心の行方




 旅をはじめてから、ずっとアークを見つめてきた。
 彼の喜びも、悲しみも、苦しさも、憤りも、そして、優しさも……。
 そのアークは、今も、運命を切り拓くべく戦いを続けている。
 旅を始めたばかりの時の彼は、ひどく幼く見えたのに。
 まだ何も知らなかったあの頃は、自分が引っ張って行かなくちゃいけないと、そんな気持ちを抱いたこともあったのに…。

 だが、アークは子供ではなかった。
 ククルが出会った当初はそうだったのかもしれない。
 けれど。旅をするうちに、多くの人々に出会うたびに。仲間に巡り会い、そして精霊たちの声を聞くたび、アークは成長していた。
 いつの間にか、彼女よりも背が高くなっていたように。内面的にも、成長していたのだ。
 ……でも、私は?
 ククルは自問してみる。答えは返ってくるはずもないが、はっきりしていた。
 ──私はきっと変わっていない。
 アークの成長を間近で見ながら、ククルは変わっていないのだ。
 同じ所に立ち止まったままの、自分。
 常に前へと進むアーク。
 ──不安だった。
 一度開いてしまった距離は、二度と縮まることがない。
 だって、アークはいつも進んでる。
 ……取り残されてしまう……。
 ククルは、前を歩くアークの背を見た。
 先を行くアークは、二人が今登っている山の頂にある祭壇へと、確かな足取りで進んでいる。
 ここは、精霊の山。すべての始まりの場所だ。
 アークとククルの二人は、再び封印の炎を消すために、この場を訪れていた。
 炎の灯された祭壇のある精霊の山に入ることができるのは、守り人であるワイト家の血を引くククルと、精霊の加護を受けたアークだけである。
 まだ宵闇に包まれるには早い時間だが、周囲は薄暗くなっていた。
 二人はそれぞれに一度歩んだ道のりをたどって、祭壇へと向かっている。
 先を進むアークの足取りに迷いはない。そう、いつだって彼は前へと進んでいく。
 大きな運命を背負いながら、瞳は未来を見つめている。
 そんな彼の姿は、まだ少年であるにもかかわらず、頼もしく感じられるのだ。
 一緒にいると安心する。嬉しくなる。自分も頑張ろう、と思う。
 でも。
 先程の思いが頭をもたげてくる。増長する不安と、そして……。
「ククル?」
 背後の彼女が歩みを止めてしまったことに気づいたらしく、アークが振り向いた。
 祭壇への道のりは、半分を過ぎた辺りだろうか。
「どうしたんだ?」
 アークが問いかけてくる。少し不思議そうな顔をしているのは、彼女につい先程までの意気込みが感じられなくなったからだろうか。
 普段なら、笑ってごまかせたはずなのに、今はそれすらもできなくて。
 ククルはアークから視線を逸らした。
「…アーク、私…」
 もしも、アークが一人で行ってしまったら。残されてしまったら。…きっと、耐えられない。
 自分の心がこれほど弱くなっていたことに、気づかなかったなんて。
 前に進めない。先を見るのが怖い。
 つい先程、仲間たちと別れた時には予想もしなかったことだった。
 アークがククルに歩み寄る。
「ククル?」
 思わずククルは俯いた。アークの瞳を直視できなかったのだ。
 彼の瞳を見られない。瞳をそらされるのが怖い。
 そうして驚愕する。今の自分の『弱さ』に。
 ククルは両手で自分の身体を抱きしめた。
「…ごめん、アーク。ちょっとだけ…待って」
 こんなところで止まっている時ではない。封印を解かなくてはいけないのに。
 それは自分にしかできないことだ。
 なのに、足がすくんでしまう。
 ──いつもの強気はどこへ行ったの?
 アークが心配する。みんなが待ってる。我侭を言っている場合じゃないのに。
 どうして…。
 ククルは必死で気持ちを立て直そうとしていた。
 いつも心にあった強さを呼び戻さなくては。強がりでもいい、本当の強さでなくていいから、一歩を踏み出すだけの勇気を。それだけを、考える。
 大丈夫。みんなと会うまでは一人でやってきたじゃない。
 平気。私はそんなに弱くない。アークが先に進んでも、一人で行ってしまっても。
 だって、旅に出る前に戻るだけだもの。
 刹那。胸が痛んだ。怪我の痛みとは異なる、悲しさと苦しさを伴った鈍い痛みに、胸が疼く。
 …大丈夫。一歩を踏み出せば、元の私に戻れるから。
 意を決してククルが顔を上げようとした、その時。
 肩に、ぬくもりが生まれた。
 優しい声が、彼女の耳に届く。
「焦らなくていい。ククルが落ち着くまで、待ってるから…」
 泣きそうになった。
 アークが触れた肩のぬくもりに、彼が口にした暖かい言葉に。
 ──駄目。
 思わず萎えそうになる足に力をこめて、何とかその場にふんばり、ククルは固く目を閉じる。
 今、甘えてしまったら。もう二度と一人で立てなくなる。アークに甘えてしまう。
 彼の優しさに、捕われてしまう……。
「…大丈夫、だから。私は…」
 ククルが身を引く。
 だが、アークは逆に両手に力をこめた。
 周囲のことに目を向ける余裕のなくなっていたククルは気づいていなかったが、この山道は足場が悪い。今下手に動くと、バランスを崩して転倒してしまう。
 それを防ぐべく、アークはククルを離さなかった。
「ククル、ちょっと待て」
「離して、お願い!」
「ククル!」
 鋭いアークの声に、思わずククルは顔を上げた。
 一瞬、二人の間を流れる時間が凍りつく。
 今にも泣き出しそうな表情のククルと、彼女の肩をつかんだまま、体勢を崩さないよう踏みとどまっているアーク。
 アークは瞳を見開いていた。彼の驚く気配が伝わってくる。そして、とまどいが。
 理由はわかっていた。ククルの視界は歪んでおり、瞳は熱を持っていたのだから。
「ごめ…違うの。何でもないから、ちょっとだけ……待って」
 目の前で突然泣かれたら、驚くに決まっている。困惑するだろう。
 アークが何かしたわけではないのだから、とまどいも深くなる。
 ククルは俯いた。
 ひとつ、ふたつ、とゆっくり数えて、十で深く息をつく。
「…ごめんね。ちょっと、気が昂ぶっちゃって。さっきまでは平気だったんだけど、私でも、緊張…してたみたい」
 少しだけ声が震えてしまったが、それでも、先程よりは落ち着いていた。
「ククル…」
 アークの気遣う声音を覆い隠すように、ククルは早口で続ける。
「あの時もアークが助けてくれたんだもの、大丈夫よね。私だって強くなったし、あの時みたいに遅れを取ったりしない。…もう、大丈夫だから」
 咄嗟にアークデーモンに襲われた時の話を持ち出す。
 確かにあの恐怖は忘れていない。手も足も出なかったモンスターのことを思い出していたなら、さっきのククルの言動にもアークは納得してくれるだろう。
 …でも。どうして、突然こんなことを考えてしまったのだろうか。今までこんなふうに感じたことなんてなかったのに。
 いや、今はそんなことを考えている場合ではない。
 ククルはかぶりを振って顔を上げた。
 少しだけ、笑ってみせる。
 ──大丈夫。
「ごめんね、もう平気。驚いたでしょ?自分でもびっくりしちゃった」
 瞳から溢れそうになっていた涙をぬぐって、ククルは照れ笑いを返す。
 無理に気持ちを抑え込んだのだが、それなりの効果はあったらしい。少しずつ、落ち着いてきた。
「さ、急がなきゃ。みんながしびれを切らしちゃうよね。行きましょ」
 ククルがさりげなくアークの手をどけようとした。
 だが、アークはその手を離さない。
「…アーク?」
 もの問いたげなククルの視線を、アークの眼差しが捉えた。
 真剣な光を宿した、強い瞳が。
「ククル」
 名前を呼ばれて、ククルはとまどった。
 ──また、あの不安定な気持ちがよみがえる。
 一瞬、ククルが瞳をそらせようとしたが、アークはそれを許さなかった。彼女の瞳を捉えたまま、言葉を継ぐ。
「気になることがあるのなら、きちんと話してくれよ。どうしたんだ?ククルらしくないじゃないか」
 その時。
 不意に、理解した。

 ……私、アークの事が好きなんだ……。

 いつの間に、こんな気持ちを抱いていたのだろう。
 彼が特別だと思ったのは、アークが新たな道を切り拓く存在だと直感したからだ。自分は彼と共にその道を歩むことになると、そう感じたから。
 好きだから、というわけではなかった。
 そんな想いを抱えてしまったら。
 ──駄目。
「大丈夫…よ。大袈裟に考えること、ないわ」
 考えるだけなら、誤魔化すこともできる。けれど、言葉にしてしまったら。
 言葉という『形』を与えられた感情は、姿を明らかにしてしまう。強い力を得てしまうのだ。
 だが、今なら抑え込める。
 一度口にしてしまったら、感情の渦に呑まれてしまう。自分が自分でいられなくなる。
 だからこの気持ちに蓋をしてしまわなければならない。心の奥底に仕舞い込んでしまわなくてはいけないのだ。
 ──弱くなってしまうから。
 今までのように戦えなくなってしまう。寄りかかってしまう。…アークの負担になる。何より、そんな自分が許せない。
 心の葛藤を打ち消そうと、ククルは目を閉じた。
 だが。アークの顔が見えなくなったことに、ひどく不安を感じてしまう。
 …もう、これほどに彼を頼りにしている。
 今、断ち切ってしまわなければ、私は私でいられなくなる……。
「心配なんだ。このままじゃ祭壇に行けない」
 ククルの肩をつかむアークの手に力がこめられる。その痛みに、彼女は顔を顰めた。
「大丈夫だってば。ね、アーク。ちょっと離し…」
「ククル、何が怖いんだ?」
 どきりと心臓が鳴った。
 耳の奥で大きくなる鼓動が、更に不安を煽ってゆく。
「そんなに時間はないけど、少しくらい休んだって構わないからさ」
「…アーク」
「ククルから見たらまだ頼りないかもしれないけど、俺にだって君を守るだけの力はあるつもりだ。だから、一人で抱え込まないでくれよ」
 ──その気持ちが嬉しくて。
 目頭が熱くなった。視界が歪む。つかまれている肩は痛いけれど、そのぬくもりが嬉しくて。
 ……だけど。
「だめ…私」
 なんとかこれだけの言葉を絞り出す。
「…ククル…」
「ごめん、アーク。私…頼れないよ…」
 自分でも驚くほどか細い声で、ククルはこれだけを言う。
 ──アークは私の弱さを知らないから。そんな優しい言葉をくれるのだ。
「私、本当は弱いの。一度頼ってしまったら、二度と一人で立てない。強い言葉を返せない。すぐに駄目になる……きっと、もう一人でいられない」
 今だって、必死なのに。少しでも気を抜いたら、その場に座り込んでしまいそう。

「俺は、ククルが好きだよ」

 ククルが目を開いた。
 いつの間にか俯いていた彼女の視線が、ゆっくりと眼前の少年に向けられる。
 アークは、優しい表情を浮かべていた。
「人を好きになっても、弱くはならない」
 彼女の瞳を見つめたまま。その心の裡を知っているかのように、アークは静かに言葉を紡いでゆく。
「相手を想う気持ちが強いから、とまどうけどさ。でも、自分の心が弱くなったりはしないと思う」
「……」
「俺はね。君がいてくれたから、強くなれたんだ」
 真摯な瞳と共に告げられるのは、アークの心。彼の心を映し出す言葉が、ククルに想いを伝えてゆく。
「それに、一人でいられないなら、一緒にいればいいだろ?」
「…でも、だって、みんなともいつか別れてしまうじゃない。旅が終わったら、一緒にいる必要はなくなるわ」
 アークが笑みを浮かべた。少し照れくさそうに、彼女に問いかける。
「一緒にいたいって気持ちじゃ、理由にならないか?」
「…アーク…」
 こみ上げてきた熱いものを隠すように、ククルはわずかに俯いた。
 そして。一歩だけ、アークに歩み寄る。
 先程から鼓動は大きくなるばかりだ。頬が熱い。
 高鳴る気持ちと消えない不安を胸に抱いたまま、ククルはそっと彼に寄りかかった。
 肩に置かれていた手が、背中へと流れる。同時に、触れられている部分が頬よりも熱を持ったように感じた。
 瞳を閉じてみる。
 ……不安は、いつの間にか消えていた。
 ただ、暖かい。
 アークの側にいられることに、安心できる。勇気づけられる。
 そして、共に在ることが嬉しく感じられた。
 言葉にしようとすると、難しく思える気持ち……。
 ククルはそっとアークの肩に頭をもたせかけた。
「…私、あなたのことが好きよ」
「俺もだ」
「うん…」
 気持ちを言葉にすることが、こんなに簡単だったなんて思わなかった。
 いや、ひとたび言葉にできたなら、想いを形にすることは難しくはないのだ。
 どのくらいの間、そうしていたのだろう。
 高鳴っていた鼓動も落ち着き、頬の熱が引いていることに気づいて、ククルは瞳を開いた。
 アークからそっと身を離す。
 そして。ククルはにっこりと彼に笑いかけた。
「ありがとう、アーク。もう平気」
 自然と笑顔が浮かべられた自分に驚いたが、すぐにククルは理解した。
 抑圧が強さに繋がりはしないということを。
 想いは強い力になりうるのだから。
「行こうか」
 優しさの中に揺るぎない意志を秘めたアークの声に、ククルはひとつ頷いた。
「ええ」
 向かう先は、封印の祭壇。
 もはや、迷いはない。
 二人は確かな足取りで、再び頂へと向かう山道を登り始めた。
──fin



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<あとがき>
 アーク1の名場面、精霊の山の直前のお話です。
 実は、初めてこのシーンを見た時、かなり唐突に感じたんですよね。でも2をプレイしてから改めて見ると、すごく切なく感じます。
 精霊の山に辿り着くまでの間に、アークとククルは互いに相手に惹かれて、想うようになりますが、実は前々からその過程を書いてみたいと思っていたんです。
 そんな折に、アーク×ククルファンの方と1での二人についてお話する機会がありまして。この「心の行方」は、その時の会話を元に書き上げた話なんです。
 というわけで。この話は、一緒にアーク×ククルのお話をして下さった、たけのこさんに捧げさせていただきます。
 また、オリジナルの表現が多々入りましたが、元の「アーク1」のイベント内容や台詞などに関しては「A.P.A.2002」さんの攻略ページを参考にさせていただきました。ありがとうございます。
 それから、畑違いのジャンルの小説の校正をしてくれた友人に、感謝を込めて。