない。 そういう期待を抱かせるのだ。 「随分と罪作りな話だぜ」 我知らず皮肉げな笑みを口にはき、ゼロスは独りごちた。
──fin
(2006.07.31up) |
07 擦り切れたフィルム (サモナイ3・アルディラ&レックス) 幾度も繰り返し再現される情景。 鮮明な記憶も、時を経る毎に少しずつ、しかしに確実に薄れてゆくものだ。 ……人間ならば。 けれども、メモリーに蓄積された記録が薄れることはない。 幾度巻き戻そうと、再生しようとも。メモリーが破損するまで、鮮明な記録を呼び覚ますことができる。 過去に囚われ、記憶と共に生きるならば、むしろ幸せと言えるだろうか。 ――否。 幸せな過去だけならば良い。 けれどもこの記憶の最後に在るのは、大きすぎるほどの喪失なのだ。 『大丈夫だよ、アルディラ』 懐かしい声が木霊する。 もはや戻るはずのない愛しい人の声が。 『君が力を貸してくれれば、再び一緒にいられるようになる。だから……』 声に身を任せる事は、とても楽だった。 何も考えなくて良い。 懐かしいあの頃の記憶が現実のものになると信じていれば、それで良かったのだ。 犠牲が出ることに目を閉じ耳を塞ぎ、あの声だけを道しるべにして。 部屋に閉じこもっていたアルディラを説得に来た青年は、全ての告白を聞いて尚、その場を動こうとしなかった。 今の彼女を一人にしておけないと思っているのだろうか。 その優しさすらも、受け取る側に届く頃にはいたたまれなさへと変わってしまうというのに。 「わかっていたの、本当は」 呟きにも似たアルディラの声に、話を聞いていた青年は気遣わしげな表情を見せる。 ――利用されていた相手を心配するなんて、どこまでお人好しなの? 疑問が苛立ちにすり替わる。 何故彼は責めないのか、腹を立てないのか。 自分本位な彼女の行動は、島そのものを危険に陥れた。 操られたなどという言葉で隠すつもりはない。あれはアルディラの望んだ事だったのだ。 この青年に至っては、命を落とす可能性すらあったというのに。 「……優しい人だったんだね。ハイネルさんって」 意外な言葉にアルディラは彼を凝視した。 青年――レックスは少し寂しげな笑みを浮かべている。 「貴方に何がわかるって言うの?」 これまで言葉に出来なかった後悔。心のどこかで彼にぶつけるべき感情でないと理解していたが、止まらなかった。 「マスターは島を守るために犠牲になった。私は……止めるべきだった私は、率先してあの人に協力をしたわ。……本当は止めたかった。でも無理だとわかっていたから、言葉にもできなかった。どうして言えなかったの、伝えられなかったの!」 爆発した感情が抑えられず、アルディラは両手で自身を抱きしめた。 「行かないでって縋りつけば、思い留まってくれたかもしれないのに。優しかったあの人を引き留めることができたかもしれないのに……!」 こぼれ落ちそうな涙を隠すべく、アルディラは咄嗟に顔を覆って俯いた。 あれほど鮮明な記憶なのに、やり直すことはできないのだ。 同じ情景を繰り返す。幾度も幾度も、同じやりとりを繰り返す。 ――いっそメモリーが壊れてしまったなら、楽になることもできるのに。 レックスの足音がアルディラの耳に届いた。 次いで、両肩に温もりが生まれる。 躊躇いがちに伸ばされた手が、優しく彼女に触れたのだ。 「確かに俺はハイネルさんと直接会ったことはないけれど、シャルトスを通じて話しかけてくれた事があったんだ」 「……え?」 俯いていたアルディラが顔を上げる。 レックスの瞳には優しい光が宿っていた。 「成り行きで剣を手にしてしまった俺を、あの人は何度も助けてくれた。みんなをとても心配していて……多分、君のことを誰より気に掛けていたと思う」 ――どうして、この人は。 アルディラは項垂れる。レックスの言葉に耳を傾けながら、その優しさを感じながら、心に思い描くのは懐かしい人の姿。 「私は貴方を利用した。犠牲にしようとしたわ」 「……うん」 「なのにどうしてそんなに優しいの……?」 俯いたまま震える声で問いかけた疑問への答えはなく。 ただ、レックスは彼女をそっと抱き寄せた。 優しい温もりに包まれ、アルディラの瞳から一筋の涙がこぼれ落ちる。 やがて彼女はレックスの胸に顔を埋め、声を殺して忍び泣いた。
──fin
(2006.06.08up) |
08 花びらの中 (TOS・ゼロス&コレット) 色とりどりの花が飾られたその店で名を呼ばれたゼロスは、金の髪の少女の姿を目に留めると、笑みを見せた。 「コレットちゃん、一人?珍しいな〜。ロイド君は?」 「リフィル先生の授業を受けてるの」 「あー、成程。居残り組ってやつか」 納得するゼロスに小さく笑い返し、コレットは店先に飾られた花々に目を向けた。 「綺麗だね。ゼロスはお花を買いに来たの?」 「ん、まーねー。さっき珍しい花を見かけたから、ちょっと気になっちまってさ」 ゼロスもまた店先を彩る花々へと視線を移す。 「お花が好きなんだ」 言いつつ、コレットはゼロスの横顔を振り仰いだ。 ゼロスは少しばかり肩を竦めると、曖昧に応じる。 「好きっつーか、そもそも花は女の子に似合うもんだろ?ま、男の嗜みってやつ?」 「贈る人がいるんだね」 「ほら、俺さま人気者だし?プレゼントしてくれるハニーたちにお返ししなきゃいけないでしょ」 ウインクと共にこう返され、コレットは「ゼロスらしいね」と軽やかな声で笑った。 花は女性に好まれる。贈り物には最適と言えるだろう。 ――何より、形として残らない。 その美しさを愛でられるのは短い間の事。やがて萎れて枯れてゆき、姿を消すのが運命だ。 こうして店先で咲き誇っている花々も、いずれは枯れてしまう。 花の命は短いもの。故に美しさを称えられるのだ。 「お花って、素敵だよね」 店先の花々へ優しく微笑みながら、少女は言う。 「一生懸命咲いているお花を見ていると、元気づけられる気がするの」 コレットの言葉に誘われるように、涼やかな風が吹いた。 そよ風に揺れる明るい色彩に囲まれた彼女を見つめながら、やっぱり女の子には花が似合うな、などとゼロスは考える。 少女の長い金の髪が、肩口で切り揃えられた鴇色の髪と二重写しになった。 閉じこめられた狭い世界で切り花を愛でる少女。 ……無聊の慰めも数日限りのものである。 だからこそ種々の花を贈るのだ。 形を残さぬが故に、贈る想いも陰に隠れ、やがては消え果てるだろう。 鴇色の髪の少女の姿を脳裏に描きつつ、我知らず目を細めた彼の耳に、静かな声が届いた。 「花は種を実らせて、それが次の年に新しい花を育むでしょ?受け継がれていくんだなあって思うんだ」 ゼロスが僅かに目を見開いた。 花に微笑みかける金の髪の少女の姿を視線に捉えると同時に、先程の言葉が耳元で蘇る。 こういった店に飾られる花々には、有り得ない未来だった。 コレットが言うのは地に根付く花。 手折られて短い間に命を散らせる切り花ではない。 切り花は萎れて枯れるのみだ。決してその命を継ぐ事はないのだから。 不意に、ゼロスは色彩で人目を引く赤い薔薇へと手を伸ばした。 棘が取り除かれ、鑑賞するためだけに存在する大輪の花。 華やかな外見が好まれるので、あまたの女性に対する贈り物として選ぶ事の多い花だ。 「そうだな。自然に咲く花は、そうやって新しい命を芽吹かせるんだよな」 大輪の花の赤い色彩が虚ろな影を纏っているように感じられ、ゼロスは花びらに触れていた手を引いた。 「ゼロス?」 ひどく静かな、穏やかな声音に何かを感じ取ったのか、コレットが小首を傾げて彼の名を呼ぶ。 ゼロスはコレットに笑いかけた。普段と変わらない、少し軽い笑顔で。 「良いこと言うねえ、コレットちゃん。俺さま惚れちゃいそーだ」 コレットは目を丸くしたが、やがてくすくすと笑い出す。 「ゼロスったらそればっかり。だからみんなが呆れちゃうんだよ?」 「俺さまはいつでも本気だぜ?……まあ、コレットちゃんに何かあったら、ロイドが黙っちゃいねーよなあ」 「え、そんな事、ないと思う……けど」 茶目っ気たっぷりなゼロスの台詞にロイドの名が出たせいだろう、コレットはやや困惑した様子で俯いた。しかし、その頬は赤く染まっている。 そんな少女を微笑ましく見つめると、ゼロスは得意の軽口で瞬く間に彼女へ明るい笑顔を取り戻させたのである。
──fin
(2006.08.25up) |
09 誰かの台詞 (アーク2・アーク×ククル) 夕食を終えた後、酒の入った賑やかな空気が流れる中、いつしかアークの姿が消えていた。 どうやら外に出て行ったらしい。 ククルはこの場をシャンテに任せると、アークの姿を捜して部屋を出た。 既に夜も更けている。 月明かりによって足下が危ういといった事はないのだが、それでも仲間を心配させるほど遠方へ足を伸ばすとは考えられず、ククルはひとまず神殿の周囲を巡る事にする。 ほどなくして、アークの姿が見つかった。 神殿の裏手に根付いた枝振りの良い木の傍である。 アークはその幹に手を触れて、生い茂る枝葉を見上げていた。 物思いに耽る彼の邪魔をせぬよう足音を殺して歩み寄ったククルの耳に、アークの深い吐息が微かに届く。 そして。 「……疲れた、な……」 おそらくは意識せずに洩らした言葉だったのだろう。枝葉を見上げる顔に動揺が走る。 しかし、辺りに彼の声を聞く者がいない事に気づいたらしく、アークは瞼を閉じると改めて深い溜息をついた。 普段の彼ならば、決して口にしない言葉である。 ククルの逡巡は一瞬だった。 躊躇いを振り払い、彼女は穏やかな声音でその名を呼ぶ。 「アーク」 木肌に触れていた手が震えた。 一呼吸置いた後、アークはゆっくりと背後を振り向く。 「ククル……」 どこか痛みを押し隠しているような瞳だった。 ――いつからだろう。アークが年齢より遙かに大人びて見えるようになったのは。 そっと微笑みを返し、ククルは彼へと歩み寄る。 アークの視線が彼女の姿を追っていた。 傍らに立ち止まった彼女の真っ直ぐな瞳に、アークはやや弱い笑みを返す。 「俺はみんなが言うほど強い人間じゃないんだ」 先程の言葉を聞いていたであろうククルに対して、本音が口をついて出たらしい。 共に旅をしている仲間がこの発言を聞いたなら、どういう反応を示すだろう。 否、簡単に予想できる事だ。少なくともエルクやリーザは驚きながらも否定する。 アークに何らかの憧れを抱く者がそういった反応を示す事は、容易に想像が付いた。 トッシュやゴーゲンといった旅を始めた当初の仲間ならば、アークの年齢を思い起こし、納得する所もあるだろう。 それでもやはり意外に感じるかもしれない。これまで否定的な発言を極力避けてきたアークを見ていれば尚のことである。 ククルは正面から彼を見た。 「ええ、わかっているわ。一緒に旅をしていたもの」 アークは心優しい少年だ。そして責任感が強い。 頼られればそれに報いるよう努力する。期待に応えるだけの力を備えているが故に。 ──だからこそ、気づかれない。 アークの心に潜む弱さを。苦しさに耐えかねる心を。 彼自身、まだ年若い少年でしかないという事を。 否定も疑問も差し挟まず、ただ彼の言葉を肯定したククルへ、アークはふと苦笑を洩らした。 「すまない。君はたった一人で神殿を守っているのに、俺が弱音を吐いている場合じゃないよな」 ククルは頭を振る。 「いいえ、つらい時にはつらいと言って欲しいわ。せめて私が隣にいる間だけでも、自然な姿でいて欲しい。私だって苦しいときはあなたにそう言うでしょう。言葉にするとつらい事もあるけれど、支えられる人がいるならそれも分かち合えるはずだから」 「…………」 「ここはあなたが安らげる場所であって欲しいもの」 ククルが願いを伝えた、その刹那。 アークの手が伸び、彼女の身体を包み込むように抱きしめていた。 不意の出来事に驚くより先に、囁くほどの低い声がククルの耳朶を打つ。 「──ありがとう」 ククルは小さく微笑むと、アークの背へそっと腕を回した。 添えた手が彼を支える力になって欲しいと、密かな願いを込めながら……。
──fin
(2006.08.14up) |
10 残されたもの (TOS・ゼロセレ) (ゼロスの過去ネタバレを含みます) 今日も、普段と変わりない一日の筈だった。 ――昼過ぎに、突如ゼロスが修道院を訪れるまでは。 「どういう風の吹き回しですの?」 先触れもない訪問を受け、セレスは殊更に冷たくゼロスへ話しかけた。 もっとも、彼がセレスの元を訪れる時は、ほとんどが不意打ちである。 ゼロスはふらりと姿を見せると、他愛もない話をして立ち去るのが常だった。 何も知らなかった頃は大喜びで兄を出迎えたものだが、それも過去の話だ。 「ちょいとこっちに用事があってな。無視するわけにもいかないでしょーよ」 「あら、そうですの?」 「世界でたった二人っきりの兄妹だってのに、冷たいねぇ」 大仰に肩を竦めると、ゼロスはトクナガが用意した紅茶に口を付けた。 からかいを含んだ声音に言いようのない苛立ちを感じ、セレスは目の前の人物から顔を背けて窓へと視線を移す。 閉じられた窓に映るゼロスの顔には、薄い笑みが浮かんでいた。 決してペースを崩さない相手に対抗するには、冷静さを身につけるしかないとセレスは思う。それを実践するには、まだまだ経験が足りないけれども。 セレスの瞳が窓ガラスを通して、テーブルに置かれた小さな花束へを向けられた。 淡く色づく花を見つめた後、彼女はそっと息を吸い込んで、口を開く。 「では妹として諫言させていただきますわ」 セレスは改めてゼロスに向き直った。 「再三申し上げていますけれども、いい加減に、行状をお改め下さいませ。神子らしく相応の振る舞いをなさっていただかないと、私までが恥をかきますのよ」 しかしゼロスは片笑いでその言葉をいなす。 「つってもなぁ。メルトキオのハニーたちは俺さまを片時も放してくれないし」 「神子さまのその優柔不断さが、風評の元なのですわ!……このような場所にまで噂が届く事をご存知ですの?」 「他人の目なんか気にしても仕方ないでしょーよ」 「少しは真面目になさってはいかが!?」 募る苛立ちを隠しきれず声高になるセレスとは対照的に、ゼロスは涼しい顔で笑っている。 「どうしてそのようにお笑いになっていられますの!信じられませんわ!」 「別にお前が怒る事でもないんじゃねぇの?」 セレスは口を閉ざす。 素っ気ない口調からは怒りや不快感といったものは窺えなかったが、彼女の言葉を押し留める何かを持っていた。 確かにゼロスの言う通りなのだ。神子である彼の行状が悪いからといって、実際にセレスが迷惑を被るわけではない。そもそもこの修道院は世間と切り離された場所なのだから、影響などないに等しいのである。 ただ、不真面目なゼロスに対する腹立たしさが募るだけだ。 神子に対する世間の風評が、不当であると思われてならず……それが、悔しいだけで。 「……もっと、神子らしい振る舞いをなさっていただきたいですわ」 「人には向き不向きってのがあるんだぜ。ま、お前が神子になったら、模範的で品行方正な神子の鑑になるんだろうがな」 セレスは目を伏せた。 そんな事はありえないのだ。決して。 だからこそ……。 「そういや、クルシスの輝石は?」 何の気なしに口にした様子のゼロスの言葉だったが、セレスの表情が硬くなった。 「……保管してありますわ。お持ちしましょうか」 先程とは打って変わった静かなセレスの声音に、ゼロスはちらと彼女を見やる。 「いや、いいさ。早々に必要なものじゃないしな。お前の手元に置いとけばいいだろ」 セレスの脳裏にゼロスが輝石を置いて行った時の光景が蘇る。 母親の死の真実を知り、絶縁の意味で突きつけた言葉に対して返された、青く輝く宝珠。 ――そいつはクルシスの輝石っつってな、神子の象徴だよ。預けるわ。 どういうつもりか、と問うた自分へ、ゼロスは皮肉というには鋭すぎる笑みを浮かべたのだ。 そうして、必要になったら取りに来るという言葉を残し、修道院を立ち去ったのである。 神子ただ一人だけが手にすることを許される宝珠。 それは神子の象徴であり、他者には与えられぬもの。 セレスの母親が娘にこそ相応しいと切望したもの……。 不意に、ゼロスが席を立った。 その音で我に返ったセレスへ、彼は軽く笑いかける。 「んじゃ、そろそろ退散するわ。これ以上ここにいたらお前がぶっ倒れかねないし」 失礼な物言いに彼女が言葉を返そうとした、その時。 「なぁ、セレス」 低い声音で名を呼ばれ、セレスは言葉を飲み込んだ。 ゼロスの瞳が真剣な光を帯びている。 しかし、それはすぐに皮肉げな笑みに取って代わられた。 「ま、気を揉むのもほどほどにな」 「み……神子さま!」 「また来るわ」 咄嗟に追いかけようとしたセレスは、思わず足を止めた。 普段と変わらない軽い口調の中に、拒絶の響きを感じ取ったが故に。 階下へ降りてゆくゼロスの足音が響く。かすかに開かれる扉の音か耳に届き、そのまま修道院と外界が遮断された。 突然の訪問と同様に、辞去もまたあっけないものである。 部屋に残されたセレスは、そっと溜息をついた。 テーブルの上の花束を腕に抱き、愛らしい花を見つめるものの、心が晴れることはなく。 やがてセレスは窓辺に近づくと、既に消えてしまったゼロスの背を追い求めるように、地平線の向こうへと視線を送った。
──fin
(2006.05.21up) |