望月夜




 濃紺の夜空に浮かぶ、ひときわ明るい満ちた月。
 夜空から地上へと降り注ぐ月の光には、見慣れた景色を別世界のように見せる力があるという話も、あながち嘘ではないように思える。
「…綺麗ですね」
 夜の空に浮かぶ月を見上げながら、たしぎが言った。
「そうだな」
 頷きつつ、ゾロもまた月を見上げる。そして、盃を傾けた。
 秋の夜は長い。折しも今宵は満月。
 月を愛でるとはよく言ったもので、風流とは縁のないゾロでさえ、何とも言えぬいい心持ちになるのだから、不思議なものだ。
 いや、彼の機嫌がいい理由は、他にもあるのだが。
「どうぞ」
 ゾロの盃が空になったことに気づくと、たしぎはやや後ろに置いてあった盆の上の徳利をひとつ手に取り、酒を注いだ。
 酒を勧めるたしぎの頬は幾分赤く染まっている。少し酔っているらしい。
 しなやかな指が添えられた酒器は、それだけで色つやを帯びて見える。

 ――いい酒があるんだ。飲まねェか?

 珍しく、ゾロがこうもちかけたのは、たしぎが夕食の片付けを済ませた頃だった。
 酒を飲むなら晩酌でもいいはずなのに、と首を傾げた彼女に、ゾロは親指で窓の外を指したのである。

 ――たまには月を肴にってのも洒落てるだろ。

「おまえも飲めよ」
 盃をあおったゾロの言葉に、たしぎは笑った。
「ちゃんといただいてますよ」
 ロロノアほどじゃありませんけど、と続ける。
「だけど、本当に飲みやすくておいしいお酒ですね」
 たしぎはあまり酒に強い方ではない。ゾロと同じペースで付き合えば、ものの十分と保たないだろう。
 彼女はゆっくりと酒を飲む方だが、その分じっくりと味わうタイプなのだ。
 また、強い酒はほとんど飲めない。果実酒などが少し飲める程度なのだが、今飲んでいる米から作った酒は、口当たりが良く、まろやかな香りも楽しめる。
「ああ、酒屋のオヤジもそう言ってたな」
「ええ、本当に。でもロロノアには物足りないんじゃありません?」
 ゾロは唇の端を上げて笑う。
「旨い酒なら関係ねェ」
 言いつつ、ゾロは空になったたしぎのお猪口に酒をつぐ。
 さすがにゾロのピッチは早い。たしぎが一杯を飲む間に、幾度も盃が空いた。
 当然ながら、酒の減りも早い。
 たしぎは空になった徳利を見ると、小さく笑って問いかけた。
「もう二つ三つ温めてきましょうか、あなた」
 ゾロの口元に引き寄せられていた盃が、止まる。
 そして、彼はたしぎを見た。
「…どうかしました?」
 じっと見つめられ、たしぎは小首を傾げたが、ゾロはふっと笑みを漏らす。
「冷でもいいだろ。酒瓶はそこにあるってのに、席を外すのも無粋だぜ」
 たしぎは意外そうに目を丸くしたが、そっと微笑んだ。
「そうですね」
 体も温まっているし、わざわざ酒を燗にする必要もないだろう。
 それにこの酒は、冷の方がまろやかな味がする。
 たしぎは再び月を見上げると、そっとお猪口を傾けた。
 隣に座を占めているゾロは、彼女の横顔を見つめている。

 ――気づいているだろうか?

 未だに夫を名字で呼ぶ彼女が、先程はそうでなかったということに。
 この呼び名はたしぎの口癖になっているらしく、ある程度は仕方ないと思っていたのだが。
 酒が入り、自然と彼女の口をついて出た言葉は、やけに耳に心地よかった。
 盃を傾けるゾロの頬に、笑みが浮かぶ。

 ――まぁ、気長に待つとするか。

 二人が見上げる月は仄白く、淡い光を放っていた。



──fin

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<あとがき>
 ゾロたし話を書くのはかなり久しぶりですね〜。
 またしてもパラレル夫婦ネタですが…。二人が和やかに話している所が好きなので、ついついこういう話になってしまうみたいです。
 結婚したら、旦那様のことは名前で呼ぶと思うんですが、たしぎがゾロを名前で呼ぶ、ということが想像しづらくて……プロセス飛ばしちゃいました(笑)。
 当人でも気づかないうちに、少しずつ呼び方が変わっていって、気が付いたらそれが普通になっていた…という感じになるんじゃないかな、と思ってみたんですが、いかがでしょう。