Telephone Line




『もしもし?』
 やや雑音の混じった声。
「おう」
 軽く応じただけだったが、ゾロの耳にはかすかな吐息…安堵のそれが届いた。
 聞き間違えるはずのない、かけがえのない女性の声が、続けて言葉を紡ぐ。
『あ、あの、こんばんは』
「やけに他人行儀だな」
『いえ、その……妙に緊張してしまって……』
「……まぁ、見た目が見た目だしな」
 ゾロの目の前には、奇妙な顔をした手のひら大のカタツムリのようなものが鎮座していた。たしぎの声は、その口から発せられている。
 これは、電伝虫と呼ばれる音声伝達装置だった。
 この機械があれば、電波によって、地上の大抵の場所で声のやりとりをすることが可能である。見た目はともかく、世界中で重宝されているものであり、現にゾロも今その恩恵に預かっているところだった。
 電伝虫はここ数年で普及してきた道具だが、それでも町や村のやや大きな店舗に設置されている程度である。まだまだ各家庭に一台という物ではないのだが、ゾロたちが運良く手に入れることが出来たのは、つい最近のことだった。
 先日、町中のとある店でこの電伝虫一台を取り寄せたものの、当の一家が転居することになり、宙に浮いてしまったそれを二人が買い取ったのである。
 安い買い物ではなかったが、滅多に物を欲しがらないたしぎのたっての希望でゾロは購入を決めた。
 実家にも電伝虫があるという話を聞き、滅多に里帰りできない彼女の役に立つならと思ったのだが……まさか自分が使うことになるとは、正直予想外だった。
『今、話していても大丈夫ですか?』
 遠慮がちに問いかける様子が彼女らしい。
「ああ、特にすることもねェよ」
 たしぎが少し笑う気配が伝わってきた。便利な道具である。
 しかし、いかんせん見栄えがしない。電伝虫の口から出るたしぎの声に違和感を覚え、ゾロは目を閉じてみた。
『そちらは変わりありませんか?』
 続けて発せられた声は、雑音混じりとはいえ、予想以上に近く聞こえた。まるで、すぐ側に相手がいると感じられる程に。
 たしぎは今、実家に帰っている。
 父親の具合が良くないという知らせを受けたのが三日前。到着したら連絡を入れると言い残し、その日のうちにこちらを発った彼女は、今朝方約束通り連絡してきたのだが、その時は用件のみの短い会話しかできなかったのだ。
「ああ。そっちはどうだ?」
『父は一週間ほど静養すればいいそうです。ただ、母が少し体調を崩してしまって…』
「容態は?」
『あ、大したことはないんですよ。気疲れらしくて、お医者様は二、三日休めば良くなると言ってましたから』
 声でゾロの心配げな様子が伝わったらしく、たしぎは早口で説明をした。
 おそらく、体調を崩した夫の看病疲れと、久しぶりに戻った娘の様子に安心したがゆえのものだろう。船で一月かかる程遠方でないにしても、一度嫁いだ娘は滅多に里帰りなどしないのだから、仕方がないとも思う。
「なら、しばらくそっちに残るんだな」
『すみません、すぐに帰るつもりだったんですけど……』
「気にすんな。折角の機会だ、たまにはゆっくり親孝行して来い」
 本心では、すぐにでも帰ってきて欲しいところだが、あえてその素振りは見せず、ゾロは鷹揚に言う。
『ありがとうございます。気を遣わせてしまってすみません』
「謝る事じゃねェだろ」
『ロロノアは、優しいですね』
 不意に発せられた台詞に、ゾロは一瞬言葉を失った。
「……何でそうなる」
 こういう時、たしぎの思考回路がわからなくなる。
 ただ、彼女らしいとは思うのだ。そして、居心地がいいことも事実だった。
 くすくすと笑うやわらかい声が耳に届く。
『嬉しいです』
 たしぎの言葉の余韻を残しつつ、沈黙が降りた。
 電波の向こうに気配を感じるものの、話題が出てこない。
「……じゃあ、切るぞ」
『あ、待ってください』
「ん?」
『…………』
 けれど、たしぎの言葉が続かない。
 反射的に出たらしい声に、ゾロは片方の目をすがめた。低い声で問う。
「何かあったのか?」
『いえ、あの、そうじゃないんです』
「じゃ何だよ」
 要領を得ないたしぎの返事に、ゾロが不機嫌な声を出す。と。
 か細い声が、言葉を紡いだ。
『もう少し、話したいんです』
「話?」
『えっと、あの……』
 ……再び沈黙。
「たしぎ?」
 言葉の続かない相手を促すべく、ゾロがその名を呼ぶ。
 やや時間をおいて、消え入りそうな小さな声が聞こえてきた。
『もう少しだけ、このままでいてくれませんか?』
 ゾロが応じる前に、たしぎが言葉を継ぐ。
『あの、もっと声が聞きたくて……切りたくないんです』
 意外な言葉に思わず目を開けても、そこにあるのは無愛想な電伝虫。
 だが、ゾロの目には、電伝虫を前にやや俯いているであろうたしぎの姿が映った気がした。
 その口から笑いが漏れる。
「構わねェよ。今はヒマだしな」
 とはいえ、何を話せばよいものか。
 ゾロもあまり口数の多い方ではない。むしろ口下手な彼には咄嗟に話題が浮かんでこないのだ。
 思いつくことと言えば……。
「そうだな、朝は飯を食い終わってすぐおまえから連絡があった」
 再び目を閉じながら、ゾロは今日あった出来事を思い出す。
「で、軽く身体を動かして表に出たら、八百屋の親父に会った」
 簡単な挨拶をしたこと、旬の野菜や果物を勧められたこと。
『梨ですか?』
 相づちを打つたしぎの声は嬉しそうな響きを帯びていた。
「ああ、うまいのが入ったって言ってたぜ」
 口下手なゾロにとって、話といえばそのくらいしか思いつかなかったのだが、たしぎには嬉しいものだったらしい。
 夕方散歩に出て公園に寄ったというくだりで、今度はたしぎから問いかけてきた。
『ベンチの後ろに猫はいましたか?』
「猫?」
『はい。ベンチの斜め後ろの植え込みに、茶色い猫がいるんですよ』
 ……気づかなかった。
「そんなヤツがいたのか?」
『ええ、いるんですよ。ロロノアは知りませんでした?』
 首を傾げて思い出そうとするが、そもそも植え込みからしてゾロの記憶にはほとんど残っていない。彼にとってベンチの後ろは緑がある程度の認識しかないのだ。
 同じ景色を見ていても、たしぎと彼の視界はやや異なるらしい。
『良かったら、明日はちょっと下を見て下さい。可愛いですよ』
「そうだな」
 明日もかかってくるであろう電話では、猫の話もできそうだ。
 ゾロの口元が綻ぶ。
 そして、少しずつ会話を増やしつつ、ゾロとたしぎはそれぞれの場所で互いの声に耳を傾けながら、共に時間を紡いでいったのである。


──fin

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<あとがき>
 TM NETWORKのCD「HUMAN SYSTEM」の中に「Telephone Line」という曲があります。
 久しぶりにこれを聴いた時、電話をしている二人の姿が浮かびました。
 ワンピースの世界では難しいシチュエーションだと思ったんですが、どうしても書きたくなりまして……このような形になりました。
 電伝虫の普及率はまだまだ低いはずなんですけど、パラレルの一環ということで大目に見ていただけると嬉しいです。(本編では主要機関、軍部や上層部、そして町や村に共同でひとつあるかないかという感じだと思います)
 いざ話を考えるとどうしてもほのぼの甘々夫婦話になりますが(笑)、読んで下さった方に楽しんでいただければ、嬉しく思います。