星の灯火




 リーザはシルバーノアの外に出ると、夜の空気を胸一杯に吸い込んだ。
 夜更かしをすることは滅多にないのだが、夜の空気やその匂いは昔から好きなのだ。
 今晩の見張りはシュウとエルクのはずである。
 差し入れにと用意したサンドイッチとコーヒーの入ったバスケットを手に、リーザが2人を捜そうとした時、ひとつの影が視界に映った。
 星明かりで少しおぼろげだったが、エルクよりも幾分背が高いことがわかる。
「シュウさん?」
 リーザの声に、人影が振り向いた。その拍子に、額に結ばれたハチマキの先が揺れる。
「リーザじゃないか。こんな夜更けにどうしたんだ?」
「あ、すみません!今日の見張りはシュウさんとエルクだって聞いてたので、てっきり…」
「構わないよ。差し入れかい?」
 謝罪する少女にアークは笑みを返した。そして、彼女が手にしているバスケットから夜更かしの理由を推測する。
「はい、エルクが夜回りは眠くなりやすいって言ってたので」
「エルクは幸せ者だね」
 リーザの顔が真っ赤になった。そんな彼女を見つめるアークの瞳はとても優しい。
「あの、アークさんは今日の見張りじゃありませんよね?」
「ああ、ちょっと眠れなかったんで、夜風にあたろうと思ったんだ」
 少し肌寒く感じられなくもないが、いい風が吹いている。
 頬にそよぐ風を感じながら、リーザは言った。
「夜の匂いがしますね」
「わかるのかい?」
「はい。アークさんもわかりますか?」
「ああ。表現しろ、と言われると困るんだけど…いい匂いだよね」
「そうですね。こうしていると、なんだかさわやかで落ち着きませんか?私、雨上がりの匂いも大好きなんです」
「そうだね。心を落ち着けてくれる、不思議な香りだな」
 リーザはアークに笑みを返して、星空を見上げた。
 夜空一杯に大小さまざまな星々が広がっている。降るような、と表現される星空は、こういうものを言うのだろう。
「星を見ながら外に立っていると、なんだか安心するんです。落ち着いて色々考えられるようになったり、懐かしいことを思い出したり…そんな時って、しばらくそのままでいたくなるんですよ」
 夜の匂いを感じながら、綺麗な星空を見つめ、リーザは喋っていた。
 アークは静かに彼女の言葉に耳を傾けている。
「夜だけじゃなくて、緑の香りとか、土の匂いとか…自然の中にいると、嬉しくて、すごく懐かしい気持ちがします。なんだか優しい気持ちになれるんですよね」
「自然は人の心を和ませてくれるからじゃないかな。そういう時、人間もまた自然の一部なんだって思えるね」
 リーザは隣に立つ少年へと視線の先を転じた。
 その視線に気づくと、アークは傍らの少女に優しく笑いかける。
 思わず頬が赤くなったリーザは、慌てて話題を探した。
「あの、アークさんは星空って好きですか?」
「好きだよ。夜の空気とあいまって、星を見ていると心が落ち着くんだ。このミルマーナの星空は、特別だな」
「どうしてですか?」
 アークは夜空を見上げた。静かな瞳を空に向ける。
「この星空は、ククルが好きなんだよ」
「……」
 リーザは無言で隣に立つ少年を見つめる。
 問わず語りにアークは続けた。
「初めてミルマーナに来た時は、ポコとククルとの3人だったんだ。その夜は今みたいに空が綺麗に晴れ渡っていて、降るような星空を見ることができたんだよ。あんなにたくさんの星を見るのは初めてだって、ククルは本当に嬉しそうだったな」
 リーザも彼の視線を追って、空を見上げた。
 一面にたくさんの宝石が散りばめられたような、そんな星空が広がっている。
「…いつか…」
 ぽつりとアークが声を漏らす。
「アークさん?」
 途切れてしまった言葉の先が気になり、リーザは隣の少年の顔を見る。
 アークは目を閉じて、視線を下ろした。そして彼女に微笑みかける。
「何でもないよ」
 その時、リーザは直感した。先程の彼の言葉に続いたのは『ククルに見せたい』というアークの気持ちだったのではないか、と。
 ククルは封印を守る為、トウヴィルの神殿を離れることができない。2人の想いは一緒であっても、共に旅することは叶わないのだ。
 勇者と聖母の宿命を背負うが故に……。
「…アークさん、あの…」
 リーザが思わずアークに話しかけた、その時。
「なーにコソコソ話してんだよ」
「きゃ!」
 リーザが飛び上がって振り向くと、いつの間にか背後にエルクが立っていた。
「べ、別にコソコソなんてしてないじゃない」
「どもったりすると余計怪しいぜ」
「エルクが驚かすからでしょ!…もう、まだ心臓がドキドキしてるのよ」
「オレは普通に近づいたけどな」
 言いながらも、エルクは少しむっとした表情を浮かべている。そう見えるのは、リーザの気のせいでもないらしい。
 そこへ、からかいを含んだ声が投げかけられた。
「エルク。あんまり了見が狭いと、リーザに愛想尽かされるぞ」
「な…!」
「そ、そんなことありませんっ!!」
 絶句するエルクとアークの言葉を力いっぱい否定するリーザ。どちらも顔が赤い。
 アークは笑い出した。
「冗談だよ。でも嫉妬深い男は嫌われるぞ、エルク」
「……人のコト言えるのかよ」
「さてね。じゃあ、見張りは頼んだよ。俺はそろそろ中に入るから」
 エルクの精一杯の反撃はさらりと流された。そのまま立ち去ろうとしたアークに、リーザが慌てて挨拶をする。
「あの、おやすみなさい、アークさん」
「おやすみ、リーザ、エルク」
 爽やかな笑顔を残し、アークは去って行った。さすがに一筋縄ではいかない相手である。
 立ち去る彼の後ろ姿を見ていたエルクの耳に、リーザの小さな笑い声が聞こえてきた。
 エルクは彼女に憮然とした顔を向ける。
「何、笑ってんだよ」
「ううん。エルクってかわいいなと思って」
「…はぁ!?」
 エルクが素っ頓狂な声を上げた。少なくとも、今の言葉は男に対するものではない。…と、思うのだが。
 リーザは笑いやむと、エルクに謝った。
「ごめんね。そうだ、差し入れ持って来たの。シュウさんはどこかしら?」
 素直に謝罪されれば、エルクも大抵のことは水に流す性格だ。リーザに肩を竦めて見せる。
「…ま、いいけどよ。シュウならシルバーノアの向こう側だぜ」
「じゃあ、これシュウさんにも持って行ってくるわね」
「いいよ、呼んで来る。ちょっと待ってろよ」
 言いつつその場を離れようとして、エルクの足が止まった。
 何故か自分の傍まで近づいてくるエルクに、リーザは小首をかしげる。
「どうしたの?」
 エルクは自分の上着を脱ぐと、覆うようにリーザの肩にかけた。
「そんな格好だと寒いだろ」
「で、でも、エルクは?」
「このくらい大丈夫だって。差し入れ、サンキュ。すぐ戻ってくる」
「うん。ありがとう」
 駆け出すエルクの背を見つめ、リーザは上着の前を両手で合わせた。
 暖かい。
 その温もりがエルクの優しさのように感じられて、リーザは嬉しくなった。
 口は悪いしぶっきらぼうだが、いつもエルクは彼女のことを気遣ってくれるのだ。
 ──エルクの力になりたいな…。
 守られるだけではなく、互いに助け合えるようになりたい。
 離れてなお強い絆で結ばれている、アークとククルのように……。
「頑張らなくちゃ」
 声に出して、リーザは小さくガッツポーズを作った。
 そこへ、エルクの声が届く。
「リーザ!」
 視線を上げると、星明かりのもと、シルバーノアの向こうから2つの影が近づいて来るのが見えた。
 ゆっくり歩み寄る背の高い人影を置いて、エルクが駆けて来る。
 近づく彼に、リーザは心からの笑顔を浮かべて手を振った。


──fin


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<あとがき>

 以前から、一度アークとリーザの会話を書いてみたいな〜と思っていたんですが、なかなかまとまりませんでした。でも、先日「サウンドトラックコンプリート」を聴いている内に、頭の中でうまくまとまったので、思い切って書いてみたものです。
 アークとリーザは静かに語り合うような印象がありますね。喩えるなら、優しいお兄ちゃんとかわいい妹…という感じでしょうか。恋人ではないけれど、一緒にいると安心できる、そんな雰囲気があるように思います。
 改めて考えると、エルク×リーザを書くのは初めてかもしれません。…とはいえほんの少しだけ、ではありますが(笑)。
 機会があれば、きちんとしたエルク×リーザのお話も書いてみたいです。