親心。



 月明かりが夜の街を照らしている。
 既に日付も変わり、窓から見下ろす街並みにも夜のとばりが降りている。
 更けゆく夜闇の中、数少ない微かな明かりが灯る窓辺に、一人の青年が佇んでいた。
 宿の窓から、静まり返った街全体を見るともなく眺めていた彼は、背後に人の気配を感じ、素早く振り向いた。
 視線の先にあったのは、ひとつの影。
 既に馴染みとなった小柄で秀麗な顔立ちの少年の姿を認め、青年――ジョニーは意外そうな表情を浮かべる。
「おや、どうしたんだ?」
「話がある」
 淡々としたリオンの声には、感情が伺えない。ゆえに、話の内容も推測しづらくなる。
「話?」
 鸚鵡返しに問いかけたジョニーへ、少年は右手を軽く掲げた。正確には、右手に持っていたものを。
「僕じゃない。こいつがな」
 リオンの右手には、フィリアが常に携帯している大振りの剣が握られていたのである。


 アクアヴェイルに辿りつき、先へ進むにつれて、フィリアは物思いに耽ることが多くなっていた。
 普段は自身の役目をこなしているのだが、休憩時など時間に余裕ができると、つい色々考えてしまうのである。
 皆で食事を摂った後、部屋に戻っても落ち着かず、フィリアは気を紛らわせる意味を込めて人気のない屋上に赴いてみた。
 だが、異国の空に広がる星を目の当たりにしても気持ちを切り替えることができず、彼女は夜に浮かぶ家々の明かりをぼんやりと眺めていた。
 すぐ傍らのクレメンテも、彼女の思索を邪魔せぬよう、ただ沈黙を守っている。
 幸い、周囲に人影はない。
 フィリアは手すりに両手をのせ、頬を撫でるやや肌寒い風に目を細めた。
 その時。
「風邪を引くぞ」
 弾かれたように振り向いた彼女は、月明かりの逆光の中に目立つシルエットを持つ青年の姿を認め、緊張を解いた。
「ジョニーさん。どうなさったんですか?」
「なに、夜風にあたろうかと思ってね」
 言いつつ彼はゆっくりと歩み寄る。
「いい風が吹いてるな」
「そうですね……」
「アクアヴェイルは今が一番いい時期でね。もうすぐやってくる雨の季節なんて、外に出られなくなって鬱々としちまうもんさ」
「………………」
 隣に立った青年から、フィリアは視線を外した。
 先程と同じ位置から街並みを見おろす。
「色々考えるのも大切だが、たまには息抜きもどうかな?」
 言いつつ、彼は右手に持っていたグラスを差し出した。明るい緑の液体に満たされたカクテルグラスである。
「え……お、お酒ですか?」
「軽いものさ。俺なら飲んだうちにも入らない」
「……それはジョニーさんがお飲みになる方だからでは……」
 よくよく見ると、ジョニーは左手にもグラスを持っている。こちらはやや大きく丸みを帯びたもので、中を満たしていたのは赤みがかった茶色の酒だった。色合いから想像するに、強そうである。
 自然な動作に誘われるようにグラスを受け取りながらも戸惑いを隠せないフィリアに、ジョニーはそっと微笑んだ。
「綺麗な色だろう?」
 フィリアは改めてグラスへ目を向けた。澄んだ若草色は、その名の通り自然の緑を思い起こさせる。
「そうですね。春に芽吹く緑のような色ですわ」
「君の髪のような、ね」
 きょとんとするフィリアに、彼はやわらかな笑みを向けた。
 再びカクテルグラスに視線を落とすと、甘い香りが鼻腔をくすぐった。
 フィリアは手にしたグラスをそっと傾ける。
「あら……」
「いかがかな?」
「本当に、ジュースみたいです」
 驚く彼女にジョニーは悪戯っぽくウインクした。
「慣れないと回っちまうだろうし、今日はそれ一杯で。お気に召したら他のものも紹介しよう。ま、いざとなったら部屋まで送ってやるからさ」
「ありがとうございます」
 特に何かを打ち明けるわけでもなく、ただ言葉を交わしただけだったのだが、いつしかフィリアの口元に笑みが浮かんでいた。
 夜のテラスで星明かりのもと、静かに時が流れ……。
『おい、フィリア!』
 意識に直接響く声が、その静寂を破った。
 フィリアの瞳が手すりに立てかけていた大剣へ向けられる。
「クレメンテさん?どうなさいましたか?」
『どうではないわ!年頃の娘が無防備すぎるぞ!!』
 穏やかな彼女の声とは逆に、クレメンテのそれは妙に尖っていた。
 しかし、フィリアにはその原因の見当が付かない。
「あら、見ず知らずの方でしたらともかく、ジョニーさんは仲間ですよ?とてもいい方ですわ」
『何を言うとる、そもそも男というものはだな…』
「どうかしたかい?」
 突然うつむいたフィリアに怪訝そうな声がかけられる。
 彼女は慌てて顔をあげた。
「いいえ、何でもありませんの。いただきますわね」
 自身の顔を覗き込むようにしていた青年へにっこりと微笑むと、フィリアは再びグラスを傾けた。


『……でもさ、いきなりそんなことを言われても……』
『事は急を要するのだ。何よりお主らの力が必要なのもわかるだろう?』
『そりゃ、クレメンテ老が心配する気持ちも、わからなくはないんだけど……』
 応じる声は、歯切れが悪い。
 それも無理のない話なのだが、今クレメンテが頼ることのできる相手は彼だけだった。
 結局、その夜のフィリアは酔いつぶれることもなく、ジョニーと歓談しつつ少しばかりの酒を飲み、クレメンテを手にしっかりした足取りで部屋に戻っていた。
 ──確かに、クレメンテの見る限り、おかしな事はなかった。
 しかし、年頃の娘の保護者として、放っておける問題ではない。
 フィリアにそれとなく注意をしたものの、彼女は全く警戒心を持っていないため、まるで効果がなかった。
 ならば直接釘を刺すまで、と勢い込んだは良かったが。
「……何故僕がそんなくだらないことに付き合わねばならないんだ」
 至極もっともな発言の後、リオンはクレメンテを睨め付けた。 
『おぬし以外に適任者がおらんのだ』
「馬鹿馬鹿しい」
 スタンやルーティ、フィリアが眠るのを待ち、クレメンテが協力を仰いだのは、残されたソーディアンとそのマスターだったのである。
 普段から夜の遅いリオンは、食事を終えてすぐに眠りこけたスタンを横目に、今宵は本を読んでいた。
 そこへ、クレメンテが話を持ち込んだのである。
 無論、昨夜のうちにシャルティエに協力を取り付けた上で。
『ご、ごめんね、坊ちゃん。でもクレメンテ老にどうしてもって説得されて』
 リオンはシャルティエに冷たい視線を向けた。
 そして、そのままクレメンテに背を向け、部屋を出ていこうとする。
『待ってくれ、リオン・マグナス!』
 数歩進んでいた少年の歩みが止まった。
『勝手を言っておるのは百も承知だが、他の者には頼めんのだ』
 フィリアが想いを寄せるスタンのソーディアン・ディムロスには話を持ちかけることは出来ない。アトワイト個人ならば相談もしやすいのだが、やはりマスターが問題だった。ルーティに詮索されたあげく、フィリアの気持ちが表沙汰になっては困るのだ。
『確かに過保護かもしれんが、わしはあの娘が心配でならんのだ。直接あの男に話をつけたいが、我々はマスター以外の人間とは言葉を交わすことができん。協力してもらえんか』
 切々とクレメンテが訴える。
 ここで、横あいからもうひとつの声が発せられた。
『坊ちゃん、今回だけ協力してあげられないかな……?』
 リオンが腰の剣に視線を落とす。
 あまり表情の変わらない少年だが、今の彼が不機嫌なことはクレメンテにもわかった。
 しかし、シャルティエは遠慮がちながらも言葉を継ぐ。
『僕もクレメンテ老も、今のマスターは1000年目に出会えた人だから……出来る限りのことを、したいもの』
 ふと、リオンの表情が動いた。
 そのまま視線を窓の外に移したため、ソーディアン達にはその変化を伺い知ることは出来なかったが。
 緩やかに流れる雲が、月明かりにおぼろげに見える。
 しばし沈黙の後、リオンはクレメンテを見やった。
「今回限りだからな。これ以上うるさくされるのは厄介だ」


 リオンはクレメンテを指し示した後、壁に立てかけると、端的に用件を述べた。
「“昨晩の一件”でクレメンテが危惧を抱いたらしい。マスターであるフィリアに余計なちょっかいをかけるなということだ」
「成程」
 ジョニーはひとつ頷いて微苦笑を浮かべた。
 ソーディアンなるものについて話は聞いていたのだが、これほど過保護な存在であるとは知らなかったのである。
 そういえば、カクテルを勧めたとき、フィリアが何事かを囁いていたようだったが、どうやらそれはこの保護者に対するものだったらしい。
「それだけだ」
 ジョニーが話を理解した事を見て取り、リオンは身を翻す。
 あまりにもあっさりとした引き際に、ジョニーが彼を呼び止めようとした。
 と。
 リオンはちらと壁の大剣を一瞥した。
「僕は伝言を頼まれただけだ。用件は済んだ」
「っと、ちょい待ち!ひとつ聞きたいんだが」
 放っておけば自室に戻ったであろう少年を、ジョニーは慌てて引き止める。
「何だ」
「ソーディアンに俺の声は聞こえるのかな?」
「ああ。聞こえている」
 リオンは短く応じると、今度こそ本当にその場を立ち去った。
 ……残されたのは、山ほど文句を抱えているにも関わらず、意思の伝達が出来ない剣と、もう一人の当事者たる吟遊詩人のみである。
 ジョニーはしばし考えこんだが、やがて大剣に向き直ると、改めて話しかけた。
「昨夜の事が軽率に見えたなら謝ろう」
 傍で見る人間がいたならば、奇妙な状況に近づくのを躊躇ったかもしれない。
 だが、他に方法がないのである。
「彼女を見ていると、励ましたくなってね。元気が無かったし、気持ちが沈んでいるようだから声をかけたんだが、二人きりの時に酒を勧めるのはやめにするよ。俺としてもそういう誤解をされちゃあ、かなわないしな」
 励まし方も色々あるだろうし、と内心で付け加える。
「あんたにしてみりゃ得体の知れない男が何を言うって感じかもしれないが。……まぁ、見守りたいって思っていることは心の片隅にでも留めておいてもらえるかな」
 当然だが、大剣は何も言葉を発しない。
 意志の疎通の出来ない相手が何を思い、考えているのかなど常人には計り知ることはできないが。
「ちょっと失礼」
 ジョニーは大剣を手に取った。
 予想に反して軽かったが、それでも女性の手には少々余るだろう。
 扱い難い剣を手にしている事それ自体が、彼女の決意を表しているのではなかろうか。
「取りあえず、今日は俺たちの部屋で休んでもらえますかな」
 無論、返事は無い。
 しかし、ジョニーは了解を得たものとみなすと、大剣を手にしたまま自室へと引き上げていったのである。


『……クレメンテも大変ね』
 安らかな寝息を立てるマスターの傍らで、アトワイトが呟いた。
 声音には溜息とも苦笑ともつかないものが含まれている。
 そんな彼女の意識へ、壁の向こうから微かな声が届いた。旅の間ですっかり耳に馴染んだ、懐かしい声だ。
『クレメンテにとって、彼女は娘のようなものなんだろうな』
 スタン達とルーティ達は隣り合わせで二部屋を使っており、ディムロスとアトワイトもそれぞれマスターと同室で休んでいるのだが、ソーディアン同士、ごく近い場所であれば壁を挟んでいたとしても意志の疎通は可能なのである。
 ちなみにジョニーとリオンは不在であり、当然ながらリオンが連れだしたクレメンテとシャルティエもまたこの場にはいなかった。
『しかし、話がしたいなら我々を介せばいいだろうに』
『できるわけがないでしょう』
 つい先程、隣室で起こっていたやりとりを思い出しつつ、アトワイトが応じた。
 確かに、ディムロスの言葉は至極もっともな意見だが。
『何故だ?』
 即座に返され、一瞬アトワイトは押し黙る。
『……私たちのマスターの事を思い出してごらんなさい』
『まぁ、確かにスタンは鈍い所があるが』
『………………』
 本当に気づいていないのだろうか、フィリアの抱いている感情に。その意中の相手こそはスタンであり、彼女の変化を間近で見ているのは、ある意味ディムロスでもあるのだが。
『アトワイト?』
『……あなたって、どうしてそうなのかしら……』
 怪訝そうなディムロスは、やはり気づいている様子がない。
 似たもの同士とはよく言ったものね、と内心溜息をつくアトワイトだった。

──fin



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<あとがき>
 突発ネタです。きっかけはフィールド上のチャットでした。ひとつツボをついたものがありまして、これでかなりジョニー×フィリアに惹かれたんです。でも、フィリアの場合は保護者のクレメンテが口うるさいかも、と思いまして(笑)。
 最も、この段階のジョニーはどちらかというと「妹を見守る兄」に近い気がします。フィリアがスタンを好きだという事にも気づいているでしょうし。
 ジョニーが他の女性の事を真剣に考えられるのは2部に入ってからだと思いますが、このタイミングにしたのは、クレメンテとジョニーの仲立ちをリオンに引き受けてもらいたいからだったりします(笑)。
 ちなみにフィリアのカクテルはメロンフィズ、ジョニーは…スコッチ・キルト辺りを思い描いてます。
 ソーディアンの口調が違っていないか、かなり不安なんですが…(汗)。