PC-98 mobioNX

メーカー:NEC
CPU:MMX Pentium/120MHz
RAM:16MB+32MB
HDD:6.4GB (オリジナルは1.6GB)

1998年6月某日

  会社の先輩から、mobioNXの初期型がやたら安くなっているという情報を聞く。ちょうど持ち歩けるJAVA実行可能端末が欲しいところだったので、食指が伸びる。彼の情報源は週刊アスキーだった。
 その週末、定例のチャットにてその話題が出る。というかもう買ったヤツがいる。なんでも、雑誌の情報よりも更に安くなっているらしい。ますます欲しくなり、翌日曜日に買うことに決める。
 アキバに出てみると、さすがに一段と安くなってから時間が経ってるだけあって、アプリ非添付モデルは品切れの店が多い。そこで表通りにありながらちょっと寂れているヤマギワのビジネス専門店に飛びこむ。思惑通り在庫があり、しかも拡張メモリとセットで6万円を切るということだったので、即決する。帰りにJRで切符を買い、振り返るとそこには同じmobioを二箱抱えている男がいた(^_^;)。そうとう売れているようだ。
 夕方に家に帰りつき、早速セッティング。メモリを取り付け、電源を入れて登録番号を入力し、Win95が起動する。メモリの大きさと設定があっていないとか起動時に言うので調べるとハイバネーションの再設定をしないといけないらしい。
 さらに、まともに使う前にIE4.0を削除する。削除方法がマニュアルに載っているところに好感が持てる。ちょっと手順を間違えたところはあるが、ちゃんと消えたようだ。
 常用するネスケを入れたいところだが、フロッピードライブさえ別売りのマシンなので転送方法を考えないといけない。が、赤外線LANドライバが添付され、赤外線LANアダプタが手元にあるので、これを使用すれば簡単にLANにつながりそうである。というかほとんど苦労もなくインストールできた。ディスク共有もできたので、一旦転送したうえでインストールすることにする。いざコピーを始めるとゲージの進みが遅かったので、先に風呂に入ってくる。
 風呂から上がってゲージを見ると、まだ半分も転送していない(;_;)。「徳川慶喜」を見て時間をつぶす。結局1時間以上かけて転送することになった。これではいくらなんでもやってられない。スペック的にはFIR(4Mbps)のはずなのだが、MSのドライバがSIR(115Kbps)にしか対応してないからのようである。赤外線アダプタのメーカーの言い分では「FIRのドライバはメーカー供給のものを使ってくれ」ということなのだが、だいいちNECのサイトにはそういうものは見当たらない。
 何かないかとあちこち探していると、別の赤外線アダプタのメーカーであるExtended Systemsのサイトに、いくつかのメーカー用のドライバがあった。FIR対応とのことなので、これを入れれば使えるかもしれない。と思って落して解凍しドキュメントを読んでみると、当然といえば当然だが対応機種にmobioの名前はない。が、一応NECの海外向けの機種の名前はある。イチかばちか、それでインストールすることにする。
 setupを起動するとネットワークアダプタの選択のように、各機種がリストに並んだ。NEC Versa 6000H Model 6200というのを選択してインストールすると、一応最後まで進むようである。再起動すると、赤外線のパネルが英文になっているが、速度表示が4Mbpsに変わっている。もちろん実際の転送も速い。

1998年11月某日

 AMDのサイトにあったMagic Packetを送るというツールを入れてみる。ちゃんとWindows用のアプリになっているのが嬉しい。
 使う前に初期設定があるようで、見てみるとウィンドウにネットワークにあるマシンのIPアドレスと物理アドレスの対応表を表示させるため、そのファイルを作成しないといけないようだ。作成そのものは自動で行われる。
 では実際に起動させてみようと、M4-82の電源を落してツールを動かす。なんと、さっき情報を収集したにもかかわらず物理アドレスの入力を求められる。なんとなく割り切れないが、仕方ないので入力。すると、見事にM4-82が起動した。
 さらにツールをよく見ると、グループの起動というのが可能らしい。このグループの指定に、さっきのファイルを使用することがわかった。が、グループ起動だとタイマーつきでしか動かせないらしい。適当に設定して試すと確かに動いたが、どうしてこんなに中途半端なのか、わざとやってるように思えてしまう。
 まぁなにはともあれ、これで隣の隣の部屋まで引っ張ったLANから遠隔起動ができるようになった。起動にはそれなりの時間がかかるが、しばらく待てばプロキシ経由でインターネットアクセスが「場所を動かないで」可能になったというわけだ。

1999年12月4日

 6.4GBのHDDとフロッピードライブを調達し、HDD交換と新システムを入れることにする。あまりに超漢字のデキがいいので、持ち歩いて人に見せたくなったのと、Windows以外でも使えるOSはあるんだということを啓蒙できるシステムが欲しくなったのが直接の動機である。
 作業の前に、NFSサーバのほうへユーザファイルなどをバックアップしておく。ほとんどのプログラムはあとから入れなおせばいいのだ(レジストリの絡みがあるので、ファイルの書き戻しだけで復旧するのはよくないように思う)。
 まずはHDD交換。これは改造指南のサイトを参照すると簡単にできた。難しいのはキーボードとディスプレイのフィルム基板の付けはずしくらい。
 次いでWin95の書き戻し。付属するOSR2をインストールするのではなく、リカバリCDでもって復旧させる。起動ディスクのCONFIG.SYSとAUTOEXEC.BATを共に.A01なる拡張子にされているそれぞれのファイルに置き換える。これらの中身は純正以外のCD-ROMドライブで復旧させるために用意されているようである。次にECHOS44Cで超漢字をインストールする時に使用したKXL-830ANのドライバディスクからドライバーを取り出すため、ファイルを確認する…なんだか見覚えのあるファイル名のドライバがある。ソケットドライバではなくポイントイネーブラでも使用できるようになっているのだが、そのドライバがリカバリCDの起動ディスクで取り替えたCONFIG.SYSに指定されているものとそっくりなのである。担当は何を考えたんだろう?松下のドライブのOEMでも想定していたのだろうか…。なにはともあれ、そのドライバをCONFIG.SYSどおりにリネームしながらコピーし、無事起動ディスクが出来上がった。あ、さすがにNECの想定していたドライブと違うのかCONFIG.SYSで指定するI/Oアドレスが使えない(300h)ので、190hに書き換えておく。
 起動ディスクから立ち上げると、ただどんどんリカバリ作業をするのではなくて、HDDのパーティション割りまでできるように配慮されている。富士通のマシンによるリカバリを二度ばかり見たことあるのだが、こんなに親切ではない。で、パーティションは2.5G+1G+2.5G+余りという構成とした。余りというのはハイバネーション領域用である。そして頭の2.5GBにWin95を書き込んだ。
 Win95の設定に入る前に、超漢字を入れる。さすが、CPUもHDDも高速だとインストールそのものも速く進む。すんなりインストールできたので、ネットワークと画面の設定だけはやっておく。
 再起動してWin95の最終設定。これは買ってきた時と同じ操作となる。当然IE4も削除。そして、ハイバネーションファイルを一度削除して、ハイバネーション領域にて再び設定を行う。設定後、ハイバネーションすることを確認。LANカードをセットアップし、ネスケをインストールして、またパスワード暗号化を入れて、NFSにアクセスしざっとファイルの復旧を行っておく。
 ついでに赤外線LANも設定しておこうと思ったら、なんとExtended Systemsのページ構成がちょっと変わっていて、昔落したドライバのファイルがない。かなり焦るが、なんとM4-82のHDDに落してあった。よくあったなぁと感心しつつ、引越しして以来インストールの機会がなかったはずなのに、どうしてここにあるのか謎である。インストールは以前と同じく行いすんなり入ったが、どうも起動直後に赤外線デバイスが動かないのか、ドライバが変なのか、エラーを出したり青画面になったりで不安定になる。そういえば以前HDDの32ビット転送をEnableにして以来ちょっと不安定になったような気がする。ということで再びDisableにすると、かなり安定するようになった。時々コケるが…。

1999年12月5日

 最後の2.5GBに、FreeBSDを入れる。最初は日本語化されたOpenLinuxを入れようかと思っていたのだが、FreeBSDにはPAOがあるじゃないか!ということでいきなり気が変わったのである。大阪市内の本屋でも残り少なくなったBSD Magazineを買ってきて、付録の3.2R+PAOでインストールすることにする。
 インストールフロッピーをWin95で作って、それで起動。メニューに日本語を選ぶと、その後はずっと日本語で教えてくれるのがいい。インストールにExpressとかいろいろオプションがあったが、雑誌記事のとおりにCustomを選ぶ。あとから考えると、これがいろいろなトラブルの原因だったかもしれない。
 インストールするパッケージも記事に準じて選択する。でも理解しているわけではないのでかなり適当。インストール元の指定の所で、もしやと思いつつCD-ROMを指定したもののアクセスできなかった。ということでまたX68030をNFSサーバとして起動。
 PHILOS44Cの時と同様、NFSインストールそのものは順調に進む。Xについてはちょっと心配したが、SVGAのサーバで対応しているのでそれを使う。ということで、わりとあっさりインストールは成功した。OSが三種類になったので、切り替えしやすくするためにこちらにもOS-BSをインストール。綺麗に切り替えできる。
 ユーザーとしてohishiを登録し、とにかく派手に見せられるX環境の構築を目指す。GNOMEを使おうととりあえずpackageを手当たり次第に入れて設定したが、なんだかうまく動かない。いや、panelは下に現れるのだが、開くウィンドウはタイトルなどもなく、枠もなく、みな左上に貼りついている。移動もできない。いろいろ調べてみると、GNOMEはウィンドウマネージャではなく、他のウィンドウマネージャと共に動かすものらしい。

1999年12月6日

 GNOMEを使うためにenlightenmentのpackageを入れる。なんでも、enlightenmentがGNOME対応をもっとも積極的にやっているんだそうだ。
 ということで.xinitrcにenlightenmentとgnome-sessionを書いてXを起動してみる。なんとも派手な画面なのはいいのだが、ページャ(仮想画面管理ツールと思えば早いか)がいくつも起動して、どうにもおかしい。VGAサイズの画面を考慮していないようにも思える。ユーザ単位の設定なのだろうと~/.enlightenmentの下をいろいろ見てみたがよくわからない。
 FreeBSDを啓蒙マシンとするにはコマンドラインで起動して「startx」などと打ち込んでいるのはカッコ悪い。最初にログインを聞いてくるにはどうすればいいか…と調べると、/etc/ttysを修正して、xdm -nodaemonとかある行の「off」を「on」にすればいいらしい。ということで早速修正。
 修正後「kill -HUP 1」でめでたくログイン画面が現れた。しかし、いくらログインしてもまたログイン画面に戻ってしまう。xdmのmanページ(Webでの日本語訳版)を参照しながら設定ファイルをチェックしてみるが、どうにもわからない。結局、FreeBSDを常用する知人にHELPメールを出してしまった。

1999年12月7日

 知人から返事が来る。/usr/X11R6/lib/X11/xdm/xdm-errorsにエラーメッセージが残ることと、「echo hoge 1>&2」で好きなメッセージをログに残せるということを教えてもらったので試してみる、が…よくわからない。とそのような返事を出した後、何の気なしに/usr/X11R6/lib/X11/xdm/Xsessionを覗いてみると、下のほうにウィンドウマネージャを起動するスクリプトがあった。指定されているウィンドウマネージャを探してみると、やはりない。ということでここをtwmに書きかえると、うまくログインできるようになった。ユーザーは派手に、rootはシンプルにやりたいので、各ユーザごとに.xsessionを作って、rootはtwm、ユーザーはenlightenment+GNOMEでログインできるようにした。

1999年12月某日

 enlightenmentではあまりにやかましすぎ、また設定もよくわからないので、AfterStepに変更してみる。憧れのNEXTSTEP風UI…と思いきや、これもVGAを想定しない初期設定で、右に並ぶアイコンが下を突破している。

1999年12月某日

 どうせNEXTSTEP風なら、と今度はfvwm2にスイッチ。一応VGAに収まっているようである。
 一応ウィンドウマネージャも落ち着きつつあるので、日本語環境の整備に取りかかる。packageで日本語環境に関わりそうなものを片っ端から入れる。といってもIMはCannaだけに絞って、コンソールの日本語化は見送り、さらにkinput2もCanna専用しか選んでいない。
 書籍を見ながら、なんとか日本語入出力環境は整備できそう。TrueType環境が気になるが、しばらく手を出さずに置こうとは思う。

1999年12月10日

 会社でWeb連携DBのデモにちょうどいいと思い、まずはPostgreSQLを入れることにする。packageやportとして存在しないか探したがないようなので、仕方なくソースからインストール。手順は本にあるとおりで、特に困るところはない。
 インストールのあとに行うRegressionテストではいくつかエラーがあるかもしれないという話だったのだが、実際いくつか報告される。なんか-0.00と0.00が違うとかいうものが多かったので、捨て置く。本当は浮動小数点計算の下のほうの桁が違うとか言うのもあるんだけど、まぁ今回のネタとしては浮動小数点を取り扱うこともなかろうという事でこれで完了ということにしてしまった。

1999年12月11日

 次にApacheとPHPのインストール。が、portsの一覧を見てみると「Apache+php3-1.3.9+3.0.12.tgz」なるpackageがあることがわかったので、渡りに船とばかりにこれをインストール。
 が、Apacheが起動しない。「apachectl start」と入力しても"httpd could not be started"と言われるばかり。confファイルの文法には間違いがないようなのだが…。
 ということで、また知人にHELPメール。相手も忙しそうだから遠慮しないといかんのだが…。

1999年12月12日

 返事のメールにてアドバイスをもらう。/var/log/apache.error.logを見るとgethostbynameでホスト名が参照できないとのエラーが記録されていたので、FreeBSDのFAQを調べるとhostsに書いておけばとりあえず解決するとのことらしい。hostsを修正するとApacheが動くようになった。
 どうもいろいろ設定に関する基本的な情報を知らなさ過ぎるので、控えていたのだがテクノプレスの「FreeBSD システム管理入門」という書籍を購入。ちょっとばかり古い情報もあるが、今でも十分役に立つ。

1999年12月14日

 BSD MagazineのNo.2が出たので買う。いろいろなウィンドウマネージャが紹介されていて、その中のWindow Makerに惹かれる。ということで早速packageを落してきてインストール。日本語環境にならなくて焦るが、ロケールの綴りが違っているだけだった。というかなんとなくkinput2が起動されているだけでも日本語環境と認識されるような気がする。

1999年12月19日

 Web連携DBデモ用データを作成しようと思ったが、PostgreSQLのコマンドラインが単なるシェルのコマンドラインとは違うようで漢字が入れられず、どうせならもう態勢が整っているはずのApache+PHP+PostgreSQLという組み合わせを使ってWebから入力できるようにしようと考える。
 PHPはスクリプトの結果がHTMLになればいい、という感じのHTML埋め込みスクリプト言語なのだが、まずはホームページビルダーで見た目の体裁を整え、それができたらソース画面に移ってPHPスクリプトを埋め込むという手順をとることにする。
 まずはデータ入力用フォームを作り、それをまとめてphp3という拡張子の付いたスクリプトファイルに送りこむ。まずはそれを受け取っているかをPHPスクリプトで書いて実験すると、うまくいかない…いや、これは自分がフォームの使い方を忘れていたからだ。思い出すとあとはすんなり表示できた。
 PHPのスクリプトも動いているようなので、次に肝心のデータベースアクセスに挑戦してみる。といっても基本的にはpg_connectで接続し、pg_execでクエリを与え、pg_closeでデータベースを解放するだけである。が、なんとこのpg_connectが未定義だというエラーが発生する。調べようにも、ApacheとPHPのリンク方法が書籍とpackageとでは違うようで、全然参考にならない。一生懸命探すか?と一瞬考えたが、どうせなら書籍にある手順でやったほうがいいかもしれないと思い、Apache+php3を削除し、Apache1.3.9とphp3.0.12のソースを展開、手順に従いコンパイルする。OpenLinux相手ではうまくいかなかった作業があっさり終わり、インストールしてさっきのページを試してみると、違うエラーに変化した。少なくともpg_connectはちゃんと実行されているようなので、さっきよりはずいぶんマシである。
 結果的に、フォームのhidden属性に日本語を埋め込んでおくとパラメータとして渡した先のページでうまく受け取れない問題が発生し、Webでのデータ入力はあきらめることに。コマンド列をスクリプトとしてPostgreSQLに渡すことでデータの作成そのものはすることができた。
 検索ページはもっと楽で、hidden属性に埋め込む日本語の処理方法がわかった(過剰だがあらかじめurlencode()で変換しておき、受けた側でurldecode()で元に戻すとうまくいく)のでさらに困らずにデモ画面を作成できた。Web作成ツールとの連携も効果てきめんといえる。

1999年12月23日

 XFree86を3.3.5(これまでは3.3.3.1)に上げようと考える。実はNetscapeでフォームに文字を入力しようとした際、ウィンドウが激しく点滅してキーの入力が鈍くなり、改善できないか調べていたところkinput2の2.0ではある入力のI/Fがないので不具合が発生するとのことらしいことがわかった。kinput2のportsを調べると3.0にはなっていたがXFree86 3.3.5が必要とあったので、それなら上げてしまおうと思ったのである。
 会社から借りてきたUNIX USER誌の付録CD-ROMにFreeBSD 3.3Rがあって、そのXFree86が3.3.5だったのでいっそまとめて上げてしまおうかと思い、/stand/sysinstallを起動してUpgradeを選択。が、あらゆるパッケージが展開できないと言われ、Upgradeができなかった。
 そこでせめてXFree86だけでもと思い、portsはどうだろう?と調べるとpackageではないが存在はする。ということでソースを落し、portsファイルも落して展開し、makeをかける。が、パッチが当てられないとメッセージが出る。portsでそんなトラブルは考えられないんじゃないか?ということでよく調べると、前のportsに上書きして新しいportsを展開していたのがまずかったようだ。古いパッチファイルが残っていて、必要ないのにそれを使ってパッチ当てをしようとしたのだろう。ということで一旦XFree86のportsを消し、新しいportsを展開してmakeしなおし。今度はうまくいくようだ。
 それから2〜3時間して、ようやくコンパイルが終了。インストールもそれなりに時間がかかったが、無事に終わった。そこで新しいkinput2のpackageを入れてみたが、動きに変わりはなく、相変わらず点滅する。
 どうせなら、前日調整しようとしてむちゃくちゃになりかけてた日本語の表示をなんとかしようと、TrueType環境の整備に取りかかる。つまりはX-TTのインストールである。こちらもportsを探してcommonとSVGAサーバのソースを落し、portsを展開してmake。なんとなく、XFree86をもう一度コンパイルしているみたいである。終わらないので、寝る。

1999年12月24日

 続きを会社でやろうと思ったらまだまだ時間がかかりそうだったので、家に帰ってから取りかかる。
 インストールまで、時間はかかるが問題はなかった。問題があるのは設定のほう。portsが親切にフォントのディレクトリとフリーのTrueTypeフォントを用意してくれてはいるが、とりあえずWindows95に入っているMSゴシックとMS明朝にリンクを張り、それらと共にfont.dirとfont.aliasを作成する。/etc/XF86Configにはfont.dirのありかを追加する。
 rebootしてX環境に移るが、xdmがログイン画面を表示できずに苦しんでいる。何回かトライした後、キャラクタコンソールに落ち着いてしまった。なんだろうと思ってrootでログインしstartxで起動をかけるが、fixedというフォントが取得できなくて動けないらしい。昔のフォントは消さずに残してるのに…と思いはするが、まぁ追加したところが悪いのには違いない。
 おそらくfont.aliasの記述が悪いのだろうと思って入っていたサンプルを見てみると、入っているTrueTypeフォント用の設定がひととおりされているような気がする。ということでMSフォント用の設定をコピーしたうえでサンプルをリネームする。これでstartxを実行しても文句が言われなくなったので、xdmに戻る。
 では肝心の表示はどうなるかと、Netscapeを起動してフォントを指定してみるがうまく表示されない。拡大されているはずのフォントがみな同じ大きさになっている。まだfont.aliasが不完全なのだろう。
 X-TTのサイトの使用例の項を参照してみると、Netscapeには特別のエイリアスが必要らしい。具体的には
"-dynalab-mincho-medium-r-normal--0-180-100-100-c-0-jisx0208.1983-0" "-dynalab-mincho-medium-r-normal--25-180-100-100-c-0-jisx0208.1983-0"
というようなエントリがあればいいという(二行で表示されているかもしれないが、まとめて一行のものである)。ここで"dynalab-mincho"というのは定義したいTrueTypeフォント名なので、定義の都合上"ricoh-ms mincho"などに置き換える。normalの次の数字はピクセル数で、実際に表示したい数を後の記述に、0を前の記述に入れる。その数値は次の180というのと関係していて、これを150にするならば
% xlsfonts -fn '-dynalab-mincho-*-*-*-*-*-150-*-*-*-*-*-*'
-dynalab-mincho-medium-r-normal--21-150-100-100-c-0-jisx0208.1983-0
として値を求める必要がある(その後の"100-100"というのも変化するかもしれない)。ここで得られた数値をさっきのエントリの適切な場所に書いていけばいいのである。
 font.aliasに追加してxdmを再起動(CTRL+ALT+BSを押すだけ)、再びNetscapeで確認するが…変化がない。どうにもわからない。そもそもNetscapeはどういうフォントを要求しているんだろう?
 さっきの使用例にあったfont.aliasの設定で、エントリの前の部分と後の部分の両方を変更していたのだが、そうすることでNetscapeがフォントを見失うことはないのか?もしかすると…ということで、前の部分をフォント名だけの変更に止め、後ろの部分をxlsfontsで求めた数値に書換えるようにしてみた。すると、今度こそNetscapeの表示がきれいに拡大されるようになった。なるほど、そういうことか…。

1999年12月26日

 FreeBSDのバージョンを上げる。前日本屋にて「アップグレードは新しいシステムの起動フロッピーで起動してメニューのUpgradeを選択する」などという記述を見つけたので、ようやく手順らしきものが理解できたのだ。
 3.4Rのファイルはひととおり落したのだが、PAOがリリースされてないのでひとまず3.3Rへ上げることにする。PAOのサイトを見るとUNIX USER誌に付録していたPAOより新しいものが出ているとのことなので、そちらを落すことにする。が、落したファイル"PAO3-19991220.tar.gz"の中身を見ても起動フロッピーが見当たらない。そこでFTPサイトをうろついてみると、そことは違う"flp"ディレクトリにフロッピーイメージがあった。1220よりは古い日付だが、雑誌付録よりは新しい。落した後、M4-82ではフロッピーに書きこみできないようなので、mobioを一旦Win95で再起動した後そこに転送し、書きこむ。
 作成したフロッピーで再起動。手順はおおよそインストールのときと同じだが、パッケージの選択ではなくUpgradeを選ぶ。ちゃんとしたUpgradeではやはり動きが違うようで、マウントポジションの選択などにもちゃんと移行する。
 こちらでもパッケージの選択はあるのだが、「全バイナリとソース」を選んだところソースはすでにあるからタッチしないなどと言われた。Xを選択しないのはせっかく自分の手作業(portsだけど)で上げたXFree86+X-TTを無駄にしないため。インストール元のNFSサーバの情報の入力の時にキーマップが英語なのに気づいてステップを戻したせいかインストーラの動きがおかしくなり、最初からやりなおした以外は順調に進んだ。
 しかし最後に「以下のパッケージが展開できませんでした:paobin paosrc」などというメッセージが出て、びっくりする。PAOサポートの起動ディスクなら入るものと思っていたのに、どうやら違うらしい。
 まぁそれでも滞りなく作業が終わったので、再起動してみる。一応起動しているようだが…PCカードをイネーブルした時の音が聞こえない。やっぱりカーネルがPAOのものに置き換わってないのだろうか。試しにX68030に対してpingしてみると、全く応答がない。ううむ、ネットワークにつながってないのはつらい。
 そういえばなんとなく起動時のメッセージの中で「3.2-RELEASE」という文字が流れていったような気がする。paobin,paosrcの準備がてらメッセージを確認してみると、やはりカーネルはまったく置き換わってなかった。/kernel.PAOの日付も古いので、PAOのカーネルが用意されなかったことになる。PAO-FAQによるとPAOインストール後にPCカードを認識しないのはカーネルが置き換わってないかpaobin,paosrcがインストールされてないかららしい。私の場合は両方なのだが、果たして新しいカーネルはどこから持ってこられるものなのだろう。と思いフロッピーの中身を見てみたがカーネルは圧縮されていてそのものズバリとは言えないようである。
 まぁカーネルはあとから考えるとして、とりあえずpaobinとpaosrcをインストールすることにする。一旦FreeBSDを抜け、Windowsにてセットになっているファイルを転送し、再びFreeBSDに戻ってそれを適当なところに展開して、sysinstallのConfigre→Distributionからpaobinとpaosrcを選択するとすぐインストールされた。
 インストールが終わったところで/を見てみると、日付の変わった/kernel.PAOがあった。相変わらず/kernelの日付は変わってないので、これを手作業にて置き換える。これで、3.3RのPAOカーネルが起動するようになった。
 UNIX USER誌のCD-ROMをよく見てみると、paobinとpaosrcがbinやdocなどのディレクトリのところにない。なるほど、PAOの起動フロッピーからだとここを見るのだが、元々がPAOなんてないのでそういう構成になってしまい、インストールされないことになるようだ。3.4Rはpackage以外は落してあるので、PAOがリリースされたらそのようにファイルをそろえることにしよう。

1999年12月28日

 ふと、kinput2の3.0インストール時に2.0を消していないような気がしたので確かめてみると、やっぱり残っていた。もしかしたらkinput2のバージョンを変更してもNetscapeのフォームに入力する時にウィンドウが点滅したのはこのせいかもしれないと思い両方消して3.0を入れなおしてみたが変化はなかった。
 ちょっと悔しくなってFreeBSDの検索サイトを調べてみると、なんだかWindow Makerとkinput2のフォーカスについての問題があるとかで、次のように設定を変更すると直ったという報告があった。
 まず~/GNUstep/Defaults/WMWindowAttributesに次の内容を追加。具体的には最後の"}"の手前に入れる。
modeShell.Kinput2 = {
NoTitlebar = Yes;
NoResizebar = Yes;
NoCloseButton = Yes;
NoMiniaturizeButton = Yes;
Unfocusable = Yes;
};
selectionShell.Kinput2 = {
NoTitlebar = Yes;
NoResizebar = Yes;
NoCloseButton = Yes;
NoMiniaturizeButton = Yes;
};
次に~/.Xresourcesに次の内容を追加。自分は~/.Xdefaultsにリソースを書いているので、そちらに追加した。
*OverTheSpotConversion.UseOverrideShellForMode: true
 この修正を施した後一旦セッションを抜けてもう一度ログインし、Netscapeにて確かめてみると、例の点滅現象は解消していた。やっぱり調べてみるものだ。

2000年1月14日

 M4-82のモニタが壊れてしまったので、少しの間だけメインマシンになる。といってもメールとWebのチェックくらいであるが。戻ると調子悪いこともあって、すっかりWin95ではなくFreeBSDの生活に染まっている。
 が、さすがにjvimでは日本語の入力が不便(なんとなくEUCコードの表示に対応してるだけで、2バイト文字に関する取り扱いに甘さがある)なので、前から考えてた「VJE-Pen」をインストールする。
 VJE-Penはソースが公開されているのでそれを落してきて展開し、コンパイルするだけである。configureはLinuxとFreeBSDに関してのみ自動判別してmakefileを作成してくれる。makefileができたらそのままmake、さらにmake install。インストール先のディレクトリを作成してくれないので、自分で作って再びmake install。
 起動してみると、昔使ったVJE-PenがX Windowに現れた。と言いたいところだが、10年以上前に使ったきりなのでもうかなり忘れている。まぁカーソルの動きも日本語入力も快活なので、とりあえずよしとするしかない。ちょっと問題があって、なんだかDOS時代からの単なる移植なのか、ファイル名が8.3しか受け付けないらしい。ま、ニフチとかの書きこみ程度なら問題なかろう。

2000年3月28日

 MZ-700エミュレータ"mz700win"が一応の開発終了という事で、mobioにも落しておくことにする。前から入れてはあったが、HDD交換後ショートカットなどは作っていなかった。
 …という作業をする前に、Win95があまりに不安定で使えない。青画面の連続、そして再起動。赤外線デバイスの問題なのはわかっているので、とりあえずFIRドライバを消してしまう。途端に安定する。昔はまずMSのSIR IrLANドライバを入れて、そのあとFIRのものを上書きで入れたので、復活させる時はこの順番を守ることにしよう(実はMSのドライバのフロッピーが探し出せてなかったりする)。

2000年3月29日

 BeOS5 Personal Editionがフリーで公開されたので、mobioに入れることにする。Windows95のファイルの形で512MBの「パーティション」を作り、その中にBeOSの環境が構築されるということのようである。
 ダウンロードには40分くらいかかった。計42MBくらい。開発環境は別に落す必要がある。ftpサイトには"BeOS4Linux.tar.gz"なるファイルもあるが、調べるとLinuxのext2パーティションで使用するBeOS5らしい(無保証とのこと)。
 mobioに転送してインストールファイルを起動。ごく普通のアプリのようにインストールが進み、なんの問題もなく終了。ここから"Start BeOS 5"のショートカットをダブルクリックすると、Windowsが終了し、BeOSが起動した。真っ暗なままの時間が長かったのでちょっと焦ったが、それは問題ない。問題なのは起動したデスクトップ。画面の下80ドットくらい?が表示されていない。画面設定を見るといくつか解像度が選択できるが、それを設定しても表示されないし、元の画面に戻っても変化はない。画面が狭いのではなく、領域は存在するが表示されないだけのようではある。
 仕方ないのでしばらくこのままセッティング。まずLANだが、3ComのPCカードはBeのサイトで見ても使えそうになかったので、AcctonのEN2212をスロットに入れる。ネットワークの設定で"NE2000 Compatible"を選択してIPアドレスを入れ、アダプタのリスタートをするが初期化に失敗したとの表示が出た。そこでいろいろユーザーのサイトを調べてみると、手で設定する必要があるらしい。
 まずTerminalで
cardctl ident
と入力する。カードのタプルにある情報が読み出される。EN2212の場合はこんな感じ。
Socket 0:
 product info: "ACCTON", "EN2212", "PCMCIA-ETHERNET", "R05"
 function: 6 (network)
次に、この情報を元に/boot/home/config/settings/kernel/drivers/pcmciaを編集して次の内容を書き込む。最初はこのファイルはなくpcmcia.defaultというのがあるが、これをpcmciaにコピーして編集してもいいだろう。
card { # ACCTON EN2212
     version "ACCTON" "EN2212" "PCMCIA-ETHERNET" "R05"
     bind etherpcmcia
}
再起動してみると、ネットワーク設定でこれがメニューに現れ、初期化もできた。NetPositiveにてWebアクセスもできる。が、自分のトップページを表示して仰天。日本語の文字が全部四角で表示されているのだ。エンコードはちゃんとできるようだが、フォントがないらしい。

2000年3月30日

 昼休みに再挑戦。調べてみると、最近のBeOSはVESA BIOS Extensionを使用して起動することもできるらしい。画面設定ではXGAまでの解像度の選択肢はあったが色は256色のみであった。これが増えると嬉しい。
 VESAモードはsafeモードで使うらしい。起動時にshiftキーを押しっぱなしにし、メニューが表示されたらsafeモードオプションで"Use fail-safe video mode"をチェック、ビデオモードの選択で640x480x16を選択してブートを継続すればVESAモードになる。これだと、画面の下が表示されないということはない。画面設定でも他の選択肢はないが16bpp(65536色)になっている。GLTeapotで比較すると、専用ドライバよりVESAの方がパフォーマンスがいいと表示される。VESAの方が遅いものと思っていたが、これはなめられん…とは思ったものの、よく考えると色数が増えたので減色処理が軽くなったせいではないかと気がついた。
 それはともかく、VESAモードで起動するためにいちいちsafeモードのメニューを出すのは面倒なので、設定をしてみる。/boot/home/config/settings/kernel/drivers/vesaというファイルに以下の行を付け足す。sampleフォルダの下にもvesaというのがあるがこれをコピーするといいだろう。元からあるのはコメントで説明しているだけのもの。
mode 640 480 16
これで再起動するとVESAモードに…ならない。うーむ、どうやらデスクトップ環境である"Tracker"は専用ドライバがあればそれを優先して使用するようになっているらしい。safeモードではそれが無視されるということのようだ。どうやって専用ドライバを消してしまおう…。
 それはそうとして、Beメニューの電源オフでは電源が切れない。/boot/home/config/settings/kernel/drivers/sample/kernelというのがあったので中を覗いてみると、
# apm true
という行がある。kernelには設定できる項目が全てコメントアウトした状態で書かれてある。そこでこれを/boot/home/config/settings/kernel/drivers/kernelにコピーして上記の行のコメントを削除し再起動してみるとBeメニューの内容が変わり、終了処理のところに「Restart」「Suspend」「Shutdown」が並んだ。Shutdownを選択すると終了処理後自動的に電源が落ちる。
 APMが有効になったということでSuspendが使えるかと期待したが、確かにSuspendになるが復帰後リブートしてしまう。
 BeOS5はWindowsのファイルだけでなくBeOSのパーティションに入れても使える(方法は裏技っぽいが違反行為ではないらしい)、さらには4.5のシステムに上書きすると設定を引き継ぎ日本語環境も従来通り使えるという報告があった。さらには4.5時代に、日本語環境を入れ忘れた人のための手作業による追加インストールの解説も発見した。この情報と方法を組み合わせると、BeOS5でも日本語環境を構築できそうだ。別のページには「へた字フォント」というフリーのTrueTypeフォントとCannaを移植した「CannaIM」というのを入れることによる環境構築が紹介されていたのだが、4.5のCD-ROMから持ってくるほうが純正に限りなく近いはずである。
 BeOS4.5のCD-ROMを直接読めるほうがいいに決まってるので、まずはポータブルCD-ROMドライブの認識に挑戦するが玉砕。情報を探してもあまりかんばしい話は見つからないのでこだわらずにLANで転送するためネットワーク設定を変更してFTPサーバを有効にした。このあとM4-82からftpで送ればいいと思ったのだがWinから見えるCDの内容がBeOSのシステムとは違うことがわかり、M4-464SのBeOS4.5から行うこととした。
 CD-ROMにある日本語環境は/BeOS R4.5 x86/_packages_/japanese/以下に圧縮されないで入っている。ここがHDDの/boot/に相当するので、あとはCD-ROMにあるツリー構造を守りながらHDDへ転送すればよい。ツリー構造は以下のようになっている。
/BeOS R4.5 x86/_packages_/japanese/beos/etc/fonts/ttfonts/Haru.ttf
/BeOS R4.5 x86/_packages_/japanese/beos/etc/fonts/ttfonts/Haru_Bold.ttf
/BeOS R4.5 x86/_packages_/japanese/beos/etc/fonts/ttfonts/Haru_Tohaba.ttf
/BeOS R4.5 x86/_packages_/japanese/beos/etc/yomi.dic
/BeOS R4.5 x86/_packages_/japanese/beos/preferences/Japanese
/BeOS R4.5 x86/_packages_/japanese/beos/system/add-ons/input_server/methods/japanese
/BeOS R4.5 x86/_packages_/japanese/home/config/be/Preferences/Japanese※
/BeOS R4.5 x86/_packages_/japanese/home/config/settiings/fonts_status
/BeOS R4.5 x86/_packages_/japanese/home/config/settiings/user.dic
/BeOS R4.5 x86/_packages_/japanese/preferences/Japanese※
※印のついているものは/boot/beos/preferences/Japaneseへのリンクである。
 いざ転送を始めたがこれがやたら遅い。BeOS to BeOSだからか?Hubがカスケードしてるからか?ひとつずつ転送していたのでは寝る時間がなくなるという事で、複数のftpクライアントを立ち上げて同時に転送し、その間に寝ることにした。リンクは翌日張ることにする。

2000年3月31日

 朝転送が終わってるのを確認して、会社に持っていき昼休みにリンクを張る。ところが、ツリー構造が思い出せないので迷う。適当にリンクして再起動すると、Beメニューにキーボードが現れ、クリックするとメニューが出たり日本語入力状態になったりする。表示もうまくいくし、一応成功した模様である。
 VESAモードの方は、どうもビデオドライバが/boot/beos/system/add-ons/app-server/にあるらしいことがわかったので、これを消すなりなんなりすればVESAモードになるかもしれない。見ると"neomagic"というのがあるのでこれをリネームしてneomagic0などとしてみたりもしたが効果がない。よく考えるとこのドライバを使うよう特別に指定する設定ファイルも見当たらないし、もしかするとここにあるドライバを順に試して使えそうなものを使っているのかもしれない。ならばこの場所からどければいいのか、ということでbackupなるフォルダを作ってここにneomagicを移動して再起動すると、ようやくVESAモードで動作するようになった。

2000年4月1日

 先日赤外線LANのドライバを削除した時に余計なものを消したらしく、TCP/IPが通らないことがわかった。一旦削除してドライバを再インストールしてしのいだ。

2000年4月8日

 Linux用のMZ-2000エミュレータなるものを発見。FreeBSDのLinuxエミュレータで動かせればと思いコンパイルに挑戦。
 ライブラリとしてGTK+とlpthreadが必要らしい。portsで調べてみると両方ともあるようではある。ただしpthreadはlinuxthreadが該当するようだ。話によるとこれはFreeBSD4.0用らしいが、とりあえずインストールしてみる。
 …が、その前にいろいろ入ってなかったものがあってそのインストールに時間を取られる。GTK+はgettextとglibとlibtoolが必要だが、このうちlibtoolが更新できない。別のツールから使われているらしい。仕方ないので強制的に削除し、新しいのを入れる。linuxthreadは特に依存関係はないように見える。
 linuxthreadのインストールは、makeするといろいろエラーが出るのだが、それの修正の仕方がわからない。よく見るとconfigureがあったので実行してみたが、すぐ処理が終わってしまう。中身を見るとただメッセージを出すだけのconfigureで、何の意味もなかった。ドキュメントを見るといろいろセクションがあってそれを変更しろと書いてあるように思えるのだが、セクションのあるはずのMakefileにはそれらしき記述はない。やっぱりFreeBSD4.0にしないとだめか…。

2000年4月10日

 UNIX USER誌5月号にFreeBSD4.0が収録されていたので、思わず買ってしまう。買ったからには、入れねばなるまい。
 アップグレードは、FreeBSD3.xの時とほぼ同じ手順でできる。今回からPAOなしでかなりのPCカードに対応できているという話らしい。起動ディスクを作ってブートするが、PAOではないので日本語は出ない。
 一応3.3Rへのアップグレードの時と同じく、X以外ソース込みという構成でアップグレードする。見た目には問題なく成功のようだ。で、/etcの下にあるファイルはmergemasterというツールが以前のものの設定を引き継げるよう半自動でいろいろやってくれるらしいので、実行してみる…が、なんだかいろいろ見つからないようなことを言ってうまくいかない。アップグレードが中途半端だったから?でもXまで上書きするとせっかくのX-TTが…。
 と逡巡したが、ここで終わっても中途半端なのでXとまとめてアップグレードしなおす。正確には追加パッケージとしてAllを選んだだけであるが。このあとmergemasterを実行してみると、先ほどのようなメッセージもなくうまく終了したようである。/etc/ttysが書き換わっていたのでxdmを有効にしてリブートすると、一時マウスを見失っていたようだが再設定してログイン画面が現れ、ログインしてNetscapeを確認。やはり、スケーラブルフォントは消えていた…。

2000年4月11日

 UNIX USER誌5月号には、XFree86 4.0も収録されている。XFree86 4.0のウリはいくつかあるが、そのひとつにTrueType対応というのがある。手っ取り早く入れてしまえば、X-TTを再構築しなくても十分なXの環境を手に入れられる。XFreeのサイトで調べるとNeoMagicのチップセットの対応は以前のXFree86と変わりないので、安心できる。
 CD-ROMをNFSマウントしてインストールしにかかるが、どうも書き込めないとかいって進まない。どうもおかしいのでUNIX USER誌のサイトで確認すると、一旦適当なローカルディスクにコピーしなければならないらしい。バグかな。コピーの後は順調に進む。
 XFree86 3.xの時代ならインストール終了後にグラフィカルな設定ツールを起動するのだが、4.0にはまだそんなツールがないという事でXF86Configは手で修正しないといけない。大昔、PHILOS44CにLinuxを入れたときを思い出す。
 で、ある程度自動で認識してXF86Configを生成させることはできるので、それを少し修正してXを起動してみる。一応大丈夫のようである。
 Xの環境をxdmに移行してユーザー用環境のWindowMakerを立ち上げたところ、なんとアイコンが汚い。色が少ないらしい。色の設定を変更し増やしてみるが、256色以外にならない。というか、これは256色だろうか?16色に見えるが…。

2000年4月某日

 BeOSのNetPositiveにて、試しにプロキシのFTP設定にWinGateのアドレスを入れてみたら、Web経由のFTPアクセスができた。いや、できるはずだとは思ってたんだが、なんとなく設定してなかったというか、できないと思いこんでいたというか…。

2000年4月某日

 そーいやWindowMakerを入れてからそれなりに日にちは経ってるし、確認してみるとバージョンが上がってるようなので、アップグレードしてみることにする。portsを引っ張るのにこれまではWin98でダウンロード→NFS/SAMBAサーバに転送→NFS/SAMBAサーバから取り出し、という手順を踏んでいたのだが、portsそのもののmake実行でFTPから自動的に落してこれるように変更することにした。先日のプロキシ経由FTP成功の余波である。
 いろいろ調べてみると、fetchというコマンドを使って落してくるようである。コマンドそのものはMakefileの中で実行されるのでオプションなどは特に気にしないでいいらしい。ではプロキシはどこに?ではmanで調べることにしよう。
 manによるとFTP_PROXYなる環境変数を設定すればいいらしい。ということで早速
set FTP_PROXY 192.168.1.82
としてみた。が、設定がないときと同じ動きをしているように見える。プロキシのアドレスに':80'と追加したりもしたが効果がない。環境変数はちゃんと定義されているのだが…。もしや定義のし方が悪いのかと
setenv FTP_PROXY 192.168.1.82
としてみると、ようやくアクセスした。ま、わかってみればこんなものか…。
 と、portsに気を取られて肝心のWindowMakerのアップグレードを忘れていた。portsの中でmakeを実行するとさっき設定したように必要なファイルを自動的に取得してコンパイルする。エラーらしいエラーがないのを確認してからmake installでインストール…やはり、256色のままか。これはやっぱりXFree86 4.0が本来の性能を発揮できてないということらしい。
 その後XF86Configをいろいろ睨んで値をいじり、トライしてみるがまったくうまくいかない。やはりneomagicドライバが看板通りには動いていないということなのかも…。

2000年5月某日

 TRONWARE最新号を買ってみると、CD-ROMが3枚ついていた。うち2枚はVine Linux(超漢字開発環境構築用)、もう1枚はBTRONのデータ(でも普通のISO9660なのでファイル変換しないと使えない)。アップデータも入っていたのでチャンスとばかりにバージョンアップした。細かいトラブルとフォント追加ぐらいなのであまり楽しくないが…。でもいいかげんECHOS44Cの方もアップデートしてあげないといかんな…。

2000年7月某日

 「超漢字2」発売を目前にして、アップデータとサウンドドライバがパーソナルメディアのサイトで公開された。アップデータはとりあえず置いておいて、サウンドドライバを試してみる。一応SoundBlaster互換なら使えるらしく、mobioNXは互換とされているES1869なので大丈夫だろうと踏んでのこと。
 プロキシがftpに対応してないのでBBBから落せず、M4-82から落してftp転送…あれ?以前ファイル転送のFTP接続を使ったときとは見えてるディレクトリが違う。つながっているようではあるのでハード的なトラブルではないように思うが…とよく考えると、これはユーザーでログインした時のhomeのディレクトリであった。そうか、ユーザーでログインしてもrootに入ってしまうのが改善されたらしい。
 さて、転送後に解凍して登録してみる。I/Oアドレス一覧によるとサウンドドライバが使用するアドレスが表示されているので、望みが持てる。ドライバの入っていた実身内にツールもあったので起動してみると、見事に鳴った。が、音量が制御できないようで、下げても大きいままのように聞こえる。まぁ、鳴るだけでもすごいことと納得するか。

2000年11月23日

 「超漢字2」はとっくに発売になっていたのだが「超漢字」のユーザー登録を忘れていたりなんだかんだするうちに買うのを忘れていたので、アップグレード版を直販で購入。それが届いたのでバージョンアップにとりかかる。といっても付属のフロッピーで起動してCD-ROMから上書きインストールするだけ。今までと特に変わらない。
 インストールが完了して再起動してみると、人から聞いていたように表示速度とか少し向上しているように思える。あ、ACアダプタつけてなかったらしんどいかな…。

2000年12月9日

 LOOXへのバトンタッチを控えて、元の環境に戻す。交換したHDDを元の1.6GBに戻して、リカバリ。6.4GBの方は新たに調達したNOVACのHardDiskStationという「PCカードATAに変換する箱」に収めた。以後、mobioについての作業は発生しない、はず。