It's gonna Rain



 ぽつり、と水滴が落ちてきた。
 頬に当たったその感触に、たしぎは空を仰ぎ見る。
 いつの間にか、空一面に淀んだ雲が広がっていた。
 たしぎはひどく困った顔で、手にしている荷物を見下ろした。
 小さな紙袋と、青色のカサ。
 スカイブルーに染められた傘は、細く白いラインで縁取りされている。綺麗な色合いのこの傘を、たしぎはいたく気に入っていた。
 家を出る時、空に薄い雲が広がり始めていたので、念のために持ってきたのだが。
 たしぎは困った表情のまま、しばらく傘を見つめていたが、やがてそれを荷物と一緒にしっかりと胸に抱きしめて、駆け出した。
 ぱらぱらと雨が降ってくる。
 さほど雨足は強くないが、傘を差さずに歩いていれば、やがて濡れそぼってしまうだろう。急いで帰ればさほど濡れることもないと判断したのだが、どうやら甘かったらしい。
 雨を避けるべくやや俯いて走っていたたしぎは、進行方向に佇んでいた人物に気づくのが遅れた。
 気づいたときには、相手の姿がすぐ目の前に迫っている。
 慌てて止まろうとしたものの、時既に遅し。
 たしぎは思わず目を閉じた。
 だが、来るべきはずの衝撃はいつまで経ってもやって来なかった。
 代わりに彼女の耳に届いた一言。
「おい」
 聞き慣れた声に、そろりとたしぎが目を開く。
 予想に違わず、やや呆れ顔で彼女を見下ろしていたのは…。
「…ロロノア?」
 彼の名を呼んだたしぎは、ようやく自分がゾロに片手で抱き留められている事に気づいた。
 恐らく、正面から走ってきた彼女の姿を認めたゾロが、腕を伸ばして抱き留めたのだろう。彼が左手にさしていた大きな黒い傘のおかげで、今は二人とも雨に濡れずにすんでいた。
「あ、あの…」
 今の状況を理解するなり慌てるたしぎを地面に下ろしながら、ゾロは彼女へ呆れた顔を向ける。
「何やってんだ、お前は」
「…これから帰ろうとしてたんですけど」 
「俺が言ってんのはそっちだよ」
 ゾロはあごをしゃくって、彼女が抱えたままの傘を示した。
 たしぎは紙袋と傘を片手で抱えると、空いた手を左右に振る。
「いえ、まだ本降りになっていませんし、走れば平気かと思って…」
「前も見ずに走りながら、俺にぶつかりかけたのはどこのどいつだ」
 たしぎがしゅんとうなだれる。
 ゾロは左手に持っていた黒い傘を軽く差し向け、彼女が雨に濡れないようにしていたが、しばらく雨の中を駆けていたたしぎの衣服には、既にかなりの水分が染み込んでいるようだった。湿気を帯びた、という表現ではおさまらなくなっている。
 困った顔で俯いたままの彼女を見やり、ゾロは眉をしかめた。
「気に入らなかったか?」
「え?」
「嫌なら持って出るこたぁねェだろ」
 不機嫌なゾロの声が、抱えたままの傘の事を指しているのだと気づき、たしぎは慌ててその言葉を否定した。
「ち、違いますよ!」
「何がだ」
「だから、その…さしたら傘が濡れてしまうじゃないですか。せっかくあなたに貰ったものなのに、汚したくなくて…」
 一瞬の沈黙。
「…馬鹿かお前は」
「な、何ですか、急に!」
 ゾロはたしぎから傘を取り上げるや、それをあっさり開いた。
 雨雲に遮られた薄暗い空の下、それでも映える色彩に、少しだけ、目を奪われる。
 視界に広がった鮮やかなスカイブルーの傘を、ゾロは彼女にさしだした。
「こういうもんは使わなけりゃ意味ねェだろうが」
「……」
 ゾロの言葉は正しい。傘を汚したくないからといって、自分が雨に濡れてしまえば本末転倒だ。
 その理屈が頭ではわかっているものの、たしぎは少し拗ねた顔でゾロを見上げ、傘を受け取った。
 何か言い返したいと思ったものの、上手く言葉が出てこない。
 そんなたしぎの頭を、ゾロが軽く叩いた。
「帰るぞ」
「あ、はい」
 反射的に、たしぎは素直な返事をする。
 ゾロは無造作に彼女の手にあった紙袋をつかむや、さっさと歩き出した。
 たしぎが慌てて後を追いかける。と。
 足を止めたゾロが、振り向いた。
「帰ったら、風呂に入れよ。そのまんまじゃ風邪ひくぞ」
「…すみません」
 少し決まりが悪くなり、たしぎはまた俯いた。
 そんな彼女の頭を、今度はゾロが軽く小突く。
 子供をあやすようなその仕種に、たしぎはむっとして相手を見たが、彼の口元に浮かんでいた小さな笑みに気づくと、思わず赤面してしまった。
 視界の片隅に映るのは、白く縁取られた青い傘。

 ──一体、どんな顔をして、これを買ってくれたんだろう。

 シンプルなデザインとはいえ、女物の傘である。
 人一倍照れ屋のこの青年が女物の傘を買うところを想像してみる。
 途端に、たしぎの口から笑いがこぼれた。
「何だよ」
「いいえ、なんでも。…ロロノア」
 たしぎは改めてゾロを見上げた。そして、微笑みかける。
「この傘、ありがとうございます」
「ちゃんと使えよ」
「はい」
 頷くたしぎに、ゾロもまた笑みを見せる。
 そして、二人は降り続く雨の中、肩を並べて家路についた。

──fin

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<あとがき>
 人から貰った贈り物がなかなか使えない、という経験はありませんか?

 たしぎはよくこけるので、結構いろんなものを壊しちゃうんじゃないか、という印象が強いんですよね〜。
 そうすると。たしぎが何かを壊した事を知ったゾロが、変わりになるものをあげることもあるんだろうなぁ、と思っているうちに、今回の話を思いつきました。
 折しも梅雨入りしましたし、雨をモチーフに、こういった形にしてみたんですが、いかがでしょうか。
 …やっぱりほのぼの甘々だなぁ…(笑)。