前書きにて候

言うまでもなく必殺シリーズの顔である中村主水。 彼はいかなる素性の人物なのか、そして同心でありながらどうして殺し屋になったのか? そしていかなる末路と相成ったのか? ファンにとっては当たり前のことだけど、知らない人には知ってほしい。

まあ、今まで色々と論じられてきた主水について、今更私ごときが新しい切り口なんぞ出せるはずもない。 ということで、当たり前田のクラッカー((C)藤田まこと)なことしか書けないんだけど、知らない人は見て下さいな。 自分のごとき無知な若輩者が偉そうなことを言うのは僭越であることも承知の上。変なこと書いてても、ファンの方もかんべんしてね。 特に「必殺!主水死す」に関しては公開時に見たっきりだから細かい部分は忘れてるし、的外れなことを書いてるかもしんない。 よく知らない人はあまり真に受けない方がいいかも。(だったら書くなよ)

なお、「必殺仕置人」から「必殺!主水死す」までネタばらししまくるのでご注意。

現れて候

「必殺仕置人」にて初登場した同心、中村主水。 彼は奉行所では、いるのかいないのか分からないので昼行灯と呼ばれているような無気力男だ。 ところが、彼は元々は同心稼業について非常に意欲を持っていたようだ。

彼はわずかなつてを頼って中村家に養子になりに来たという。これは、彼がどうしても同心になりたかったからだと考えられる。 すなわち、彼は中村家に来たかったのではなく中村家の持つ同心株に心引かれていたのだということだ。 わざわざ婿養子になってまで同心となるとは、その意気込みは半端ではない。 おそらく当時は、市井にはびこる悪を裁くこの稼業にあこがれ、正義感に燃えていたに違いないのだ。

しかし実際に同心になってみるとどうだろう。奉行所の中も腐敗しきっており、金さえ積めば黒が白にでもなるという。 これでは平同心の自分がいくら正義感に燃えていても、何の役にもたたないではないか。 彼は希望に燃えていただけに落胆も激しく、全くやる気を失ってしまう。 自らもその色に染まり要領よく立ち回って出世しようというつもりにはなれず、となれば袖の下を取るのが楽しみである程度のケチな同心として生きるようになってしまうのも無理なきことかな。

彼は自分でも要領が悪いと言っていたが、実際は要領よく立ち回れないのではない。 彼は裏稼業において見事な頭脳明晰ぶりを発揮していたではないか。 単に、奉行所の腐敗した連中の同類になりたくはなかったというだけのことだろう。 かくして、昼行灯の中村主水が誕生する。

彼は自分が佐渡金山にいた頃を懐かしがっていた。その頃は使役される罪人とそれを監督する役人という単純明快な善悪構造があったからだ。 正義が正義として通らない世の中に彼がいかに不満を持っていたかが分かる。 そんな彼に佐渡の頃からの悪友の鉄(鉄や錠は主水に監督されて金を掘る罪人だった)が持ってきた話は、彼がわずかに信じていたものを完全に裏切るものだった。 奉行が自らの出世のために何の罪もない男を死罪にしたことを知り、もはや正義などどこにもないと見定める。 そして鉄たちと共に彼が選んだ道は「殺し」だった。

仕置して候

同心としての自分の力では巨大な悪に対して何もできない。だが、一度その足かせを取ってしまえばどうだろう。 社会の仕組みにとらわれず、お上が裁こうとしない、裁けない悪を自らの手で仕置するのである。 主水にとってこんな快感は初めてのものだった。何のもどかしさもなく、自らの怒りをそのままぶつけることができるのだ。

彼はようやく自分の新しい希望を見出す。それは人殺しという歪んだ手段であったけれども、自分なりの正義を貫き通す手段を得たのである。 それが歪んでいることは充分に承知している。本当は正義ではないことも知っている。だから彼は自らを磔にされてもしようがないくらいのワルだと言っている。 しかし主水にとって、これはかつて正義を夢見た男の新たなる生きがいだった。 金をもらって悪党を殺す、この薄汚れた稼業に彼は没頭した。 後のシリーズでは探索の手が厳しくなるからと言って遠慮するような大物が相手でも平気で仕置にかける。 もう表の人生を半分投げ出しているような感じだ。この時期の主水の、なんと幸せそうなことか。

しかしそんな幸せが一旦幕を閉じる日がやってくる。 主水以外の仲間の正体がばれ、皆が江戸を去らざるをえなくなったのだ。 主水にとっては、自分の生きがいを失い元の昼行灯に戻ることは耐えられないことだ。 だから彼は鉄たちと共に旅立とうとする。表の人生を全て捨てて。 だが鉄はそれを制止し、仲間は散り散りになる。残された主水は、元のさびしい生活に戻らざるをえなかった。

夢破れて候

しかし主水はあの快感を忘れることはできなかった。 そこで「暗闇仕留人」において、半次やおきんとの再会、貢や大吉との出会いを機に殺しを再開する。 再びあの快感を得るために。

だが、彼が仲間にした糸井貢はとんでもない男だった。 貢はインテリであるが故に悩み、主水が心の奥底にしまっておいた疑問をあっさりと口にしたのだ。
人を殺すことにどんな意味があるのか?
人を殺して世の中がよくなったか?
これは、自らを極悪と言いつつも巨悪を葬ることで自分なりの正義感を満たしてきた主水にとって、考えてはならないことだった。 世のため人のために人を殺す、こんなことは明らかに矛盾している。 もちろん表立って世のため人のためなんてことは言わない。 だが彼が殺しに身を投じたのは悪がはびこる世の中に対する絶望が原因であったし、心の奥底にはその思いがあったことは間違いない。

貢は真正面からその疑問に取り組んだ。そして死んだ。 矛盾しているが故に答を出すことができない疑問。 一度その疑問を持ってしまっては、もはや裏稼業を続けていくことはできない。 人を殺すことに迷いを持ったまま人殺しなどできるわけがない。

そして貢の死を目の当たりにした主水もまた悟る。 自分なりの正義感に根ざした殺し、それが無意味なものであると。 貢の末路は自分の未来、このままの思いで殺しを続けていけば貢の二の舞になってしまう。 主水は貢の死によって、殺しに夢を見ることはできないと思い知らされたのだった。

殺しを続けて候

こうして殺しから身を引いた主水であったが、「必殺仕置屋稼業」においてまたしても殺しの世界に身を投じる。 最初は彼は殺しの世界に戻ることを拒否する。もう殺しに生きがいを感じないからだ。 だがそんな彼を引き戻したのは悪に踏みにじられる弱者の姿。 その姿を見て、かつての怒りがまた甦る。だがその怒りのままに殺しをするようでは今までと変わりがない。 貢の二の舞とならないためにも、彼はあくまで稼業として殺しを行なう決意を固め、殺しを再開する。 こうして彼は、以降延々と続く稼業としての殺し屋の道を歩み始めたのである。

この頃から、主水は掟に関してうるさくなる。もちろん保身のためだ。稼業として続けていく以上は当然のことだろう。 最初の頃、表の生活などどうなっても良いといった感じで暴れていたのとは大違いだ。 そして、敵組織との抗争で仕置屋が崩壊しても彼は裏稼業をやめようとしないのだが、それは自らの生きがいのためでないのは明らかだ。 それはおこうが最期に言った、
「中村はん、この稼業やめたらあきまへんで」
という言葉に従ってのことか? だんだんと主水の中で裏稼業の位置づけが変わっていく。

その彼も「必殺仕業人」で一旦裏稼業から足を洗う。 赤井剣乃介を失ったことで、主水はまたしても殺しの苦みを痛切に感じてしまった。 やいとや又右衛門に対する怒りも重なり、そこで名乗りを挙げて果たし合いに臨むことで裏稼業にけりをつけたのだ。

その彼が裏稼業に復帰するのは、「新必殺仕置人」において寅の会に狙われた時。 定町廻りに復帰できて表の仕事に精を出そうかという時に、今度は自分の命が狙われていることを知る。 因果応報。今まで何人もの仲間が惨めに死んでいったのに、自分だけがぬくぬくと足を洗って生き延びることなど出来るはずもない。 そこで彼は裏稼業に復帰する決意を固める。ここで彼は、自分の死に場所が裏稼業の中にしかないと思い定めたのかもしれない。

やがて寅の会の崩壊と鉄の死でまた裏稼業から遠のいた主水だが、「必殺商売人」で新たなる仲間を得て復帰する。 この時には、あまり裏稼業復帰に躊躇する様子を見せない。 自分を裏稼業に引き込んだ永遠の友である鉄を失おうとも、いや失ったからこそ裏稼業から足を洗うことはできないからだ。 死んでいった仲間を裏切らない方法はただひとつ。自分も裏稼業で惨めに死んでいくことだからだ。 だが彼は、この時せっかく授かった子供を死産という形で失う。 人殺しの自分には人の親になる資格はないのか…またしても主水は殺しに嫌気がさす。

くたばりて候

その後、「必殺仕事人」において彼は仕事人として裏稼業に復帰し、何度も一味を解散させつつ何度も殺しに復帰する。 彼を裏稼業に引き込むものはもはや悪に踏みにじられる弱者だけではない。 惨めに死んでいった仲間たち、彼らの思いに報いるためには裏稼業をやめるわけにはいかなかったのだ。 この頃の彼は惰性で殺しを続けているように見受けられる。だが本当は自分の死に場所を求めていたのではないか? かつて殺しに夢を見て、その夢が破れて後も殺し屋として生き続けた、いや生き続けざるを得なかった主水。 その行く末に何が待つのか?

そして映画「必殺!主水死す」において彼はようやく最期の時を迎える。 彼はこの映画で一介の仕事人としての姿を見せる。 裏の世界でその名も轟く彼ほどのキャリアと実力があれば、元締として裏の世界を牛耳っていても不思議ではないのに。 実際に元締を張っていたのは彼の情婦のおけいであった。はっきり言ってまだまだ小娘だ。(というような年齢でもないけど)

主水はあくまでも一介の殺し屋として生き続けていた。 その理由は? もちろん、自分の死に場所を求めてのことだろう。 そして彼はついに自分の死に場所を得る。 彼の息の根を止めたものは何だったのか? 私が見たところ、主水は過去の自分に殺された、と思えた。

実際に彼に刃を向けたのはお千代であったが、彼女の最期の言葉はこうだった。
「主水さん、昔は良かったねえ…」(だったかな?)
主水とお千代、そして主水の最後の敵であった権の四郎(清吉)は20年前に組んで仕事をしていいた仲間だったという。 20年前?

この映画における主水の高年齢ぶりから見てこれが我々の実時間と連動していると考えると、20年前と言えば仕置屋・仕業人を営んでいた時だ。 仮に20年というのが結構アバウトな時間だとして、少し時期が外れるが、これが仕置人・仕留人の頃だと考えるとどうだろう。
(けど仕留人から20年後だと明治時代になっちゃうなー。それにこの映画、仕留人より前の時代の話だぞ。)
この頃の主水はまだ殺しに生きがいを感じ、夢を見ていた。はっきり言って若かった。 裏の世界の掟にすら縛られることなく、自由に生きていた。 お千代も清吉も若く、そんな主水と組んで色恋沙汰にまで発展していたということは似たような生き方をしていたことだろう。

そんな彼らの再会。仕事人として無様に生き続ける主水、その敵となった清吉、20年間の空白を経て記憶を取り戻したお千代。 お千代はここで仮にも夫であった清吉を主水に殺される。だが主水もまたかつて自分が愛した男だ。 なぜこんなことになってしまったのか? 主水と清吉の戦いが基本的に清吉の私怨によるものとは言え、彼らが再会に至るまでには複雑な事情が絡んでいた。 今や彼らには表でも裏でも様々なしがらみが付きまとい、かつてのような自由な生き様は望むべくもない。 だからこそこんな状況に陥ってしまった。

20年間の空白を持つお千代はこの落差に衝撃を受ける。 そして自分たちの現在の醜い生き様に終止符を打つべく、主水を刺す。 かつての自分であれば、こんな今の自分たちの存在を許せるはずはないからだ。 そのことに気付いた主水もまた、お千代を刺し返す。 その時主水の脳裏には、殺しに夢を見ていた頃の自分が映っていたのではなかろうか。 あの頃の自分こそが本当の自分だった…。

主水は長い裏稼業の中で、自分ではなりたくもない自分へと変わっていった。 しかしこれでようやく長い間続いた醜い生き様から解放されるのだ。 自分を待つものはもちろん永劫の苦しみが待つ地獄道ではあるけれど。

南無阿弥陀仏。


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