約 束−交わされた想い−




 アークが父・ヨシュアの遺した「形見」によって、この時代へ戻ってきたのは、ほんの1週間ほど前の出来事だった。
 ククルがトゥヴィルに一人残されてからも、1週間が経ったことになる。


 シルバーノアが飛び立った直後、不安にかられていた彼女を見つけたのは、16歳に成長したアークだった。
 我が眼を疑った。目の前で、彼は行ってしまったはずなのに。
『ククル…』
 静かな口調。優しい声。眼前の人物が自分の名を呼んだ瞬間、ククルは彼が先程のアークではないと直感した。
 大人びた表情。少し色のくすんだ衣服、傷の増えた鎧。
 自分とほとんど変わらなかった身長も、頭一つ分高くなっている。
 その姿をよくよく見れば、違いははっきりしている。この少年は、アークであってアークでない。
 けれど。
『…未来で封印に異変が起きたんだ。君の力を貸して欲しい』
 自分がやってきた理由を簡単に説明すると、アークは最後にこう言った。
『わかったわ!それじゃ、精霊たちに力を借りに行かなくちゃね』
『…ありがとう、ククル』
 力強く応えた彼女に、アークが礼を言う。水臭いこと言わないで、と笑ってみせると、アークも小さく笑みを返した。
 それがどこか翳りのある…寂しげな笑顔だと思ったのは、何故だろうか…。


 旅の間、アークは優しくて、いつもククルを気遣ってくれていた。少しだけ面映ゆかったけれど、それがとても嬉しくて、心地よくて。いっそいつまでも旅を続けていたいと思ってしまった。
 でも、別れの時は来る。
 今ククルの傍にいるアークは、本来この時間にいるべき存在ではないのだから。
 神殿に残ったアンデルの手下を一掃し、ククルが封印を施す。
 それにより、神殿の『場』の乱れが抑えられた。後はこの安定を持続させれば大丈夫だろう。
 …同時に、16歳のアークがこの時間に為すべき役割は終わったことになる。
 封印と向き合っていたククルは、背後のアークを振り返った。
「これでもう大丈夫。後は私がここで封印を守っていくわ。…今までありがとう、アーク」
 にっこりと笑いかけ、彼女は静かに石段を降りた。アークの目の前に立つ。
 ククルが両手でアークの二の腕を軽くつかみ、頭をそっと彼の胸に預けた。目を閉じる。
「ク、ククル?」
 少しばかり動揺した声から、アークの慌てる様子が伝わって来た。けれど彼から感じられる温もりはとても優しく、ククルは思っていることを素直に口にした。
「…不謹慎だと思うけど、でも、今あなたに会えて良かった」
「ククル…」
「不安だったの。独りで残されるのが…怖かった」
「……」
「でも、もう平気。アークが来てくれたもの。あなたと一緒に同じ時間が過ごせたわ。それだけで、もう充分…」
 言葉が途切れたのは、言いたいことを口に出来たせいなのか、アークがその腕で彼女を抱きしめたせいだろうか。
「…独りにしてごめん、ククル…」
 心の中の後悔を絞り出すような声が、ククルの耳朶を打った。
 そうして、気付く。再会した時に浮かべたアークの寂しげな笑顔の意味を。
 ククルは顔を上げた。アークの瞳をしっかりと捉え、やや悪戯っぽい声を出す。
「それはアークのせいじゃないでしょ?」
 不意を突かれたように、アークがわずかに目を見開いた。
「もう、なんでも一人で背負い込み過ぎよ」
「…そう、かな。そういう訳じゃないんだけど…」
「十分そう見えるわ。自覚が無いのも困りものね。なんだか心配だな」
 そんな顔をして欲しくない。何もかも心に仕舞い込むだけじゃなくて、気持ちを話してほしい。
 …いつもそばに居られるわけではないけれど。
 そして、自分の決意を形にして、目の前のアークに伝えたい。
 ククルの手が束ねられた髪へと伸びた。髪を結わえているリボンの結び目を解く。ささやかな衣擦れの音が耳に届いた直後、ほどけた髪が彼女の頬にかかり、やわらかなウェーブが広がった。
「…こういうことをしていいのかわからないけど…。アーク、これを持って行ってくれない?」
 アークと出会ってから、常に身につけていた赤紅色のリボン。一番のお気に入りだったから、旅に出てからずっと使っていた。
 かなり長さのあるリボンだった。ククルは高い位置で髪を結わえるので、固く何度も巻かなくてはならず、自然と長いものを使うようになったのだ。
 外すと、髪が軽くなった。どこか頼りないと感じられるほどに。──けれど。
 ククルはリボンを手に、アークを見上げた。
 近くから見ると、やはり今のアークとの違いがはっきりと見て取れる。
 1年後のアークと、今の自分。決して埋まることの無い1年という時間の流れ。
 アークは少し戸惑った表情を浮かべ、ククルを見つめていた。
 そんな彼に、にっこりと笑みを返す。大丈夫だから、と言外に含めた意味が伝わることを祈りつつ。
 アークの顔から戸惑いが消えた。そして、微笑みが浮かぶ。心に染みわたるような、暖かくて優しい表情に、ククルは安堵した。
 これが16歳のアーク。
「ありがとう。じゃあ、代わりにこれを持っていてくれないか?」
 すっとアークが視線を落とした。自然とククルの目がそれを追う。
 アークは左腕の手首に巻かれたリボンの結び目を解いた。額の鉢巻と同じ、深い紅色が彼女の瞳に映る。
 ククルはアークの顔を見上げた。驚きの色を隠せない。
「でも、これお守りって言ってたじゃない。ご両親の想いが込められてるって」
「だからこそククルに持っていて欲しいんだ。これから君を守ってくれるように。…それから…」
 アークが少し頬を赤らめた。ククルはじっとアークを見つめている。
 …スメリアの古くからの慣習のひとつに、普段から身につけているものを交換する、というものがある。特に異性の間では、将来を誓う意味が込められるのだ。
 その際、交換するものは大抵同じものだ。相手と同じ場所に身に付けられるように、ということからである。常に相手を身近に感じられるように。これまで生活を共にしてきたものを互いに相手に贈ることで、自分の想いを伝え、相手の想いを受け取る。
 最近では外国の習慣にならって専用に購入した指輪を交換する事が多くなり、この風習もあまり見られなくなっている。ククルも昔、何度か聞いたことがあっただけで、ワイト家に伝わる古文書を調べていた時に、この風習の由来を目にしたのだ。同年代の人間でそれを知っている者はあまりいないだろう。
 アークは一旦左手に視線を落とした。そして、ククルに視線を戻し、少しだけその手を上げてみせる。
「1年後に、ククルのリボンをここに巻いてくれないかな」
 それは、未来の誓約。
 時間の流れを共有するようになった時、交わされるであろう誓いの言葉。
 ──知ってるの?
「…アーク、それ…」
「母さんに聞いたことがあったんだ。知らないと思ってた?」
「もう、意地悪ね!」
 ククルは真っ赤になって声を上げたが、そっと赤紅色のリボンをアークに手渡した。
 アークが深い紅色のリボンを差し出す。
 ククルがそれを手にすると同時に、アークが彼女を抱き寄せた。想いを込めて、力強く。
 ククルはそっと目を閉じて、彼の鼓動に耳を傾ける。
「…必ず、戻るよ。君の元へ」
「うん…無事に帰ってきてね。待ってるから…」
 空間が歪む。元の時間へ戻るべきアークの姿が歪む。…おそらく、アークから見たククルの姿も。
「ククル…!」
 アークの声が途切れた直後、その姿がかき消えた。
 後に残るのは、耳が痛くなるほどの静寂と、封印を守護するククルのみである。
 ククルは手渡されたリボンをそっと握りしめ、アークの事を想った。


 「お帰りなさい」
 元の世界に戻ったアークの目の前に、ククルが立っていた。
 見慣れた服装。落ち着いた物腰。あの彼女の1年後の姿…。
 本来の時間に戻ってきた、そう実感する。
「封印はなされたわ。もう大丈夫。ありがとう、アーク」
 あの時と重なる言葉。
 別れてから今まで、自分にとってはほんの少ししか時間が経っていない。けれど、彼女にとっては…。
「あれから1年経ったんだね」
「……」
「…待たせてごめん、ククル」
「ううん、アークこそ…」
 ククルはこの1年間、独りで神殿を守ってきたのだ。強大な闇の力に絶え間なく抗い続け、封印を守る…。大の男でさえ音を上げかねないこの役目を、今まで泣き言ひとつ言うことなくこなしてきた。気丈の一言で片づけられるものではない。
 初めてトゥヴィルに戻った時、ククルがひどく大人びて感じられた。無邪気な笑みが見られなくなったせいか、いつの間にか変わっていた髪形のせいか、彼女自身が新たに得た聖母の力によるものか。
 …いや、それは多分…。
 アークがククルの手を取った。両手で包み込むように彼女の手を持ち、自分の額にそっと押し当てる。彼女の手は、少しひんやりとしていた。
「アーク…?」
 少しだけうわずったククルの声。
「1年もの間、ずっと待たせてしまったんだね。別れてから今日まで、俺にとっては一瞬だったけれど、君にとっては…」
「あなたは未来から戻ってきていたんだもの」
 ──なんでも一人で背負い込みすぎよ。
 ふと、過去のククルが口にした言葉を思い出す。
「それに、あの時あなたに会えなかったら、挫けていたかもしれない。勇気をもらったのは私の方。アークは一回りも二回りも大きく見えたわ。見た目はもちろんだけど、心が強くなってるんだって一緒に旅していてわかった。だから私も頑張らなくちゃって思ったのよ」
「…みんながいたからだよ。一緒に旅する仲間がいたから。…そして、ククルがいてくれたから」
 アークはククルの手をつかんだまま、そっと下ろした。
 ククルの視線がアークの両手に注がれる。
「ずっと、握っていてくれたの?」
 言われて気付いた。アークは赤紅色のリボンの上から、ククルの手を握っていたのだ。
 空間の歪みに飲み込まれる直前にククルのリボンを握りしめ、そのまま戻ってきていたのだろう。
「本当だ。離さないように、それだけを考えていたから…」
 ククルが小さく笑った。
「ありがとう。ね、そのリボン、アークの左手に結ばせて」
 アークが両手を開くと、ククルは赤紅色のリボンを手に取り、アークの左手に結わえた。元は彼女の髪を束ねていたものだ。その仕草は懐かしそうで、同時に愛おしげだった。
 結んだ先のリボンの長さが右手のそれと同じ位になるように調節しながら、見比べる。
 アークの深い紅色よりもククルの赤紅色の方が橙がかっているのだ。その分、他よりも少しだけ浮いてしまう印象がある。
「少し、色合いが違うわね。あまり目立たないとは思うけど…」
「構わないよ。ククルのリボンは?」
「ここにあるわ。…あれからずっと持っていたの」
 ククルが袖口から深い紅色のリボンを取り出した。それを受け取り、アークが彼女の左手に結ぶ。
「ありがとう、アーク」
 左手首を包み込むように、ククルはアークの結んだリボンに触れた。
「ククル」
 名前を呼ばれて、彼女が顔を上げる。自分に向けられた瞳にやさしく微笑みかけ、アークは言葉を継いだ。
「この戦いが終わったら…どこか静かな場所で、一緒に暮らそう」
 ククルの目が見開かれた。
 やがて、その表情がやわらかな笑みに変わる。
「…ええ、そうね…」
 ささやかな儀式と、交わされた約束。今はこれだけでしかないが、想いは決して変わらない。
 アークがそっとククルを抱きしめた。
「…行ってくる」
 わずかにククルの身体が強張ったが、彼女が口にした言葉は異なっていた。
「気をつけて…無事に帰ってきてね」
 アークはククルに頷いてみせる。
「もちろん。…ククル、もう少しだけ頑張ってくれ」
「大丈夫よ。任せて」
 いつもの口調でククルが答えた。
 そんな彼女に笑みを返すと、そっと腕を解き、アークはククルに背を向けた。
 彼を待ち受ける戦いへ挑むべく。そして、その戦いに共に挑む仲間たちの元へ向かう為に。

 ──精霊たちよ、どうか…
 ──あなたたちの選んだ勇者に、そのご加護を…

 アークの姿が見えなくなっても、ククルは心の中で祈りつづけていた。
 風が、彼女の左手に巻かれた深い紅色のリボンを揺らす。
 ククルはリボンをそっと押え、持ち主の顔を思い描いた。
 やがて風がやむと、彼女は決意を瞳に宿し、神殿の奥へときびすを返した。
 封印を、ひとり守り抜くために…。


──Fin


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<あとがき>

 え〜と、言い訳をば。私、アーク×ククルが大好きなんです(笑)。アーク1ではそういうエピソードがひとつありましたが、あれは驚きの方が強くって、あんまり堪能できませんでした(爆)。ところが2ではそういうシーンがほとんどなくて、逆に残念だったんです。そこで「一緒に暮らそう」をちょっと膨らませてしまいました。しきたりは勝手に考えたものですので、突っ込まないで下さいね〜(汗)。
 アーク2での二人は互いに想いを表に出していませんよね。口に出さなくても互いに伝わっているのだろうと思うんですが、もう少しそういうシーンがあっても良かったのでは、とも思ってしまったんです。
(99/06/14一部加筆)