入選 高学年の部
笑顔の源!私のひいおばあちゃん
兵庫県 仁川学院小学校
五年深川
雪乃
お母さんのお母さんのお母さん。
つまり、私のひいおばあちゃんは、今年九十八才。まっしろな髪の毛とまっしろな肌をもった、ほわっとしたかわいい顔のひいおばあちゃんだ。 見ためとは違って、しっかり者のひいおばあちゃんはいつもみんなのことを考えてくれる。 すぐ近くに住んでいるため、私が赤ちゃんの時は、お母さんを手伝って私のお世話に毎日来てくれた。 足を使わないと寝たきりになるからと、日課である早朝の散歩をしていて事故にあってしまい、足が不自由になってしまったが、今でもとっても元気だ。
そんなひいおばあちゃんだが、何年か前から少しずつ、人の顔を思い出せなくなったり、ものを覚えていることができなくなった。これは、事故のときに受けた手術の麻酔のえいきょうもあるらしく、私はそれが残念で仕方ない。
「おばあちゃん、いま何才やったっけ。」と聞くと、「えーっと・・・五十六才ぐらいやったかなあ・・・。」と一生懸命に考えて答える。 五十六才だと、娘である私のおばあちゃんより若くなってしまう。 その場にいた全員が大笑いした。 毎年、春と秋に面接に来る市の職員さんが部屋に入ってきたときには、いきなり知らない人が現れてよほどおどろいたのだろう、なぜか警察の人だとかんちがいしてしまい、「あの、私なんにも悪いことしてませんけど・・・」とオロオロした。 もちろん、市の職員さんも思わずにっこりである。
終戦前年の一月。 ひいおばあちゃんが、生後一週間のおばあちゃんをおぶって雪が降り積もる中を大勢の人とともに岐阜まで逃れたとき、ようやくの到着にほっとしてふりむくと、背中の赤ちゃんは息ができず、真っ青な顔をしていた。 びっくりしたひいおばあちゃんは、必死で赤ちゃんの体を温めたそうだが、自分のほうが死ぬかと思うほどこわかったと言う。 もしも、あの時ひいおばあちゃんが気づかずにいれば、今私はここにいなかった。 そう思うと、六十年以上も前の出来事と、今の自分が決して無関係ではないんだなぁと思う。
ひいおばあちゃんは、昔のことならいろいろなことを覚えている。そして、目をきらきらさせながらそのころの話を聞かせてくれる。 私には、それが少し不思議だ。
そして不思議なことがもう一つ。この最近、自分の弟や子供や孫の顔も思い出せないことがあるひいおばあちゃんだが、ひ孫である私の顔を忘れたことはないのはなぜだろう。
「ゆきちゃんかぁ、よく来たねぇ。」この言葉を聞くと、私はいつもうれしくなる。
私は毎日少しずつ大きくなるけれど、ひいおばあちゃんはだんだん赤ちゃんみたいになっている。 今度は私がお手伝いする番だ。
ひいおばあちゃん、ありがとう!
朝日新聞の 「いつもありがとう作文コンクール」で入選されましたよ
おめでとう